03 情報屋

 界術師育成専門機関ラクニルは、太平洋に浮かぶ無人島を改造して創られたカイじゅつのための学園だ。場所は東京都から900キロ離れた伊豆諸島沖。という異能が公となったのが70年前で、それから10年後に国と『ろっカイじゅつれんめい』と呼ばれる組織によって創設された。


 眉間の奥にある脳の器官『すいたい』の活動が確認され、ラクニルで青春を過ごす事になった少年少女の数は現在約四万人。当然、そんな大量の生徒を一つの学校だけで管理できないため、ラクニルでは校区を八つに分けて、それぞれに初等部から高等部までの教育機関を創ることで運営していた。


 いしたきけいいちが所属しているのは第二校区。島の東側で、第一校区と第三校区の間に存在する校区だ。校区内の移動は徒歩か自転車だが、校区外に出る時は島の外周を走るモノレールを使うしか手段がない。

 という訳で、依頼を受けた翌日の放課後。石瀧は第二校区のモノレールの駅を目指して中央通りを歩いていた。


 島の中央に『てんしょうざん』がある関係で、各校区は山肌を覆う森を切り開いて造られている。中央通りは校区の真ん中を貫く長い坂道であり、校舎やグラウンド、学生寮といった重要施設を経由しながらモノレールの駅まで繋がっていた。街路樹やはんに彩られた歩道の左右に何棟も並び建つのは、第二校区の生徒約五千人を収容するための集合住宅マンション群だ。無駄なく敷き詰められたブロックみたいな直方体には、生徒寮と一人暮らし用マンションの二種類が存在している。


「——で、」


 それは、坂道の下にモノレールの駅が見えてきた頃。石瀧は、いつの間にか下校途中の生徒達に混じって隣を歩いていた女子生徒に睨みを利かせた。


「なんでお前がここにいるんだよ、キャット」

「にゃは」


 人懐っこく破顔したのは、ちょこんとした小柄な女子生徒――キャットである。

 くりんとしたすいみたいな瞳に、先端が内側にカールした短い金髪と、日本人ではなく西欧風な顔立ち。頬には三本ヒゲのペイントで、柔らかそうな金髪には本物と見紛うネコミミが乗っている。着ているのはブカブカな第一校区高等部の制服であり、いっその事、ハロウィンの仮装と言われた方がまだ納得できる無茶苦茶な格好だった。


「そんな嫌そうな顔をするなよマイフレンド、あーしとケーちゃんの仲じゃないか」

「ふざけんな、いつから俺はお前と仲良くなったんだ!? 初対面の時から変わらずそっちが一方的に絡んできてるだけじゃねぇか。てか、本当にお前何者なんだよ!?」


 まるで十年来の友人みたいに話し掛けられたが、このふざけたネコミミ少女とは知り合いという訳ではなかった。どちらかと言えば赤の他人。こうして直接話した回数だって両手で収まってしまうくらいだし、印象だけならその辺を歩いている下校途中の生徒と変わりなかった。


 石瀧は下校途中の生徒から向けられる奇異な視線に肩を縮めながら、


「……それで、何か俺に用があんのか?」

「愚問だなマイフレンド、あーしは『情報屋』なんだぜ? 情報を求める声が聞こえれば、いつでもどこでも馳せ参じるのがプロってモンだろ?」

「要するに、依頼人クライアントとして探偵である俺に事前知識を押し売りに来たのか」

「そうとも言うにゃ」


 薄い唇の端を吊り上げて、西洋人形みたいな顔に邪悪な色を浮かべる。

 怪しさの塊としか思えない情報屋と知り合ったのは、石瀧が探偵として活動を始めた頃。それ以来、どこからともなく現れては助言をしたり、欲しい情報を有料で販売してくれたりしてくる。本名も知らなければ、本当にラクニルの生徒であるかどうかすら確信を持てない謎の少女だ。


こぎな商売だな。依頼したのはそっちなのに、調査に必要な事前情報を有料で売るなんて。雑誌やテレビで今年の流行を勝手に創って儲けるアパレル業界みたいだ」

「皮肉は止めてくれよマイフレンド、今回はサービスで無料タダにするつもりなんだし」

「本当か? 気前が良いな、どうしてまた……」

「簡単な話だにゃ。それだけ今回の事件がって事だよ」


 手品の種を明かす大道芸人みたいに楽しそうな口調だった。その一方で、石瀧のテンションは滝壺に落ちていく水よりも激しく下降していく。


界力活性剤アークマイム


 正面を向いた情報屋は、頬に描かれた三本ヒゲのペイントを曲げてわらった。


「服用者のすいたいの機能を格段に向上させる薬物だ。原液は赤色で、強い光に透かすと薄く発光する性質を持っている。親指サイズの小瓶に入るくらいの量を摂取すれば、みるみる内にパワーアップって感じだにゃ」

