第148話・ベルの翻心 その7

 「ま、言いたいことはけっこーあるんだけどさ。おめー、その目の色は、どした?」


 あのアプロ?この緊迫した空気の中、最初に聞くことがそれなんですか?いえまあ、わたしも気にはなってましたけど。


 「……おかしなことを訊く。他に気になることはいくらでもあると思う」

 「そうかあ?体の具合が悪そうだったら真っ先にそれ確かめるもんだと思うけどな、ふつー」


 友だちなら、な。

 口にはしませんでしたが、アプロがそう付け加えたようにわたしには思えます。

 ですよね。同じ状態のベルは前も見たことありますし、その時は…まー、元気に飛び跳ねてたので病気とかそーいうんじゃないんでしょうけど、そりゃ心配はしますって。


 「他に訊きたいことが無いのなら、私はもう…」

 「だからそう急ぐなっての。言いたいことも聞きたいことも山ほどあるって言ってんじゃん。ま、話し合いには相応しい格好じゃねーけどな。これとか」

 「剣のこと?構わない。私はヒトを滅ぼす魔王の眷属。アプロは魔王を斃す勇者。当然の姿……アプロ?」


 ベルが、ベルにしては珍しく吐き捨てるように言うと、といってもわたしには分かる程度の違いで、多分他のひとには淡々と話しただけのように思えたでしょうが、ともかく不機嫌な口振りの言葉を受けてアプロがしたことは、その剣を腰の鞘に収めることでした。


 「まあ落ち着けって。これから何がどーなるのかなんて知りゃしないけど、三人揃うのなんか久しぶりなんだから話くらいしよーぜ。…そうだな、未世の間で会った時以来だっけか?あんときゃ焦ってたから、落ち着いて話も出来なかったしな…よっと」

 「アプロ、そんな座り込んで話をする間柄なんかじゃない。もう私たちは」

 「うるせー。私は私のやりたいようにやる。おめーもそこに座れよ。後ろの連中を怖がることなんかねーぞ?」

 「?!…怖がる?私が?魔王の娘である私が本気になったら、そこの人間たちなんかものの数じゃない。アプロだって私の敵じゃない」

 「そうだな」


 腰を下ろし足を投げ出していたアプロが、胡座に足を組み替えて頬杖をつく姿勢になるとベルを見上げる形になります。

 こっちからはアプロがどんな顔をしているのかは分かりませんけれども…ベルはきっと真正面から見上げられて居心地の悪さを覚えたのでしょう、一歩二歩と後ずさり、そんな自分の姿に気付いてか決まりの悪い顔になり、そうしたら。


 「…おめーは私の敵じゃねえ。私だっておめーの敵でもねー。違うか?」


 自分を見上げたアプロの言葉に、今度は本当に衝撃を受けたように目を丸くして、これはわたしだって初めて見る顔だっていうのにアプロときたら、まるでゴゥリンさんの真似みたく肩を揺すって笑うだけなのでした。


 「……じゃあ、一体何だというつもり?」

 「そんなんおめーが決めればいいだろ。けど少なくとも、私とアコは、おめーのことを友だちだと思ってるぞ…あー、そういやおめーからしてみたら私は敵だったかもな。恋敵っつてな。あはは、でもアコはもう私のもんだし、やっぱりもう私の敵じゃなかったな。わりーわりー」

 「アプロっ!!……ち、ちがう。アプロは私に勝ててないことが一つある」

 「ん?なんだ言ってみ。勝者のヨユーってもんがあっから、私は何言っても驚いたりしねーぞ?」

 「アコの初めての口づけは私が頂いた。だから私の勝ち」

 「アコぉっ?!」


 ちょ、このシリアスな場面でなんちゅーこと言うですか!てゆーかアプロだってその場面に居合わせたんだから知ってるはずでしょうっ?!


 「うるさいっ!思い出したらなんか猛烈に腹が立ってきた!アコ、今すぐこの場で私に口づけさせろ!ベルに見せつけてやる、これが本当の恋人同士の口づけだってな!」

 「へんたいだーっ!!」

 「やかましい!どーせアコが私とイチャコラしてるのなんてみぃんな知ってんだから今更だっ!」


 と、立ち上がって両手を広げ、こちらに迫るアプロです。なんかわたしの背中の方で喚いてる声がしますがとりあえず無視して、わたしのとった選択といいますと。


 「え、えぇぇぇ…もうっ!」

 「え?ちょっとアコっ?!」

 「ベル、たすけてっ!」

 「え?」


 アプロの恋敵ってんなら敵の敵は味方理論でベルに助けをもとめるしか無いじゃないですかっ!


