文字でつながれた都市と都市(5000年前〜)

 定住生活を行うようになったことで、人類は家畜も手に入れた。ヒツジ(一万年前・トロス山脈)、ヤギ(一万年前・ザグロス山脈)、ブタ(八千七百年前・南西アジア、中国)、ウシ(八千年前)、ロバ(七千年前・エジプト)、ウマ(六千年前・ウクライナ)、ラクダ(四千七百年前以前・中央アジアでフタコブラクダ。三千年前以前・アラビア南部でヒトコブラクダ)がそれぞれ三千年前までに南西アジアで家畜化された(マクニール 2015)。


・牧畜世界


 家畜は輸送手段として遠方どうしの交易を促進し、労働力として農業の効率を高め、食料としてカロリーやタンパク質を提供した。特に交易はユーラシア大陸を一体化させる繋がりを生み出し、西の果ての技術が東の果てに、東の果ての技術が西の果てに素早く広まるようになった。肥沃な土地ではやわらかい地面に車輪がはまってしまうため、家畜を輸送手段として利用することは難しかったが、鋤を利用した農耕に役立った(同上)。


 農村の生産力が向上するにつれて、家畜を養ってなお余剰食料が生まれるようになった。すると食料を倉庫にためて一元的に管理し、農業以外の専門的業務を行う人に分配する制度が出現する。

 こうして分業が始まり、職業が誕生していった。倉庫の周りに集まった人々はやがて都市を構築し、周囲の農村部と比べて人口密度が高く、工業生産性の高い場所を提供した。やがて都市は交易や宗教、統治の中心となり、農村を支配するようになった。紀元前九千年ごろには中東全域に定住地が現れ始め、ついには現在のパレスチナでイェリコという町が出現する。今のところイェリコは世界で初めて周囲に壁を築いた町だ。

 イェリコで発掘された円形の家の多くはふた部屋以上の間取りとなっていて、戸外には調理や洗濯が可能な家事スペースがあった。建造物は土台が頑丈な石、壁が泥や粘土を焼いたり乾燥させて作った煉瓦、、床が敷き詰められた小石で出来ていた。またこの時代の遺跡には食料や穀物の貯蔵庫が必ずと行って良いほど確認されており、もはやイェリコの住民にとって狩猟採集生活は過去の伝統にすぎなかった。

 なおイェリコに建築された壁は、かつて盗賊の侵入防止だと思われていたが、最近の研究によると、温暖化で上昇を続けていた海から押し寄せてくる泥流や鉄砲水を防ぐためのものだったと考えられている。

 またイェリコでは交易の証拠も見つかった。数百キロ離れたトルコ中部で産出されたと黒曜石が発見されたのだ(注1)。恐らく貴重な種子との交換で手に入れたと考えられる。黒曜石はビーズや ペンダントなどの装飾品に加工されたり(Mallowan and Rose 1935)、石製容器や手鏡に使用された。(Mellaart 1963; Prausnitz 1969; Healey 2001; Vedder 2005)

 こうした事実から分かる通り、当時既に数百キロに渡る長距離の交易路が存在したのだ(ロイド 2012)。

 

 イェリコ遺跡から分かるように、人類はより豊かな暮らしを、安全さを、効率を、貴重品を求めて貪欲に技術や文化を発展させていった。それらはやがて、文明という形で身を結ぶことになる。


・文明の始まり


 文字によって記録が残るようになったことで、歴史の存在する時代、いわゆる有史時代が始まった。それまでは歴史が記録されていなかったので先史時代と呼ばれている。文明とはすなわち文字だ。人が人を支配し、強大な国家を作るためには文字という手段が必要不可欠だった。支配する側と支配される側の格差が生まれたものの、国家という集団の意思決定を行う機構も確立されたのだろう。


 歴史の記録が始まったのは、文字が誕生した時だ。およそ五千年前にオリエント(現在の中近東)で最初の文明が誕生した頃のことである(注2)。文字を発明したのが誰かは分からないが、少なくとも五千年前には商取引の記録を残していた。絵を記号として扱い、黒曜石や大麦、ワイン、希少な石や金属類を取引していた。

