03 情報屋
眉間の奥にある脳の器官『
という訳で、依頼を受けた翌日の放課後。石瀧は第二校区のモノレールの駅を目指して中央通りを歩いていた。
島の中央に『
「——で、」
それは、坂道の下にモノレールの駅が見えてきた頃。石瀧は、いつの間にか下校途中の生徒達に混じって隣を歩いていた女子生徒に睨みを利かせた。
「なんでお前がここにいるんだよ、キャット」
「にゃは」
人懐っこく破顔したのは、ちょこんとした小柄な女子生徒――キャットである。
くりんとした
「そんな嫌そうな顔をするなよマイフレンド、あーしとケーちゃんの仲じゃないか」
「ふざけんな、いつから俺はお前と仲良くなったんだ!? 初対面の時から変わらずそっちが一方的に絡んできてるだけじゃねぇか。てか、本当にお前何者なんだよ!?」
まるで十年来の友人みたいに話し掛けられたが、このふざけたネコミミ少女とは知り合いという訳ではなかった。どちらかと言えば赤の他人。こうして直接話した回数だって両手で収まってしまうくらいだし、印象だけならその辺を歩いている下校途中の生徒と変わりなかった。
石瀧は下校途中の生徒から向けられる奇異な視線に肩を縮めながら、
「……それで、何か俺に用があんのか?」
「愚問だなマイフレンド、あーしは『情報屋』なんだぜ? 情報を求める声が聞こえれば、いつでもどこでも馳せ参じるのがプロってモンだろ?」
「要するに、
「そうとも言うにゃ」
薄い唇の端を吊り上げて、西洋人形みたいな顔に邪悪な色を浮かべる。
怪しさの塊としか思えない情報屋と知り合ったのは、石瀧が探偵として活動を始めた頃。それ以来、どこからともなく現れては助言をしたり、欲しい情報を有料で販売してくれたりしてくる。本名も知らなければ、本当にラクニルの生徒であるかどうかすら確信を持てない謎の少女だ。
「
「皮肉は止めてくれよマイフレンド、今回はサービスで
「本当か? 気前が良いな、どうしてまた……」
「簡単な話だにゃ。それだけ今回の事件がきな臭いって事だよ」
手品の種を明かす大道芸人みたいに楽しそうな口調だった。その一方で、石瀧のテンションは滝壺に落ちていく水よりも激しく下降していく。
「
正面を向いた情報屋は、頬に描かれた三本ヒゲのペイントを曲げて
「服用者の
「雑誌の裏表紙に載ってるパワーストーンの広告よりも怪しいじゃねぇか、絶対に身体に悪いだろそれ」
「その通り。
初等部の頃から薬物乱用はダメ絶対と教わる昨今だ。その手のクスリに手を出した人間がどのような末路を辿るかは容易に想像できる。
「その……
「いんや。四月に第一校区で一悶着あったみたいだが、水際で食い止めたらしい。だが、クスリを流行らせたい黒幕は諦められなかったんだろうにゃ。次は第二校区にも手を出し始めたって感じだよ。実際に数人ではあるが被害者の生徒も出始めた、まだ報道はされていないけどね」
「じゃあ、今回の依頼は
「イエス!」
パチン、とキャットは元気よく指を鳴らしてみせた。
キャットから受けた依頼は、とある女子生徒の身辺調査だ。
第二校区の高等部二年生。石瀧の先輩にあたる女子生徒である。
「
「流石ケーちゃんだな、たった一日でよく調べてある」
「……でも、何か変なんだよな」
石瀧は胸の前で揺れるネックレスの先を眺めながら、
「聞き込みをすればするほど、違和感が強くなっていった。
「それならそれでもいいんだ。あーしの目的は
「……それは、あんまし嬉しくねぇ話だな」
重たい溜息を吐きながら、石瀧は駅のロータリーへと足を踏み入れる。
