列車の中の忘れえぬ人たち

北風 嵐

第1話 信玄袋の手品師

国木田独歩の短編に『忘れえぬ人々』というのがある。


たまたま、田舎の旅宿(はたご)で泊まり合わせた無名の文学者と、これも無名の画家、青年二人が酒を酌み交わし論談にふける。

文学者の方がこう語る。

『親とか子とかまたは朋友知己そのほか自分の世話になった教師先輩のごときは、つまり単に忘れ得ぬ人とのみはいえない。忘れてかなうまじき人といわなければならない、そこでここに恩愛の契りもなければ義理もない、ほんの赤の他人であって、本来をいうと忘れてしまったところで人情をも義理をも欠かないで、しかもついに忘れてしまうことのできない人がある。世間一般の者にそういう人があるとは言わないが少なくとも僕にはある。恐らくは君にもあるだろう。』

画家は黙ってうなずく。


口を交わしたわけでもない。ふと見た島かげの小さな磯を漁っている顔も知らない男の姿や、巷の一人とて顧みないような琵琶僧を「忘れえぬ人」として挙げる。その時の景色と共にそれらの人を憶い起こす時、涙すら頬をつたうことがあると文学者が語る場面がある。


口を交わしたとはいえ、僅か。もう二度と会うこともなかろう人を、涙が頬を伝うのはオーバーとしても、いつまでも「忘れえぬ人」として思い浮かべることがある。これは何も僕だけに特別なものではなく、誰しもが持つ感情ではないだろうか?

特に、旅に出て、四角に区切られた列車の座席空間の中などでは、その時の車窓風景とともにいつまでも記憶の隅に残っている・・そんな人々を綴ってみた。



1 信玄袋


高校の時、僕は家出をした。厳しい父への反発、進学校での成績不振とお決まりの理由だった。これに好きだった女の子に告白も出来ないという悩みが付け加わるから情けない。情けなくても少しの勇気はいったのである。


机の前でぼんやりしていた高校一年の17歳、といっても二年生が真近。勉強しなくてはと思いつつ、やっぱり机の前でぼんやり。二階に上がってきた父が、ぼんやりしていた僕に、押入れの掃除を命じた。別にすることもなくて、普段なら「勉強中」と逆らっていただろうが、何故か、素直にその通りにした。


 掃除をしていたら、奥の隅のほうから預金通帳が3冊とハンコが出てきた。通帳とハンコを持って西の空を見た。別に強い意志があった訳でもなかったのだが、さりとて夢遊病者でもなかった。どのくらいの金額?何せ「今生の別れ」なのだ。一番多いのを学校カバンに詰め込んだ。

 あくる日、学校に行く振りをして、一番に銀行に行き、ほぼ全額を下ろした。制服を着た高校生に、ノーチェックでよく銀行も下ろしてくれたこと。ともかく急いで、大阪駅に向かった。ホームに来ていた広島行きの鈍行に飛び乗った。家出は東京が定番、西の方がいいと思ったのだろう。たぶん正午を過ぎたころだったと思う。

夕刻4時から5時ごろ、途中、汽車の窓から外を見ていたら、踏み切りのあちらこちらに、下校帰りの自転車を手にしたセイラー服を見た。もう昨日に帰れない自分の世界を思った。するとセイラー服の女生徒がみんな、吉永小百合に見えてきたのだ。


僕の少しの感傷など、まるで汽車の煙がちぎれて飛んでいくように、かまうことなく汽車は西に、西にと走った。兵庫県と岡山、岡山と広島、県境ごとに列車の中の言葉が見事に変わるのは、鈍行列車ならではの光景だった。

 今なら新幹線で2時間ほど。当時の鈍行では、夕方頃には着くだろうと思っていたのだが。広島に着いた頃は、日がどっぷり暮れていた。駅前の旅館を二、三、当たったのだが、学生服を着た少年には泊めてくれる宿はなかった。一路西に向かうしかない。


 夜汽車は、“今生の別れ”と悲壮な決意をした(?)学生服の17歳を乗せて、瀬戸内沿いを走る。月光に照らされた瀬戸内の島々の美しさは何とも言えず、そのときの寂しい気持ちとともに、私の脳裏に焼きついている。

 朝方、門司駅に着いた。大分のほうに廻ろうか、博多、鹿児島のほうに行こうか。別段行き先を決めた旅ではない。コインの裏表で占った。答えはこのまま乗って終着、熊本行きだった。


信玄袋、いまどきの若い人に分かるだろうか?

持ち歩いている人をまず見ないだろうから知らないだろう。開口部を紐で締め、そのまま提げ手にしたもの。下部から底にかけては皮ないし厚手の布が使われている。武田信玄が愛用し、鷹狩りのときの弁当入れに武士たちが使ったところからこの名前が来ていると謂われている。この袋状の入れ物、結構中にたくさん入るのだ。


 岡山から広島の途中では、品のいい老夫婦が私の前に座った。老婦人の小さな信玄袋からは食べ物が出て来る。みかん、柿、おせんべい。その度、「はい、お兄ちゃん」と言ってお裾分けに預かる。次から次ぎへ、次は何が出てくるのかな?干し柿に大福。まるで手品を見ているようであった。

 信玄袋って結構入るんだと見ていた私も、あまりにも次から次に出てくるので、老婦人が本当の手品師と思えるほどだった。出してきては二人、ぺちゃくちゃと、仲良く何かしゃべっては、また手は袋の中に入る。

 二人は四駅向こうの町に嫁がした娘に、結婚式以来はじめて会いに行くのだと、楽しそうに話した。どうしてあんな小さな袋からいっぱい、たくさん出せたのか、今でも不思議に思う。


その老夫婦の心境を私は三十数年後に味わうことになる。鈍行ではなく新幹線で対面に席はない。信玄袋ではなく窓際には缶ビールとピーナツバターが置いてあり、大学の同窓会を兼ねてであるから一人である。横浜に嫁がした娘に逢いに行くのである。その時には想像だに出来なかったことである。

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