<素材のおいしさと前髪>

 いつの間に重くなった腰を上げるタイミングを考えていた頃。

 ソファー前のローテーブルに飛び乗った米村は、体を拭いたティッシュを両手で豪快に破り、「筋肉です」と筋力以外は不使用であることの主張を始める。表情は凛々しいが、つぶらな瞳がきらめいていては微笑むしかない。

「さっそく筋トレの効果が出てしまったようだ。しかし米村、向上心のある妖精の女の子としては――」

「大人です」

 訂正される。

「すまない。向上心のある妖精の大人としては、そこで立ち止まるのはいかがなものかと思う。筋肉の成長のためにも、それを折りたたんで段々と強度を上げてみたらどうだろう」

 こだわりがありそうなので『大人の』を少し強調する。

「おお。もちろんです! もちろんですが……支度はいいのですか?」

「おっと、忘れていた」


 米村がティッシュを折りたたんでトレーニングの支度をしているので、私もそろそろ出掛けるための支度を始めることにする。

 立ち上がって「やるぞ」と自分に言い聞かせ、クロゼットがある寝室に向かう。

 途中、ダイニングテーブルのあたりで出掛ける支度をしているみこっちたちが目に入る。テーブルに乗ったパスタちゃんやうどんさんの身だしなみをみこっちが整えてあげているらしい。

 みこっちが細い棒のようなもの――ペンだ――にパスタちゃんの金色の髪を巻き、「はい力入れてくださいねえ」と言う。一瞬だけパスタちゃんが目をぎゅっと閉じたあと、みこっちが棒をするりと引き抜くと髪にカールがかかった。

 ――あのカールはそうやっていたのか。

 妖精の力を利用していたらしい。

 小さな発見のことを考えながら寝室に入り着替える。

 着替えといっても近所なのでほとんど何もすることはない。トップスは今着ているシャツ、ボトムスはスウェットから適当なテーパードパンツに履き替えればいい。

 二、三分ほどで着替えは終わる。


 すぐに寝室から出てソファーに戻る道中、みこっちたちの様子を見る。

 パスタちゃんも着替え終えたようで、淡い黄色のワンピースと小さなカールがかかった髪を揺らしながら机上を走り回っていた。

 みこっちは次に、「いいですねえ」と言いながらうどんさんの乳白色の髪を両側で結んでツインテールに仕上げた。やはり束ねられた髪はうどんに見える。うどんさんは束ねられた髪を蛇のように動かして具合を確認すると「うん」と言った。表情は変わっていないように見えるが、声音からして嬉しいらしい。

 妖精はわからないことだらけである。

 そして興味深い。


 ――米村の筋トレは順調だろうか。

 ソファーの前に戻ったとき、米村はローテーブルの上で体育座りをして窓の外を眺めていた。隣にはさっき折りたたんだティッシュ。しわが寄っている。

「調子はどうだい」

「まあ、ぼちぼちです。着替えてきたんですね」

 ゆっくりと立ち上がって机の端まで歩いてくる。

「うん。米村もみこっちに髪やってもらう?」

「いえ、米村は少しくしを通せば大丈夫です。このワンピースを着て、それから前髪をいい感じにできれば完璧なのです。米村は素材がいいので」

「おかずがいらないタイプのご飯だね。おいで」


 両手に米村を乗せてリビングの端にある棚まで行く。棚には櫛とテーブルミラーがあり、そこは私よりも米村が使う。テーブルミラーは大きなものではないが、米村にとっては姿見くらいの大きさになる。

 ミラー越しに米村が前髪をいじるのを見ながら櫛を通す。

 米村の髪は細いので、毛先の方から少しずつ。

 途中で何度か目を合わせながら。


 それも数分でそろそろ終わろうかという頃。

 ダイニングテーブルの方から声が聞こえる。

「おーい、そっち準備いいかあ。こっちオッケーだぞ」

 ――そっちも素材に自信ありか。

 みこっちが支度をしているのを見ていない。


 前髪がいい感じになった米村は一度頷き、こちらに振り返る。

「よし、いこうか」

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