「雑誌の裏表紙に載ってるパワーストーンの広告よりも怪しいじゃねぇか、絶対に身体に悪いだろそれ」

「その通り。すいたいに負担が掛かって血管やら細胞やらやらがズタズタに傷付く。依存性も強いみたいだからな、一度でも手を出せば廃人になるまで止まらない。何より『力』ってのを一度でも味わっちまったらもう弱かった頃の自分には戻れなくなっちまう。力を得る代わりに心も体も破壊しちまう最悪のクスリだにゃ」


 初等部の頃から薬物乱用はダメ絶対と教わる昨今だ。その手のクスリに手を出した人間がどのような末路を辿るかは容易に想像できる。


「その……界力活性剤アークマイム? ってのが、ラクニルではもう流行ってるのか?」

「いんや。、水際で食い止めたらしい。だが、クスリを流行らせたい黒幕は諦められなかったんだろうにゃ。次は第二校区にも手を出し始めたって感じだよ。実際に数人ではあるが被害者の生徒も出始めた、まだ報道はされていないけどね」

「じゃあ、今回の依頼は界力活性剤アークマイムに関係があるって事か?」

「イエス!」


 パチン、とキャットは元気よく指を鳴らしてみせた。


 キャットから受けた依頼は、とある女子生徒の身辺調査だ。


 しず

 第二校区の高等部二年生。石瀧の先輩にあたる女子生徒である。


しずについて最低限の情報は集めてあるよ。成績優秀、容姿端麗、同級生クラスメイトからも教師陣からも信頼の厚い優等生……表向きはな。ここからは噂レベルの確度でしかねぇけど、近頃は夜遊びを覚えたのか寮に帰らねぇ日もあるし、授業中も眠そうにしてるらしい。何か得体の知れない事件に関わってる可能性が高いってのは確かだ」

「流石ケーちゃんだな、たった一日でよく調べてある」

「……でも、何か変なんだよな」


 石瀧は胸の前で揺れるネックレスの先を眺めながら、


「聞き込みをすればするほど、違和感が強くなっていった。同級生クラスメイトから聞いた人物像からじゃ、どうにも危ない事に首を突っ込む性格とは思えねぇんだ。本当に普通の女子高生だよ。今でも学校に通ってるみたいだしな。弱みでも握られて無理やり巻き込まれてるって言われた方が信じられるよ」

「それならそれでもいいんだ。あーしの目的はしずという優等生が界力活性剤アークマイムの取引に関わっているかどうかを見極める事。そのための協力者としてケーちゃんを選んだって訳だにゃ」

「……それは、あんまし嬉しくねぇ話だな」


 重たい溜息を吐きながら、石瀧は駅のロータリーへと足を踏み入れる。


 モノレール乗り場はロータリーの向こうにある巨大な建物の中にある。家電量販店や生鮮売場などを内包した複合商業施設デパートだ。生徒寮やマンションに住む生徒は、ここで生活に必要な物を買い揃える事になる。


 ロータリーの上空には一度に大量の生徒が歩けるように木製の歩行者用高架通路ペデストリアンデツキが通っていた。装飾として緑をふんだんに取り入れたデザインだ。石瀧は迷わず歩道橋みたいな階段を上っていく。


「なあ情報屋、この件って俺に任せてもいいのか? もっと適任がいるんじゃねぇの? ロボットアニメで何の訓練も積んでない一般人がパイロットに選ばれるくらい不自然だぞ」

「いや、ケーちゃんが適任だよ」

「どうして?」

「『裏側』に染まってる連中だと、闇に飲み込まれる可能性があるから」


 二人は階段を上り切り、色違いの木材が敷き詰められた高架デッキを歩いて行く。


「ケーちゃんの言う通り、本来ならもっと『裏側』に身を染めた連中を使うべきだよ。ラクニルには『リスト』なんつー便利な名簿もあるくらいだしな」

「『リスト』って、確か……ラクニルと取引した生徒の名前が載ってるあれだよな? 罪を揉み消すとか、成績を誤魔化すとか、そう言う生徒の望みを叶える代わりに、表沙汰にはできない汚れ仕事を押し付けられるんだっけ?」


 普通に学校生活を送るだけなら、絶対に交わる事のない世界。存在すら認識できない不可視の領域。ラクニルに通う生徒ならどこかで耳にする都市伝説だが、大半の生徒は取るに足らない噂話としか思っていないのが現状だ。実在していると知っているのは石瀧のような例外に限られる。