 「アコっ、裏切るのか?!」

 「うるせーです!ちっとは痴態って言葉の意味考えなさいっ!」


 と、日頃どんくさいわたしにしては奇跡的な動きでアプロの腕をかいくぐると、何が起きているのか理解できずに混乱ちゅーのベルの背中に潜り込むわたしなのでした。


 「ベルそこどきやがれっ!…っつーかアコを寝取るつもりだってんならおめーだって容赦しねー……いや、元はといえばおめーがアコの唇奪ったところから話が始まってんじゃねーか…よおし容赦する理由も尽き果てた。アコ、今すぐそっから出てきてゴメンナサイと言えば許してやる。ベルもだ。並べてぶった斬られたくなけりゃあ……」

 「アプロひどい、それ濡れ衣。でもアコの初めての口づけは確かに私のもの。だから、はい」

 「何が、だから、ですかっ?!ちょ、ベル、今アプロの前に差し出されたらわたし命の危機ですってばっ!!」

 「私も命は惜しい。痴話ゲンカはふたりの問題。だから、はい」

 「正論唱えてりゃどんなに人でなしな真似したって許されるわけじゃねーんですよっ!ちょっと背中押さないでくださいってば、あ、アアアアプロっ?!わたし、今から何をされるんで……」

 「くくくく…アコぉ、覚悟決めろよぉ…今からかつてないほど濃くてあっついのをだなぁ…」


 …冷静に考えれば、ベルも含めたわたしたち三人のどったんばったんは、フィルクァベロさんを始めとする同行者たちの前で繰り広げるにはあんまりにもあんまりなやり取りなのですけど。

 でもその時のわたしは、みんなの呆れかえったような視線に気がつきながらも、きっと楽しかったんです。

 アプロとベルがわたしを間に挟み、そこにある確かな何かの存在を感じながら、けんかのように、じゃれ合いのように大騒ぎをしていられることが、本当に嬉しかったんです。


 「…ベベベベルぅっ?!だから、押さないでアプ…っ……アプロ?」


 だから、ベルに押しつけられるようにしてアプロの胸に抱きとめられ、見上げて見えたアプロの顔が穏やかに笑っていたことに、わたしはなんだか不安を覚え。


 「…そっか。仕方ねーか」


 「…うん。仕方ない」


 わたしの困惑なんか意にも解さない様子の二人に、どこか乾いた諦観を見て、わたしをぎゅっと抱きしめてるアプロと、それを見て微かに笑んでいるベルの、ふたりの顔の間で何度も視線を往復させることしか、出来ないんです。


 「ベル、もしもの時は頼んだ。なるべくそうならないようにはしたいけど…」

 「分かってる。アコのことを守るって決めたから」

 「え?あのちょっと二人とも?わたしに関係してるんなら勝手に話決めないでくださいってば。ベル、あなた何をしようって…アプロも止めてくださいって、まーたベルが…」

 「アコ」

 「むぎゅっ?!」


 手の届かない場所にいるベルが、今度は手を伸ばしても届かない場所に行こうとしているように思えて、アプロの腕のを振り解こうとしたら、そうはさせないとばかりにアプロはわたしを抱く腕に力を込めます。


 「アプロ、あのその、わたしベルを止めないと…何が起こるのかは分かりませんけど、何だかイヤな感じがしません?わたし、後悔はしたくないんですよ、わたしに出来ること全部、いっぱいやらないと……ベルっ!どこ行くんですかっ!!」

 「アコ!今はいいから、見送ってやれ!ゴゥリン、アコを頼む!」


 それでも必死にベルに手を伸ばすわたしを、アプロの指示を受けたゴゥリンさんが、それだけじゃなくマイネルまで一緒になって抑えます。


 「何すんですか二人ともっ!いーから放して下さいって!ベルが行っちゃう、行かせたらダメなんですってば!どうしてか分からないけど今別れたらもうベルが…」

 「アコッ!」


 ひっ、と思わず首を竦めずにはいられないゴゥリンさんの怒声。

 それで勢いを削がれて、わたしはゴゥリンさんに宙ぶらりんの羽交い締めにされてしまい、放せー、降ろせー、と暴れるわたしの両足には慌てたマイネルがしがみついてきます。一発ほどマイネルのアゴに食らわせた気もしますが、それでもやっぱりベルを追おうとして…。


 「アコ。別にさよならするわけじゃないから。ただ、道を違えるだけ。分かれた道がいつか交わるなら、またきっと会うことがある。だから、そんなに悲しまないで」


 悲しむ?そんなわけないじゃないですかっ、わたしは怒ってるんですっ!

