第30話「『男子会議』の開会許可を願います!!」

「なんだ、ブリッジには案内してくれないのか」

 艦長室へと通され、ソファー席にどっかりと座り込んだオーデルは不服そうだった。


「ははは、我が艦のクルーは優秀です。『我々』が居なくとも、既にこの艦は空域から脱出し、巡航速度で連邦本部を後にしています」

 言いながらタイラーはオーデルの対面に座り、横に座るパラサとルウを見ながら示して見せた。


「我が艦ではパラサ大尉が航海長としてその舵を、ルウ中尉が戦術長としてその火器の総責任者として従事しています。実際、連邦本部まで舵を握っていたのは他ならないパラサ嬢ですよ」


「なんと! パラサ! 生徒会長を務めておるのは知っておったがこんなにデッカい艦の舵を取っておったのか!! さすが儂の孫じゃ、がっはっはっは!!」


 当のパラサはなんとも居心地の悪さを感じていた。目の前には祖父であるオーデルに並ぶ形で、母のルート、そして妹のエリサも並んでソファーに座っているのである。これではまるで授業参観か三者面談のようだ。


「この後の段取りは『予定通り』か?」

 不意にオーデルは鋭い眼光をタイラーへ送った。


 この公開三者面談のようなパラサに酷く居心地の悪い空間はその実、今や連邦本部と袂を分けた軍閥のトップ会談にも等しい場なのである。


「ええ、この後この『つくば』は徐々にその高度を上げ、衛星軌道上で『こうべ』及び『けいはんな』と合流し、そのまま月を目指します」


「なんともまあ、用意周到よな」


「それを見越して地球連邦軍の主力艦隊のほとんどを月に集結させていたオーデル元帥には遠く及びませんよ」


「そのように儂らを『誘導』していた癖によくもまあ言いよる。まあ、今後は有能な部下としてその手腕を十分に振るってもらうがな! がっはっはっは!!」


 ここまでくれば、事情を全て知っているわけではないパラサでもわかる。この二人はまったく接触せずに『水面下』で同じ目標を持ち、互いの情報網を通じて今回の全ての事を画策した言わば『共犯者』のその『主犯』なのだ。


「はあ、お爺様はもっと『表』で活躍される軍人だと思っておりました」

 パラサはいつものその額に片手を当てるポーズを取りながら、底知れないタイラーと他ならぬ自分の祖父に対する印象を何とか自分が認知している印象と結びつけようとした。


「パラサ嬢、戦場とは何も表に見えるだけのものではない。その実このように『裏』で勝敗は事前に決している事が圧倒的に多いものだ」


 言いながら、ソファー席に一番近いカウンター席で優雅な手つきで紅茶を口に含みながらジェームス艦医長は言う。


「まさかジェームスもこの『つくば』におるとは居るとはなぁ。銃も撃たない藪医者が偉そうに言いよる」


 なんとオーデルとこのジェームスは既知の間柄だった。「その藪医者に全身何十針と縫われて一命を取り留めたヘボ軍人は誰だったかな、最近物忘れが激しくなってきたようだ」と言われて、「そりゃ儂だの。がっはっはっは!!」とオーデルは豪快に笑っている。


 ちょうどその時、艦長室へ入室を求める声が響く『シド・エデン軍曹、他一名入ります!』と、タイラーが呼び出した数名のクルーの内の一人だった。即座にタイラーは入室を許可する。


「入れ」


 艦長室の自動ドアをくぐったのは、ルピナス・ツクバを肩車に乗せたシドだった。


「ほらルピナス、もう着いちまった。降りてくれ敬礼もできやしない」


 言いながら屈み、ルピナスを肩から降ろすシドである。


「敬礼不要、楽にせよ」


 その言葉に応えたのは意外にもオーデルだった。シドの肩から降りたルピナスは、軽い足取りでたたたと走り、ジェームスの隣の席にちょこんと座る。


「はっ! 恐縮です元帥閣下」

 シドはそのまま各々が座るソファーの真ん中にあるサイドテーブルの真横の2mほど前まで進むと休めの姿勢を取った。


「その幼子が例のフォース・チャイルドだな、するとこの男は?」


 問われたシドは即座に応えようとするが、その声を遮って席を立った者があった。

「自分は、『つくば』技術科、技術長……」


「私から紹介させてもらっていいかしら?」

 タイラーの隣に座っていたパラサである。彼女はソファーから音もなく立ち上がると、シドをじっと見つめ、そのままシドの隣に立つ。


「シド・エデン軍曹。この艦の技術科、技術長。私が結婚を前提にお付き合いする予定の男です」


 そのパラサのセリフに、艦長室が一瞬で一触即発の緊張感が走る。


 自己紹介を途中で中断され口を開いたままだったシドは突然の事態に脂汗を流す。何を言い出しているのだこの隣の女は。正気か、酔狂か、ともかくシドは今まで経験したことのないこの状況にどんな絶対的な危機にも感じた事の無かった言い知れぬ恐怖を感じていた。


