第114話・アウロ・ペルニカの攻防 その12
一日を終え、帰宅の途につく。
…なんて長閑な表現とはほど遠い空気の中、わたしたちは引き上げてきました。
「…みんなお疲れ。無事でよかったよ」
「……無事じゃねーよ。収容した連中は?」
「…二人。それでも少なかった方だと思うよ」
「そうか。また、弔ってやらねーとな…」
教会で出迎えてくれたマイネルに、ひどく淡々とした口調で答えたアプロの足取りはお世辞にも軽いとは言えず、今日一日で何度となく唱えた呪言による消耗と単純な体の疲労だけに因らないものが、彼女を責めていることはわたしにも分かりました。
「ブラッガ、隊の連中はフィングリィに任せておめーもこっちに来てくれ」
「承知しました。フィン、そういうことだから後は頼む」
「マイネル、援軍の頭も呼んでくれ。今晩からの方針を決めたい。あっちも大分消耗してるだろうけどさ、仕方ない」
「さっき来てたけど、難しい顔してたよ。もどかしいだろうね、彼らもさ」
「………」
流石に教会の周りにまでは被害は及んではいませんでしたが、昼を過ぎた頃一時的に少数の魔獣に街への侵入を許してしまい、街の中にも被害が出ていたことが悔やまれます。
そちらは応援に来てくれた二つの街の衛兵さんが対応してはくれましたが、住民にも衛兵さんにも、幾人か犠牲なり怪我人なりが出ていたらしい、とは道すがら聞かされていて、それが余計にわたしたちの空気を重くしています。わたしの顔見知りにも被害が出ていたら、と思うと、確かに今日を凌いだことを素直に喜ぶ気分にはなれません。
「オレはどうすりゃいい?」
「帰って飯食って寝ろ。ご苦労さん」
投げやりな調子のアプロの指示に、グランデアは大げさに肩をすくめ、わたしに向かって、んじゃな、とだけ告げて去って行きました。その背中にわたしも、今日はありがとうございました、と声をかけると、こちらを見ずに槍を持ってない腕を軽く掲げていました。
・・・・・
「…被害を確認する」
教会の聖堂はケガ人を収容して治療する場に充てられたため、会議はマリスがいつも使っている執務室におっきな机と椅子を持ち込んで行われていました。
集まったのはアプロを始めとする街の上層部と、マリス、グレンスさんとマイネル、援軍として派遣されてきた二つの街の衛兵の隊長さん、それからわたし。誰も彼も重苦しい顔をしています。
「うちの連中は戦死が二人。あとはケガ人が十五人、これは治療で戦列を離れる必要がある者だけで、他は大なり小なり傷を負っている。ま、戦うには差し支えないけどな。エススカレア隊、プレナ・ポルテ隊は?」
「どちらも一人ずつやられたのことです。ケガ人で言えば…半数というところですな。明日一日治療に充てれば復帰は出来そうですが」
さっき見かけましたけど、普通に骨を折ったり地球基準で言えば充分重傷なんですが、聖精石のおかげとはいえそれが一日や二日で元通りとか、結構とんでもない話です。
「フェネル、住民の被害は?」
「両隊が素早く対処してくれたお陰で、犠牲者は出ておりません。ケガ人についても同様です」
「そか。バンギニア・カリウ殿、クレモナ・バチス殿。両隊の奮戦と助力に深く感謝します」
「………」
「………」
二人の隊長さんは黙ったまま、アプロの述べた礼に頷いただけでした。何か含むところがありそうな態度…。
「…さて、今後の方針…といいたとこだけど、王都からの援軍は?」
「先ほど先触れが到着しました。三日後の夜になる模様です」
「遅いな…」
事実を淡々と述べる、という調子のフェネルさんとうって変わって、アプロは難しい顔をしてます。
そしてそれは援軍の隊長さんたちにしても同じことのようで、腕組みをして黙ったままの姿勢が微かに揺れるのが、分かりました。
「大規模ではないものの、まとまった数の魔獣がアレニア・ポルトマ近辺に出没しているそうで、そちらの対処に忙殺されているそうです。ヴルルスカ殿下もそちらの任にあたり、先行してこちらの向けた戦力を抽出しているようですが…」
「聞いてないぞ?そんな話!…ていうか、国内で立て続けに二度、それも二度目は同時とかって勘弁してくれよなー…。マリス、過去にそういった話はあったか?」
「…正史の続く時代においては記録はありません。ほぼ伝説の中でのお話ではありますわね…」
机の上で手を組み、アプロ以上に沈鬱な顔になるマリスです。
「ただ、そういった規模の話となりますと、一つだけ希望の持てる事例があります」
「なんだ?」
「あの、そう食いつかれると困るのですけれど…今のわたくしたちに関わりがあるかどうかは分かりませんし」
「なんでもいいよ。この際、この部屋の空気変えるだけでもじゅーぶんだ」
