第2話 「全長3402m、全高650mの巨艦、学園都市型超弩級宇宙戦闘艦『つくば』だ」

 自動車は基地の建物の脇を悠然と抜けながら、海へ海へと近づいてゆく。


 途中九朗の眼には大きな軍艦と思われる艦影も見えたが、九朗が知るどの軍艦の形とも違って見えた。少なくとも2020年代によく見られた軍艦のようなフォルムはあまり見かけなかった。


 代わりに大小さまざまな形で停泊していたのは、どちらかと言えば二次大戦中に主流だった戦艦のようなフォルムを少々流線形にしたような形をしていた。


 二次大戦中に主流だった戦艦と言えば、真っ先に思い浮かぶのは大和型戦艦ではなかろうか、つまり大きな全長を持ち、海から聳え立つような高い艦橋を持つのが特徴である。それは水に浮かべると、水面から高い塔とそれを支える台座がそそり立つような姿となる。


 それが、今九朗が見る海には整然と並んでいる。


 強いて言えばその艦橋は塔と言うよりもシャチやイルカの背びれに近い、まるでそれらの背びれのように3角形を流線形にしたようなフォルムを持っていた。


 思わず車窓に釘付けになる九朗の目に、まるで山のような大きさの建造物が見えた。山のような、と表現したのはそのあまりのスケール感の違いだ。それは人工物と呼ぶにはあまりにも巨大すぎた。


「全長3402m、全高650mの巨艦、学園都市型超弩級宇宙戦闘艦『つくば』だ」


 九朗の視線に気が付いたタイラーが、その正体について教えてくれる。


「え、宇宙って。ここ、海ですよね。まさか、あのでかいの飛べるんですか?」


「ふふ、いい反応だ。飛べるとも。『つくば』は大気圏内から大気圏の脱出・再突入、外宇宙航行まで考慮された超巨大戦艦だ」


 つくばはそのあまりの巨体さ故、専用のドックに他の艦船と離れて停泊されていた。


 九朗はその巨体に、近づけば近づくほどに遠近感が狂うのを感じていた。それはまるで、自動車が巨大な黒い壁に吸い込まれていくような不思議な感覚ですらあった。


 近づくにつれて、そのつくばと呼ばれた巨大な戦艦がただ停泊しているだけでなく、その構造の一部を開放している状態であることに気づく。


 その光景はまるで巨大なクジラが悠然と口を開いて待ち構えているようだった。


 やがて、その口の中に照明が灯っているのが見えた。自動車がゆっくりとその口に吸い込まれていく。九朗は自身が乗る自動車がその口の中に完全に飲み込まれて、初めてそれが船の中なのだと気が付いた。


 自動車が駐車した場所は一見地下の立体駐車場に見えた。違うのは圧倒的な天井の高さと広さだ。だが、駐車場には他にも数台自動車が駐車されており、部屋の片隅に並べられたミニカーのようにその一帯だけ自動車が並んだ光景はむしろ、この船の異様な大きさをより実感させた。


 いつの間に現れたのか、停車した自動車の後部座席の正面には軍服姿の人々が整然と整列していた。あるいは九朗が上を向いてばかりで気が付かなかっただけで、彼らは最初からそこに居たのかも知れなかった。


「ああ、クロウ君。君の名前は目立ちすぎる。これからはクロウ・ヒガシと名乗りたまえ」


「は、はい」


 九朗はその光景に完全に飲まれながらも、何とか言われた名前を反芻した。恐らくは東郷平(とうごうだいら)という名字が目立つと指摘されているのだろう。名字の一部を名乗れと言ってくれたのはありがたかった。九朗の混乱した頭でも覚えやすかった。


「タイラー艦長、お待たせしました」


 ややあって、タイラー側の後部座席のドアが開かれ、先ほどスピーカー越しに聞こえた女性の声が聞こえた。


「ああ、すまない。今行く。総員休め」


 タイラーは、開いたドアに向かって話すのと変わらない音量で話しかけた。


「そーいん! やすーめ!!」

 直後、スピーカー越しに幼くも聞こえた女性の声が辺りに大音量を持って響き渡った。と、同時に自動車のタイヤから座席にまで轟く振動が、ザッ・ザッと二度響き渡った。


「すまないねクロウ君。君は見慣れてはいないだろうが、これも儀式のようなものでね。申し訳ないが、車から出たらそのまましばらく立っていてくれたまえ。なに、ほんの5分程度の事だ」


