第136話・確たる絆 その1

 その話を聞かされたのは、教会ではなくアプロの執務室でした。


 「え、あのひとまだ帰ってなかったんですか?」

 「そ。けど流石にいつまでも遊んでるわけにいかねーみたいで、明日帰るんだとさ。で、街を出る前にアイサツしたいとかで、今こっちに顔出してる。アコにも直接話したいとかでさ、無理して会う必要もないけど、どーする?」

 「出来れば会いたくはないですけどね…まあでも、詫びの一言でもいれよーってのはは殊勝な心がけです。よござんす、会おうじゃないですか」

 「アコえらそー。別にお詫びに来てるわけじゃないんだけどな」


 そう言われましてもこちとら被害者ですよ?それも一方的な。これくらい言う権利あってもいいじゃないですか。

 執務室のソファに腰掛け、最近アプロともどもお気に入りのサボテンジュースの入ったカップを傾けます。わたしは純粋に味が好きなのですけれど、アプロ曰く「安酒で悪酔いした次の朝に飲むとスッキルする」だそうで。領主さまなんだからもーちょい良いお酒飲みなさい、というかそれ以前にお酒呑むなってんです。でもこればっかりはわたしの言うこと聞かないんですよね。困ったものです。


 「ん、じゃ呼ぶよ。いーぞ、入って」

 「はい。失礼しますわ」

 「お邪魔いたします」


 と、何故かマリスがブルークさんを先導して入ってきたのでした。

 なんであなたが?というわたしの視線を感じ取ってか、マリスは少し困ったように微笑み、それからわたしの正面の席に座るよう促したアプロに従い、ブルークさんと並んで腰掛けました。


 「マリスが来るとは思いませんでしたけど」

 「ええ。卿の方でわたくしに同行して欲しいとのお誘いがありまして。わたくしはお兄さまとの……の準備がありましたので遠慮申し上げたのですが…」

 「申し訳ない、無理矢理に同道を願い出てしまいましたが、針の聖女殿に目通りを

得るにしても、先日の経緯では私一人で訪れるのも腰が引けてですな…」


 だったらわたしのことなんか無視してとっとと帰れりゃいーじゃないですか、と言おうとして流石に自重しました。

 あの街の広場での一件以来、住民のみんなには何かとからかわれてるのも知ってますし、なかなかかーいいとこあるじゃないですか、このおじさんも。


 「あの時のアコの剣幕にビビってるだけじゃないのかなー」

 「ですわね」

 「……ええ、まあ…」


 ちょっとちょっとあなたたち。失礼って言葉ご存じですか?わたしに対して。

 でもま、今日は厄介のタネが去るということでお目こぼしにしてあげます。

 わたしは寛容であることでも定評があるんですよ?


 「なるほど。流石に権奥にも名の轟く針の聖女、というわけですな」

 「そんな定評は知りません。ていうか、この街でわたしをそう呼ぶのはもうあなただけですよ。むしろあなたの隣に座ってる女の子の方が聖女に相応しいと思うんですが。むしろ現役ですよね?」

 「アコ、わたくしだって望んでそのような尊称を受けてるわけではないので、この機会にお譲りしても構いませんよ?」

 「あははははマリスも冗談が上手になりましたねー」

 「冗談に聞こえます?」

 「ええもちろん。ただわたしにしてみると全っ然笑えない冗談なので、出来れば二度と言わないでくださいねー」


 今の今笑ってたじゃん、とか言って隣に座ってるアプロが肘でわたしをつつきます。うっさいですね、こーいう風に笑い話にしないとマリスが本気でそのあだ名押しつけてこよーとするからですよっ。


