短編

高柳寛

雪うさぎとレッドの大冒険


「例えばさ、ここでブルーがレッドを裏切っちゃうとか」

 駅の近くの喫茶店で、彼は簡単に私の中で素直に、まっすぐ生きているキャラクターをなんの思いも理由もなく、ましてや伏線もない状態で裏切らせようと提案してきた。

「でも、彼にはそんなことをする動機も何もないし……。なによりも読者のことを考えたら相棒がいきなり裏切りなんて……」

 そういうと彼は一呼吸分の間を開ける。

「今の時代の子供達って意外と昔と比べてませているんじゃないかなぁって。多少のスパイスを織り交ぜてみてもいいのかなぁと思ったんだけど」

「はぁ……。そもそも編集の人たちがなんていうか……」

「いろいろとしがらみがあるのね」

「そんなに口出しはないんだけど、結局は読者が一番だしさ」

「まぁ、今のは最近筆が進んでいない君へ、単なる僕からの例え話であってそんな深く考慮するようなもんじゃない。なんかヒントになればなぁと思っただけだよ」

 それでもブルーは決して仲間を裏切る事はない、私は心の中でそう思っていた。そんな私を見て、彼は言葉を付け加える。

「それに君は今、いろいろと疲れているっていうのもある」

「…………」

 祖母の訃報を受けたのは昨日の夕方、学年別児童雑誌の小学三年生向けの小説「レッドの大冒険」の連載を請けている私とそこの編集者の打ち合わせを行なっているときのことだった。この時、私は今までないほどのスランプ状態で、一向に進展のない私とのやり取りに気を利かせ、物語の打合せをしている最中でその連絡がきたのだった。

 その後は締め切りの約束だけを交わし、今に至る。

 私は、これからお別れの挨拶をするために、都内ではあるが祖母の家に向かうのだが、そんな明るいニュースが一切無い私を見かねたのか、付き合っているにも関わらず、普段から素っ気ないところがある彼が仕事を休んでまで私を見送りに来ていたのである。

 逆にこの素っ気なさが今まで付き合ってこられた秘訣でもあるのかもしれないが……。

「……なんかごめんね、今日は」

「別に、僕のことはいい。今日くらい、君は多少わがままでいてもいいんじゃない」

「そう……、かな」

 とは言え、小説のプロット提出期限は明後日である。私は落ち着かない気持ちのまま席を立ってゆらりと駅へと向かった。いっそ彼の言う通り、着の身着のままこのままどこか遠くへ行ってしまいたい気分でもあった。

 私の中のレッドやその仲間たちは何をしたいのだろうか、いや、なにをすべきなのだろうか。昔は明確な世界が目の前に見えていたのに、日に日に物語の中の彼らが目指す先が私には見えなくなってきているような気がした。


「じゃあ、ちょっと行ってくるね」

 私が駅の改札を通り、彼に手を振った。

 祖母の家は東京都内にあり、電車であれば一時間ほどで着いてしまう。そんな近からず遠からずの距離にもあったこともあってか、歳を重ねるにつれてあまり会う機会を持たなくなっていた。

 子供の頃は、そんな祖母の家に何かの行事で遊びに行くと毎度のように少し歩いたところにある高幡不動尊まで連れて行ってもらったものだった。そして毎度おみくじを引いて、吉以上であれば、近くの喫茶店でケーキを食べて帰ったりした。凶だったとしても、結局は近くのスーパーでお菓子を買ってくれるような典型的な孫に甘い優しいおばあちゃんだったと思う。人に何かをプレゼントするのが好きなようで、家にいても誰かにあげる編み物をしていたり、手芸品を作ったりするのが好きな人だった。今思えば、どことなくモノづくりが好きなところは祖母から受け継いだのかもしれない。もう少し、気にかけて会いにくればよかったなと今更ながら後悔の念が沸く。

 職業上よく目に留まる、失ってから気付く大切なものの理論をここで自分の経験として理解した。

 少し複雑な気持ちで駅に着き、そのままタクシーに乗ってお通夜を行なっている会場へ向かった。

 十分ほどで会場に着き、そこには私の両親や叔母、数回あったことのある程度の親戚などの知った顔や祖母の友達たちと思われる知らない顔、様々な面々が揃っていた。

「由貴」

「お母さん」

 色々と葬儀の手続きがあってか、母親の目元にはうっすらとクマが浮かんでいた。

「ごめん、すぐにこっちにくればよかったね」

「いいのよ、最近忙しいんでしょう。ほら、おばあちゃんに顔を見せてあげて」

「うん」

 そこにいた祖母は私が覚えているよりも細く、綺麗で、なんとなく穏やかな顔をしていた。

「おばあちゃん。今更だけど、全然会いに来られなくてごめんね……」



 怒濤のスケジュールをこなすかのように、翌日の告別式が終わり、火葬場へ移動した。ここで少し待機することとなり、私は大勢いる待合場の椅子に座っていた。そんな時に、一人の女の子がトコトコと私に近付き、声をかけてきた。

