〈避暑地〉
そうこうしているうちにミコッチが肉を持ってきた。
リビングは大皿からのぼる白い煙と、鼻孔の奥のところをびきびきとさせる焼いた肉の刺激的な匂いに満たされていた。
胸ポケットに入った米村を手でささえてそのままダイニングテーブルの席につく。
自然と呼吸が荒くなる。目の前に焼いた肉がある。魅力的であるのは、それを食べればたちどころに夏バテが寄り付けない身体になるからであるのと、何より最近忘れがちだった脂というものに飢えていたからであろう。
私が人目もはばからず肉の匂いを胸いっぱいに吸い込んでいると、向かいの席のミコッチは白い取り分けるための皿を差し出し、
「さあ、さあ」
と具体的なことは言わずに食べるのをすすめた。
今さら何か言葉を言われても、それを理解できるほどの集中力があったのかはわからないが、とにかく手を合わせて
「いただきます」
と箸をぎゅっと握りしめた。
そして肉を箸でつかもうとしたときだった。
「――米村?」
米村は私の取り分け皿に横たわって両手を胸の前に重ね、目を閉じてじっとしているのであった。
さて、どうしたものか。私は取り分け皿に肉を山盛りにしてから一気に口へかき込もうという想像をすでに済ませていたものだから、そのまま固まって何をどうするべきなのかを白い煙に包まれながら考えた。
肉の匂いが頭を満たしているものだから、まともに考えることができない。
そんな私を見たのかそうでないのかしれないが、ミコッチは肉をがっつがっつと口に放り込んで、もごもごとしながら話しだした。
「おう、そういえば仕事、しめ切りどうなんだっけ。何だか夏バテしてるのも、それが原因だったりするのだろうよ」
「仕事の話はいいんだ。もっと夏バテがひどくなってしまう。たぶんまだ夏くらいだから夏バテの話は続くのかもしれないけれど、そういうことを考えずに、ぼーっとしながら別のことをしているほうが、かえって仕事がはかどるというものだよ。電車に揺られてみたり、考えるふりをして今日は何を食べようか考えたり、意味もなく立ち歩いてみたり、そのまま散歩してみたり、シャワーを浴びたり、こういうように何かを食べたりといった具合にね」
「へー、そういうものかい。……いや、わたしたちと肉を食うのだからぼーっとしててもらっては困るよ。わたしたちの優しさに感謝し、肉のうまみをかみしめないと」
「その瞬間を味わって生きるということだね。まったくもってそのとおりだ。だから私もせっかくの肉が冷めないうちにいただくことにしよう。気がついたら何だかめずらしいお肉がお皿にのっているし、ちょうどいい」
私は取り分け皿を腕と体で覆い隠し、横になっている米村の腹に頬ずりをした。
肉の匂いのせいで空腹が刺激されたためかもしれない。
ほんの少しばかり微かな笑い声が熱い吐息とともに目の前で躍ったような気がしたけれど、何だかお米の甘い匂いが強くなってきたような気がしたので、不思議に思って顔を上げる。
米村は「あれれ」と小さくいって首をかしげた。米村にもわからないようだ。
「肉を食べよう。米村」
そういって気を取り直す。
小さく咳ばらいをして、何となしにミコッチと机上のパスタちゃんを見ると手で顔を覆って指の隙間からこちらを見ていた。
マズいものを見る目だろうか。おいしいのに。
私はそれを肉からのぼる白い煙ごしに見ていた。
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