 「…そうですか。残念ですね」


 ほら。完全にマジ顔じゃないですか。うっかり「わあ、じゃあ今日からわたしがアウロ・ペルニカの聖女ですねー」とか言わないで良かったですよ、もー。


 「……しかしお二方、そこまで聖女と呼ばれるのがお嫌と言われますと教会の立場も損なわれると思うのですが」

 「わたしとマリスじゃ嫌がる理由は違うと思いますけどね。わたしの場合は単に目立ちたくないだけです」

 「わたくしだって同じようなものです。望んだわけでもない才ですが、魔獣の跋扈に苦しむ民の助けになると思えばこそ力を尽くした結果の称号ですから、せめて名に恥じぬよう振る舞っているだけです。喜んでそう呼ばれていると思われるのは心外ですわ」

 「むう……」


 何やら難しい顔で唸るブルークさんです。

 きっとこのひとの場合、悪気は全く無くて、単純に業績とか才を讃えようってつもりなのでしょう。

 でもそう呼ばれる方がどう思うかに全く想像がいかない辺りは、悪気が無いだけに余計迷惑なんですけどね。


 なんにしても、街を出て王都に帰る暇乞い、という態のお話でしたので概ね会談は和やかに進みました。まー、ミネタ派の主張にマリスが噛み付いて宗論みたくなったのにはわたしとアプロも閉口したのですけど。結局最後までそれかい、とアプロと目で会話したものです。

 それでも、わたしに対するやや過剰な持ち上げを除けば、当初のウンザリするような印象もそれほど覚えなくなり、まあまあいー感じの別れ方が出来そうかな、と思った時でした。


 コンコン、と控え目ながらも存在感のあるノックの音。

 言わずと知れたフェネルさんのものでしょう。アプロも慣れたもので、「どしたー、フェネル」とかなりリラックスした調子で応じます。


 『アプロニア様…その、ご来客でして…』

 「客?予定は無かったけど誰だ?」

 『それが、その…』


 む、フェネルさんにしてはなんとも歯切れの悪いことです。

 思わず顔を見合わせるアプロとわたしでしたが、返事をするよりも先に、


 『ああっ、こ、困ります、まだご来意も伝えておりませんので!』


 と、これまたフェネルさんにあるまじき慌てた様子。一体何ごとですか、と思ってるうちに扉が開き。


 「来意も何もありますか。はるばる王都から来た私に顔も見せないなど、許せることではありません」


 …きっと隣で困った顔をしているだろうフェネルさんにそう告げながら、一人の上品な様相のおばあさんが、入ってきたのでした。

 特段危険な感じはしませんでしたけど、それでもわたしが会ったことのないひとでしたし、隣のアプロに、あの、誰ですか…?と尋ねようとしたのですが。


 「ばばぁっ?!なんでこんなとこにいるんだよっ!!」


 …いえあの、どんな経緯いきさつがあるか知りませんがいきなりババァ呼ばわりはどーなんですか。


 「ええっ?!」

 「…あ、ああっ?!」


 そして、マリスだけならまだしも、ブルークさんまでおったまげてたのには疎外感を覚え、なんとなくわたしまで「え、ええー…?」とか狼狽えてみたりしたのですけど。


 「「「「………」」」」」


 …アプロはもとよりフェネルさんに至るまで完全無視とか、寂しすぎる…っ!

 でも日頃の行いのいいことに定評のあるわたしには、こーいう時にも救いが現れるのです。


 「ア、アプ、アプロっ!大変だよバルバネラ師が街に来てるらし……い…」


 こちらはいつも通りあわ食って駆け込んできたマイネルは、部屋の中も見ずに言った言葉の最後を飲み込み。


 「相変わらず落ち着きのないことね、マイネル」


 嘆息しつつそう言い放ったおばあさんの顔を見て、こちらは正真正銘狼狽しておりました。

 うん、わたしの道化っぷりを吹き飛ばしてくれて、ありがとうございますね、マイネル。




 王都から歩いてやってきたばかりの老婆に椅子も用意しないとは何ごとですか、とフェネルさんを蹴っ飛ばす勢いで追い出したおばあさんは、慌てて席を譲ったブルークさんをニヤリと見やり、マリスの隣に腰掛けています。じりじりと座ったまま横に移動したマリスはすんげぇ居心地が悪そうなのですけれど、それはまだ名前も知らないおばあさんの正面に座っているわたしにしても同様なのでして。

