第3話 リ・バース・デイ 天鎧機甲『薄金』①
その日の、
「うわ……どろどろ……」
お気に入りのベッドが、泥で汚れていた。
アルカナのカードで女神の力を解放すると、体が大人になる。
だから、すぐ休めるようにと、おばあちゃんに買ってもらった大きなベッド。
「もう……ほんとだめだなぁ……」
泣きそうになる。
「お目覚め? 可愛いねぼすけさん」
おばあちゃんが、部屋に入ってきた。
紅茶と、小さなサンドイッチ。佳乃の、大好きなもの。
「ごめん、汚しちゃった」
「まずは温かいうちに食べなさいな。それから、お風呂が沸いてるから、ゆっくり暖まってきなさい」
佳乃の家族は、おばあちゃんしかいなかった。佳乃にはお父さんもお母さんも居ないんだと、知ったのはつい最近の話。
「うん……」
「学校、今日は休みなさい。連絡しておいてあげるから」
「……」
「大変だったわね、佳乃ちゃん」
「うっ……」
おばあちゃんは、魔法使いのようだった。考えていることが全部わかってしまう。
おばあちゃんの胸にすがりついて、佳乃は泣いた。
もう泣けないと思ってたけど、まだまだ涙はいっぱい出た。
お風呂に、入る。
泣きそうになる。
どんなに辛くても、強い敵でも、3人なら負けないって思ってた。でも1人になったらどうすればいいのかわからなかった。
「佳乃殿、佳乃殿!」
一羽の鳥が、唐突に窓から入ってきた。それはダチョウに近い姿をしているが、体はひよこのように小さかった。
「エミちゃん……?」
「ご、ご無事でなによ……なによりで……! 姫様が封印され、カピトリノ殿がアルカナを失い、ここで佳乃殿にまでなにかあったとあっては、王子に顔向けが出来ぬところでありました……!」
よちよちと、小さなダチョウは佳乃に近寄ってきて、その瞳から涙をこぼした。羽が手のように動いて、目頭を抑えている。
「エミちゃんも、無事で良かった……良かったよぉ……」
「はい、はい、本当に!」
そうやって、また泣いた。泣いてばかりだと、また泣きそうになる。
「あのね、エミちゃん」
「佳乃殿、なんですか?」
ひとしきり泣いて、落ち着いた。それから、これからのことを考える。
「私、どうしたらいいのかな」
「とにかく、ここはなにもせずに隠れておられることだと思います。いや、
「……だよね」
顔を湯船に沈める。ぶくぶくと泡を吹く。
「残念ながらラ・デエースでは、
「姫様は木になったよ……。トリノさんは、光になって消えちゃった……」
「大丈夫です。これを御覧ください」
エミが軽く羽をばたつかせると、二枚のタロットカードが光の中から現れた。
「これ……」
「カードは力を失っていません。2人のアルカナは生きています。だから、大丈夫、大丈夫ですよ」
「……うん。ちょっとだけ、ほっとした」
「だからくれぐれも無理をしないでください。佳乃殿にまでなにかあったら、それこそ姫様や王子に顔向けが出来ません」
「うん……」
目を閉じる。まったく歯が立たなかった。
全身を、湯船に沈めた。1から100まで数える。人は水の中にいるとすぐ苦しくなるが、佳乃はそうならない。10分でも20分でも、呼吸せずにいられる。
けれども、ずっと窒息していれば、いつかは死ぬ。
夕方、エミちゃんを連れて散歩に出た。多少は食べなくても平気だが、いくらかは陽の光を浴びないと体調が悪くなってしまう。気分がいくら落ち込んでいても、外には出なくてはならなかった。
「はぁ……」
「元気を出してください、佳乃殿。とにかく辛抱、我慢です」
「わかってるけど……でも、
「え、ええ……」
「姫様がこっちに来て半年。あと6ヶ月もあるよ……」
「……」
「あー。駄目だぁ、私」
暗いことばかり言ってる。この心の弱さも、ちょっと泣き虫なのも、個性だよと、姫様は笑ってくれたけど。
ブランコをこぐ。静かな公園。少し体の大きな人が、顔を隠すように深くフードをかぶって、ランニングをしていた。
「ラ・デエース負けちゃったの? ねぇ、ママ、負けちゃったの?」
買い物帰りの、母親と幼い娘だった。かわしている会話に、また泣きそうになる。ラ・デエースが負けたことで、どれだけの人に心配をかけているのだろう。
