いとうあさこ
勉強は長続きしない。
私は頭を搔きむしりシャーペンを放り投げた。これ以上の新情報を寄こすなと頭のUSBメモリーが拒否反応を起こす。まったくこの脳みそは、ギガが足りないだろうと一人ごちても答えてくれる相手などはいない。ああ、目の前に女性とはいわない猫でもいてくれれば癒しになるだろうと思うが、
勉強に集中できなくなった時、私は決まって過去の恥ずかしい記憶がぶり返してきて悶絶するに至る。読者諸君も経験はあるだろうか。巷で噂されている『歩く黒歴史』とは私のことだ。俗世に生を落としてからわずか数十年、頬がリンゴ色になる行動を幾度となく繰り返してきた。もしこの世界に黒歴史本屋でもあれば京極夏彦ぐらいには本棚のスペースを蹂躙することであろう。なげかわしい。
私の悶絶日和は、大抵二日にいっぺんぐらい訪れる。
そのような時、高確率で浮かんでくる黒歴史が『いとうあさこ』だ。
あれはいつかのお昼時。一人だったか、母親といたか。とにかく私は、『いとうあさこ』が出演している太陽がぱっぱらぱーみたいな番組を見ていた。
女のナレーターがいう。
「いまだに結婚できないあさことは大違いっ!」
『いとうあさこ』が、ワイプごしに答えた。
「まだ望みはある」
まだ望みはある。
まだ望みはある。
まだ望み
まだ
ま
……。
私は、背筋がぞぞぞっとした。
テレビの向こうでは大笑いが飛んできている。ワイプいっぱいに近づけた『いとうあさこ』の真顔が、私を覗き込んでいた。恐怖か畏怖か。いや、違う。正体は不明。東大寺南大門にある金剛力士像が背後にスタンバってるような、神的恐怖を『いとうあさこ』は与えたのだろうか。
何を恐怖することがあろうか。相手はただの『いとうあさこ』だぞ。神でも仏でもアッラーでもない。別にタモリさんまビートに並ぶような偉大な芸人というわけでもないし、なんなら美女と形容するには少々抵抗感が生まれる容姿ではないか。『いとうあさこ』は。
そもそも、『いとうあさこ』とはなんなのか? この世に存在するのか?
『いとうあさこ』は私を試しているのか。実は地球に来た侵略者で、全人類からの認知を得るためにメディアへ入り込んだのではないか。なんと! 大変だ。いつだ。いつから始まっていたのか? 私は『いとうあさこ』が過去「細かすぎて」に出ていたのを知っている。あれは若手芸人の登竜門だから、少なくともあの時代にはまだ世間では知られていなかったはずだ。でも、私が物心ついたときには「いとうあさこ」はいた。なぜか目の前にいた。いつかは知らぬ。なぜだ。なぜなんだ。なぜ私の脳内デバイスに「いとうあさこ」初ログイン時データが残っていないんだこのポンコツ野郎め!
……。
あの一言、
「まだ望みがある」
が私の脳内に残っているのは何かの縁であろうか。
ふう。
どうやら囚われの身になってしまっているみたいだ。
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