 …ただ、こちらを値踏みするよーな遠慮の無い視線を向けるひとに、わたしは何故か言い知れない懐かしさのようなものを覚えていました…いえ、言い知れない、ことはないですね。だって、神梛吾子の記憶にある祖母の姿にどことなく似ていたんですから。

 おぐしは真っ白に染まり、ですが丁寧にまとめられていて乱れた感じはまったくなく、背筋もピンと伸びた姿勢で衰えた様子などまったく感じさせません。

 鋭い眼光は気の強さとかそういったものではなく、重ねた年月の確かなことを伺わせる印象です。

 目だけではなく、お顔も厳しさを醸し出す表情なのに、不思議と大らかな柔らかさ、優しさを見てとれてしまいます。きっとお若い頃は美人だったんだろーなー。


 「……で、なんでばばぁがここにいるんだよぅ…」


 …あの、アプロ?もーちょっとわたしに浸らせてもらえません?なんかちょっといー感じの場面なんですし、なんてわたしの内心の抗議などには気付く様子もないアプロが、苦り切った声色でそう文句を言います。

 しかし、さっきから「ばばぁ」呼ばわりとは品が無いにも程がありますね。こんなに上品なご婦人つかまえて何てこと言うんですか。


 「あなたの方も相変わらずね、メイルン。少しは成長したかと思っていたら、体ばかり大きくなって、いちびったところは全く直っていない。その、調子に乗りやすいところは早くなんとかしなさい、と伝えたでしょうに」

 「あのあの、バルバネラ師…アプロニア様にもいろいろありまして、けして無為に時を過ごしてわけではなく…」

 「あなたもそうですよ、マリス」

 「え、ええぇぇ……」


 藪をつついたマリスに矛先が。わたしは同じものがこちらに向かないよーに、ただ首を竦めるのみでした。


 「バルバネラ師?まだおしめも取れてないような幼子が賢しらげな口を利くものではありません。昔のようにフィルカおばあちゃんとでも仰いな」

 「あの、あの…お、おばあちゃん?わたくしももう婚約者のいる身ですし、少しは大人扱いをして欲しいのですけれど…」

 「婚約者、ねえ…」


 おばあさん、今度はまだ入り口脇でブルークさんと並んで突っ立っていたマイネルを一瞥。


 「大学を飛び級で卒業したくらいで一人前の顔をしている小僧とではお似合いでしょうよ、マリス。ままごとのような、という意味ですけど」

 「う、うう…」


 マイネルともども、項垂れて言い返すことも出来ませんでした。おばあさん、つえー。


 「……そして、ブルーク・ダ・ビヨネルカ」

 「ひ、ひぃっ?!……あ、いえその…は、はい」


 そして、顔を前に向けると必然的に背中側になるブルークさんが、一際厳しい声をかけらます。


 「私が知らないとでも思っているのですか。ミネタの陰険な企みごとに乗せられて、こんな僻地にまでご苦労なこと。子供を担ぎ上げろくでもない真似をこれ以上するというのなら、私にも考えがありますよ」

 「ははははいっ!そのようなことはその、はい、針の聖女殿とアプロニア様に諭されまして、もうわたくしは、はいっ!」

 「針の聖女、ですか…」


 呟くようにそう言うと、おばあさんはわたしに鋭い視線を向けます。

 思わず緊張して背筋をピンと伸ばし、どんな辛辣なことを言われるのだろーかとビクビクしながら待ち構えました、が…。


 「…あなたに会うのは初めてね。メイルンが世話になっているようで礼を言います」

 「え……あ、あのそのー……あ、は、はい」


 一転して柔和に微笑み、きっとその心根がそうなのだろうと思わせる、穏やかな表情でわたしをそう労うのでした。

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