第1話 妹のいる朝

「……ま、全部貯金しましたけどねー」

「え? どうしたのにぃに怖い。急にテレビに話しかけて怖い」


 二カ月ほど前に開催されたブレイブの決勝戦。

 当時のことを思い出していた俺は優勝者である<ノーネーム>のカメラ目線と目が合い、思わずその使い道を零してしまった。

 独り言のつもりだったのに、まさか妹に拾われてしまうとは思いもしなかった。


「これはアレだ。『もし100万円貰ったらどうするか?』って友達に聞かれた時のための予行練習だ」

「なにそれ? 高校2年生にもなって、そんなしょーもないたられば話する? てか、今までしたことないって……兄さん友達いないの?」

「……」

「黙っちゃったよ、この人」


 別にいないわけではないのだが多い方でもないので訂正する気力が湧かなかっただけだ。断じて図星を突かれて動けなくなったわけではない。

 

周藤遥真すどうはるまさん」

「なぜにフルネーム」

「わたくしがお友達になってあげてもよろしくってよ?」


 口調が変でございますわよ?


「……お断りいたしますわ」

「なんで!? ってか、キモい。マネしないで」

「せっかく乗ったのにその反応はおかしいだろ」

「あたしはいいんですーおにぃがやるとイメージが崩れるのが嫌なんですー」


 なんのイメージだ……と俺が呆れ、


「妹が友達とかおかしいだろ」


 と正論を言うと、


「そんなこと言ったらあれじゃん……」


 とそっぽを向いてしまった。

 なんとなく言いたいことはわかっているので俺は話題を変えるために妹と対面するようにテーブルに腰を掛けた。


「それで? 雫ならどうする?」


 沖名おきなしずく

 それが妹、義妹の――いや、彼女の名前だ。

 だが、それも今は関係ない。今の話題は、

 

「……『100万円貰ったらどうするか?』ってやつ?」

「そうだ。正確にはeスポーツの世界大会の1つ、ブレイブの賞金を貰ったらどうするか、だな」

「賞金っていくらなの?」

「2億4000万」

「高っ! え、めっちゃ高い。しかも予行練習の方が夢が大きすぎて練習になってない……」


 目を丸くして驚く雫を前に、俺は笑いを堪えきれずニヤニヤと妹を見詰めていた。

 

「で、どうする?」


 急かすことも忘れない。どうせなら雫の欲しい物でも聞いておこうと思ったからだ。だが、


「えー……あー……」


 あまりの大金に使い道が思い浮かばないのか、可愛らしくも間抜けに口を開け、


「……貯金?」


 俺と同じ答えを口にしていた。


「……ふっ」

「あっ今、鼻で笑いましたね。そういうことするんですね。あーあ」

「そりゃだってなぁ」

「どうせあたしゃ~お兄ちゃんの妹ですよ~」


 いつもの調子を取り戻してきたのか、諦めたように半眼で見つめてくる。


「堅実な兄でよかっただろ?」

「むしろあたしを敬え。妹様を敬え! 目の前に広がる朝食はこのあたしがにいやんのために用意したものだ。感謝しろい!」


 確かにテーブルの上には2人分の朝食が用意されていた。

 トーストにサラダ。スクランブルエッグにベーコン焼きとオニオンスープ。学生が調理するには少し早起きしなければならないラインナップの品々だ。

 そうか、俺に朝食を振る舞うために雫はここに・・・来たのか。

 ……アホだなぁ。

 とりあえず、


「冷めないうちに食べるか、いただきます」

「マイペースかよ……」

「食べないならそのベーコン俺が貰う――」

「いただきまーす!」


 そんなこんなで慌ただしい兄妹の朝食が始まった。

 施設・・にいた時はよく食べていた雫の手料理だが、まさかまた食べられる日が来るとは考えてもいなかった。なぜなら俺たちが通う学園は少々特殊で、朝食などは普通は自分で用意するか下の階層の生徒専用バイキングレストランを利用することになるからだ。


「我ながらおいしっ! あたし天才」


 と、よりにもよってマーガリンを塗りたくったトーストを食べながら謎の自信を口にする妹を眺め、こちらは「せめてスープを飲んでいる時に言ってくれ」というもっともなツッコミを飲み込み、本題を口にすることにした。


