第113話・アウロ・ペルニカの攻防 その11
「…にしても、この目で見たのは初めてだったけどよ、凄まじいな」
隣のグランデアが呆れたように言いました。もちろんアプロが連発した呪言のことです。
一発目で全滅させられなかったため、生き残りの筋肉カンガルーが街に迫る中、衛兵さんと接触する直前に発動した二度目の呪言は、威力よりも確実に命中することに重きを置いた、曲がる光の矢状のものだったため、しっかりダメージを与えつつも殲滅には至らず、衛兵のひとたちがとどめを刺す、という結末だったのです。
グランデアとしてはそれに関わることが出来ずに無念もあっただろーなー、と思いつつその横顔を見ると、あまりその点に拘りみたいなものはないようで、疲れたような顔をしているだけなのでした。
「ケガ人もいないみたいですし、良かったじゃないですか。それじゃ、今度はわたしの番ですから、付いてきてください」
「お、おう。けどアコに何が出来るってんだ?今さらよ」
「見てれば分かりますって」
というか実地で見たところで簡単には理解出来ないだろーなー、と思いつつ先に立って城門から降りていきます。
そして前方で一戦終えたアプロたちのところに辿り着くのと同時に、でっけえ布が顕れました。
「アコ、頼む」
「お任せです。それよりアプロもゴゥリンさんも、ケガしてません?」
「………問題無い」
「ああ、みんな無事だよ。私たちは次に備えてるから、グランデア、アコに危険がないようにしてろよ。見とれてんじゃねーぞ」
「こんな口の悪い女が何しようが驚きゃしねえよ。なんでもいいからとっとと始めてくれや」
口の悪いのは自覚ありますけど、改めて言われると…まあそれほど悪い気はしないのでした。不思議なことに。
思えばわたし、自業自得とはいえそれで随分な思いしてきたんですよねー…だから、口の悪さを腐しておきつつも、わたしが何を始めるのか興味津々という態でこちらを見てる、もちろんグランデアだけのものではなく、そういえば街のひとたちの前でこれやるのは始めてだったので、集まる視線になんとなく緊張気味。
「いきます!」
そんな空気を払拭するように、一際声高く宣言してから、今回も一際でっかい穴をまち針で仮止め。続けてもうミシンにも負けないんじゃないかって勢いで、針を通していきます。
そして、こっち見てる場合じゃないでしょあなたたち、というツッコミを入れたくなる勢いで寄せられる衛兵のみなさんの感嘆を気持ち良く思う余裕もなく、あっという間にお終い。うーん、スピードだけなら新記録だったんじゃないでしょうか。小学校のプールくらいのサイズの布を、時間にして五分くらいでしたからね。
「アプロ、穴は?!」
「消えたよ。お疲れ、アコ…で、次が来たぞー」
一つ消え、それでもまだ数えるのもイヤになるくらいの穴が林立する方向を睨みながら、アプロは忌々しそうにそう言いました。
「…アプロニア様、例の奴ですな」
「んだなー。手下の穴を消した後で出てくるとか、クソ嫌味な奴だ」
それってどーいう…と、アプロの睨む方角を見て、わたし納得。
なるほど、筋肉カンガルーの親玉と思しき人型の魔獣です。
見た目はやり過ぎたボディビルダー、の首から上がカンガルーそのもの、っていうのはシュールに過ぎませんか。なんだか悪い夢でも見てるようです。
「…お初にお目にかかる。ガルベルグより依頼を受けしこの身、率爾ながらご挨拶申し上げよう」
「またえらい丁寧なのが出てきたなー。おい、とりあえずアイサツなんぞで時間稼がれたらたまったもんじゃねーし、さっさと始めさせてもらうぞ」
あんまりやる気の無さそうなアプロです。でも言ってることは理に適ってます。バギスカリの時のよーにぐだぐだやってるうちに穴をまた開けられる、なんてのは勘弁です。
「私とゴゥリンが突っ込む!腕の立つの二、三人付いてこい、牽制だけすればいい。行くぞ!!」
「………応」
「フレッベ、バリオロス、ガジェム、三人でアプロニア様の援護に回れ!他は奴を取り囲むぞ!」