「おい、葛城! 今日休みだったんじゃないのかよ!?」
顔をあげると、3人の男子がこっちへ駆け寄ってきた。クラスの、男の子たちだ。いつもいたずらや意地悪をしてくる。佳乃はこの3人組が苦手だった。
「ずる休みとかいけないんだ。先生に言いつけてやるからな!」
「……」
「おい、なんとか言えよ!」
ああ、もう……。こんなときに……。
「なんだこれ。このカルガモ、おまえのペットか!?」
男の子の1人が、エミちゃんを乱暴に掴み上げる。
「やめて! エミちゃんに触らないで!」
「エミちゃんだってよ、ほらほら」
「はいパース」
「パース!」
エミちゃんが、まるでボールのように放り投げられる。鳥がしゃべると大騒ぎになるので、彼女は必死に耐えている。
「やめて! やめてよぉ! 離して!」
「なんだ、元気じゃん。病気じゃなかったんだな」
「なんで休んでたか言えよ。言ったらこのカルガモ返してやるよ」
カルガモじゃない。
「……ラ・デエースが負けて、ショックで、不安で……気持ち悪くて休んじゃったの……」
「おまえ、ラ・デエースがそんなに好きなのかよ。父ちゃんが言ってたぜ、あんなの全部インチキだって」
「インチキ野郎は、やっぱりインチキなやつが好きなんだな」
ひどい言葉。あんなに頑張って、戦ってきたのに。
「もういいでしょ! 返して!」
叫ぶと、3人の男の子は顔を見合わせた。それから、内緒話をするようにこそこそとする。そこには、意地の悪い笑みが浮かんでいた。
「じゃあさ、罰としておまえのおっぱい揉ませろよ」
「え?」
「クラスで一番、佳乃がでかいだろ? ズル休みしたの黙っててやるし、このカルガモも返すからさ」
「もーませろ、もーませろ」
男の子が囃し立てる。ああ、本当。
……
「がっ……!?」
突然、男の子の1人が浮き上がった。その手からエミちゃんがこぼれるが、羽をばたつかせて上手く着地する。
「いちいちムカつくガキだなおい。てめぇらの年でおっぱい揉もうなんてうらやま……いや、ふざけんな」
身長180ぐらいある男の人が、男の子の首根っこを後ろからつかまえて宙吊りにしていた。
「や、やめろ離せ!」
「離せじゃねぇんだよ。てめぇみたいなガキはたっぷり教育してやらないとな」
「ヒッ……ば、化け物……!」
男の人は、顔にひどい火傷の跡があった。顔が半分、壊れているようにも見える。それが引きつったように笑うと、ひどく恐ろしかった。
「やめろ、おまわりさん呼ぶぞ! 防犯ブザー鳴らすぞ!」
別の男の子が食って掛かる。男は、それに無言でその足を引っ掛けて、男の子を倒す。
「やってみろ。その前にてめぇらの教育終わらせてやる」
「あ……ああ……」
「それにな……」男の人は、少し照れくさそうに鼻を鳴らした。「ラ・デエースに守ってもらってんだぞ俺らは! なのに腐ったような悪口言ってんじゃねぇ! やべぇ時こそ、応援しなきゃならねぇだろうが!」
「あう……」
「返事しろッ!」
「は、はぃいい……!」
男の子たちが、強引にうなずかせられる。
「おい馬鹿」
今度は、説教していた男の人の体が浮いた。
別の、眼鏡をかけた男の人が、片腕で顔の壊れた人を吊り上げている。
「げ……ゲンさん……」
「鉄心、ランニングはどうした。子供と遊んでんのか」
「いや、その、教育を」
「自分の教育がなってないおまえが、人様になにか教えられるってのか? ギャグが上手いな」
「やめて、源さん。頸動脈はやめて。意識が、意識が……」
「一度死ね、アホ」眼鏡の人が、片腕でぶん投げる。顔の壊れた人は、体をひねって器用に地面へ着地した。「おまえらは、行っていいぞ。だが次、いじめを見たら学校の先生と、おまえらのお父さんお母さんに言いつけるからな」
眼鏡の人が言うと、男の子たちは逃げ去った。
こ、怖い。この人達、怖い……。……でも。
「鉄心。謝れ」
「……押忍。……その、
ぺこりと、鉄心と呼ばれた男の人に、頭を下げられる。
「ううん、大丈夫です。その、エミちゃんを助けてくれてありがとうございます」
「おお、いやいや、そんな……」
「ちゃんと礼が言えるだけ、おまえよりずっと大人だな鉄心」
「う、うーす……」
