第90話・言なき盾に守られて その9

 街に帰ってから三日後、マギナ・ラギさんはなんだかいろいろお土産でも買い込んだのか、山のよーな荷物を背負って帰っていきました。

 あのひと一回死んでるんですけどね…なんとゆーか、たくましいひとでした。嫌いではないですが、出来れば遠くで幸せになっていて欲しいものです。

 わたしはその間、会いたくはなかったですけどモトレ・モルトさんに予言の内容について、話と違うじゃないですかと文句を言いに行ったくらいで、特に何事も無かったのですけど、アプロとマリスの方はまあ、いろいろ後始末はあったみたいで、マリスとマイネルの同衾の結果を聞きに行くこともなく、顔を合わせる機会も無かったのでした。


 「…で、私もやっと仕事が終わってさ」

 「はあ。それはいーんですけど、この部屋でお酒呑むのを許した覚えが無いんですけど」

 「別にいーじゃん。ごほーびごほーび」


 わたしに対するご褒美はどこ行ったんですか。地味に戦闘指揮とって活躍してたはずなんですけど。


 「…しょーがないです。今日だけですよ?」

 「わーい、だからアコ大好きー」

 「そんな子供みたいに言われましても」

 「…アコ。愛してる」

 「あなたには似合いませんてば、そんな大人ぶった言い方」


 じゃあどーすりゃいーんだよ、と口を尖らせるアプロです。もっともわたしはその一方、ベッドの上に座って酒瓶を抱えてるアプロの、そんな一言一言にちょっと焦ってたりもしましたが。

 …いえね、アプロって結構遠慮無くわたしのことをす、す……好きー、とか言ってきますけど、どういうつもりなのかちょっと気になったもので。

 ただまあ、どういうもああいうも、そういうつもりなんでしょうけど、しょっちゅう言われてしまう身としては、どこまで本気にしたらいいのか分かんなくなるじゃないですか。なりますよね?

 …なもので、いえ、本気にしたら……どうなるんでしょう?


 「アコ?」

 「ふぁい?」

 「…どしたー、なんか呆けてたけど」

 「あ、いえ…ちょっと今日は本の内容も頭に入らなくて」

 「あー、それはよくないなー。疲れてるんだよ、きっと。だからアコもお酒呑んでんてしまおう。というわけだから、何かつまみ作って」

 「しょーがない子ですねえ…」


 呑むつもりはないですけど、アプロに美味しいものを作ってあげるのはイヤじゃないので、わたしは読みかけの本を置いて簡単に作れるものを準備しに行きます。

 そういえば甘くないクッキーの生地をしこんでありましたし、燻製肉をのせて焼いてみましょうか。おつまみには丁度良いと思うんです。


 聖精石を熱源にするオーブンの準備をしながら、クッキーの生地を用意します。

 おつまみ用なら、と少し胡椒を利かせてみました。安いものじゃないですけど、王都ならそれなりに手に入れやすいので、こないだ自分で使うために買ってきたものです。


 「…なー、アコー?」

 「はい?今手を離せないので、そちら行ってからでもいーですか?」


 部屋からアプロの声が聞こえてきます。火を使ってる時に呼ばれても困りますし、そこから出来る話なら今どうぞ、と返すと、しばし静かになって後、こんなことを聞いてきました。


 「マギナ・ラギの件だけどさー。アコとしては、どう?」

 「どう、と言われましても。フィルスリエナに行きたいかー、って話なら聞くまでもないですよ。わたし、この街が好きなんですから。客としてだって気は進みませんし」

 「んー、そういうこととちょっと違うんだけど…」

 「じゃあどういうことなんです?…っと、これでよし」


 オーブンの中が充分に暖まったのを確認して生地をセットすると、わたしは手を拭いて部屋に戻りました。


 「…なんて格好してるんですか、あなたは」


 そしたら、アプロは枕元にお酒の入ったグラスを置いて、うつぶせで本を読んでました。別にいーんですけど、お酒こぼさないでくださいよ。そのベッドで寝るのわたしなんですから。


 「で、何がそういうことと違うんですって?」


 そんな姿を横目で見つつ、テーブルの席に戻りました。読書を再開する気にもなれないので、早くも漂ってきた燻製肉に熱が入る香りに少し空腹を感じなくもないです。夕ご飯にはまだ少し間があるんですけどね。