モノレール乗り場はロータリーの向こうにある巨大な建物の中にある。家電量販店や生鮮売場などを内包した
ロータリーの上空には一度に大量の生徒が歩けるように木製の
「なあ情報屋、この件って俺に任せてもいいのか? もっと適任がいるんじゃねぇの? ロボットアニメで何の訓練も積んでない一般人がパイロットに選ばれるくらい不自然だぞ」
「いや、ケーちゃんが適任だよ」
「どうして?」
「『裏側』に染まってる連中だと、闇に飲み込まれる可能性があるから」
二人は階段を上り切り、色違いの木材が敷き詰められた
「ケーちゃんの言う通り、本来ならもっと『裏側』に身を染めた連中を使うべきだよ。ラクニルには『リスト』なんつー便利な名簿もあるくらいだしな」
「『リスト』って、確か……ラクニルと取引した生徒の名前が載ってるあれだよな? 罪を揉み消すとか、成績を誤魔化すとか、そう言う生徒の望みを叶える代わりに、表沙汰にはできない汚れ仕事を押し付けられるんだっけ?」
普通に学校生活を送るだけなら、絶対に交わる事のない世界。存在すら認識できない不可視の領域。ラクニルに通う生徒ならどこかで耳にする都市伝説だが、大半の生徒は取るに足らない噂話としか思っていないのが現状だ。実在していると知っているのは石瀧のような例外に限られる。
「できれば、ああ言う連中とはもう関わりたくねぇんだけど」
「大丈夫だ、ケーちゃんなら上手くやるって。そう思ってなきゃこんな危ない依頼を持ちかけないよ」
「そいつは光栄だ」
「だけど、もし予想通り
「別に、何もしねぇけど」
石瀧は足下に落ちていた空き缶を拾い上げて、近くのゴミ箱へ放り投げる。放物線を描いたジュースの缶は、しかし金網の縁に当たってカンッと弾き飛ばされた。
「キャットだって知ってるだろ、俺には何の力もねぇんだぜ。
木目調の歩道の上に転がった空き缶を拾い上げて、今度は直接ゴミ箱に入れる。ガシャン、と軽い金属音がした。
「俺にヒーロー役を期待してるなら無駄だぜ。そういうのは『本物』の専売特許だ。『偽物』の俺は通行人Aくらいがお似合いさ」
「卑屈だにゃー、いざとなったら放っておけないケーちゃんのくせに。マーヤちゃんの時もそうだっただろ? 確かにケーちゃんは『偽物』かもしれないが、充分に『特別』だよ」
「特別?」
「装備品とか力は重要じゃないんだよ。大切なのは中身さ。魔王を倒せる聖剣を手に入れたとしても、肝心の勇者が腑抜けていたら意味がないのと同じで。力がないってのは表面的な話だろ? 誰かの『助けて』に立ち上がれるだけで、もう立派なヒーローなんだよ」
「おいおい勘弁してくれよ情報屋、そいつは買い被りって言うんだぜ」
石瀧は足を止めると、
「ケーちゃん?」
「俺の事を『特別』だって言ったな? でも本当にそうか? 見てみろよ、人間ってのはこんなにも沢山いるんだぜ」
下校中の生徒達だけではない。
買い物をするために
「教えて欲しいんだけどよ、こいつらと俺の違いってなんだ?」
「そんなの、答えるまでも――」
「容姿? 性格? 服装? そんなのは当たり前だ。俺がもっと聞いてるのはもっと根本的。内面の話さ。さあ、答えてみろよ。俺とこいつらは一体どれだけ違う?」
「……、」
「足が速い? 歌が下手? 考え方が人一倍卑屈? ハッ、笑わせる。それがどうしたってんだよ? そんなモン、世界にとっては何も関係ねぇじゃねぇか。この程度の違いしかねぇんだよ、『偽物』の俺達にはな。俺はさキャット、仮にもう一人の俺がこの人波を歩いていたとしても、見つけてやる自信がねぇんだ」
確かに他の同年代の生徒と比べれば、
だけど、それがどうした?