 シドはその一瞬で考える。今、艦長に呼ばれて自分は艦長室に来た。それはいい、それはこの艦長室でこの先のミーティングが実施される予定だったからだ。


 その艦長室に向かう途中、同じく艦長室に向かっていたルピナスと偶然居合わせ肩車をせがまれた。それも別に構わない、この『つくば』の艦内においてそれは日常の風景である。


 だが、艦長室に居合わせた人間がいつもとは違う。タイラー、ルウ、ジェームスは艦内の人間であるので別に構わない。それ以外の人物が問題なのだ。まず、先日諜報班が保護し、営倉の前の廊下で初めて顔を合わせたパラサの母ルートと、妹エリサである。


 そして、現在この艦における飛びっきりのVIPであるオーデル元帥が目の前にいるのである。それもオーデルはパラサの祖父に当たる。


 つまり、シドにとって今現在の状況は孫娘が彼氏を家族に紹介するというシュチュエーションに当事者として遭遇しているのだ。しかも今は課業中、つまり仕事中の時間にである。これはシドにとって不測の事態以外の何物でも無い。


 確かにシドは営倉でパラサを逃がそうとした際、その自身の気持ちを改めて認識し、パラサに対して想いを打ち明けてしまっていた。だが、それ以降彼女の『返事』など聞いていなかったのである。このままなし崩し的に今まで通りの関係が続いていくのだと半ば考えていたのだ。


「ほぉう?」


 そして今シドの目の前に居るオーデル・リッツの殺気である。


 オーデルはそんないかにも興味深そうな呟きを漏らすとシドの全身をくまなく見まわした。シドは呼吸が止まり、脂汗が額を伝って顎まで到達し、ぽたりと一滴顎の先から床に落ちたのを感じた。


 次の瞬間である。まず、艦長室への来客を告げるスピーカー越しの音声が艦長室へ響いた。『ランドル・スチュアート中尉、他2名入ります!』


 シド自身と共にここへ呼ばれているランドル、ニコラス、クロウである。当然タイラーは即座に入室を許可する。


「入れ」

 と、タイラーが答え、自動ドアがその内部の機械の駆動音を響かせながら開いた刹那である。


 オーデル・リッツのその巨体がソファーの真ん中、ルート・リッツとエリサ・リッツの間から消えた。少なくとも、今その瞬間までオーデルを見ていたつもりのパラサからは彼が忽然と消えて見えた。


 その姿を視界で追ったのはこの室内で5名。タイラーとその隣のルウ、義理の娘に当たるルートと、知己の友人をよく知るジェームス。そしてシドである。


 彼らはオーデルが全身のバネを利用して天井まで飛び上がり、天井を蹴った所までを知覚した。


 瞬間、シド以外の知覚者はオーデルの行動の意味を瞬時に悟り、『何もしない事を選択』した。天井を蹴ったオーデルはその勢いをそのままに、身を翻してシドへと迫った。


 ランドル、ニコラス、クロウが開く自動ドアの隙間から目撃したのはまさにその瞬間であった。オーデルはそのいつも自身の手で持つ刀を抜き放つと同時にシドへと振り下ろしていた。


 これに反応していた者が2名いた。シドとクロウである。


「クロウ! 俺は無事だ! ゆっくりその銃を下せ!」


 シドはその振り下ろされる直前のオーデルの両手を、一歩前に前進してタイミングをずらし左手に受け止め、なんとオーデルの大上段からの斬撃を発生させる前に受け止めていたのだ。


 クロウはオーデルがシドに切り掛かっている瞬間刹那、銃を抜きオーデルに構えていた。


「今の大上段を止めるか、無刀取りとはな。いいだろう、孫娘との交際を許可する」


 言うなり、オーデルはシドの左手を払うと静かにその抜身の刀を納刀した。シドの右腕はパラサを庇うためにパラサの体の前に大きく伸ばされていた。


 オーデルの納刀を確認したクロウも、シドに言われた通りにゆっくりと銃を下す。


 クロウには状況が分からない。またその老人がシドに切り掛かるか分からないと考えたクロウは銃を下しながらも、いつでもまた照準できるように銃は握ったままだ。


 そんなクロウをオーデルはしばし観察し口を開いた。


「クロウ少尉、だったな。あの刹那に仲間を救うために儂に銃を向けたか。貴様には『英雄』の素質がある。先ほどの人型兵器のパイロットだったろう。前言を撤回する、パラサは貴様にはやれんようだ。エリサで良ければくれてやる」