 「ん、そこんとこはいいとして、アコにこの街を出て行くつもりがないなら、それでいーや」

 「気になるところで止めないでくださいってば。まあでもいいです。それが分かってもらえれば、わたしは」

 「ん」


 本から顔を上げずに言うアプロの横顔を見ます。

 少し照れているような…?なんかちょっと顔が赤いような、ってお酒呑んでるんですから、当たり前ですね。何を言ってるんでしょう、わたし。


 …と思ったら、なんだかアプロを少し慌てさせてやりたくなりました。

 といってちょうどいいネタがあるわけでもないですし。だったら。


 「アプロ?わたしもお話があるんですけれど」

 「ん?なに?」

 「いつもありがとうございますね」


 こーして素直に、思ってることを伝えるくらいがいいとこです。わたしの出来ることなんて。


 「…また突然だなあ、アコは。でもアコにお礼を言われるのは気分がいい」


 言葉に違わず、アプロは起き上がって胡座になり(いつもの格好だから下着が見えそうですよ…)、枕を抱いてにへらっ、と笑いました。


 「そうですか?でもお礼でアプロが喜んでくれるんでしたら、お礼を言わないといけないことなんか、いくらでもありますから」

 「そう?じゃあこの際だから、ぜーんぶ聞かせてもらおーか」

 「いいですよ。最後まで聞いてくださいね」


 わたしが本気になったら、アプロなんかいくらでも困らせてやれるんですからね、というあくまの微笑みは、ちっともアプロには通用しませんでした。


 「…いつも自分の出番が来るまでばたばたしてる時に助けてくれて、ありがとうございます」

 「んー、でも最後はアコが助けてくれるから」


 「一人暮らしのわたしの部屋に遊びに来てくれて、ありがとうございます」

 「いーよ。私も逃げ場あって助かってる」


 「街の人たちがわたしを受け入れてくれるように助けてくれて、ありがとうございます」

 「最初だけだって、そんなの。あとは全部アコのちから」


 「王都に行った時、自分のお話をきかせてくれてありがとうございます」

 「あれは…まあ私がアコに聞いて欲しい話だったし」


 「ベクテくんのお店を作る時、いっぱい手伝ってくれてありがとうございます」

 「この街の名物が一つ増えたみたいで私もうれしーよ」


 「お風呂でいろいろやってくれたことはまだ恨んでます」

 「いやー、そう言われると…え?」


 「お姉さんにわたしを紹介してくれて、ありがとうございました」

 「…それは…ごめん、まだ私も整理しきれてないや」


 「この世界に連れてきてくれて、ありがとうございます」

 「…アコ……それは、もしかして私が謝らなければならないことかも、だけど…」


 「わたしが、わたしを嫌いじゃないようにしてくれて、ありがとうございます」

 「え?」


 「これまでずっと、何も言わないでわたしを守ってくれて、ありがとうございます」

 「…ちょっ、ちょっと待ってアコ。今何て言って…」


 …多分、思い出せば他にいくらでもあるんだと思います。

 もちろんアプロだけじゃなく、仲間のみんなも、これまで出会ったひとたちも、わたしが感謝しないといけないひとばかりです。

 もう伝えることは出来ませんけれど、日本の家族や、幾人かはいたお友だち。それから、わたしが傷つけてしまった何人ものひとたち。感謝したり、謝ったりしないといけないひとが、わたしにはいっぱいいます。


 その中でも一番、わたしが感謝を伝えたいのって。


 「…アプロ。わたしを、好きになってくれて、ありがとうございます」

 「アコ……あの、その……えと」


 守られていたんです。

 アプロは今まで、何も言わずにわたしを守ってくれてたんです。

 今なら、マギナ・ラギさんが来て皆でどーしよーか、って話をしてた時にとったわたしの態度がひどく子供っぽいものだった、と分かります。

 あの場にいた皆に守られてたわたしが、それを理解せずに、知らないことを知らないって言ってただけなんですから。


 ありがとう、アプロ。わたしはあなたに、ずぅっと守られてきたんです。




 「………えと、アコ?」

 「アプロ。今わたしにあなたが出来る礼なんか、これしかありません」


 あー、わたしなんか頭がぽやーっとしてます。

 アプロにお礼を、たくさん告げてるうちに頭いっぱいになって。

 なんかいー感じに茹だってます。ぽやややや~…って。

 だから、ですね。


 「アコ…あのひょの、ちょっと近く…ない?」

 「なにいってるんです。近くないと」


 お酒がいー感じにまわったのか、顔を赤くしてるベッドの上のアプロに、わたしは身を寄せました。


 「ち…ちかくないと?」


 そしてベッドの端に手をのせて、そっと顔をアプロに近づけます。


 「キスできないじゃ、ないですか」

 「ひにゃっ?!…あ、ン……」


 アプロのいーにおいが、わたしの顔を包みます。

 わたしはアプロに唇を寄せて、それでそれが当然であるようにアプロの唇にそれを押しつけました。一回だけ。

 そしてそっと、離れたのです。


 「ん…ありがとう、ございますね、アプロ」

 「は…ひゃぃ……ん…あこぉ…」


 ……あれ。

 わたし、お礼をしただけなのに。アプロのろれつが回ってません。

 普段泥酔なんて真似絶対にしないんですけど、どうしたんでしょう。


 「あの、アプロ?もしかして飲み過ぎですか?…ちょっと失礼」


 と、酒瓶を取り上げて中身を確認しましたが、それほど減ってませんね。コップ一杯分も呑んでないと思うんですが、この分だと。


 「アプロ?もし具合が悪ければ………っ?!」


 わたしがその時見たアプロの姿。

 それは、英雄と讃えられ、魔王討伐の尖兵として率先して危険に飛び込む勇者の姿でもなく。

 有能な領主さまとして住人たちの尊敬をうける王家の娘の姿でもなく。

 …といって、いつもわたしの部屋に来てだらだらしてるぐーたらな女の子の姿でもなく。


 「あ、の……アコ…わ、わたしさ…えと、わたし、ね…?」

 「………」


 目もくらむくらいにまぶしくて、でもわたしはその子から目をそらせずにいて。


 そしたら。

 わたしのむねが、とくん、とくん、とたかなるのでした。

 かおをあかくして、しせんをそむけながら、でもときどきわたしのようすをうかがうめをむけてくるアプロがとても、いとしくて。


 「わたし、はね?……アコの、ことが………すき、だから………」


 うん。

 わたしは……わたしも、アプロがすき………。

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