第172話・魔王と勇者と英雄と その5

 「なにしてくれるんですかあなたはっ!!」

 「落ち着いてアコ」


 こっ、これが落ちついれいりゃれようですかっ……いかん、噛みました。


 「これが落ち着いていられますかっ!あなた何したか分かってるんですよね?!」

 「分かってる。私はアコをここに連れてくるように言われた」


 誰にっ!どこにっ!…なんて聞かなくても分かりますよね、ガルベルグです。

 そして、地球と、テラリア・アムソニアの…あっちの世界を繋ぐ穴を潜ってやって来たらどこにいるのか、なんてことも自明の理、ってもんです。

 それならばわたしが今やらなければならないことなんて、たった一つです。


 「…ベル。今すぐ戻しなさい。今向こうで何が起こってるのかくらい、あなたなら分かるでしょう?」

 「今の私の立場を知っててアコはそういうことを言う?」

 「言いますよ、もちろん。あなたは、わたしとアプロの大切な友人ですから。違いますか?」

 「?!……っ、ア、アコは考えなしにすぐそういうことを言う…」


 照れてる場合ですか、と思いはしましたが、そんな様子のベルに、周囲を見回すくらいの余裕は生まれました。

 わたし自身の記憶や体験にはありませんが、きっとこの同じ空の下にいるだろう、神梛吾子の知識と経験から一瞬で理解しました。ここは。


 「………なんで東京の高層ビルの屋上とかに出てくるんです?」


 遠くに見える赤い尖塔。東京タワーですね。なんかこお、異世界からニッポンに転生する小説とかに割とありそうなシチュエーションですけど、まさか自分がそんな立場になるとは思いませんでしたよ、ええ。

 天気はいいですが、ただ場所が場所だけに風は吹きすさび、なんか飛ばされそうです。そしてそこそこ広い屋上の端から吹き飛ばされたりしたら…。


 「アコ、寒いの?」

 「自分の想像にゾッとして震えてんですよ、察してください。ああいえ、寒いのも事実ですけど」


 そう、とベルは腰を下ろして、やっぱり自分も寒いのか肩を抱いて身震いしてました。


 ベルは魔王を冠するに相応しい黒のローブ姿です。いつか見た金細工の肩当てをしていて、こんな場所で見ると悪趣味極まり無いのですけど、さてわたしは…うん、あんまり変わりありませんね。向こうが雨期でしたので、薄手の革の外套を着込んで、その下は手製の旅装束です。革のブーツは実は王都で買い入れた最近一番のお気に入りです。どーでもいいことですが。


 「ベル、今すぐとは言いませんけれどアプロのところには帰れないんですか?」

 「今は出来ない。何故なら、アコはこの世界の軍隊と一緒に凱旋しないといけないから」

 「…あんのやろー、そういう意図か…」


 まったく。わたしを便利使いするのも大概にして欲しいものです。

 異界の存在を知らしめるべく英雄に祀り上げたり、言うこと聞かなくなった途端に消そうとしたり、挙げ句の果てには自分の謀略の仕上げに使うとか、大概にして欲しい。

 あれ?でも…。


 「ベル、あなたはどうなるんですか。魔王だなんて肩書き背負わされて、わたしと一緒に向こうに帰ってどうするんです」

 「私は…」


 ちらとこちらを見上げてから、また視線を正面に戻し、東京の高い空を見つめて言います。


 「アコと共に帰還して、アコの連れてきた軍隊に滅ぼされる。そういう筋書き」

 「…聞いといてなんですけど、ろくでもないこと考えますね、あのヤローは」

 「そう言わないで欲しい。父は、本当に望んだことがあってそのために動いているだけだから」

 「本当に望んだこと?」


 世界を回す力を生む石を聖精石のままに留めておいたのがガルベルグの仕業だというのなら、世界に力を取り戻させるのがガルベルグの目的だ、だなんて話は信じられないのですけど。


 「アコ。今はいい。この世界を少し回ってみない?」

 「んなことしてる場合じゃないでしょうが。アプロをほっといたらわたしを助けに来ようとあの穴こじ開けますよ、きっと。それで本格的にこっちとあっちが往き来出来るようになったらどーするんですか」

 「それはそれで父の望みにかなう」

 「そう聞いて素直にわたしが言うこと聞くと思ってるんですか、まったく」


 話になりません。

 仕方ないですね、ここはベルと交渉して帰してもらうしかなさそうです。


 「ベル。言うこときいてくれたら…アウロ・ペルニカで…」

 「アコはもうあの街には帰らない。だからその交換条件は無意味」

 「……」


 ちぇ。痛いとこ突いてきます。

 じゃあ…。


 「そうですね、なら今度三人でしませんか?」

 「……っ?!……そ、その、それは遠慮しておく…」


 ふふふ、読み通り効果有りみたいですね。いえまあ、本気にされてもちょっと困りますけど、何をする、までは言ってませんからまだウソをついたことにはなりません。うーむ、少し心が痛む…。