 そこまで聞いたクロウはようやくオーデルがシドに対してもう攻撃しない事を察したが、この老人が今口走った事の意味は分かっていなかった。


「何がどうしたって?」

 クロウは言いながらようやく銃を腰のホルスターへ仕舞い始めた。


 オーデルが言う英雄の素質とは、ランドルがこの艦長室へ至るまでの道すがらクロウに見出した可能性を的確に表現した一言だった。


「ともあれ、これで呼び出したクルーは全員揃いました。オーデル元帥を含めてミーティングを始めてよろしいですか」


「よかろう」


 タイラーの声にこたえてオーデルは肯定する。だが、シドもクロウも納得がいかない。一連の事態はともかく自分たちの感情は置いてけぼりであると思えた。


「艦長! 意見具申よろしいでしょうか!」


「シド軍曹。発言を許可する」


 そこでシドはすかさずタイラーに提案した。

「はっ! 『男子会議』の開会許可を願います!!」


「ブフッ!! シド軍曹! 何を!?」

 その発言に思わず噴き出したのはルウである。パラサ他、リッツ家の人物たちはシドが何を言っているのか理解できていない。


 この場でその意味が理解できるのは『ゼンブン会』に長く所属しているものだけである。『男子会議』とはゼンブン会の会合において、男子が一定以上集まって意見交換したい際に提案し、艦長が許可することによって開催が許可される言わばグループチャットのような会合である。


 主にそれはオタク特有の『超個人的な感想を他人と相談したい際』に用いられた。因みに『女子会議』も存在する。ただし、それは『ゼンブン会』の会合の中のみで実施された言わば地方ルールであり、現実の空間において発案されたのはこれが初であった。


「許可する。この部屋の端っこで実施したまえ。ただし、全員耳だけはミーティングを聞いている事」


「タイラー大佐、その『男子会議』とは何だ」

 当然オーデルはそのようなものの存在は知らない。即座にタイラーへと問う。


「元帥、ご安心ください。井戸端会議のようなものです『思春期の男子特有』の」


「貴官の艦は、自由過ぎはしないか?」

 聞いたオーデルは遠く自身が少年時代であったころの過去を思い出し、思い当たる。


「私は部下たちの自主性を重んじています」


 ちなみに、とジェームスも付け加えた。

「精神医学者であり、この艦のカウンセラーも兼任する私も賛成だな。彼らには刺激が強すぎた」


 この、しれっと言ってのけるジェームスも実は『ゼンブン会』の古参会員だった。むしろ『ゼンブン会』を創設したのはタイラーとジェームスである事をこの艦内において知る者は少ない。


 そこまで聞くと、シドは艦長室の入り口から入ってすぐに右端、ソファー席から最も遠い角の壁際の観葉植物の近くに陣取ると「はっ! ありがとうございます! クロウ、ランドル、ニコラス、ちょっとこっち来い!」と、男子陣に召集をかけた。手招きに応えたクロウ、ランドル、ニコラスはシドのひそひそ声に従って自分たちの両手を組んでラグビーのスクラムのような姿勢を取るとその場に中腰に座った。


「なんなのよ、あのバカたち……」

 その事態の発端の一人であるパラサは、頭に片手を当ててため息を漏らした。


「この艦で艦長は法律です。その艦長が許可した以上は放っておきましょう……」

 言いながらルウもため息を吐いた。


 ちなみに、この現実における『男子会議』はこれが初であったが、この場に居合わせた乗組員によって今後多用されることとなる。


『ちょ、シド先輩。僕はわけがわからないんですけど、今までのところkwsk(詳しく説明してください)』


『とりあえず、こうして話し合える時間だけは確保した。ここまでの流れは俺でもよくわからん。何を言っているかわからねぇと思うが俺も何をされたのか分からなかった』


 ひそひそ声で話し合うクロウとシドに対して、同じくランドルも小さな声で加わった。

『シド班長、僕とニコラスとクロウ少尉は今さっきこの部屋に入って来たばかりで本当に何があったのか理解できていません。見たまま、聞いたままを教えてください』


 ニコラスもランドルと同意見であるらしくシドに促す。


『まあ、聞いてくれ。あ、ありのまま 今 起こった事を話すぜ! 俺はルピナスを肩車してこの部屋に入って、元帥に自己紹介しようと思ったら、パラサにその場で彼氏として紹介されて、元帥に切り掛かられてそれを止めたら交際を認められたんだぜ!』


