やっぱり俺は騙される

新巻へもん

第1話 アルバイト

「窪塚樹生くんだね。君を逮捕する」

 樹生の前に立つガタイのいい男は二つ折りになったものを広げて突き付ける。樹生の膝がガクガクと震えて、手にしていた紙バッグが手から滑り落ちた。どさりと重い音が響く。やっぱり、これは……。


 くそ。どういうことだ? 樹生は後悔に唇を噛みしめる。始まりは3カ月前のことだった。


 ***


『楽して稼げるお気楽バイト』


 スマートフォンに着信したショートメッセージのタイトルにはこう書いてあった。いつもなら即削除する怪しいメッセージ。ただ、いつもと違ったのは高額とは書いてなかったこと。


 さすがに高校生ともなると、楽して大金が稼げると思うほどお子様では無かった。ひょっとするとそういう仕事があるのかもしれないが、そんな情報が向こうからやってくるわけがない。しかし、このメッセージは楽な分高額ではないときちんと書いてある。隙間時間に何か物を運べばいいらしかった。


 高校生というのは忙しい。部活に塾通い。いつもヘトヘトだ。ファストフードのバイトは時給1000円だが、立ち仕事で休む間もない。去年の夏休みにやってみたがとても疲れた。ずっとフライヤーの前に立っているだけで熱と油で倒れそうだった記憶が樹生には残っている。


「なあ、コージ、これどう思う?」

 樹生は仲のいい浩司にスマートフォンの画面を見せた。

「やめとけ」

 一刀両断。にべもない返事。


 浩司は頭がいい。勉強ができるだけじゃなくて頭の回転も速い。それにいつも頭にくるほど冷静だ。

「この手のメッセージは即削除以外ないと言っただろ」

「でもよ、これ低額と書いてあるんだぜ。騙すつもりなら高額と言ってくるんじゃないか?」


「一ついいことを教えてやる。悪事を働く奴は基本的に頭がいい。捕まるのは馬鹿だけだ。捕まらない頭のいい相手にお前じゃ絶対に騙される」

「なんで、騙される前提なんだよ」

「こういうメッセージに釣られてる時点でな」


 浩司はスマートフォンを操作してメッセージを消した。

「おい、勝手なことをするなよ」

「俺は友人が騙される姿を見たくないのでね。金が必要なら地道に働くことだ。それか高校生らしく慎ましく過ごすことだ」


「親が金持ちの奴に言われたくないね」

 浩司の父親は大手企業の重役だ。樹生が遊びに行った浩司の家は2倍以上の広さがあった。樹生は唇を尖らせるが、浩司は意に介さない。


「俺とミキオの小遣いはそれほど変わらないよ。カノジョにうつつを抜かして遊んでばかりいるから金がないのさ。非モテの俺からすると羨ましい限りだね」

 全く羨望の念の欠片もない声で浩司は言った。

「まあ、折角できた大切な彼女だ。あまり悲しませることはするなよ」


 樹生は同級生の小夜とお付き合いを始めてまだ日が浅い。小夜は演劇部で活動するだけでなく、町の演劇サークルにも所属している。樹生の塾帰りと小夜の演劇の稽古帰りに待ち合わせてコーヒーショップでちょっとおしゃべりをして帰ることがあった。これが地味に樹生には痛い。おにぎりが3つ買える値段でコーヒー1杯しか飲めないのは辛かった。なんといっても育ち盛りの男子高校生である。


「コージの奴、俺のショートメッセージ勝手に消すんだぜ。ひどいと思わねえ?」

 小夜に向かって樹生が愚痴を言ったが同意は得られなかった。

「んー。私も浩司くんに賛成かな。ミッキーはさ、スポーツはできるし、一緒にいて楽しいけど、すぐ騙されそうだもん」

「なんだよ。ひでー言われようだな」


 万年小遣い不足で金欠の樹生ではあったが、さらにもうすぐ夏休みを控えていた。夏と言えばプール。小夜とプールに行くとなれば、しょぼい市民プールというわけにはいかないだろう。行きかえりの交通費も馬鹿にならない。そして、花火大会もある。金がいくらあっても足りなかった。


 そんな矢先のショートメッセージだったが、浩司に消されてしまった。消されるまではそうでも無かったが、消されてみると物凄く勿体ないような気がしてくる。バイト情報サイトを見てみたが、どれも帯に短し襷に長しでしっくりするものが見つからなかった。


 そして、その翌日、同じメッセージが着信する。樹生は今度は誰にも相談せずに返信してみた。すぐに返事が来る。

『返事をくれて本当に助かるよ。もし、良かったら、一度会って話をしないか。気に入らなければ、別にそのときに断ってくれてもいい』


 次の土曜日に、樹生は呼び出されたコーヒーショップに出かけていた。チェーンの明るい店内の隅にその若い男は居た。紺のスーツに薄いブルーのワイシャツ、それに地味なストライプのネクタイをしていた。髪の毛をきっちりと分けてパッと見はどこにでもいるサラリーマンだった。


「やあ。私が島田だ。わざわざ来てもらってすまないね」

 樹生は勧められるままに向かいの席に腰を下ろす。島田を名乗る男は手を挙げてアイスコーヒーを注文すると世間話を始めた。

「なかなか俊敏そうだね。何かスポーツでもやってるのかい?」


「サッカーを」

「そうか。部活に励むとはいいことだ。だが、それじゃあ、時間があまりないだろう」

 ウエイトレスがアイスコーヒーを置いていくと樹生に勧める。


「それじゃあ、仕事の説明をしようか。何、そんなに難しい話じゃない」

 島田は歯を見せて笑う。

「お客さんから預かっている商品サンプルをお客さんに返す仕事だ。電車に乗って相手先に届けてくれるだけでいい。簡単だろ。1カ所配送するごとに千円だ」

 

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