 「…遠慮なんかすることはないんですよ?アプロだって、悪くないかも、って言ってましたし」

 「…うそ。アプロがそんなことを言うわけ………言うかもしれない」


 はい。実際言うてました。ただ、ベルと二人がかりでわたしを攻めるとかいう少し困った話でしたけど…じゃなくて。


 「でも、アプロがいないとそれはかなわないんです。だから、一緒にアプロのところに帰りましょう?」


 そしてこれがトドメなのです。この一言でベルはわたしの言うことを聞いてくれ…。


 「…アコ、折角だしちょっとあいさつしに行こう」

 「え?」


 …ませんでした。

 そして何を思いついたのか、ベルは急に立ち上がってわたしの手を握る…のではなく、いきなりわたしをお姫さま抱っこに持ち上げ、「?」となってるわたしの顔を、ひどくイタズラっぽい顔で見下ろすと。


 「ひぃやぁっっっ?!」


 いきなり駆け出しました。

 ビルの屋上の端っこに向かって。

 当然その先は断崖絶壁のよーな、奈落。

 ベルが何をしようとしてるのかわたしは察して悲鳴を上げますが、そんなことに頓着してくれるベルじゃないのです。むしろ、見上げた顔はえらい楽しそうで、それを見たわたしは諦めたのかそれとも安心したのか、とにかく大人しくベルの為すがままに任せるしかありませんでした。


 「…目、つむってて」


 言われなくてもそーします。

 ぎゅっと目を閉じると、落下が始まったようでした。

 猛烈な風がベルとわたしをつつんで、これが自由落下とゆーものか、などと呑気なことを考えているうちに、ふよふよと落下速度は緩んでゆき、あ、着地が近いなー、と思ってベルの体にしがみついた次の瞬間、わたしたちは地上の住人になっておりました。


 「…ベル?」


 そーっと目を開き、やっぱり楽しそうなベルの顔に安堵してるうちに、そっとベルはわたしの体を降ろしました。

 わたしは覚束無い足取りで立つと辺りを見回します。ギョッとした顔ばかりでした。

 …いやそりゃそーでしょう。いきなりビルの上から変なカッコした人間が二人、落っこちてきてしかもちゃんと立ち上がっているんですから。

 これがベルひとりだけだったらなんかライトノベルのヒロイン登場!…みたいな場面ですよ。なんか心当たりありますけど。


 「アコ。彼女がいる」

 「え?彼女?」


 でもベルは、そんなざわついた周囲の反応などお構いなしに、わたしたちを取り巻く人波の中から一つ処を指さしわたしを促します。

 その指先にいた人物といったら。


 「………」

 「………」


 …ええ、まあ。なんとなく予想はしてました。

 割と野暮ったい黒髪をてきとーにまとめ、そしてお洒落しましたという感じの全くしない服装。

 勤め人が大半と思われる中では明らかに存在が浮いてます。


 「…わたし?」

 「じゃない」


 いやそんなこと分かってますって。でも見慣れた顔立ちは、間違い無く毎日鏡を見た時に同じものを見ています。

 つまるところ、彼女が、わたしのオリジナル。神梛吾子そのひとなのでしょう………っていうか、こーもあっさり出会えてしまうとか都合良すぎませんかっ?!


 「なっ、なに?なになに?何があったんですっ?!」


 突如空から降ってきた人間二人に注目されて、慌てふためく神梛吾子。うーむ、直接日本語を聞くのは初めてだというのに何を言っているのか分かってしまうのは便利というかご都合主義というか。

 ともかく、わたしは後先のこととかよりも好奇心だけが先に立って、一歩、二歩と近付いていきます。


 「え?あの、わたし?わたしに何か用ですか?」


 別に用は無いんですが。

 それにしてもこちらを見て、相手が自分のそっくりさんつーか同じ顔だということにも気付かないのは、普段自分の顔をどー認識してんでしょうか、このひとは。


 「…はじめました」

 「…た?」


 しまった。日本語はちゃんと話せるはずなのに、初っぱなから噛んでしまった。というか、話せるといっても実際に言葉を口にするのはこれが初めてなんだから無理もないか。

 わたしは開き直って、目の前のわたわたしてる女性との会話を試みます。


 「かなぎ、あこ、ですね?はじめまして。わたしは……えーと、その。まあ遠い親戚です」

 「は、はあ」


 親戚てなんだ。いえまあ、親戚みたいなもんかもしれませんけど。それともあなたのクローンですぅ、とか言えば正確なのか。


 「…アコ、混乱してる」


 うっさいですね。あなたも面白がってないでフォローくらいしてくださいよ。


 「え?いえあのその…ごっ、ごめんなさい、確かに混乱してました。ええと、神梛吾子です。あの、親戚って…どちらの?」

 「遠い、親戚です。名前はー…遠井、しんせき子です」

 「ぷふっっ!!」


 ウケました。ベルに。いやウケてる場合と違うんですが。

 でもそんなぞんざいな名乗りにも神梛吾子は納得したのかあるいは押し切られたのか、気の抜けた顔でわたしの顔をぼーっと見てました…わたし、普段こんなボケボケした顔してんですかね。

 うーん、ときっと難しい顔をしてるわたしとベル、それから神梛吾子を遠巻きに見ていたひとたちは、先刻わたしとベルが空から降ってきたことなど忘れたかのように、それぞれの目的に従って行動を再開していきます。

 この際騒ぎにならないなら大助かり、ってなもので、わたしはまだ目をぱちくりさせてる神梛吾子の手をとって、言いました。


 「どこかでお茶でもしませんか?」

 「え?」


 …そういえばこんなことしてる場合と違うんだけどなー。

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