『えっ?』


『は?』


『……』


 そのシドのセリフに対してクロウとランドルは疑問を返し、ニコラスは沈黙し、しばし考えた後に言う。


『それはそれで問題ないのでは?』


『は? ニコラス、ちゃんと聞いていたのかよ?』


 遮ろうとするシドに対してニコラスは続ける。

『諜報班の情報網では、先日パラサ大尉に対してシド軍曹が告白したという事実が報告されています。つまり、パラサ大尉はその返事に応えただけであり、家族に紹介しただけとも言えます』


『は? どうなってんの諜報班の情報網、あ、ルウか』

 言おうとしたシドは、その場にルウが居合わせていたことを思い出し、あの実は腹黒の少女が即座に諜報班の情報にリークした事を察した。


『じゃあ、問題ないじゃないですか。おめでとうございますシド先輩』

『まったくですシド班長』

 味方だと思っていた男子一同に手のひらを返されてしまったシドは黙り込んでしまった。


「ところで、これからの行動の前に確認したいのだが、シド・エデンと言ったか、彼は技術長であると言ったが、何故未だ下士官である『軍曹』なのかね?」

 そのオーデルの疑問はもっともであった。


「はい、それについては彼が個人的に昇進を拒んでいるためです」

 その問いに対して、彼に対して散々昇進の勧告を行ったパラサは答える。


「ほう、理由は?」


「シドー! 私ちゃんと聞いた事なかったんだけど、昇進を拒んでる理由は?」

 スクラムの外からパラサに言われ、シドは渋々立ち上がる。他の男子たちがシドをニヤニヤとした顔で見上げているのが気に入らない。が、ここで答えないわけにもいかない。


「昔、まだこの『つくば』に配属されていないころ、俺は戦闘機のパイロット候補生でした。その時に僚機のバディーが整備不良の機体に乗って死にました。出発前にお互いに互いの機体を点検したにも関わらず、です。それから俺は整備の道へ転向し、整備不良なんてことが絶対に自分の仕事で起こらないようにという願をかけて、当時の階級であった軍曹のままで過ごす決意をしました! 以上!!」


 答え終わって、シドは再びスクラムへ戻った。その場に居た誰もが知らぬ彼の事情であった。因みに、とタイラーは続ける。


「彼は軍曹と言っても『特務軍曹』です。実質的な階級は中尉に当たります。待遇も処遇もそれに準じています」


『そう言う事情だったんですね、シド先輩。個人的な我儘とか言ってましたけど、それなりに理由がちゃんとあるんじゃないですか』

 スクラムに戻ったシドにクロウは言う。


『ばっか、この艦だから許されてるんだよ。本来なら命令無視だ』


「では、問題ないな。今日以降彼は大尉だ。異論は認めん。彼は将来的にリッツ家に入ってもらう事になる」

 オーデルの言葉である。


 他ならぬ元帥がそう言っているのである。それは決定事項だった。


『シド先輩! なんか言われてますよ。いいんですか?』

 オーデルをただの偉そうなおっさん程度にしか思っていないクロウはシドに問う。


『この状況で俺が何か断れると思うか?』


『まあ、パラサ嬢との実質的な婚約共々無理でしょうね』


『断れば死ぬと思います』


 クロウの問いに問いで返すシドに対してランドル、ニコラスが答える。


『え? さすげに僕が言われたエリサさんをくれてやる発言は冗談ですよね?』

 それを聞いたクロウは言う。


 エリサは昨日からクロウも時々見かけていた。聞いた話ではパラサの妹で歳は14であるらしい。ルピナスよりは女性に見えるがまだまだ幼い少女にクロウには見えた。


『んな、訳あるか。あのジジイがこの場で冗談垂れる顔かよ? 冗談抜きであのジジイはお前とあのお嬢さんをくっつける気だぞ』


『そうなるね』


『死にたくなければ』


 そこまで聞いたところでクロウの耳にタイラーの声が聞こえた。

「では、話をまとめさせていただきます」


 どうやら途中のやり取りを所々クロウは聞き逃していたようだった。続けてタイラーは言う。


「リッツ家としての要求はわかりました。つまり、シド『大尉』及びクロウ少尉の身柄を事態が落ち着いた時点でリッツ家に引き渡せば、全面的な協力をご約束いただける。という認識でよろしいでしょうか?」