 九朗はコクコクと頷くとタイラーは「緊張しなくとも大丈夫だ」と声を掛け、するりとドアから外へ降り立った。九朗も唾を飲み込みながら同じドアから自動車を降りる。


 ドアを開いたまま持っている先ほどの声の女性と目が合う。やはり若い。


 九朗には彼女が自分とそう変わらない年齢に見えた。


 彼女はブレザーにセーラー服の襟を付けたような黒い服を着ていた、所々に階級章のような意匠の飾りと、両肩には部隊章であろうか、大型のワッペンが縫い付けられている。


 スカートはやや長さのあるタイトスカートのような形のそれであった。上着と同じようにこちらも黒い。だが、動きやすくするためであろうか、このスカートには長いスリットが入っていた。


 どこか九朗の知るハイスクールの制服を思わせるが、その足元のいかにも重そうな編み上げのブーツが異質だった。


「……こちらへどうぞ」


 少女は先ほどとは打って変わって小さく、九朗にだけ聞こえる声で降り立った自動車の脇を手のひらで示し、九朗にそこへ立つように促した。九朗は促されるままそこへと立つ。


 目の前に整列した群衆が見えた。車窓から見えたよりもずっと多い。群衆はみな正面を向いており、軍帽を深く被っていた。


 だが、その目元こそ見えないものの、並ぶ軍人の列もまた、九朗と同年代の少年少女のようだった。


 彼らは九朗を導いた少女と同じように黒い軍服を身に纏っていた。男女でデザインの違いがあるようで、女子はシングルボタンなのに対し、男子はダブルボタンだった。また、男子もタイラーのように詰襟という訳ではなく、襟はむしろブレザーのそれに近い。今はまだ九朗は知る由もないが、彼らが着るその制服こそ彼らが普段着る常備服と呼ばれる軍服なのであった。


 九朗が指定した位置に立ったことを確認して、運転手の少女は自動車のドアを素早く閉め、群衆の真正面に立ったタイラーの真横へ駆ける。


 タイラーの真横で靴を鳴らしながらぴたりと止まると、大きく息を吸った。


「そーいん! きおーつけ!」


 振動がザッ・ザッと二度響き渡った、先ほど自動車の座席越しに感じた振動は一糸乱れぬ群衆の靴音だった。と、九朗は今更気が付く。


 群衆が休めの姿勢から気を付けの姿勢へとなると同時、号令をかけた少女もタイラーの方向へとほとんど足を動かずに方向転換していた。


「タイラー艦長にぃー!! 敬礼!」


 そこに居る全員が一斉に、タイラーへ向かって敬礼した。九朗は今更、昔兄から見せられた自衛隊の式典を思い出した。そう、今まさに見ている光景はそれと同質のものだった。


 敬礼に対して返礼したタイラーが腕を下した瞬間に群衆も一瞬で手を下げた。全員が先ほどの気を付けの姿勢になったところで、群衆の左端から女性がタイラーの2mほど前まで駆けてきて、タイラーの一直線のところで止まり姿勢を正して敬礼した。


 タイラーが返礼すると、その金髪の女性は透き通るような声で報告した。


「つくば乗組員、総員3399名、事故なし、現在員3399名、健康状態異常なし!」


 聞いたタイラーは頷く。


 九朗はただただその光景に圧倒されていた。ただ漠然と人間が3000人も集まるとこのような迫力になるのだな、と思いながら。


「ご苦労、パラサ・リッツ大尉。リッツ大尉及びアクウ中尉を残し解散。以後当格納庫は許可があるまで立ち入り禁止。以上だ」


 リッツ大尉と呼ばれた金髪の女性は敬礼すると、タイラーの返礼を確認し回れ右をして、群衆の真正面を向く。


「総員、別れ! 以後許可があるまで当格納庫立ち入り禁止!」


 リッツ大尉が言い終わると同時に敬礼すると、群衆が一斉に敬礼を返す。


 リッツ大尉が敬礼した手を下すと同時に群衆は蜘蛛の子を散らすように格納庫の各出入り口に殺到し、あっという間に、この広い格納庫には九朗と、タイラー、運転手をしていたアクウ中尉と、全体の前で群衆に命令を出したリッツ大尉の4人が残された。


「ふぅ、やれやれ。待たせてすまないな、クロウ君」


 半ば呆然としていた九朗は、タイラーに話しかけられてようやく正気を取り戻した。


「リッツ大尉、アクウ中尉、艦内での敬礼を原則禁止という案なのだが、再考してくれないか? どうも私に対してだけ、クルーは未だに敬礼するし、艦に戻る度にこれでは息が詰まるのだが」


 大げさに肩を吊り上げる仕草をするタイラーに言われて、リッツ大尉とアクウ中尉と呼ばれた少女たちは互いに目配せをしてリッツ大尉が口を開く。


「艦長命令であっても、生徒会長権限並びに艦長付士官の判断として承服しかねます!」


 彼女たちの返答を聞いたタイラーは、大げさにため息をついた。


「ふー、常々、承服出来ない命令には従わなくてよろしい、と言っているのが仇となったな」


「ふふふ、艦長にはカッコいい艦長でいて頂きませんと士気に関わりますので我慢して下さい」


 タイラーの傍らに立つアクウ中尉は、ころころと笑った。


 九朗は、リッツ大尉とアクウ中尉、そしてタイラーの関係性について考えていた。恐らく二人はタイラーの部下であり、この艦の乗組員であり、そしてこの自称九朗の身元引受人のタイラー・ジョーンはこの巨大な艦の艦長であるらしかった。