まあ、そんな…と苦笑を漏らしたマリスに釣られてか、いくつかの笑い声が聞こえました。
わたしは…まあ、呑気に笑ってられる立場でもないので、手元の水を含んで誤魔化したんですが。
「そうですね、一つには…騒ぎを収めることが出来た後には、長く魔獣の出現自体が止むということ。特に三百五十年前のバリングル戦役の後には二十年に渡って大陸全土で魔獣の穴が観測されなかったそうです」
「…話になんねー。今なんとか出来なけりゃ意味ねーじゃん。それにバリングルつったら国が三つ丸ごと滅んだ時だろ?縁起でもねーやい」
「ご褒美としては充分なものだと思いますけれど。それともう一つですが、あまりにも耐えきれない事態に陥った時には、人智の及ばないと思われる力の扶けが顕れる、というものです」
「…なんだそりゃ?」
「例えば、恐ろしく確度の高い予言ですとか、人の側に都合よく天候が変わるとか、奇跡といってもいいものもあったそうです」
「少々信じがたい話ですな。それが本当ならバリングルはあのようなことにはならなかったでしょうに」
こればブラッガさんの言葉。
ですがアプロも同感のようで、なんだか諦めたような顔になってます。
「奇跡を活かせるかどうかは人の業によりますわ。『神』の扶けがあったとして、わたくしたちがそれによって救われるも救われないも、自身の成すところによるのです。ですから、どんなことがあっても自助の努力を欠かすべきではないと、わたくしは思います」
「逆に言えばやれるだけのことをやって、それで奇跡を願うしかないってことか。結局やるべきことはあんまり変わんないってわけだな。ということで、明日の…夜明け前からの動きになるけど…」
マリスの言葉を引き継いだアプロの発言は、疲れを反映してかいくらか投げやり気味なのです。とはいえわたしもとっととこの会議終わらせて寝たいところなんですけどね…と、欠伸をかみ殺していた時でした。
「そのことですが、姫殿下。我々は明日を以て引き上げさせて頂きたい」
固い声でそう告げたバンギニア・カリウさんは、エススカレアから派遣されてきた援軍を率いてきた隊長さんなのですが…その不意の発言は流石のアプロでも、色をなすのに充分な内容でした。
「なんだって?」
「もう一度申し上げます。エススカレア、プレナ・ポルテの両隊は明日の未明にアウロ・ペルニカを発ちます。続く戦における、姫殿下とアウロ・ペルニカ隊の奮闘と武勲を祈ります」
「……今日の戦いぶりを伺って申せることではありませんが、まさか臆病風に吹かれたのですかな」
「ブラッガ、やめとけ。…確かに報告を聞いても街を守ってくれた、としか思えない。で、両隊の撤収の意志については止め立てする権限はこちらには、無い。それを前提にした上で聞きたいんだけどな。どういう理由で?」
ブラッガさんに怒気が見えた分、アプロの口振りにはいくらか冷静さが戻っていました。分かってそうしたのであれば、ブラッガさんの振る舞いには感服する他無いですね。
「昨日の会議でこちらの上げた意見に対する回答の翻意を促したい。それが無理というのであればその理由をお聞かせ願えませんか、姫殿下」
「………」
?昨日何か揉めたんでしょうか。アプロは何も言ってませんでしたが…。
「…アプロニアさま?」
「んー。断る、と言ったら?」
「戦力半減といえども街の中の備えを担う我々がおらずば、考えも変わりましょう。この際臆病風云々という風評もやむを得ません。ですが、このまま王都よりの援軍なくば、どれほど奮戦しようとも明日の夜には…ミアマ・ポルテの悲劇の繰り返しになるのでは、ないかと。どうかご決断を」
「………」
苦渋の決断、という態なのでしょうけど…わたしから見れば言い訳付けて逃げだそうとしてるようにしか見えませんでした。いくら今日一日街の中を守ってくれたといっても、その立場を笠に着てアプロを困らせようとしているのでは、わたしが好意的になれるはずもありません。
「………」
でもわたしが何も言わなかったのは、一度アプロがこちらに、思慮深い視線を向けたことに気付いたからです。
考えがあってのことか、それともわたしの身やら立場やらを慮ってか。
どちらにしても、今アプロを悩ましている問題の内容が分からないのでは簡単に口を挟むわけにもいかず、順繰りに一座の注目がわたしに集まったことにも素知らぬ振りでいるうちに、気負いのない声のアプロが宣います。
「結論は変わらない。そしてそれに両隊を付き合わせるのも本意じゃない。だから、撤収の件は了解した。これまでの助力に感謝する」
「姫殿下!」
「別に悪く報告したりしねーから、心配すんな。実際身動き取れるのが半分じゃあ、隊として機能させるのも難しいだろ。私の判断で下がらせたことにしておく」