「次はねぇぞ鉄心」
「お、押ー忍……」
そんなやり取りをしながら、怖い二人組はどこかへ立ち去っていった。
「エミちゃん、大丈夫?」
「はい、なんとか。ご迷惑をかけて申し訳ありません」
肩にエミちゃんを乗せる。小声で、話しかけられる。
「ううん。でもね、少しだけ安心したよエミちゃん」
「なにがでしょうか?」
「ラ・デエースを応援してくれる人は、やっぱりいっぱいいるんだね」
「そう、そうですね」
「やっぱり、頑張らないとね」
時給1000円、食費交通費支給。
それが、本岡源一郎と名乗った男が、新宮鉄心に提示した条件だった。
ヒーローになる気はないか。
胡散臭い男の、胡散臭い申し出。それでもいい。このまま、腐ったように生きるよりは、ずっといい。新宮鉄心が、わずかでも、女神たちと同じ場所に立てる可能性があるならば。
それから三ヶ月。やったことは、ランニングとスイミングを基調とした基礎体力の訓練。そして、スポーツジムでの筋力トレーニング。日に6時間、ひたすら自分を追い込む。
それが終わると、英会話スクールでの勉強。これを一日3時間。
週に6日のトレーニングは、単調でキツかったが、それも一ヶ月すると慣れた。
睡眠を9時間取るように言われているため、移動も含めれば仕事だけで1日がほとんど終わってしまう。これを仕事と言うならば、だが。
娯楽のない日々。辛くないといえば、嘘になる。ただ、青春を捨ててなにかに打ち込んでいる同年代は、いくらでもいる。
「ゲンさん。なんで毎日、東京の違うところ走るんスか?」
「地理を覚えるためだ」
「ふーん」
「だからなんとなくで走るな」
源一郎と、最初に組手の真似事をやった。しかし、まったく歯が立たなかった。自分の空手が、これほど通用しなかったのは初めてだ。それ以来、源一郎に一目置く気にはなっている。
ただ、源一郎はあまり説明をしない。トレーニングにもそれほど付き添わない。ただ、時々、よどんだ目で、じっと鉄心を見つめてくる。それがいつも怖かった。筋トレで手を抜いたとき、あっさりとそれを見破られたこともある。
「鉄心。嫌になったらいつでもやめろ。俺は、構わない」
その一言は強烈だった。それ以来、鍛錬には力を尽くしている。
どうすればヒーローになれるのかとか、自分は何者なのかとか、そういうのは話してくれない。
試されている。鉄心にもそれぐらいはわかる。ただ、どうすれば合格なのかは見えてこない。汗だくの体を乳酸に漬けて、毎日を食いしばりながら走っている。この日々をどれだけ続ければいいのかも、わからない。
「ラ・デエース、負けちゃったっスね」
小休止。公園のベンチに、源一郎と並んで腰を下ろす」
「鉄心、英語は喋れるようになったのか?」
「いや……なんとかカタコトぐらいですよ」
「そうか」
「あの、源さん。こんなことしてていいんですかね? ラ・デエースが、その……」
「それで、おまえになにか出来んのか?」
じっと、源一郎が見つめてくる。それだけで言葉を失ってしまう。
「……なんでもないっス」
この人の目は、強すぎる。これほど
「……」
源一郎は、沈思の中にいる。今日はずっとこの調子だ。スーツを着た、インテリヤクザのような男がそうしている姿は、まるで過去の罪を悔いているかのようにも見える。
不思議だがこの人は、両腕に時計をしている。そんなどうでもいいことが、この日は気になった。
通行人に顔を見られたくなくて、ジャージのフードを深くかぶる。11月。空気は少しずつ冷たくなり、枯れた植物のほうが多くなっていた。
そういえば、さっきの小学生。えらい可愛かった。胸もでかいし、相手してもらいたくて男子がちょっかい出したくなるのもわからなくもない。あと数年もすれば、高嶺の花だろう。
それも、どうでもいい事だ。もう会うことも無い。
「地震……?」
鉄心は足元に、揺れを感じた。
遠くで、なにかが破裂する音がする。
「チッ……あっちは駅か」
「源さん……?」
「鉄心、見物に行くぞ。持ってろ」
源一郎が、双眼鏡を投げ渡す。小さいがずっしりと重く、見るからに高そうだ。
「見物?」
「ハザードが出た。駅の方だ」
「ハザード……」
