第200話・そしてわたしの旅路の果てに その19

 幻想種だか魔獣だかわからない獣の群れが、さっと割れました。

 その間から出てきた姿。それは、禍々しいトゲ状の突起に覆われた一体の鎧。頭の天辺から足のつま先までの全身を、黒い金属状のものに覆われた人型。

 そのためなのでしょうか。わたしが、ひとに話しかけるように声をかけてしまうのは。


 「…第三魔獣、なんですか?」

 「オマエタチガ、ワレヲドウヨブカナドニ、キョウミハ、ナイ。スキニヨベ」


 問われて応えられたのも意外なのではあります。

 ですがそれで余計に、わたしには目の前に現れたモノが、今まで戦ってきた第三魔獣とは異質のもののように思えるのです。

 何故なら、ソレはこれまでに見たどの第三魔獣よりも禍々しく、そして可愛げがありませんでしたから。生き物で、それぞれに感情もあり、嗤ったり驚いたりしていた彼らとは明らかに違います。魔獣、なんてものじゃありません。といって幻想種とも違います。強いて言うならば…。


 【げんそうしゅをうみだすもうそうが、まじゅうのかたちをとったもの】


 そう、魔獣のようにこの世界の理からかけ離れた幻想種のあり得無さを兼ねた、わたしたちに仇なすもの。


 「…なるほど、可愛げがねーのはそういう理由ですか」

 「カワイゲ、トクルカ。オモシロイコトヲイウムスメダナ」


 わたしの罵りを受けたはずのその声は抑揚無く且つ無機質で、わたしには何の感銘も感情も沸き起こりません。腹が立ちすらしなかったんですから。


 「…アコ、どーした……?」


 だから、苦しげだったアプロが顔を上げて言ったのにも平然と応えることが出来たんです。


 「アプロ。わたしたち多分、今が最後で最大の危機ってやつみたいですよ」

 「へえ……」


 そしてわたしの言葉を聞いたアプロの反応だって、すこぶる付きに頼もしいものでした。

 だって、ですね。


 「…なら、コイツをぶっ潰せば…私たちの勝ち、ってわけか」

 「そういうこと」


 すっかり苦悶の色も消え、聖精石の剣の勇者に相応しい凛々しく不敵な笑顔をそいつに向けながら行ったのでは、絶対に負け惜しみなんかであるわけが、ないじゃないですか。


 「いいぜ。名前も知らねーけど、どーせさっき私たちを撃ち落としたのもおめーなんだろ?だったら話ははえーよ。てめーをぶっ飛ばし、周りの雑魚どもを蹴散らし、私とアコはあのクソうぜー穴を塞ぐ。そんだけだ」


 それからアプロは、離していいよ、とわたしに告げ、両の手を剣に添え、二本の足で大地を踏みしめ、それからもう一度。今度は燃える闘志を穏やかな笑みにのせて言うのでした。


 「往く」


 わたしたちを取り囲んだ幻想種は何故か襲いかかってくることもなく、アプロがすり足で鎧姿の魔獣に接近するのを妨害する様子もありません。

 わたしも制止するつもりなく、ただわたしたちの勇者が強敵に立ち向かう背中を見守るのみです。


 「…名前くらいは聞かせてもらおうか」

 「ナマエナド、ヨバレルコトハナイ。ソレヲノゾムコトモナイ」

 「そうか。ガルベルグに所縁がある、って様子もねーな。じゃあ、こっちから聞くことは何もねえ」


 顕現せよ、と低く短く唱えると、アプロは十歩ばかりの距離を一足で跳ね、モノも言わずに飛びかかります。呪言で強化された肉体の力を遺憾なく発揮し、振るった剣は鎧の魔獣に届きました。


 「…やるじゃねえか!」


 ですがそれは避けもせず掲げた腕に受け止められ、打合いの不利を一回で悟ったアプロはすぐさま飛び退いて、しかし慌てる様子もなく呪言による攻撃に切り替えます。


 「顕現せよ!」


 放たれたのは幾つもの光の矢。その身の周りに現れたそれらは、アプロが剣で指し示した相手に殺到し、それが為に鎧は光に包まれたようになります。

 一瞬、爆発したかのように見えた光の球が見えて、それが音もなく掻き消えると、その後に姿を現したのは寸刻と変わらぬ鎧の魔獣。効いてません。何一つ。


 「予想はしてたけど、本当にそうなるとやってらんねーって気分になんのな」

 「感心してる場合じゃないでしょーが。今はまだいいですけど、何かあったら周りの幻想種が殺到してくるってこと忘れないでくださいよっ」

 「わーってるって。アコ、少し下がってて。ちょっと派手にやっから」


 こちらに向けた背中から、いささか剣呑で獰猛な気配を立ち上らせながらアプロは言います。

 こりゃー本気でやるなー、と思ったわたしは慌てて距離を置くと、背中が白い狼のような幻想種に当たりそうになって立ち止まりました。振り返ると目があって、何事か言いたいような雰囲気に思わずたじろぎます。


 【にげたほうがいいんじゃない?】


 「それが出来るくらいならとっととやってますってば」


 葛藤を呑み込んで、今わたしにできること…アプロの邪魔にならないようにすることだけを念頭に、けれど声をかけられる距離だけは保ってその激突を見守るしかできないのです。


 「…顕現せよ!」


 アプロの呪言は二つ同時に展開することは出来ません。直接攻撃が可能なものを放った直後、また肉体強化のものに切り替えたのか、続いて剣を振り仰いで撃ち込みます。鎧の方は素手…という言い方が正確なのかどうかはわかりませんけれど、とにかく得物も無しにアプロの撃ち込みを時に受け止めあるいは躱し、何故か反撃することもなく見た目はアプロが一方的に攻撃し続ける、という図が何度も何度も繰り返されていました。