「ですがそれでは我々の武人としての矜持が…」
「そんなものを持ち出すくらいなら最初から引き上げるだのなんだの言わなければいいんですよ。アプロ、僕らは構わないから明日の配置転換を済まそう。ああそれと、カリウ殿、バチス殿。教会で預かっている怪我人については今晩中にお引き渡ししますので、よろしく」
戦いを続けるつもりのない人間を治療する余力はない。
言外にそんな含みを持たせたマイネルの舌鋒は、二つの隊の指揮官を苦り切らせるのに十分なのでした。
・・・・・
「結局何で揉めてたんです?」
「ん?あー、さっきの話か」
場合が場合なのでごーかなコース料理、ってわけにもいかず、衛兵の皆さんたちと同じような簡素な、けど一応は暖かい食事をとりながら、わたしはアプロに今し方の会議の件を問い質しました。
もっとも場所だけはアプロの私室でしたが。そして食事が終わったら城門近くの仮設兵舎へ体を休めに行くわけです。今朝の失敗から、いつ魔獣が出現してもいいように、でした。
「初日の終わった後の会議でさー、二人から今からでも遅くはないから街を引き払って住民全員ごと逃げた方がいい、なんなら殿を務めても構わない、って申し出があったんだよ」
「そこまで言うってことは、逃げたかっただけ、ってわけでもないんですね」
「まーな。初日はわたしとアコだけでなんとかしたよーなもんだからさ、けどそれだけに思うところもあったんだろ。わたしたちのうちどちらかが失敗しただけで総崩れになりかねない、って」
「でも今になって逃げた方がいいって言われましてもねえ…わたしたちだって最初はそれを考えたじゃないですか」
「そ。でも魔王との関係を言っていいものか分からなくて、最初の方針を押し通したからさ、私が依怙地になって街の防衛に拘ってる、って見られてたのかもな」
「でも今更逃げ出すにしてもですね…今この街って何人残ってるんでしたっけ?」
「始まる前に大分疎開させたからなー…一万人のうち、大体八千てとこか。魔獣の追撃を躱しながら逃げるには、手遅れだろーな」
この街を自力で離れられる商人のひとたちに、病人や子供を託して準備期間中に逃がしてあったのです。
ただ、男女問わず大人はかなりの人数が残っていたのは、アプロの演説が効いたんだろーなー…と、あの時の自らの醜態を思い出して赤くなるわたしでした。
「アコ?どしたー?」
「あーいえ、そういえばアプロにとんでもないことされたなあ、って思い出してまして」
「とんでもないこ…と、ってそーいう言い方はないんじゃないかなー。あれは私なりの愛情表現だったのに」
スプーンを咥えたまま、不満そうなアプロです。きっとアプロの中では美しい思い出なんでしょうけど、その認識をほっといたらまた同じ事をされそうです。ていうか、よく今の会話でどの件か分かりましたね…。
「いくらなんでもあの場ですることでもないでしょーが。わたし、あれ以降悪目立ちして困ってるんですから」
「でも悪い言葉かけられることもなくなっただろー?」
「…まあ、その点に限れば感謝することも吝かじゃないですけどね」
半ば以上演技で渋々と言うと、アプロは「どうだー」と言わんばかりに豊かな胸を殊更に張るのでして。イヤミか、ちくしょー。
「…けどさ、私がアコを目立たせたいってのはアコのためじゃないから、感謝する必要はないよ」
「え?」
「私が一方的に、アコのことみんなに自慢したいだけだから。そんだけ」
「………あのですね」
また何と言うか…惚れ直しそーなことを嬉しげに言うものです。そんなこと言われたらいくら慎み深いことでも定評のあるわたしでも…。
「…アコ。それはまた今度」
「…ですね」
って、流石に盛り上がってる場合じゃないのです。
小さなテーブルの上の、すっかり空になったお皿の上空で、アプロの指先はわたしの唇を押し止め、でもわたしの唇を離れたその指先にアプロはそっと顔を近づけ…。
「ん。今はこれで、ガマン」
と、ひどく愛おしそうに、指先に接吻をしていました。
くぅ、普通に口づけするよりもアプロ、えっちぃ…。
「…よし。じゃあ食べるもの食べたし。さっさと城門行って休もっか」
「はい。わたし仕度してきますから、待っててください」
「あいよー」
といって仕度するようなものは無いんですけど。
でも、わたしがそんなことを言ったのは、わたしももちろんそうなのですけど…アプロだって、わたしに見せたくないところが、今はあるんじゃないかな、と。
こうして気遣える間はきっと、まだ戦えるんじゃないかな、と。
そう思いながら、不安が募る二日目の夜は更けていきます。
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