「できれば、ああ言う連中とはもう関わりたくねぇんだけど」

「大丈夫だ、ケーちゃんなら上手くやるって。そう思ってなきゃこんな危ない依頼を持ちかけないよ」

「そいつは光栄だ」

「だけど、もし予想通りしずが無理やり巻き込まれているだけだとしたら、ケーちゃんはどうするんだい?」

「別に、何もしねぇけど」


 石瀧は足下に落ちていた空き缶を拾い上げて、近くのゴミ箱へ放り投げる。放物線を描いたジュースの缶は、しかし金網の縁に当たってカンッと弾き飛ばされた。


「キャットだって知ってるだろ、俺には何の力もねぇんだぜ。身体強化マスクルで『眼』と『耳』を強化できるが、言っちまえばそれだけ。自分の界力術すらロクに使えねぇし、喧嘩が強い訳でも頭が良い訳でもねぇんだ。そんな無能に何ができんだよ」


 木目調の歩道の上に転がった空き缶を拾い上げて、今度は直接ゴミ箱に入れる。ガシャン、と軽い金属音がした。


「俺にヒーロー役を期待してるなら無駄だぜ。そういうのは『本物』の専売特許だ。『偽物』の俺は通行人Aくらいがお似合いさ」

「卑屈だにゃー、いざとなったら放っておけないケーちゃんのくせに。マーヤちゃんの時もそうだっただろ? 確かにケーちゃんは『偽物』かもしれないが、充分に『特別』だよ」

「特別?」

「装備品とか力は重要じゃないんだよ。大切なのは中身さ。魔王を倒せる聖剣を手に入れたとしても、肝心の勇者が腑抜けていたら意味がないのと同じで。力がないってのは表面的な話だろ? 誰かの『助けて』に立ち上がれるだけで、もう立派なヒーローなんだよ」

「おいおい勘弁してくれよ情報屋、そいつは買い被りって言うんだぜ」


 石瀧は足を止めると、高架デッキの手すりに触れてロータリーを見下ろした。


「ケーちゃん?」

「俺の事を『特別』だって言ったな? でも本当にそうか? 見てみろよ、人間ってのはこんなにも沢山いるんだぜ」


 下校中の生徒達だけではない。

 買い物をするために複合商業施設デパートに向かう数人の女子グループ。部活のユニフォームを着た男子生徒達。ジュースを飲みながら並んで歩く男女の高校生。都内にある有名なスクランブル交差点を俯瞰したみたいなその光景は、地面をつくばる無数のムシを想起させた。


「教えて欲しいんだけどよ、こいつらと俺の違いってなんだ?」

「そんなの、答えるまでも――」

「容姿? 性格? 服装? そんなのは当たり前だ。俺がもっと聞いてるのはもっと根本的。内面の話さ。さあ、答えてみろよ。俺とこいつらは一体どれだけ違う?」

「……、」

「足が速い? 歌が下手? 考え方が人一倍卑屈? ハッ、笑わせる。? そんなモン、世界にとっては何も関係ねぇじゃねぇか。この程度の違いしかねぇんだよ、『偽物』の俺達にはな。俺はさキャット、仮にもう一人の俺がこの人波を歩いていたとしても、見つけてやる自信がねぇんだ」


 確かに他の同年代の生徒と比べれば、いしたきけいいちという人間は『特別』なのだろう。探偵なんて役割を演じて、少し人と違う事をしていて、実際に誰かを救った事があるかもしれない。


 だけど、それがどうした?

 積み重ねてきた『特別』は、本当にいしたきけいいちでなければ不可能な事ばかりか? そんなはずはない。たとえあの時間、あの場所にいなかったとしても、世界は勝手に回っていったはずだ。


「キャット、俺は怖いんだよ」

「怖い?」

「明日学校に行ったら自分の席に見ず知らずの奴が座っていて、それでも何事もなく日常が始まっちまうんじゃねぇのか。瞼を閉じて寝てしまえば、自分の輪郭が溶けてその他大勢に吸収されちまうんじゃねぇのか。『偽物』には、いくらでもえがいちまう俺達には、自分がここに居るって事の証明すら難しいんだ。『本物』は、ただそこにいるだけで証明できるのに」

「考え過ぎだ、そんな非現実的な事が起きる訳がないだろ?」

自己存在アイデンティティの喪失は立派な病気だと思うけどな」

「そもそも、ケーちゃんはどうして『本物』になりたいんだ?」

「……そうだな」


 憧れだから。

 自分に生まれてきた意味があったと実感したいから。


 理由はいくらでも浮かんでくる。だけど、それらは全て後付けであるような気がした。


「多分、俺が中途半端に『歪んでいる』からなんだろうな。『本物』になれないと理解しながらも、『偽物』である事を許容できない愚か者。どれだけ成果を積み重ねても、満足できないんだよ。『あの人』が立っている高みの存在を知っちまったから」