人類の、敵。高額な予算で設立された特殊部隊、USFがまったく歯が立たない存在。ラ・デエースしか対抗できない化け物。
遠くで、誰かの悲鳴が聞こえた。3人の女神さまは今、2人、居なくなっている。
あの日、襲われたときの恐怖を思い出す。情けない。鉄心の膝が、震えている。
源一郎はふらりと買い物にでも出かけるように、騒ぎの方へ歩き出した。この男の豪胆に比べ、新宮鉄心の小心と来たら。軽く自分の頬を叩いて、気合を入れた。
源一郎の早足は、鉄心の駆け足と変わらない。必死で追いかける。やがて駅の近くまで来ると源一郎は、ビルの一つに入った。
「USFだ。屋上に出たい。案内はいらない、鍵だけ貸してくれ。それから、速やかに駅から遠ざかるように」
源一郎が、手帳を出している。それは警察手帳のような強制力があるらしく、職員が慌てて鍵を差し出していた。
「源さん、やっぱりUSFだったんスね」
「……ああ」
「なんで教えてくれなかったんですか? その身分証見せてくれたら、俺、源さんのことうさんくせぇって思わなくて済んだのに」
「……。鉄心、なぜUSFがハザードに対応できないかわかるか?」
「へ……? いや、相手が化け物で強いからじゃ?」
「不正解。ニュースでもたまに解説をやってることだぞ。まず第一に、出現位置が予測できなくて迅速な対応が難しいこと。第二、東京の人混みに出現するせいで使用する武器が小火器に限定されること。奴らに小火器は効果が薄いにもか関わらずだ」
「じゃあ、強い武器を使えば、USFは化け物どもに勝てるってことですかね?」
「わからん、だがそれが大きなハンデなのも事実だ。そして第三の理由が、ラ・デエースの存在。彼女たちは、ハザードの出現からほとんど間を置かず討伐に出ている。それは単純に、USFの出動時間よりはるかに早い。ここまでは一般でも論じられていることだ」
「ここまでは?」
「第四の理由がある。USFはハザードとの交戦を故意に避けている。これは極秘事項だ」
「故意にって……どういう意味ッスか?」
「そのままだ。言い方を変えれば、USFはハザードから逃げている」
「マジですか、それ」
ビルの屋上に到着した。さすがに15Fを階段で行くのはキツかったが、トレーニングのおかげか、思ったより呼吸が整うのが早い。逆に源一郎は、異常に疲れていた。
「……本当、だ」
重病人のような顔色で息も絶え絶えに、源一郎はそう絞り出した。
「大丈夫なんスか?」
「気にしなくていい。さっき渡した双眼鏡で、騒ぎの方を見てみろ鉄心」
「ウス」
屋上の強い風に乗って、悲鳴と喧騒が聞こえてくる。すぐ先に、数年前までは考えられなかった、超常の事件が起こっている。
逃げ惑う人々。駅前の広場。フェンスに衝突した車。その先で、木で出来た人形たちが暴れまわっている。逃げ遅れた人を投げ飛ばし、殴り、蹴り飛ばしている。女子供年寄りも、お構いなしだ。だが……彼らはどこか手加減をしている。例えば、顔面への攻撃を受けた被害者はいない。
暴れる木人どもは、50はいるだろうか。勇敢な警官が発砲したが、歯牙にもかけていない。
「なにが、見える? 材木野郎以外にだ」
「……あ、人間。人間が中央に居ます」
「なぜその人間が気になる?」
「そいつだけ襲われてないッス。それどころか、なんか指示しているように見えます」
「特徴。言ってみろ」
「なんか軍服……?っぽいの着てますね。変なコスプレっぽいですけど。金髪の白人で、年は20ぐらい……美青年だなオイ。気に入らねぇ」
「そいつだ」
源一郎がその場に座り込んで、息を整えようとしているが、なかなか顔色は戻ってこない。言葉だけは、口を切り離して喋っているかのように、冷淡だった。
「てか、あいつ、この前ラ・デエース負かした奴じゃ……?」
「
「……悪の組織の、幹部連中ってとこですかね?」
「まぁ……そんなところだな。とにかく、どういう敵かだけ見てろ」
あの、暴れまわる連中を、ぶん殴りに行けたら。
どれだけ、気持ちいいだろう。
まず、そんな事を考えた。
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