 わたしとアプロの二人が一緒にいるのが好き、って言ってくれたベルが、わたしたちを置いてどっかいくなんてこと許されるはずがないんですっ!


 「……アコ、アプロ。二人とも、私は大好きだから」

 「ん。こっちはなんとかしてみるから」


 「アプロ─────っ!!このバカっ、なんでわたしのイヤなことするんですか!ベルを捕まえておきなさい!言うこときかないならもう服作ってあげませんよっ?!それだけじゃなくてアプロのことキライになるからっ!!だからわたしを放して、ベルを捕まえてっ、早く、止めて、止めてって言ってるじゃないですかバカバカバカ、アプロのばかぁっ……ベルも、ベルも…ベルなんかもう、どっか行っちゃえバカ───っ!!」

 

 わたしの怒りは、再び開いた魔獣の穴に身を滑らすベルを、訳知り顔で見送っていたアプロにも向けられ、わたしはふたりがかりで拘束された身を必死に振るい、そしてあろうことか、ふたりを罵倒することさえしてしまい、そして。


 「………アコ。もう終わったぞ。降ろしてやる」

 「うん…アコ、その、顔を拭いてよ。とても見てられない顔してるよ…」


 地面に両足がついてようやく、わたしは顔をくしゃくしゃにして泣きはらしていたことに、気がついたんです…。


 ベル……どうして?


 わたしの当然の疑問に、アプロは答えてはくれませんでした。



   ・・・・・



 「…そうですか。これから何が起こるのか、それだけでも分かると良かったのですけれど…」


 わたしたちの前から姿を消したベルを見送ったあと、衛兵の皆と一緒にわたしたちは街に戻りました。

 入り口で衛兵隊と分かれ、わたしたち五人は真っ直ぐに教会に向かい、外まで出迎えてくれたマリスの執務室で善後策を講じています。

 といっても、見たこと聞いたことを報告して、マリスのため息を招いただけなのですけどね…。


 「それにしても、アプロニア様は何か事情をご存じのようですけど?」

 「知らねー。あいつの考えてることなんか分かるもんか」


 そんな中でも、聞いた話の中からマリスは事の次第を正しく解そうと、どこかふて腐れた様子のアプロにそう問います。


 「知らない、ということはないでしょう?ベルニーザと直接言葉を交わして、それに何事かを請け負ったとか、そのような様子に思えますけれど」

 「私が分かるのは、あいつはアコを私に託した、ってことだけだ。そんなことは言われなくたってキッチリやってやるさ。そう約束しただけのことだよ」

 「ですが…」

 「マリス、それくらいにしておきなさい。私から見てもメイルンが怪しげな交渉を行ったようになど、見えませんでしたよ」


 言葉は厳しいですが、フィルクァベロさんの口振りはひどく穏やかで、いきり立ってアプロに食ってかかろうとすらしていたマリスの興奮を抑えることは出来たようです。

 それにしたって…。


 「………それで、何が起きている」


 と、またどうしようもない思索に耽ろうとしたわたしの意識を引き戻したのは、ゴゥリンさんの固い声でした。

 ソファが足りないのでアプロの後ろに立ったゴゥリンさんは、あまりこういう場には居合わせないこともあっていつもの部屋も狭く感じますけれど、そんなことを面白く思ってしまった自分をわたしは許せなくて、誰にも気付かれぬよう俯いて唇を噛むのみです。


 「…察しが良いのですね。もう少し落ち着いてからお話しようと思っていたのですけれど…」

 「マリス?何か良くない知らせでもあったのかい?」

 「ええ……昨日のことですが、予言が一つ届けられました」


 予言…?

 もうそんなものはまたガルベルグの悪だくみの一つだとしか思えなくなってたわたしは、いい加減やさぐれた気分で顔を上げてマリスの顔を見ます。


 「…お兄さまの仰る通り、漠然としてはおりますが決して吉兆とは呼べない内容でしたわ。曰く……遠からず大陸全土を、魔獣の出現が襲う、と」


 …そして、疲れた表情の口元から話された言葉は、ベルの言っていたことと不吉な一致を見て、この場に居た者全ての心胆を寒からしめたのでした。

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