コムローイ

@kamonohashinoopo

No hard feelings, please


僕が、初めて海外に行ったのは三十歳の四月だった。

勤めていた会社の社員旅行でタイのプーケット島に行ったのだ。出不精かつ飛行機が嫌いな僕は旅行も嫌いだった。高校の修学旅行(沖縄だった)と前の彼女に「行かなければ別れる」と脅されていった北海道旅行が飛行機に乗った経験のすべてだった。

 あんな鉄のかたまりが飛ぶとは思えないとか、落ちたら必ず死ぬ気がするとか、昔の墜落事故の映像を見てトラウマになったとか、そんな理由ではない。飛行機に乗ると、何故か身体の芯から心が冷えてきて震えてくるのだ。暗闇の固まりが冷たい空からやってきて胸の中に入り込んでくる。そして、吹雪の雪山で一人孤独に凍って死ぬような恐怖が襲ってくるのだ。

 僕はずっと、自分の息づかいだけを数えながら「大丈夫、大丈夫」とフライト中自分自身に言い聞かせ、その固まりがどこかへ消えるをの待つのだ。そうしてでしかやり過ごすことはできない。

 僕がこの話をした時に母は、「あなたがお腹にいた時にね。実家に帰る際に搭乗した飛行機が墜落騒ぎを起こしたことがあったの。そのせいかもしれないわね」と言った。

 本当にそのせいかはわからないけど、僕は旅行が嫌いで、飛行機が嫌いで一人で家にいることを好んだ。家に籠もるような内向的な性格は、外に出ないことで強化されてコミュニケーションも苦手になった。学生時代から、クラスの中心になることはなかったし、どんな行事ごとでも主体的に取り組むことはなかった。仕方なくやらされていただけだ。このやらされている感は僕の人生のあらゆる場面で登場して僕を白けた気持ちにさせる。学校も塾も部活も受験も就職も仕事もなぜ、それをすることが唯一の生きる道のようにみな必死になり、両親や先生が推奨するのか。なぜ、自分をほっといてくれないのかわからなかった。しかし、拒否することで生じる失望感を味わうのも辛い事だったのでやる。仕方なくやる。

 もっと拗らせていた学生時代は自分の居場所はここでないと思っていた時期もあった。30代に突入した今ではそんなものはどこにもなくて、きっとこんな風に芯を喰ってない、歪な日々がずっと続くのだろうと諦めている。自宅を軸にして把握でき得る動線の中で生活して、なるべくそこから出ることをしない。そんな人間が出来上がってしまった。それゆえに旅行という自分にとって、とてもイレギュラーなイベントをどう捉えて処理していいか、僕は計りかねていた。


 日本からプーケット島へ向かう飛行機(バンコクでのデポジットも含めて)の中での僕はいつも通りの酷い有様だった。一緒に行った社員も同行した仲の良い取引先の数人も凄く心配をしてくれた。 それと同時に一緒に旅に出たくない人。つまりは病気になったり、ケガをしたり、何かを無くしたりする、俗に言うやらかすタイプ人だと思われるようになった。

 僕としては、それ以外のトラブルを起こすつもりは毛頭無いので少し心外だったけど、そういった類の人もはじめからトラブルを起こすつもりで旅行に出ているわけではないし、たまたま旅行を阻害するようなトラブルに遭遇する確立が高い、或いは高くなるような行動をとってしまうだけであって、必ず飛行機に乗るだけでトラブルを起こす自分は良く考えると最もタチの悪いトラベルコンパニオンだなと思った。

 そんなわけで、旅行中に「具合が悪い」とか「気が乗らない」とかおおよそまかり通らない理由(特に社員旅行では)での単独行動もやっかい払いという強い名目の元である程度許される立場を僕は与えられた。

 プーケット島の南西部にあるパトンビーチで僕らはバカンスを楽しんだわけだけど、僕はずっと一人で街を彷徨いたり、食事をしたり、海に入ってみたりしていたわけだ。薄くて、後口がわずかに甘いシンハービールはタイの暑苦しい気候にぴったりだったし、食事も美味しくて僕なりに旅行を楽しんでいた。街を歩く人は欧米人とそれに何かを売ろうとしているタイ人ばかりだった。日本にいる時よりも人と人との境界線がはっきりしているので僕は僕であることを強く感じられた。