 さて、文字の誕生には諸説ある。取引の記録から始まったとか、売り物の数から始まったとか。中には以下のような説もある。

 文字の始まりは、絵を使って意思を他者に伝えようとしたことだった。しかしこの方法では理解しにくく誤解なども生まれるため、自分に近いものから絵に書いていくというきまりが生まれた。英語の語順が、私は、取る、りんごを、木から。となった理由である。こうして文法が誕生し、文字を効果的に利用できるようになったのだ。

証拠になるような資料は見つかっていないが、とても面白い説だ。

 ギリシャの経済学者ヤニス・バルファキスは著書『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話』の中で、以下のように述べている。



 (前略)では、文字を使って何を記録したのだろう? 農民がそれぞれ共有倉庫に預けた穀物の量を記録していたのだ。/倉庫の共有は、とても理にかなっている。農民が一人ひとり倉庫を建てて穀物を貯蔵しておくなんて面倒だし、みんなで同じ倉庫を使って、番人に見張ってもらうほうがずっと楽だ。/でも、そうなると預かり証のようなものが必要となる。(中略)文字が生まれたのは、そんな記録を残すためだった。記録があれば、それぞれの農民が何をどれだけ共有倉庫に預けたかを証明できる。(バルファキス 2019 p29)



 私としては、この説が最も納得がいった。文字の発達と農耕・農業の発達とは深い関係があったからだ。農業の発展しなかった地域と、独自の文字を持たない地域には重なるところがあるように思う。

 さて、オリエント商人の利用した粘土板には、時代が進むにつれて少しずつ情報量が増えていった。まずは物品の横にその数を表す記号を加えて数量を表した。次に粘土板を釜で焼いて硬化させ改ざんを難しくした。そして更なる商取引の効率化、スピードアップを図るために、絵に変わってくさび形の記号を用いるようになったのだ。葦の茎を削って作った「ペン」を用いて書いたこの記号こそ、今日こんにちでいう楔形文字である。のちに楔形文字はシュメール語、アッシリア語、バビロニア語へと変化していくことになる。



【注釈】


1. 西アジアにおける黒糖石の産地は、アナトリア半島の山脈地帯以外に限られる(Gourgaud1998)。エーゲ海諸島やイエメンなどに産地があるものの(Cann and Renfrew 1964; Chataigner 1998: 298)、新石器時代にメソポタミアへ持ち込まれることは無かったとされる。


2.オリエントとは、元々ラテン語で太陽の昇るところを意味する。現在のトルコやエジプトからイランにかけての地域だ。対義語として、太陽の沈むところを意味するオクシデントという言葉もある。こちらは当初イタリアから見て西にあったガリアスペインを意味した。アジアであるオリエントに対して、西洋全体をオクシデントと捉える場合もある。


・補足 「文明の語学的意味合いについて」

 文明とは文字である。とは書いたが、実際のところ文明という言葉の意味は時代や状況によって変化してきた。初めて文明という単語を使ったのはフランスだ。civilisation(文明)は16 世紀後半から使われ始めた動詞で、civiliser(開花する、洗練する) の名詞形である。恐らくラテン語の civis(市民)、civilis(市民の)、civitas(都市・国家)が語源だろう。

 英 語の civilization(文明)は、動詞civilize(教化する、洗練する)の名詞形だが、先のフラ ンス語に影響されて作られた単語と言われている(吉野敏行 2015)。つまり元を辿れば、「文明」の語源はラテン語であり、ギリシャやローマの考え方が色濃く現れた概念なのだ。



・補足「四大文明説はウソ?」

 日本の教科書では世界四大文明説が採用されているが、実際には他にも多くの文明があったとされている。そもそも日本の教科書に書かれている四大文明とは、日本で学んだ中国人が提唱した歴史学ではなく政治学の用語だ。欧米では通じないとも言う。

 とはいえ、四大文明は知らなくて良いかというとそういうわけではない。「初期の文明として知られている」文明が、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河の四つと言うことは国際的な共通認識だ(マクニールの世界史より)。文明論は数多くの説があるが、少なくともこの四つの文明さえ知っておけば古代史の序章を話すことが出来る。

 

・補足「東南アジア農業が文明に繋がらなかったワケ」


 焼畑農業を行なったり、水田でコメを育てたとされる中国南部、東南アジアでは都市の発展や文明の勃興といった変化が遅れていた。農業生産力が充分だったのにも関わらずだ。

 理由には諸説あるが、『倉庫にためて食料を分配する』という制度が充分でなかった為と言われている。

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