第9話 その少女、走り出す
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
「イッテラッシャイマセ、ますたー」
「お支払いの方は一両日中にお願いいたします」
4月13日午後1時15分、有栖とイリス、そして幾人かの医師の見送りを受け、工業病院を出たセリス。
「支払い……、ああもうっ、めんどくさいわ」
整った美少女であるが、まるで苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべて手に持った傘を一回転。そこに。
「元気になったそうで何よりね、お嬢ちゃん。人間だったら再起不能レベルって聞いたけど」
話しかけてきたのは、バイクにまたがった一人の女性だった。
「ナターリア……」
黒のライダースーツに身を包み、フルフェイスのヘルメットを小脇に抱えた美人のにこやかな笑顔、対して、ブレザーを着た女子高生スタイルのセリスは渋い顔を浮かべ。
「おかげさまで。直せば直る身体だから」
言葉とともに左手を動かす。
かすかに響くモーター音。高圧電流を受けて危機に瀕した機械の身体も、工業病院のサイボーグ専門医達の手によってすっかり元どおりであった。
そして、彼女はジト目でナターリアの顔を見て、一言。
「最初から白旗振り回しのナターリア……」
「仕方がなかったのよ、そもそも私達は黒宝龍会とやる気なんかなかったし。むしろ目を引いたことを感謝してほしいぐらいよ」
「ほんとにー?」
セリスの言葉に開き直るナターリア。そんな彼女をジト目のまま睨み続けるセリス。
そんな視線にも負けず。
「ほら、これからお嬢ちゃんが眠っていた間の出来事を教えてあげる。だからそんな目で見るのはやめてね」
「わかったわよ、手短にね」
「ええ、お嬢ちゃんがやられた後、あの子はぬいぐるみと一緒に黒宝龍会の連中に連れていかれたわ、様子を見ていた情報屋のケイトからの情報ね、すぐに救急車を呼んだのも彼女だから後でお礼言っておきなさいね」
「そうする……」
「ここからが重要よ、あの子が連れていかれたのはN地区のここ」
そう言って、ナターリアは一枚のメモを渡す。
そこに書かれた住所を見たセリスは、渋い顔を浮かべ。
「また、嫌なところに……」
「そう? 順当なところじゃない?」
「そうなんだけど、個人的にあまりいい思い出のないところなのよ、この辺り」
首をかしげるナターリアに答えるセリス。
彼女が見た住所、そこはN地区にある歓楽街の一つ、夜になると路地裏には風俗嬢が立ち並ぶような界隈である。
そして、その住所は雑居ビル。地図上ではただの飲食店であるが、黒宝龍会が運営する闇カジノが存在しているビルであった。
「もしかして、こっぴどくカジノで負けたとか?」
「違うわよっ! 全く別件よっ! ここでの嫌な思い出は!」
否定するやいなや、セリスはナターリアの後ろからバイクにまたがり。
「さ、やってちょうだい」
声とともに指をさす。その手は正確にN地区の方向を指していた
「何平然と人の愛車に乗ってくるの? この機械娘はっ!」
「連れて行ってくれるんでしょ、ほら、はやく」
「ああっ、コラ! やめろ! ポンコツ機械娘!」
手に持った傘で、バイクのマフラーをカンカンと叩くセリス。そんな彼女の行動に苛立ちがつのり、口調がどんどん荒くなる。
「と、いうか、なんなのその傘? こんな晴れてるのに、ついに脳がおかしくなった?」
矛先は、彼女の手にしたそれに向いた。
しかし、その質問にセリスはパァッと笑みを浮かべ。
「聞きたい? ねぇ聞きたい?」
待ってましたと言わんばかりにナターリアの顔を覗き込んでくる。
その様子に、開けてはいけない箱を開けてしまったと頭を抱えるナターリア。しかし、こうなるとセリスは止まらない。
「これはね、世界中のスパイが使っている傘なのよ。普段はただの雨傘だけど、今日のような晴れた日だと日傘にもなって、でも、それだけじゃないの」
彼女の答えを聞かないまま、ベラベラと喋り出す。
「なんとこの傘の生地、防刃コーティングされていて、ちょっと切りつけられたぐらいじゃ傷もつかない! そして電気も通さないからいざという時の守りにも使える!」
途切れることなく喋る彼女をよそにナターリアは思い出した。そういえば以前、深夜の通販番組でこんな傘紹介していたな、と。
どんな層が買うのか疑問であったが、まさかこんなところでその疑問が解決するとは思ってもいなかった。セリスのようなちょっと方向性を間違った人向けだったんだと。
そう一人納得している間にも、セリスの商品紹介は続き。
「で、今こそ必要と思ったから、さっきイリスに届けさせたのよ。これで万全だわ」
イリスも災難である。彼女が着るブレザーと一緒にクローゼットの隣に置いてあった箱……未開封だった傘を取りに行かされていたわけなのだから。
「そ、そう……。じゃあ、行くわよ」
力のないナターリアの声とともに、バイクは一路走り出す。彩玉最大の暗黒街、N地区へと。
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