「ぬ、名乗りも上げさせずに戦端を開くとは、戦場の礼も心得ぬ痴れ者が!」
「うるっせぇぇぇぇぇっっっ!!」
心得たものか、ゴゥリンさんが先に出てアプロは呪言の詠唱を開始します。
相変わらずの力と速さを兼ね備えた戦い方でカンガルー頭を押し込み、アプロのために時間を作るという意図のようでしたが…。
「おい、何か危ねえぞ。おめえは引っ込んでろ!」
「うっさいですね、どうにかしてわたしも近づけるようにあなたも頭使いなさい!」
得物も持たずにゴゥリンさんの撃ち込みを捌き続ける体術には余裕すら感じられて、むしろゴゥリンさんの方が焦っているようにも見えます。
「………ッ」
「…くそっ、ゴゥリンでも支えられない相手かよ!こうなったら一度発動させて……顕現せよ!」
呪言を完成させたアプロは剣を振りかざして駿足を駆りました。例の、体を強化する呪言です。
「アプロニア様!」
そして飛び込むアプロにかけられる、ブラッガさんの緊迫した声。それは、第三魔獣であるカンガルー頭の更に向こうから、新たな魔獣の群れが現れたことを知らせる怒号だったのですが…。
「こいつをほっとけるわけがねえ!ブラッガ、こっちは私たちに任せてあっちへの対処、任せる!」
「…心得ました!フレッベ、貴様らは引き続いてアプロニア様の援護を!残りは密集隊形で備えーッ!!」
「おい、アコ!オレらもどっちかに加わった方がいいんじゃねえのか?!」
「うるさいです!いーから黙ってわたしの側にいなさいっ!!」
まだこちらに到着するまで時間のかかる新手より、今はアプロたちが相手をしてる方が重大です。
イラつくグランデアを一喝してわたしは、ゴゥリンさんとアプロニアの二人を相手にしてなお余裕の消えないカンガルー頭の動向を見極めようと目を凝らしました。
見える、というより感じることは間違いありません。あの魔獣の、隠された穴…世界を循環する石が、時間を止められてそこにあるという事実。
それに働きかけて止まった時間を動かし、再び循環の流れに乗せるためには…っ!
「…アコ?」
「グランデア、あなたが頼りです。わたし今から、無防備であの魔獣に近付きますから、何かあったら守ってください」
「無茶苦茶言うなアンタはっ?!…い、いやそれより今おめえの顔ってえか、その目…大丈夫なのか?」
「?…何がです?」
「い、いやアンタがなんでもないってんなら後でいい。とにかく、近付くから守れってんだな。くそっ、退屈な仕事を押しつけられたかと思ってたらとんだ難儀だなこれはっ!!」
いーじゃないですか。わたしの側にいるだけでいきなりクライマックスですよ?
そう嘯いて早歩きを始めたわたしの向かう先では、ゴゥリンさんが逆に押し込まれていました。
どうにかカンガルー頭の逆襲を掻い潜り、斧槍を振るおうとしたゴゥリンさんにカンガルー頭が回し蹴りを見舞います。察したゴゥリンさんは斧槍を立ててそれを防ごうとしましたが…。
「ゴゥリンっ!!」
アプロの叫びも虚しく、防いだ斧槍の柄の部分がぐにゃりとへし折れ、全力ではないにしてもそれでも相当な威力の蹴りがゴゥリンさんの胴を襲いました。
「………ぐっ?!」
呻き声を上げてくずれ落ちるゴゥリンさん。
アプロが慌ててそちらに駆け寄った姿を見てもわたしは、歩く速度を変えません。
怖れて止まることも、アプロたちの危機に慌てることもせず。
「……ッ」
隣のグランデアが息を呑んでいました。
わたしだって出来れば二人の心配をしたいです。けれど、今わたしに見えているのはあの魔獣に隠された石の存在のみ。
もうすぐ、届くから。
口の中でそう呟き、僅かに歩幅を増やしたのは焦りからではなく、早く『彼』を楽にしてやりたいと思ったから。
「…アコ?!危ない近付く……え?」
わたしに気付いたアプロがこちらを向いて目を丸くしていました。
「急がなくてもいいのかよ!」
「…急ぎます。あれがわたしに気付いたら…頼みます!」
「今そうなったよコンチクショウ!」
携えた槍の穂先を魔獣に向けて、ヤケクソ気味に怒鳴るグランデア。