「……で?」

「む?」


 小動物のように頬を膨らませ、俺の方を見つめ返す雫。

 口元がつい綻びそうになり、慌ててキュッと引き締めると、雫はさらに首を傾げた。


「どうやって俺の部屋に忍び込んだ・・・・・?」

「……っ、ん。いまさら?」


 スープを飲み込み、一息ついた雫が驚いたように目をぱちくりさせる。


「ここがどこだかわかってるよな?」

「お兄様のお部屋」


 間髪入れず答えが返ってくる。悪びれる心はない。


「正確に」

「学園の寮の一室」

「もっと細かく」

「えー……1LDK?」

「そういう意味じゃない」

「あたしとおにぃの愛の巣」

「……」

「あ、無言はやめてください。恥ずかしいので無言は勘弁してください」

「……」

「いじわるしないで~! 待って! ちゃんと答えるから! えっと、あれだよ。あれ」


 自分の発言に照れているのか「あ~あ~、あ~」と焦ったように顔を赤くして頭を悩ませている。

 面白いから放置しよう。


「あ~えっと……海上都市ヴェレンティアにある我が学園が保有する学生寮の一室です」

「片言の説明台詞をありがとう。でも大事な部分が足りてないな」

「えぇー!? 言ったって! あたし言い切ったよ」


 わざとなのか本気なのか。

 時々、妹のことがよくわからなくなるが、このままでは埒が明かない。

 答えは、


「男子寮」

「……? 言ったじゃん、それ」

「勝手に過去を改変するな」


 あまりにも堂々としていたため、一瞬、「あれ? 言ってない……よな?」と不安になったのは内緒だ。


「ここは学園の男子生徒だけが利用する寮の一室だ」

「はい」


 知ってますよ、と言わんばかりの頷き。もはや清々しさすら感じる。


「沖名雫くん」

「なんでフルネーム」

「君が入学してから1カ月は住んでいる部屋はどこかな?」

「にいやん大丈夫? あなたは男であたしは女。お向かいにある女子寮に住んでるに決まっているじゃ~ありませんか」


 雫が指差した先にはガラス越しにベランダが見え、さらにその奥では高層マンションが建っていた。

 あれこそが妹が住んでいるはずの女子寮であり、男子禁制の花園だ。無論、俺が住むここ――男子寮も同じく女子禁制。

 つまり、


「おかしいだろ。女子禁制の男子寮に、なんでお前がいるんだ」

「……へ」

「なんだそのニヒルな笑いは」

「兄者。実はずっと黙っていたことがありましてね。あたし、実は男の娘だったんですよ」

「じゃあさっさと俺の部屋から出ていってください」

「え、冷たい。急に他人行儀……」


 目つきをキリッとさせ声色まで変えていた雫だったが、冷たくあしらうとすぐに元に戻ってしまった。


「弟に興味はない」

「シスコンかよ」


 呆れ顔のマジトーンのツッコミ。

 だけどしょうがない。脱線した会話を断ち切りたかったのだ。


「……で? どこからどうやって忍び込んだんだ? セキュリティーや警備はどうした?」

「えーとねー。女子寮と男子寮の間に渡り廊下があるじゃないですか」

「ああ、あの緊急時にのみ通ることができると言われているアレな」

「あそこをこうスパイ映画の主役みたいにちょちょちょーいとくぐり抜けて」


 妹が身体をくねらせてタコみたいな動きを始めた。

 なるほどなるほどレーザートラップを避けてここまでたどり着いたってわけか。というかあの通路にそんなものが設置されてたのか……どおりで管理人に連行される男たちが後を絶たないわけだ。


「鍵は? 今の時代、物理的なスペアキーなんて用意できないだろ。どうやって入ってきた」

「それはアレですよ。あたしの<アーチ>にはお兄ちゃん部屋専用ハッキングアプリが仕込んであるので、これまたちょちょいのちょいと――」

「犯罪じゃねーか」


 自分のウェアラブル・マルチデバイスを指差し、とんでもないことを口にする妹に俺は戦慄した。

 下手をしたら掴まってしまうレベルの代物だ。さっさと破棄させないと危険――という兄の心を知ってか知らずか、雫はよよよとわざとらしく泣き崩れるような仕草を見せ、チラチラとこちらの様子を窺っている。


「あんまりですわ、お兄様。わたくし、妹として兄の食生活を心配してここまで馳せ参じましたのに。そんな可愛らしい動機の妹に対し、犯罪者扱いなんて……」

「現に不法侵入しているじゃないか。しかも朝食なら下のレストランでバイキングできるし」

「……」

「黙るなよ」

「……あ、お兄ちゃん。そこのジャムとって~……わーい、ありがとう」


 謎のキャラ作りに秒で飽きてしまったようだ。いつものことなので特に突っ込むこともなくジャムの入った瓶を渡すと、残っていたトーストに塗りたくり、最後の欠片を口に頬張った。


