帳面

 源田が署に戻ると、三好はすでに依光を留置所に送って戻ってきたあとだった。源田が湿った外套を衣紋掛けにかけたところで、三好は、ようやく気づいて慌てて崩していた姿勢を正す。

 

「鬼の居ぬ間に洗濯などしていたか」

「い、いえ」


 源田の口調は穏やかなのだが、貫禄があるため、三好の顔はこわばってしまっている。それに気づいて源田は、少しだけ顔を緩めた。


「なあに。三好くんも疲れただろう」

「ええ、少し胸に来るものがありましてね」


 木製の椅子にどっかと腰を下ろし、煙草に火をつける源田。弥兵衛を殺害した依光は、自ら出頭を申し出てきた。現場の案内までしてもらった。身柄と証拠品の確保は終わった。あとは調書をもとに、事件の詳細を明らかにしていく。調書の内容は、捜査にあたった警察に委ねられる。

 今回の事件は、猟奇性よりも悲劇性が伺える。調書をどれほど詳しく書こうが、依光は不起訴処分になるだろうという懸念もある。遺族の対応を見るに、起訴を強く望むことはないだろう。だからと言って、捜査を蔑ろにする気は、源田には微塵もない。


「依光は事件を詳細に語ることを望まないかもしれない。それで、依光の処分が変わるとも思えない。だからこそ、この事件の捜査を私は、全うしたいと思っている。検察に引き継いだあとは、もう我々の手の届かないところに行ってしまう」


 源田の語った矜持に、三好も賛同した。


「三好くん、奥で現場から押収した証拠品を見せてくれ」


 お茶を飲み終えたところで、応接間へと向かいながら、三好に言い放つ。三好が紙袋に入った証拠品を携えて部屋に入ると、源田は煙草を消していた。証拠品を不精で焦がしてしまうなんてことがないように、との配慮だ。ただ、どうしても匂いだけは移ってしまうのが困りもの。息の匂いだけでもと仁丹を試したこともあったが、今度は自分の鼻が馬鹿になってしまった。冗談めかして自分の失敗談を語りながら、革製の手袋をはめ、紙袋から弥兵衛が記したと思われる帳面を取り出した。


「遺族の真美子さんには、内容を確認していいという了承を得ている。もっとも数行ほどは、斎藤さんの連絡先を掴むために目を通してしまっているがな」


 事件が起こるまでの弥兵衛の身の回りで起きたことが書かれているなら、極めて重要な証拠となる。表紙には文言が、一切なく、自分のためだけにつけていた日記であるということを伺わせる。だが、決しておざなりに書いていたわけではない。それは、一画々々のとめはねにまで気遣いが見られる丁寧な筆遣いを見れば分かる。


「達者な字で書かれているな」


 三好も頷く。全くです、と。一字、また一字と字をなぞるだけで、弥兵衛が教養のある人物ということが伺える。


「川上殿の庭園は、一部は自分で手入れをしていたそうだ。出入りしている植木屋が、たいそう腕が良くってな。川上殿も技を盗んで、西洋植物学の見解も加えて、接ぎ木や挿し木、取り木の技術書を書き上げたほどだ」


 応接間に三好の感嘆する声が木霊した。そんな学のある人が亡くなったとは、惜しい事件だ、と。まったくだ、と源田も頷く。


「弥兵衛殿の醸造した葡萄酒を飲んでみたかったものだな」


 故人を惜しむのはここまで、と一区切りをつけて、いよいよ帳面の内容に目を落としていく。


 冒頭は十年前の日付から始まっていた。


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