通信講座「心の扉」
篠岡遼佳
通信講座「心の扉」
「通信講座「心の扉」……?」
「そう。扉。なんか歌詞みたいだよね」
友人と私は、いつものように公園のベンチで話し合っていた。
並ばずして買ったタピオカミルクティーを片手に、頭を寄せ合って、その雑誌を読み上げる。
「”悩み事、心配事、困り事はありませんか。あなたの話を心を込めて聞きます”――ねぇ」
私が言うと、
「あんた最近よく眠れないっていってたじゃない。心配事があるなら適度に聞いてもらったら?」
などと言うので、ふむ、と私は腕を組んだ。
「月額3000円ってところが絶妙だね」
「予約すれば、ひとつき何回でも大丈夫なんだって」
それは心惹かれる情報だ。
確かに最近、寝付きも夢見も悪い。
睡眠は生活の基盤だと思っているので、私はとりあえず、生活費から3000円をひねり出す算段をした。
で、ダンボールに入ってやってきたのは、なんだかお札のようなものだった。
そもそも、通信講座なのに、なぜ相談を受けてくれるのか謎だ。
とりあえず、お札は枕の下に置いて、そしてその枕で眠るだけという。
話を聞くのに、寝る???
因果がさっぱり不明だが、まあ、とりあえずやってみることにする。
お風呂に入って、ゼラニウムとローズマリーをアロマディフューザーにちょっと垂らす。
いつもどおり適当にストレッチをして、眠たくなってきてから、ベッドに入った。
念のため、パジャマではなく、外には出られる部屋着の格好をしておく。
今日は眠れるだろうか、と思う間もなく、なんとなく枕がいつもより頭に吸い付くな、と思っていたら――
――ふと気がつくと、私は割合柔らかな椅子に座っていた。
周りは闇。真っ暗だ。でも、自分の姿は見える。
「こんばんは、はじめまして」
ふっ、と電気がついた。
皓々としたものではなく、チェストの上にのせてある小さなスタンドライトの暖かな明かりだった。
それに半身を照らされているのは、同じように椅子に座って、私を優しく見つめる男性だった。30代後半くらいだろうか。明るい色の髪に、不思議な色の瞳。
なるほど、この人は、こういう場所をどうにかするちからを持った人なのだな、と直感する。
「は、はじめまして……」
「まず、お名前ですが、
「は、はい、合ってます……けど……?」
なんで? というのが顔に出ていたのだろう、男性は笑って、
「ここに呼んだのは私ですから、ちゃんとわかってますよ」
などと、なかなかすごいことを言う。
「じゃあ、あなたのことはなんと呼びましょう?」
「ああ、私のことは、先生でも、コウでも、さん付けでも、なんでもいいですよ」
「じゃあ、コウ先生」
「はい」
「ええと……私は……」
「はい」
話そうとするとまとまらないものだ。
先生はそっと微笑んだまま、こちらを見ている。
待ってくれているのがわかったので、私はとにかく話してみることにした。
「最近、よく眠れないんです。寝付きも悪くて……夢もあんまりいい夢を見ません」
先生は頷きながら、チェストの上の紙に、さらさらと私の訴えを書いていく。
「で、先生のことを友人に聞いて……とにかく来てみたんです」
「なるほど。眠りの問題ですね」
「はい」
先生はじっと私を見つめると、
「――そうですね、それは、あなたのはじまりの日の悔恨が原因でしょう」
さらっと先生は言うと、
「目を閉じてみてください。その日まで遡りますから。三、二、一」
すっとすべての感覚が遠のいた。
そして、元に戻ったとき、私は確かに、はじまりの日にいた。
思い出す。
朝日。カーテン。焼きたてのパンの匂い。
あの日は起きるのが遅くて、パンを焼いたけれど食べそこねたんだ。
あわててシャツとスカートを選んで、一番簡単な化粧をして、ドアを開け、鍵を閉めて、エレベーターに乗り、一階について走った。
そして、私は出会い頭に車と衝突した。
後悔というものが 心の水底で幾重にも重なり
ただ私をこの世界にとどめている
先生が私に語る。
「――後悔はなくせません。時間が巻き戻せないように。
なにより、あなたの心がそう思っているからです」
はじまりの最後の日を思い出して泣いてしまった私に、ティッシュの箱を差し出してくれながら、先生は言った。
「幽霊の生活も、さほど悪くないとは思いますが、
けど、そうではない部分もあるから、あなたはここに来てくれた」
そう、幽霊でいて楽しいのは最初だけ。
「存在しない」ことがどんなことかなんて、想像したこともなかった。
並ばずになんでも買えるけど、それはそれ以上の意味を持たない。
ああ、次の世界に行くのは怖いけれど、今の世界に居ても虚しい。
先生はまた微笑んで言った。
「時間も頃合いですから、今日はこのくらいにしましょうか。
どうしましょう。もうしばらく続けますか?」
「なんかカウンセリングみたいですね」
「合ってますよ。私は退霊士でカウンセラーですから。それが得意分野だったので」
「――もしかして、先生は、誰かを待ってるの?」
「いいえ、僕はここにちゃんと相談所を構えてるんです。
『真野森相談所』という名前です。
困ったらいつでも来てください。予約は随時受付中ですよ」
先生はそう言って、私にそっと手を振った。
そうか、その指輪は、ちゃんと誰かとおそろいなんだね。よかった。
私は一つ頷くと、するりと夢の相談所から抜け出る。
――ゆっくりと目を開けると、いつもどおりの天井が見えた。
ふと先生の柔らかい笑顔が浮かび、目を閉じる。
――……そうか、かなしみは、自分で融かすことを、選ばなければいけないんだな。
後悔よりも、誰かに語れたのが久しぶりだった。
優しさに触れると、涙もろくなるらしい。
この実体のない身から、また涙があふれた。
通信講座「心の扉」 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka
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