属性:正義を気取る女

naka-motoo

前編:正義を渇望する女

 割木わりき月光つきみつは名前の語感から性別を常に問い続けられる存在だった。そもそも出生した病院に始まり幼小中高大と「男?」と訊かれ続け勤め始めた弁護士事務所の代表はさすがに人権やセクハラ・パワハラの意識が高く不用意に性別を質問されることはなかったが顧客は委細かまわず「アンタ、にーちゃん? ねーちゃん?」と彼女に訊いてきた。

 普通きちんとした社会人でこんな質問をする人間はあまりいないのだが、こと月光の顧客に関してはセクハラ・パワハラのオンパレードだった。


 暴力団からの弁護依頼専門の弁護士事務所だから。


「月光さん。北条興業の和解案件、来週地裁のアポ取っといてね」

「はいセンセ。ところでセンセ。いつになったらわたし独立できるんですか」

「もっと訴訟で勝たないと」

「だってセンセ。なんでヤクザに勝たせないといけないんですか」

「・・・なんでウチに入ったの」

「カネがいいからです」


 月光は弁護士資格を取得して司法修習生として梶沢弁護士事務所に就職した。1年間の修習期間を終えて今は一人で訴訟案件もこなす。

 ただ梶沢の事務所は事案の90%が暴力団幹部からの弁護依頼で最近の司法修習生はそういう弁護士事務所を怖がってなかなか応募がなかった。

 そこへ背筋をピンと伸ばして黒縁メガネで就職活動しに来たのが月光だったのだ。


「月光さん。僕の依頼人は確かにグレーゾーンの人たちではあるけれど、そもそも彼らは組織ピラミッドの出世争いで負けた側の人たちばっかりだ。組長なんて言ったって隠れてトビのバイトしてるんだから」

「分かってますよ。でもそれまでは肩で風切って生きてたんでしょう? どうせ学校で同級生をいじめたりしてたんですよ」

「それはなんとも言えないけど。でもそういう暴力団が嫌いで正義感の強い月光さんがどうして給与額に惹かれて就職を決めたの?」

「わたしにはどうしてもやらなきゃいけないことがあるんです。そのためには20代のうちになんとしても2,000万円貯めないといけないんです」

「まあほぼプライベートなく働いてくれてるから時間外も相当払ってるし遊びに行く暇もないだろうから貯められるとは思うけど。何に使うの?」

「秘密です」


 こういう事情の事務所なので弁護士は梶沢と月光の二人きり。事務スタッフも怖がってなり手が無く、訴訟の準備から法的文書の作成、クライアントとの打ち合わせ、裁判所とのアポ調整、あらゆることを二人でこなさないといけなかった。

 そういう梶沢は実はまだ30代前半でこういう終始一緒の二人が恋に落ちたりしないのかと依頼人たちから月光はセクハラ攻撃を受けるが、


「あり得ません」


 ドライな応答を繰り返していた。


 業務多忙を極める常連依頼人の井座故坐商事の社長(組長)が菓子箱を持って月光に面会に来た。


「月光っちゃんよ。来週すぐにでもひとつ頼まれてくれよ」

「来月半ばまで塞がってます。無理です」

「そう言うなよー。結構困ってんだからよー」

「ふう・・・今度はなんですか? 五度目の奥さんとの離婚調停? 間違って子鹿バンビのタトゥーを彫った彫り師への損害賠償請求?」

「茶化すなよぉ〜」

「茶化すもなにも田嶋さんが依頼してきた信じがたい実案件じゃないですか」

「訴訟したいんだよ」

「誰を訴えるんですか」

「中学生を」

「え?」

「うちの娘が中学校でいじめられてんだよ」


 ・・・・・・・・・・・・・


花乃かのちゃん。いじめの内容をわたしに話してくれるかしら」

「・・・給食のシチューを机の中に流し込まれたり」

「うん・・・」

「それから、マンジル、って渾名をつけられて女子だけじゃなく男子にもそう呼ぶように広められたり」

「そう・・・」


 月光は客観的に見て清楚な容姿の花乃をそう呼ぼうと発想する女子が田嶋本人の情報を知った上で嫌がらせをしているのかどうかを確かめたかった。

 が、流石に自分の父親の生業を口にするのを躊躇していると花乃の方から話してきた。


「月光センセ」

「さん、でいいわよ」

「月光さん。父の仕事って知ってますか?」

「・・・あなたは?」

「暴力団の組長、ですよね」

「そうね」

「でもクラスのみんなは知らないんです。一切」

「そう」

「じゃあなんでいじめられるのか、って思ったでしょう?」

「いいえ。だって、いじめに真っ当な理由なんて存在しないわ」

「え・・・本気でそう思ってますか?」

「もちろんよ。どうして?」

「だって、この間離婚したお母さんも『なんでアンタはヤクザの娘なのに苛められんのよ!』ってわたしを叱ったから」

「そう・・・辛かったわね」

「月光さん。暴力団の娘でも人権ってあるんですか?」

「もちろん、あるわよ」

「よかった・・・」


 どうやら花乃は本気で自分に基本的人権が無いと思い込んでいたようだ。それどころか倫理的な自己卑下やおぼろげながらも父親が他人に迷惑をかけることを生業として得たカネで自分が育ってきたことを『ごう』として受け入れているフシがあった。


「梶沢センセ」

「うん。どうだった? 田嶋さんの案件は」

「因果応報ってあるんでしょうか?」

「うーん。僕としてはあると思ってる。自分自身に対する戒めとしてね」

「センセ。そんな綺麗事はいいんです。ぶっちゃけヤクザが酷い目にあった時には抗争で殺されたりするのって、自業自得というかこれまでの悪行の報いだってわたしは思ってきたんですけど、センセはどうなんですか?」

「・・・本音を言えば、報いだと思う」

「やっぱり・・・」

「でも月光さん。彼らと僕の悪行と大小はあれ50歩100歩だと思わないかい?」

「センセは悪いことなんかしないじゃないですか」

「いや。月光さんにしたら悪人を弁護するのは悪いことだろう?」

「まあ、そうですね」

「僕はね。救急車で運ばれて来た悪人を義務として助けなきゃいけない医者さえも悪いことに加担してると思ってる」

「センセがそんな風に考えてたなんて・・・」

「答えはずっと出ないままだよ。もしかしたら死んでも出ないかもしれない」


 打ち合わせの最中も情報収集のために付けっ放しのテレビからローカル局の夕刻のニュースが流れてきた。


『今日午後、◯◯中学校2年生の田嶋花乃さんが校舎の三階から転落して死亡しました。死因は転落した際の外因性ショックで事件・事故の両面から警察は調査を進めています。なお、いじめによる自殺の可能性については現時点で学校側は否定しています』


「花乃ちゃんが・・・」

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