「……ちゃんとそのアプリ消しとくんだぞ」

「はーい、でもあたしのはただのコピーみたいなものだからユカナ先輩の――ぁ」


 しまった! と、いかにも口を滑らせました! みたいな顔をしているが事故なのか故意なのかは悩ましいところだ。雫は存外いい加減な性格をしているため判断が難しい。

 とりあえず、


「あいつが主犯か」


 ま、いつも通りだな。


「ふふふ、バレては仕方がない。そう、あたしはただの手下(妹)に過ぎない。いずれにぃにはユカナ先輩によって――」


 特撮でも意識しているのか中二病のような決めポーズをとって語り始めた。内容はただの下っ端の台詞なのでカッコよさの欠片もない。


「ジャム、俺にも」

「イィー!」


 空気を読まず中断させると、妹からかませ犬の怪人のような掛け声とともに瓶を手渡された。


「はい、どうも」

「――っていうか、お兄ちゃん! あの先輩ヤバいよ!」


 人間に生まれ変わった妹が突然真顔になって前のめりになった。

 俺としては「お前も十分ヤバいよ?」と伝えてあげたかったのだが、そろそろ登校時間も差し迫っていたためやめた。


「今日の不法侵入の手引きをしてくれたんだろ? 世話になったんだからあまり悪くは言うなよ?」

「そりゃ~『どうやったら男子寮に潜り込めるかなデュフフ』って先輩に相談したのはあたしだけどさ」

「変態かよ」

「話の腰折らないでー」

「はいはい」

「でね、聞いて、兄ちゃん。ユカナ先輩、『あら? ふふ、ハルマ君の寝込みを襲いたいの? 楽しそうね、私がちょっとだけお手伝いしてあげるわ』って、すっごいエロ~い表情しながら、なんかよくわからないハッキング道具? なんたらデバイス? とかいっぱい貸してくれたの! <アーチ>に仕込めば監視カメラにも姿が映らない特注品なんだって!」


 相談をする方もアレだが乗る方もアレだ。

 去年、俺が抱えた頭を、今度は雫が抱えることになったようだ。


「どうしてこんなもの持ってるんですか? って聞いたら、『妹ちゃんと同じ。ハルマ君に近づくためよ』って」

「まぁ……うん、彼女ならそう言うだろうな」


 俺が知る限りユカナとはそういう女だ。

 ただ、世話になりっぱなしでもあるため頭が上がらない存在でもある。


「今日のこと、すっごく感謝してるけど、絶対ヤバい人だよ。敵に回しちゃだめだよ、兄さん」

「あーわかってる。というか敵に回るようなビジョンがまったく浮かばないからその心配はない」

「なにそれフラグかよ……ていうか、にいに。あんまり驚かないね」

「慣れたからな」

「慣れていいの? ……あ、だから私がにいやんの部屋にいても驚かなかったんだ」

「そういうこと」


 納得したように頷く妹と共に食事を再開する。

 話しすぎたせいか軽食であるにもかかわらず2人とも食べ終えていなかった。

 おそらく、これは反動だ。

 雫が俺と同じ学園に入学するまでずっと離れ離れで暮らしていた。その一年間という空白を埋めるために、お互いが無意識に長舌になっていたのだ。

 そういうことにしておこう。


「……」

「……」


 無言の空間を抜けるようにテレビの音が垂れ流されていく。

 内容は『来日したお姫様が今もっとも注目しているもの』という題材。二カ月も前のブレイブの試合が流れたのはそういう繋がりがあったようだ。


「お姫様がARゲームに興味津々か。無理矢理言わせたんじゃないかって勘繰っちゃうな。もう十分eスポーツとして活気づいてると思うけど」


 有名人を使って広告塔にする――っては珍しい話ではないため俺は懐疑的に受け取ってしまった。試合の映像も長々と流していたし、もしかしたらテレビ局のスポンサーにブレイブ関係の会社があるのかもしれないが……面倒なので調べる気にもならなかった。知ったところでどうしようもないし。


「にいやん、見て」

「ん?」


 妹に釣られ、またテレビに視線を向ける。そこには来日したばかりであろうお姫様と彼女を護るように連れ添う騎士の姿がカメラに映っていた。

 ……あ、お姫様ってもしかして――


「このお姫様ってあれだよね。あの異せ――」

「ああああああ!」

「わひゃい!」


 俺が叫び声を上げると正面に座っていた雫が面白可愛い悲鳴を上げた。


「びっくりしたーびっくりしたよ、おにぃー」

「雫、お前はもう学校に行く準備はできてるか?」

「え? うん。食べ終わったらいつでも――って、そっか。もう時間か。残念」


 朝食を口にかきこみ、最後に残ったスープを飲み干す。


「ごちそうさまでした。……雫」

「ん~?」

「うまかった。ありがとな」

「……えへへ、お粗末様でした。兄さん」


 もう少し味わっていたかったが遅刻するわけにもいかず、俺は制服に着替えるために服を脱ぎ始めた。後方では「きゃーお兄ちゃんのエッチ―」と棒読みで愉快な悲鳴も聞こえてきたが全て無視した。

 そういえば、肝心の「どうして朝食を作りに来たのか」という本音を聞き忘れてしまったが……まぁ、今更どうでもいいか。

 久しぶりの家族水入らずの朝食は、いつもより俺を満たしてくれたのだから。

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