「ええっと、タイラー大佐、とお呼びすればいいですか?」


 いろいろと考えあぐねた結果、そう口に出した九朗に対して、タイラーは気さくに言う。


「私としては、君はようやく巡り合った同郷の士だ。先ほどのように気さくに『タイラーさん』と、呼んでくれるのが嬉しいのだが……」


 ここまで言ってタイラーは二人の少女の顔を見回す。彼女たちは不服な顔でタイラーを睨んでいる。


「どうも、部下たちが許してくれないようだ。艦長と呼ぶといいだろう。それなら誰も文句は言わんさ」


 言い終わるや、タイラーはそっと九朗の耳元に口を近づけ、そっとささやく「二人きりの時は『タイラーさん』で是非頼む」と。二人の少女はそれを聞いてほほを膨らませた。


「ルウに言われた時はまさかと思いましたが、本当に艦長は彼にご執心なのですね。えっと、クロウさんと言われましたか?」


 リッツ大尉に言われて、嫉妬を含んだ嫌みだと感じた九朗も返答に困る。どうしてタイラーがここまで九朗に執着するのか同じロスト・カルチャーであること以外、九朗には見当もつかなかったからである。


「パラサ、困った娘だな。私の新しい息子を虐めてくれるな。お姉さんだろう?」


 タイラーにたしなめられてリッツ大尉は赤面し、そっぽを向いてしまった。お姉さんと呼ばれた事に対して照れているようだった。


「ルウ、パラサ。ひとまずクロウ君に対して自己紹介をしてくれ。彼は君たちの事を何も知らない」


 二人は揃って「はい!」と気持ちのいい返事をすると九朗へ向き直った。


「ルウ・アクウ、17歳。階級は中尉です。タイラー艦長付士官、ええっと、秘書のようなことをしています!」


 ルウ・アクウ。タイラーと九朗を乗せた自動車を運転していた少女はそう名乗った。九朗と同じ歳で小柄な少女だった。


 蒼い、まるで深い海を連想させるような色彩を放つ不思議な輝きの髪の毛を持っていた。その髪の毛をクロウが知る『おかっぱ』のように切りそろえていた。瞳の色は琥珀色で、九朗は見たことのない風貌の人だと感じた。


「パラサ・リッツ、18歳。大尉です。この『つくば』の副官を拝命しています。この艦の中ではタイラー艦長の次に偉いと覚えてくだされば大丈夫です」


 一方パラサ・リッツは、金髪碧眼の容姿に肌は白い。金色の髪は背の後ろまで伸びておりかなり長い。彼女の一挙手一投足に合わせて、まるで金糸のようなその髪が揺れていた。


 二人とも美少女と呼べる整った容姿だった。九朗は内心たじろぐが、わき目でタイラーがニヤニヤと口元を上げているのを見て、ちゃんと自己紹介を返すことにした。


「クロウ・ヒガシ、17歳です。普通の学生ですが、それ以外何をしゃべってはいけないのかわかりません。あ、あとルウ・アクウ中尉。迎えに来てくださってありがとうございました」


 九朗の自己紹介を聞いて、ルウとパラサは目をぱちくりと瞬きした。予想外の答えに面食らっていたようだ。


「ふふ。二人には言っただろう? 彼は頭がいいと。クロウ君、パーフェクトだ。君がロスト・カルチャーであることは彼女たち二人にだけは言っていいし、以後は彼女たちのアドバイスも聞くといい。私が常に一緒に居られればいいが、ここから先はそうも言っていられないだろう」


 タイラーに言われて九朗はそっと胸をなでおろした。どうやらこの二人も九朗の味方と呼んでよさそうだった。九朗にとって、現在の状況は九朗が好んで読んでいた、異世界に転生してしまうライトノベルよりもずっと性質が悪い状況だ。


 何しろ、魔法やら超常の何かによって時空を超えてしまったわけではなく、タイラー達の言葉を信じるのであれば、自分自身の体はとっくに死んでいて、借り物の体に意識を移し替えてもらってようやく生き返った状況だ。


 それらのライトノベルの中には時空や世界線をまたいで自分自身の世界へ帰る主人公たちも存在する。だが、九朗の場合は違う。


 何があっても九朗の知る日常に帰れることは絶対にありえないし、肉親家族、そして友人たちと再会することも絶対に無いのだ。


 今、信じられるのはこの場所にいる九朗の身元引受人となったタイラーと二人の少女だけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る