The cosmos sea is sea is Hologram




  水面から顔を出せば、緑の世界だった。

 木々の揺らぎと靡く風。なんの変哲もない、そこにある世界である。ババッと翼を開く物体が、上空を左から右へと渡っていった。

 トロッピーは、水面へとまた顔を埋めた。彼の身体に吸い付いているのは、穏やかな水の流れである。同じペースで、ぴしゃりぴしゃりと尾びれを叩いていくのだ。まるでそれが永遠を表しているかのように。

「パパ」

 思わず、トロッピーは前の父親に声をかけた。「どこまで行くの?」

「もうちょっとさ」

 首を横に動かして、パパは答える。

「ぼく、そろそろ休憩したいな」

「すぐに着くから。ほうら、頑張れ頑張れ」

 尾びれを左右に動かしながら、前を進んでいく。引くことはできないみたいだ。トロッピーはなんとか腹のひれを揺らがせて、あとへとついていった。

 もうずいぶんと動きっぱなしである。数日前、パパの友達から「とんでもない穴場があるぜ」といわれた時は、まだ半信半疑だった。でも、「そこに君のママも兄弟もいるらしい」と聞いた途端、パパよりもトロッピーのほうが興奮していた。いなくなった家族に会えるというのは、なによりも代えがたい彼の嬉しさへと繋がったのだ。

 パパも腹をくくったのか、「よし、行こう」と決心した。パパの友達は先に向かい、二人であとから到着する寸断になった。

「ママ――いるかな」

 息継ぎの切れ間に、トロッピーは尋ねた。

「ああ、いるさ。きっと」

「ママだけじゃない。ドロマとかスィスィアとかも……きっといるよね!」

「ああ、もちろん」

 強い肯定によって、トロッピーの心に安心感が広がる。住処からだいぶ離れた場所。ぼくたちはまた一つに集まれる。それだけで、すべての悩みが晴れていくような気分になった。

 やがて、トロッピーたちの目の前には小さなそいつらが横切るようになった。透き通っている体をしていて、水の流れに身を預けるようどんどんとすれ違っていく。何匹も何匹も、無数の物体がそこにはいた。

 パパは頭部を覗かして「やってみな」と合図した。トロッピーは向かってくる透明のそいつらを、口を大きく開けて水ごと飲み込んだ。中で右往左往と暴れている。ちょっと怖かったけど、目をつぶって腹の中に収めた。体内を通り抜ける感覚もすぐになくなり、一緒に入れた水分は体の横から排出した。パパは満足そうに眺めていた。

 何回か繰り返したタイミングで、「お! こりゃ大物だ!」と前にいるパパが叫んだ。見ると、そいつらよりもはるかに大きな物体がゆらゆらと流れていた。体の側面に張り付けられた無数の棘は敵を威圧する見た目だったけど、中身は肉が詰まってそうで、自然と頭が前へ前へと出た。

「落ち着け、トロッピー」

 パパが進む先に遮った。

「お前はいっぱい食べたじゃないか。これはパパが頂くよ」

「えー、ずるいよー」

「お前の体じゃ、まだ小さすぎる。もうちょっと大きくなってから、だな」

 といい終わるやいなや、パパはその棘が付いた物体にかぶりついた。お腹がすいていたのだろう。口の中に一瞬で取り込んで、すぐに体の奥へと押し込んだ。

 次の瞬間、ありえないことが起きた。

 パパの体が、頭から水面の上へと持ち上げられていったのだ。トロッピーはわけが分からなかった。必死に抵抗しているパパは体を暴れさせて、周りの水が激しく波打った。でも、どうしても体は下に戻らず、無残にも上昇を繰り返した。

 教えてもらったことがある。「流れから長く顔を出すな。死んでしまうよ」と。

 暴れまわるパパの体は尻尾を最後に、消え、見えなくなった。

 いつも前にいるはずの、パパが、もうどこにもいなくなった。

 ママはどうしたんだろう。おじさんは? ぼくの兄弟は? みんなみんなみんな、ぼくの目の前からいなくなってしまった。

「……あ、あ、あ」

 ぽつ、ぽつと溢れ出てくるものがあった。

「あ、あ、あ、あああああああああ」

 叫びは届かなかった。

 

 彼には、叫ぶという概念すらなかった。



          〇



 トロッピーは眠い目を開けた。

 ずいぶんと長い間、寝ていたようだ。ぼやけた眼球から見える風景をまだ認識できず、場所が分かるものはないかとあたりを見回した。

「え……」

 トッピーはなにもいえなかった。

 いつもの生きている世界とは、ありえないほどに違っていたところだったからだ。黒だ。黒であたりが覆われていた。その黒にはところどころ明るい点がちりばめられていて、光を自分たちで出している。そして遠くの方には灰色の丸い物体、さらに奥には緑と青で塗り固められた物体があった。

「どこだろう、ここ……」

「宇宙じゃよ」

 いきなり、近くから声が飛んできた。え、いない? トロッピーが体を動かしても、少しの色も形も視認できなかった。

「だれ?」

「お主がワシを見えないのはしょうがない。なぜならワシはいわゆる『神』という存在で、『人間』が勝手に作り上げた想像の副産物にしかすぎない。しかも、『人間』すべてが同じ形を思い描いてるわけではなく、ご都合主義で様々な形に変貌する。まったく、身勝手な生命体だよ」

「なにを――」

「その点、お主らの生命体では『神』という概念そのものが存在しないんだからワシそのものは存在しない。だから、こうして声だけでしかお主らと媒介をすることしかできないのじゃよ」