「すみません……、あの」

 子供らしい様子で体を揺らしながら照れたように私の顔をチラリとみては目をそらした。

「どうしたの?」

「お姉さんが、雪うさぎ先生って本当ですか?」

 その言葉に私はぎょっとする。雪うさぎとは今雑誌で連載している小説での私のペンネームである。それらをいくら周知されているとはいえ、親戚がいる面前の前で改めて言われると恥ずかしいものがあった。

「そうだよ」

 私からすれば大事なお客様の一人であるので、とりあえずは営業モードへ気持ちをなんとか切り替える。

「あたし、レッドの大冒険、すごく好きです」

「あ、ありがとう」

 ちょっと気恥ずかしさもあり、私はその女の子と一緒に外に出ることを提案した。

「ありがとうね。えっと、確か、真琴ちゃんだっけ」

 この子は確か母親の妹、叔母さんの子だったかなと、記憶を探る。

「うん、まこと」

「レッドの大冒険を読んでくれているってことは小学三年生ね」

「うん!」

 真琴はおもむろに一冊のスケッチブックを、自分の体とほぼ同じサイズの大きなバッグから取り出した。

「あたし、絵を描くのが好きなの。これレッドで、これがブルー」

 実際の連載時には少しキャラクターをぼかしたような淡い挿絵が入っているが、明確にキャラクターを描かれているものはない。つまりは、今ここに描かれているものは真琴が私の物語を受け取り、それに対する返信のようなものであった。子供ながらに文字からその特徴を掴んでキャラクターとして描かれているのは素直に関心した。

「すごい、上手いのね」

「あたし、レッドとブルーのお話が好きで、いつも笑っちゃうんだ」

 そういうと真琴は本当に嬉しそうな顔をして、私を見た。思わずその頭を撫でてしまうほどかわいらしく見えた。我ながら自分はチョロイものだなと自覚する。

「それでね、あたしもおはなし作ったりしてるんだよ!」

「へぇ、どんなおはなしなの?」

「えー……」

 自分で言い出したのに照れる部分に子供らしさを感じて、思わず私は笑ってしまう。

「誰にも言わないから」

「絶対に秘密だよ。あのね、レッドたちとは違う国にね、ブラウンっていう子がいてね! レッドみたいに魔法は使えないからたくさん勉強して、魔法を使えるようになるためにがんばる話なの」

 その物語ではブラウンは見事に成長をし、魔法を使えるようになって、時を超えたり、ある時は剣を持って戦い、レッドたちに会うために世界を巡っているそうだ。

 彼女が語ってくれたストーリーはどこかで聞いたような有名な映画のストーリーをつなぎ合わせたような、そこにこれといってテーマのまとまりはあまりなく、伏線もなく、流れも行き当たりばったりだった。それでも彼女はそれを楽しそうにまるで自分の自己紹介をするかのように物語を紡いでいった。

 そこにはレッドという私のキャラクターの存在はあるものの、確立された彼女の世界があった。

何者にも邪魔されず、何者にも口を挟まれない。本当に純粋な彼女の物語。それを彼女は全力で楽しみ、組み立て、伝えている。

 そんな彼女の話を聞いているうちに思わず鳥肌が立ち、ブルっと震えてしまった。

「大丈夫?」

 彼女は話をやめて、少し心配そうに私を見た。

「あ、ごめんね、大丈夫大丈夫」

 私がそう返事したと同時に叔母が真琴と私を呼びに外へ出てきた。



 火葬が終わり、母親に申し訳なさを感じながらも締め切りが翌日と迫っていた私は仕事のために自宅に帰ることにした。

 電車を待っている間、私は家にいる彼に電話をかける。

「もしもし、大丈夫か?」

「うん、平気。帰ったら仕事に戻らなきゃ」

 彼も小さく、あぁとつぶやく。

「それにね、なんか見失っていたものを見つけた感じがする。おかしい表現かな。なにか思い出したような……」

「ふむ、そうか」

 口調は素っ気ないものの、そこには少し安堵の念もあるように感じた。

「もしかして、これっておばあちゃんからの最後のプレゼントだったのかな……」

 ふと、頭に浮かんだ言葉がそのまま口に出てしまった。

「ふふっ」

「え、なに?」

「僕、君のそういうところ好きだよ」

 受話器越しに冗談ぽく笑う彼に、私は自分の顔が紅潮していくのがわかった。

「ちょ……、やっぱ今のなしで」

「ま、とにかく待ってるよ」 

「うん。……あ、それとね」

「なんだ?」

「ブルーは、絶対にレッドを裏切らないからね!」

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