「その通りだ」

 見ればオーデルも深々と頷いている。


 事態は自分たちを無視して着々と進んでいるようだった。シドも大尉と呼ばれてしまっていた。クロウは慌てて口を挟もうとするが、タイラーが答える方が先だった。


「シド大尉に関してはそれで問題ないでしょう。本人も好いた相手と一緒に居られる上に出世も約束されたようなものだ。今はなんだかんだと言うでしょうが、まんざらでもありますまい。ただ、クロウ少尉に関しては承服しかねます」


「可能であれば、理由を伺ってもよろしいですか?」

 問うたのはルートだ。


 パラサとエリサの母でもある彼女は極めて冷静に事態を見守っていた。


「クロウ・ヒガシ少尉はロスト・カルチャーです。それだけで彼には莫大な価値があります。リッツ家がそれを利用とすれば彼の意志とは関係なくリッツ家の益々の繁栄は約束されるでしょう。それは協力体制にある私にとっても喜ばしい事ではありますが、彼には彼自身の意思もある」

 そこで、タイラーは一旦言葉を切った。


 ルートがその言葉の意味を飲み込むのを待つように。


 クロウには今この場で言葉を吐くタイラーが、九朗の兄である八郎であるのか、地球連邦軍の大佐であり、この艦の艦長であり、自分たちの親であると公言する男のいずれであるのか図りかねていた。


「私は彼と約束したのです。彼との約束を果たすと。彼との約束を私は未だ果たせてはいません。そして、彼自身がエリサ嬢を選ぶかどうかは彼自身の意思を尊重したいと思う。それは彼女の親である貴女自身も同じでは? ミセス・ルート」


 その実、タイラーはクロウが想像するその全てであった。クロウはほっと胸を撫でおろす。


「ミスタ・タイラー私も同意見です。お義父様もそれでよろしいですね?」


 ルートはこの場でポンポンと自身の娘の行く末を勝手に決める義父の態度には不服もあった。明らかに娘の意思を無視しているからである。


 特にエリサだ。パラサは自分自身で相手を選んで見せた。それを応援出来る事は親として喜ばしい事でもあるからそれはいい、この先あのシドと呼ばれた青年に対してオーデルがどのような試練を与えようとも、二人であれば乗り越えられるだろう。


 それはかつてのルート自身とその夫であったジグルドのように。だが、エリサはクロウを選んだ訳ではない。クロウの事は知らないに等しい。そんな状態の当人たちの意思を無視して進ませる道の先に光があるとはとても思えなかった。だから、オーデルに対しても異論は許さない。そんな決意を込めて彼女は義父に対して「それでよろしいですね?」と問うたのだ。


「う、うむ……」


 その母としてのルートの迫力に気圧されて、あのオーデルが汗を垂らしながら頷いていた。その実オーデル自身も自分の行動に対して少々調子に乗り過ぎたという悔いる気持ちはあったのだ。


「では、シド大尉においてはそのように。クロウ少尉については保留という事で、以後はリッツ家も我々と行動を共にしてくださるという事でよろしいですね?」


「承りましょう」

 そのタイラーに返答をしたのはルートである。


 それを聞くパラサは、実の母であるルートのこの場で初めて見たその一面を図りかねていた。


 パラサにとっての母はひたすらにお淑やかで大人しい女性という印象であった。叔父であるローグの数々の嫌がらせに対して気丈に耐える姿は確かに母の強さを感じたが、この再会した母から感じる未だかつて感じた事のない強さは何であろうかと。これではまるで、とパラサはソファーのタイラーを挟んだ反対側に座るルウを覗き見る。


 友人であるルウを何処か連想させるのである。


 ルウはルートとエリサの救出に当たり、ルートと接触していた。


 無論それは直接的なものではなくルウの部下である諜報班のクルーとその部下を通してのごく間接的なものではある。だが、ルートと信頼関係を持つべきだと考えたルウは自身とタイラーの存在を文通という形でルートに示していた。そして、その姿は彼女に在りし日のルート自身とジグルドの関係を連想させていたのだった。


 そのような事情は勿論この場で語られるべき話ではない。これは彼女たちの心の中に仕舞われるべきささいな、絆とでも呼べるようなものであった。


 因みにこの後、会話に加わる事の無かったランドルとニコラスもタイラーによって新たな任務を与えられていた。それはこれから『つくば』が向かう地点に到着した際、彼らが真っ先に確保すべき『人物』についての情報であった。

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