 トロッピーは、神のしゃべることがうまく理解できなかった。『ニンゲン』という単語だけがぽっかりと浮かび上がる。ぼくらと共存している物体だろうか。

「お主、人間とは何かを分かっていないようだな」

「……なんで!」

「ほっほ。神だからじゃよ。答えはそれだけで十分じゃろ」

 全然、答えになっていなかった。トロッピーは頭を振った。いや、それよりも――ここは。常に囲まれていた液体の世界から解放されていた。あの世界から抜け出したら、ぼくらは死ぬのでは。パパの最期の姿が蘇ってまた苦しくなる。

「教えしよう」

 また、神に考えを聞かれていたようだ。

「ここは、『宇宙』という場所じゃ。あの緑と青の球体が、お主らの住んでいるところじゃよ。あ、ちなみにまだお主は死んでないから安心せい」

「へぇ。すごい綺麗だね」

「そうじゃろ。美しい自然に囲まれた、まさに神秘と奇跡の惑星なのじゃよ。だがね、お主らの上に立つ生命体が、美しさを破壊しかねない行為を働いているのじゃ」

「え、どういうこと?」

「あの、大きく広がる緑の地域があるじゃろ? あそこに『人間』という生命体が住んでいる。お主らとはまた別の生き方をしているのじゃ。水なしで生活できるのじゃよ」

「ほんと? すごい!」

 トロッピーの感嘆した叫びに、神は小さい唸り声を上げた。

「……そう喜べることもできるのかな」

「え?」

「お主の親……いや、その他の家族や知り合いも、すべて『人間』たちに食われたのじゃよ。殺されたのじゃ」

 突然、体が膠着した。目の前が真っ暗になった気分だった。

 まさか。信じられない。ぼくたちの他に、『ニンゲン』という物体がいて、ぼくらと敵対する物体であることも。声がどうしても出なくなった。

「……やる」

「ほ?」

「『ニンゲン』にやり返すんだ!」

「無理じゃよ」

「え……?」

「お主は『人間』には勝てない。不可能であろう。それがこの世界の宿命じゃ」

「なんで!」

「では聞こうか」

 神は改まった口調になる。

「お主らは、お主らより小さな生命体を食べ物としているじゃろ。『やつら』と呼んでいる生命体のことじゃ」

「うん……」

「その食べられる側がお主らになっただけじゃ」

 トロッピーの頭でも、神のいっていることが分かってきた。それは彼らの内在する恐怖へと繋がり、やがて「死」を実感せざるをえなくなっていた。

 ぼくらは無力だ。そうトロッピーは理解するしかなかった。どうしようもない不条理であった。

「怖いか」

「……たぶん」

「まあ、大きな話すぎて頭に落とすことは難しいかもしれない。でも、安心するんじゃ。お主の恐怖心なんてこの世界、この宇宙からしたらどうってことない」

 すると、近くの空間から激しい閃光がトロッピーの目を轟かせた。くらむような眩しさだった。神は放出した光は暗い『ウチュウ』の空間を瞬く間に突っ切ると、青と緑の球体へと飛んでいき、あたり一面を包み込ませた。

「ええい、ええい! 地球よ! 今こそ46億年の歴史を繰り返し給え! ええい、ええい!」

 それから、『チキュウ』と呼ばれた球体はものすごい速さで回転し出すと同時に、形を変貌し出した。やがて静かに止まった時には、真っ黒な煙で包まれていた。漆黒で全てを吸収してしまいそうな物体だった。

「再び動け!」

 神の叫びと共に、またもや球体は動き出した。すると黒の間からぽつぽつと赤い斑点が浮かび上がってきた。やがて、青が出てきた。茶色が見える。何個か穴ぼこができたあと、白い色が一面を覆った。黒は消えていた。そうして、ずいぶんと経過したあと、さっきトロッピーが見た緑がよくやく生まれた。緑をもう一度見たら、茶色も混じっていて、それは後になるほど大きくなっていった。

「生命の歴史なんて浅いものじゃ」

 神は語りかけた。

「お主らも、お主らを食い物とする『人間』一つ一つにだって、生きた跡を残せるものなぞほんの一部じゃ。自分という存在なんて本当にいたのか? そもそも自分とはなんなのか? 自分なんてものは、この長い長い宇宙の歴史の中で消えたも同然になってしまうのじゃよ」

 トロッピーは知ることになった。ぼくらも、ぼくらの家族も確かに命はあったはずだ。確かに生命を宿していたはずなんだ。でも、果たして他のがどうやって認識していくんだろうか。どうやって証明してくれるんだろうか。

「お主の父はさぞ幸福だったろうよ。自らの死を認識してくれる子がいて。生命がつがいになり、子を産むのはそういう理由があるのかもしれぬ。決して、一つで生き抜くことは無理なのじゃから」

 さて、と神は呟いた。

「せっかくじゃ。お主には果てまでを見せてもよかろう。地球、そしてこの宇宙がたどる運命を」

 光に包まれたままの『チキュウ』は、またもや動きはじめた。今度はすぐに変化が訪れた。だんだんとなくなっていく緑と青の世界。残されていったのは茶色の舞台だった。

「あ!」

 トロッピーは思わず叫んでしまった。『チキュウ』の背後に位置する、巨大な巨大な赤い球体。他のどの物体よりも、抗えない恐ろしさと極大さだった。

 湧き出る熱のひとかけらが崩れたかと思うと、当たって、そして砕けた。

 


         〇



 トロッピーは、また戻っていた。

 彼のいつもの住処である。

 筋肉を動かして、前へ前へと流れていった。

 すべてが幻想のように、美しい世界だった。






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