積み重ねてきた『特別』は、本当に
「キャット、俺は怖いんだよ」
「怖い?」
「明日学校に行ったら自分の席に見ず知らずの奴が座っていて、それでも何事もなく日常が始まっちまうんじゃねぇのか。瞼を閉じて寝てしまえば、自分の輪郭が溶けてその他大勢に吸収されちまうんじゃねぇのか。『偽物』には、いくらでも
「考え過ぎだ、そんな非現実的な事が起きる訳がないだろ?」
「
「そもそも、ケーちゃんはどうして『本物』になりたいんだ?」
「……そうだな」
憧れだから。
自分に生まれてきた意味があったと実感したいから。
理由はいくらでも浮かんでくる。だけど、それらは全て後付けであるような気がした。
「多分、俺が中途半端に『歪んでいる』からなんだろうな。『本物』になれないと理解しながらも、『偽物』である事を許容できない愚か者。どれだけ成果を積み重ねても、満足できないんだよ。『あの人』が立っている高みの存在を知っちまったから」
理想を捨てられたら、どれだけ楽だっただろう。
自分自身の器を受け入れて、身の丈に合った願望を抱けたら何も苦労しなかったのだろう。
そう理解しながらも、立ち止まる事を心が許してくれなかった。
この異常性こそが、
チグハグで、
「ずっと上ばっかり見てて疲れないのか?」
「え?」
「山頂までの道のりは長い。どれだけ時間が掛かるか分からないし、本当に辿り着ける保証はどこにもない。だからと言って、これまでの時間が無駄だったと考えるのは
「目標を高く設定する事は良い。だがな、結果に対する過度な謙遜は、自分自身の人生に対する冒涜だぜ。辛い想いをして積み上げてきたモノを否定だけはしちゃいけない。空の高さに絶望する前に、現在地を知るべきなんだよ。逃げ出さずにここまで登ってきたんだから、景色を楽しむ権利くらいはあるはずだ」
「……かもしれないな」
「誇りを持てよ、マイフレンド。もっと自分を高く見積もってもいいと思うぜ。少なくとも、あーしはケーちゃんだからこそ声を掛けたんだからな!」
しばし、二人は無言で
「なあ、情報屋。一つ教えてくれないか?」
「あーしをその名で呼んだって事は、取引って認識でいいのかい?」
「それで構わねぇ。
「……、」
しかし、情報屋からの返答はなかった。気になって見てみれば、西欧風の幼い顔には神妙な色が浮かんでいる。
「キャット?」
「悪いなマイフレンド、その情報は飛びっ切りに高額だ」
「そ、そんなにヤバい奴なのか?」
「ヤバいよ、あーしにここまで情報集めで苦労させるなんて
「
その言葉は。
多くの生徒の声が混じった喧噪の中でも、はっきりと聞こえてきた。
「都市伝説でも
「抑止力……」
「一体どういう仕組みかは不明だが、ある一線を越えた『悪』の前にそいつは現れる。秩序を乱す原因を排除して、音もなく去って行く。誰の記憶にも残らない
駅の自動改札機が近づいてきた所で、キャットは足を止めた。どうやら同行はここまでらしい。
「ケーちゃん、
「あいよ、期待しねぇで待っててくれ」
ぶかぶかの夏服の裾を左右に振るキャットに対し、石瀧は軽く手を挙げながら踵を返す。交通ICカードが入った財布を自動改札機に押し当て——
「いつかなれるといいにゃ、『本物』に」
ピッ、と。
改札の扉が開くのと、キャットの呟きが耳に届くのはほぼ同時だった。振り返らずに進み、人混みに紛れてモノレールのホームへと続く階段を上っていく。
「このまま手を伸ばしていれば、俺は『本物』になれるのか……? それとも――」
直後。
モノレール到着を知らせるメロディが、世界の全てを塗り潰した。
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