― すべて自主性に委ねられている。


 ここでは、誰かが僕のことを道具のように使ったりしない。

 何かの役割を強要したりしない。


 大ざっぱな、例えば海と山と人と街というくくりがあって、その中であれば自由だった。タイ人は、その土地が自分達の所有物であるにも関わらず、誰に提供するにも躊躇いがない。

 これが日本であれば、管理という言葉がどこに行っても付きまとってくるし、どこかしらにあなた達の為に開放してあげてるのよ。という意識が匂ってくる気がする。少なくとも僕には。


 旅行の日程は五泊六日だった。

 

 僕はそんなに旅慣れた人間ではないので、ずっと一人で行動をしていると飽きてくる。飛び交う言葉はタイ語と英語で僕は日本語しか話すことができない。短いセンテンスの英単語をいくつか並べてなんとか交流を図る。どうしても、深く心を通わせることができない。想いや感情に比べて言葉少なすぎる。たぶん、子供だったらこんな時は泣くだろうなと思う場面が多々あった。もどかしくて、泣くのだ。

 人と通じ合いたいなんて気持ちが湧いてくるのが新鮮だった。大げさに言えばまだ自分も捨てたもんじゃないなと僕は僕を褒めたい気持ちだった。

 毎日、同じ食堂に行って、ほぼ同じメニューを頼む。僕は同じものを飽きるまで食べたい性質だ。グリーンカレーとパイナップルの器に入ったチャーハン。後は日替わりのスープ。食事を済ませてビーチを歩く。どこか、違和感のある浜辺。日本の夏とは違う粘度の少ないさらりとした暑さ、湿気、匂い。日が暮れてくるとビーチには人がいなくなる。細かく砕けた砂を踏みしめる感触を楽しむ。空はうす暗く、繁華街のネオンが青色のグラデーションになり遠くまで延びている。きっと海岸を辿って半島の向こうまで光っているだろう。確かめたい気持ちが湧いてくるけど、向こうへたどり着いても恐らくは同じような景色が広がっているのだ。

 雲が大ざっぱに空に横たわっていて、海に触れそうに地平線を水平に移動している。現実感は日に日に薄くなっていく。今日は今日の為だけにあって、昨日や明日とは関連性がない。継続性もない。過去も未来もない。現在だけがある。それがいつまでも続いていく。そんな錯覚に襲われる。夜でも、空の一部には人工的な光がかかっている。地上から届けられる狂乱の煌めき。空はそれを鏡のように映し出している。遠くの空の下でで恐らくは誰かが酒を飲み踊り、男女は手を取り合って求愛を行動をして、それがそぐわない人は金銭のやりとりをして、さらに深い夜に消えて行く。僕は炎の周りを飛び回る羽虫のように、どこにも行けずにふらふらと生命を消費していくのだ。いっそ、炎に焼かれればいいのに。たまにそんな風に思うこともある。でも、たぶん僕は炎の中でも、いまいち乗り切れないぎこちない顔を浮かべながら生焼けのままいるのだろう。

 遠くで煙りが上がり、僕は空を見渡す。雲がさっきより上空にあるように思える。目を閉じて、風を感じる。身体が軽い。自分の影に染みついたしがらみは色を薄めている。この島では浮かんでいることが許される。それは僕にとって心地良いことだ。日本に帰れば、どこかに固定されてしまう。例えば、大きいものでは国、県、会社、地域。小さいものでは家族やいまこの島のどこかにいる同僚達。歪な日々は続いていく。絞った雑巾から水が滴り落ちるように、捻れから流れ落ちる一滴一滴が養分となり、僕の影は濃くなっていく。いつか、この影は僕の運動能力を越えるくらいに重くなるだろう。どこにもいけなくなる日がくる。それは確実に来るのだ。わかっているのに、なぜ元の場所に帰るのだろう。帰巣本能を消し去れないのは、何故だろう。

 

僕はもう一度、空を見渡す。

月は滞在中一度も見かけなかった。

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