そしてついにわたしの存在に気がついた魔獣が、こちらを見た瞬間。
「…起きなさい!『今』はあなたの居るべき時間じゃないでしょう?!」
「かかってきやがれこの雑魚がァッ!!」
「アコ!」
「………?!」
わたしの呼びかけに応じた石が、止まった時の中から、蘇りました。
と、同時に、魔獣は動きを止めて苦悶にカンガルーの顔を歪め、そして耐えがたい苦痛がどこにあるのかさえ分からないように、喉だの胸元だのを必死に掻きむしります。
「ア?……ア、アアア……な、何だこの…疼きは…痛みは……」
「止まってはならないものを止めていた報いです!今は、まだわたしたちも同じく在りますけど…いずれあなたと同じように報いを受ける身です!いいから、先に…逝きやがれぇぇぇぇっっっ!!」
まるで怒鳴りつけたわたしの声の圧に負けたように、魔獣は大きく後ろに吹き飛びました。
ですがもちろん、それはわたしの力によるものなんかじゃありません。
「オ、オオオオ…」
必死に腕で胸元を隠す魔獣。
察してアプロとゴゥリンさんは、そんな魔獣にそれぞれの得物を握って打ち掛かります。
「何だかよくわかんねーけど、この機を逃してたまるかっ!」
「………!」
ですが敵も然る者。襲いかかった二人を上回る速度でその間を駆け抜けると、わたしの元へ凄まじい形相で寄ってきました。
「アコ!」
こうなってはわたしに出来ることなんか、もうありません。
最後にわたしを道連れにでもする気なのか。ただ奔る一個の筋肉の塊となった魔獣を避けることも忘れ、どこか悲しげにも見える『彼』を待ち受けて。
「させるか阿呆が!」
…でも、魔獣の思う通りにはならなかったのです。
最後まで目をつむらなかったわたしの眼前で魔獣は止まり、大きく開けた口からは呻き声とその意志に依らずこぼれた涎と、それから「魔獣にも血は流れてるんですね…」と痛ましさをわたしに覚えさせるように、赤黒い液体を吐いて。
「…間一髪、ってところかよ。おい、アコ。あんまりヒヤヒヤさせんじゃねえ」
グランデアの槍に、貫かれていました。
「ア…、オオ……」
「…ごめんなさい、っていうのも随分傲慢な感じはしますよね。でもやっぱり、今はそうとしか言えません。いつかきっと、わたしだって同じことになると思いますから、それでどうか勘弁してください」
最早意志が残っているのかも怪しい魔獣の視線を真正面から受けつつ、わたしは糸を繰り出した針で、魔獣の胸元に開いた小さな穴を、縫いとめました。
「これで、お終いです」
そして八重歯で糸を切ると、ほぼ同時に魔獣の姿は薄れ始め、瞬きを二度ほどする間にすっかり消えてしまいます。
それは恨み言も呪いの言葉も残さず、随分と潔いことだとわたしは何故か、悲しくなったのでした。
「…終わった、のか?」
「そうですね。えと、グランデア?ありがとうございました。最後に守ってもらわなかったら、多分わたし死んでましたし」
「礼には及ばねえよ。まあ最低限の仕事は出来たっつうことで、気分も悪くはねえ」
「悪くねえ、どころじゃねえよこのバカ!こっちは焦りまくりだっつーの!」
渋く決めたつもりのグランデアですけれど、そうはいかじとアプロの怒鳴り声。
「そりゃねえだろアプロニア様!しっかり守っただろうが?!」
「そもそもアコを危ない目に遭わせた時点で失格だ!全部片付いたら覚えてろ、来期の契約の査定にはきっちり反映してやるからなっ!!」
「職権乱用横暴だっ!!」
…うーん、マイネルとは違う意味で騒がしい二人でした。
ただですね。それだけわたしの身を案じてくれてたのが分かって、嬉しくはあるんですけど。
「………そろそろ戻れ、阿呆」
「っと、そうだったそうだった。アコ、次が来る!危ないからまた城門に籠もってて!」
そういうわけで、まだ朝が始まったところなんです。
本当に、長い一日になりそうです…。
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