 「くそ、遊んでるんじゃねーだろうなてめー!!」


 そして、あしらわれている、とでも感じたのか当初の余裕などどこいった、みたいなことを叫ぶに至り、わたしは周囲の空気が微妙に変わっていることに気がつきました。


 「…あの、わたしの気のせいだといーんですが」


 【なに?】


 根源の声にも心なしか緊張感のようなものがあります。


 「なんだか幻想種たち、狭まってきてません?」


 【…きてるね】


 最初のうちは取り囲んでいるだけに思えた周囲の幻想種ですけれど、それがいつの間にか取り囲む、という様子から包囲してる、という数になってきているのです。

 アプロが戦闘を始めた頃にはまだ、まばらに散っている、といった印象だったものが、今は押し出されてどんどんこっちに集まってきているよーな…つまり。


 「幻想種の数がどんどん増えてるんですよっ!アプロ急いで!」

 「分かってるけどコイツ…このっ、くそっ!いい加減くたばりやがれッ!!」

 「ドウシタ。ヨユウガナクナッテキテイルゾ?」

 「余裕なんか最初っからねぇよくそがっ!!」


 無茶苦茶言いながらアプロは呪言による攻撃と、肉体強化の直接攻撃を織り交ぜ鎧の魔獣に迫っていきますが、徒手空拳の鎧はそのどちらも平然と受け流していました。


 「手応えなさ過ぎるだろうが!なんなんだおめーはぁっ!!」


 そのうちに、もうヤケクソのように叫んだアプロはさして力も速度も無い攻撃を繰り返す…のかと思った時でした。


 「…コンナモノカ」

 「ぎっ?!」


 わたしの目でも容易に捉えることの出来そうな程度の斬撃は無造作に振るわれた何かによって払い退けられ、そして代わりに、間違いなくわたしなんかでは斬られたことを気づくこともなく真っ二つにされそうな勢いで襲いかかってきたものを、アプロはまともに受けてしまったのです。


 「あ…ああ……」

 「スコシハタノシマセテクレルノナラ、シバラレルノモワルクナイ、トオモッテイタガ。ツマラン。モウ、キエテシマエ」


 禍々しく黒い物言う鎧は、いつの間に手にしたのか、片手に握った光の剣を横置きに構え、膝から崩れ落ちているアプロを断罪するかのように迫ってました。


 「……何だか分かんねーけど…反則だろうがそりゃあ…」


 どこにダメージを負ったのかは分かりません。ですけど、アプロは剣を取り落としもう立つことも叶わぬばかりに、そして両手を地につけて倒れることだけを堪えているように見えます。

 勇者の最期。ゾッとするような想像に囚われたわたしは。


 「……あんたなんかに、アプロをやらせるもんですかぁっ!!」


 幻想種でもない。

 魔獣でもない。

 そのどちらでもないというのであれば、そのどちらでもあり得る。

 だったら、わたしが塞ぐことのできる穴が、あいつのどこかにあると。


 【アコ!】


 うるっさい!いいからあなたも手伝いなさい!

 神速と呼べる手捌きがあるというのなら、今のわたしにこそそれが可能。

 携えていた鞄の中から針を取り出し鎧に突きつけ、そして糸を繰り出し隠された穴の位置を探ろうとしたその時。


 「ソレカ」

 「え?」


 一足以上の間合いを飛び越え、わたしの手の先に踏み込んだ鎧は、パァン、という音も高くわたしの相棒を人の意思というものを感じさせない動作で払い、雨季の終わりの澄んだ空に跳ね上がった針は。


 「キエロ」


 という、無感情な響きの声とともに、その姿をかき消してしまったのです。そう、文字通り、スゥッと。どこかの誰かに望まれてわたしを見捨てたように、呆気なく。


 「コレデナニガカワッタノカハワカラヌガ。ただ、フアンとよべるモノがウスレテいくのは、分かった。これが解放か。これが自由というものか」


 え?え?


 何が起こったのか理解出来ず、針の消えた指先を焦点の合わない目で見つめるわたしに向けられていたのは、鎧の、憐れみを込めた視線です。


 え?

 憐れみ?

 今の今まで、怒りも嘲りも無かった「彼」に、初めて過ぎった感情の欠片。

 わたしの針を消し飛ばし、そして生じたもの、ということなんですか?


 「…どおでも…いいからアコから離れろこの…」

 「この、なんだ?クソ鎧か?どうも貴様は語彙が豊かというわけでもなさそうだしな。どうせそんなところだろう」

 「ご高説賜り大感謝だよこのクソ鎧野郎!」


 無機物に口喧嘩で負けたアプロは、激昂に身を叱咤させてどうにか、なんとか、という態でまた飛びかかります。けれど、今し方打たれた肩はロクに上がらず、いつもは軽々と振り回している聖精石の剣を重そうに空振りし続け、そしてわたしは増える数に押し出されるようにしてこちらに迫ってくる幻想種の群れから逃れようとするうちにアプロから離れてしまい、やがてその背中も垣根のように折り重なった雑多な見知らぬ獣の向こうに消えてしまったのです。


 「…こここおなったら未世の間に逃げ込んで」

 【にげてもむだだってば】


 ええそうですね分かってますよどうせ逃げたところで肉体はここに留まってるんですからいずれかの幻想種にパックンチョされてお終いですよねそんな終わり方はイヤに決まってるじゃないですか!!

 …などという文句や愚痴ももう口をついて出てくることもなくなり、ただアプロと離れ離れになることだけを恐れ、やれることは全部やり尽くしたか、悔いはないか、と我が身に問うこともなく、身の消滅をただ静かに受け入れるだけの、一切のカタマリとなり始めたわたしの耳に、懐かしく聞こえたものが………ありました。

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