 理想を捨てられたら、どれだけ楽だっただろう。

 自分自身の器を受け入れて、身の丈に合った願望を抱けたら何も苦労しなかったのだろう。


 そう理解しながらも、立ち止まる事を心が許してくれなかった。


 この異常性こそが、いしたきけいいちの根幹を為す『在り方』なのだ。

 チグハグで、いびつで、誰にも理解されない彼だけの常識ルール。あの事件からもう何年も経つはずなのに、鮮烈な『赤色』は今もまだ褪せることなく記憶に焼き付いたまま。この憧れがなくならない限りは、きっと潤う事のない渇きに苦しみ続けるのだろう。


「ずっと上ばっかり見てて疲れないのか?」

「え?」

「山頂までの道のりは長い。どれだけ時間が掛かるか分からないし、本当に辿り着ける保証はどこにもない。だからと言って、これまでの時間が無駄だったと考えるのはもったいないぜ。ちょっと振り返ってみろよ。そこにはさ、ここまで苦しい想いをしてこなきゃ出会えなかった景色が広がってるだろ?」


 高架デッキの手すりからロータリーを一瞥したキャットは、何の興味も示さずに先に進んでいく。ピコピコと金髪の上で動く猫耳を見ながら、石瀧は慌てて追い掛けた。


「目標を高く設定する事は良い。だがな、。辛い想いをして積み上げてきたモノを否定だけはしちゃいけない。空の高さに絶望する前に、現在地を知るべきなんだよ。逃げ出さずにここまで登ってきたんだから、景色を楽しむ権利くらいはあるはずだ」

「……かもしれないな」

「誇りを持てよ、マイフレンド。もっと自分を高く見積もってもいいと思うぜ。少なくとも、あーしはケーちゃんだからこそ声を掛けたんだからな!」


 しばし、二人は無言で歩行者用高架通路ペデストリアンデッキを進んで行き、複合商業施設デパートの自動扉を通る。


「なあ、情報屋。一つ教えてくれないか?」

「あーしをその名で呼んだって事は、取引って認識でいいのかい?」

「それで構わねぇ。青い絶望ブルー・アンハッピーって奴を知ってるか?」

「……、」


 しかし、情報屋からの返答はなかった。気になって見てみれば、西欧風の幼い顔には神妙な色が浮かんでいる。


「キャット?」

「悪いなマイフレンド、その情報は飛びっ切りに高額だ」

「そ、そんなにヤバい奴なのか?」

「ヤバいよ、あーしにここまで情報集めで苦労させるなんてただものじゃない。正真正銘の怪物だよ。まあでも、今回はあーしの依頼を受けてもらうんだし、少しだけサービスしてやろう」


 になく、真剣な眼差しでキャットがこちらを見詰めた。


青い絶望ブルー・アンハッピーは、実在する」


 その言葉は。

 多くの生徒の声が混じった喧噪の中でも、はっきりと聞こえてきた。

 

「都市伝説でもがいだんこうせつでもない。ヤツは本当に存在する、ラクニルの秩序を守る抑止力としてね」

「抑止力……」

「一体どういう仕組みかは不明だが、ある一線を越えた『悪』の前にそいつは現れる。秩序を乱す原因を排除して、音もなく去って行く。誰の記憶にも残らない姿無き殺戮者サイレント・キラー。それが青い絶望ブルー・アンハッピーだ」


 駅の自動改札機が近づいてきた所で、キャットは足を止めた。どうやら同行はここまでらしい。


「ケーちゃん、青い絶望ブルー・アンハッピーについて情報が手に入ったら教えてくれ。高値で買い取るから」

「あいよ、期待しねぇで待っててくれ」


 ぶかぶかの夏服の裾を左右に振るキャットに対し、石瀧は軽く手を挙げながら踵を返す。交通ICカードが入った財布を自動改札機に押し当て——


「いつかなれるといいにゃ、『本物』に」


 ピッ、と。

 改札の扉が開くのと、キャットの呟きが耳に届くのはほぼ同時だった。振り返らずに進み、人混みに紛れてモノレールのホームへと続く階段を上っていく。


「このまま手を伸ばしていれば、俺は『本物』になれるのか……? それとも――」


 直後。

 モノレール到着を知らせるメロディが、世界の全てを塗り潰した。

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