学園都市型超弩級宇宙戦闘艦『つくば』

佐野信人

第1話 「目覚めたかね? クロウ・トウゴウダイラ君」

 人々が生活圏を、母なる地球からその外へと本格的に拡大した、西暦2526年を元年とする宇宙歴が始まって、35世紀という長い年月が経過していた。


 今や太陽系全域とまでは行かないものの、人々の生活圏は地球近郊の宇宙空間、そして月、更にはテラフォーミングをした火星、さらに火星近郊の宇宙空間と徐々に拡大していった。


 その住処を宇宙へと広げても、人々は未だ争いを捨てきれずにいた。数々の戦火にその身を焼かれてなお、人類は争い、時に勝利し、時に敗北し、それでもなお戦乱と戦乱の間の平和を享受していた。


 宇宙歴3502年現在、人類の活動圏は木星圏まで及んでいた。地球圏の周りのスペース1、火星圏の周りのスペース2、木星圏の周りのスペース3は互いに競いあいながらも、過去の大きな文明・文化の喪失を教訓として、互いに発展していくものであると、漠然と人類は思っていた。


 時に、宇宙歴3501年2月1日、木星圏のスペース3は突如地球連邦政府に宣戦を布告し、マーズ共和国を名乗り、1年以内に自治を認めなければ、武力を持って地球連邦に牙をむくと表明した。


 宇宙歴3502年1月11日、マーズ共和国がその瞬間を虎視眈々と狙っている2月1日の期限まで1カ月を切っていた。


 そのような事情など、知る由もない少年が病室のベッドに横たわっていた。少年には酸素吸引のチューブが口元に繋がれており、それに繋がる機械には呼吸・心拍数・血圧などの情報が表示されている。


 病室には不釣り合いな軍服を着こんだ男が、窓際の白い壁によりかかり、時折少年の表情を見ながら静かに手に持った文庫に目を落とし、音もなく文庫のページをめくる。窓からの日差しが斜に病室を切り取り、軍服の男の顔を濃い影で覆い隠す。男はそれでも窓からの日光で読書を続けていた。


「うぅ……」


 ベッドの少年からうめくような声がかすかに漏れた。それは軍服の男が待っていた瞬間でもあった。


 パタンと、男は音を立てて文庫を閉めると、少年に声をかける。


「目覚めたかね? クロウ・トウゴウダイラ君」


 気だるそうに、少年は目を開けた。しばらく辺りを見渡し、どうやら自分が病室で寝かされていると察すると上半身を起こし、自ら口元から酸素吸引機のチューブを取り払った。


「おかしいな、僕は生きている筈ないんだけどな」


 そんな、独り言とも、男に対する問いとも言えない言葉を吐きながら、軍服の男を視界に入れた。その軍服は、少年の知るいかなる軍隊のそれではない。だが、コスプレのようなちゃちな作りでは無いのは一目で分かる。


 使っている生地が違うのだ、その生地は厚く、そしてその黒は重厚感を伴ってそこに存在していた。


「あんたは? ここは病室のようだから、異世界に転生したって訳でも無いんだろ? じゃああんたは転生後に会うっていう神様とかじゃなくて、人間? それも軍人さんに見えるけど」


 極めて冷静に、クロウと呼ばれた少年、東郷平トウゴウダイラ九朗クロウは声をかけてきた軍服の男に問う。


 九朗には歳の離れた兄がおり、兄は自衛官の卵である幹部候補生学校を卒業したばかりだった。九朗は17歳の高校2年生に上がったばかりであり、26歳であった兄とは10近くも歳が離れていたが、面倒見のいい兄との関係は良好であり、自他ともに仲の良い兄弟であったと、九朗自身も思う。


 そんな、兄が、防衛大学校に入学してから、九朗は度々兄から、「いかなる時も一呼吸おいて落ち着いていれば、活路は見いだせるものだ」と言い聞かされていた。兄に憧れている弟としては、今のような訳の分からない状況こそこの言葉を思い出し、自分を律していた。


「冷静だな、クロウ・トウゴウダイラ君。賞賛に値するよ」


 そのように、芝居がかった事を言いながら軍服を着こんだ男は。背中を預けていた壁から一歩踏み出し、そのままツカツカと靴音を立てながら九朗の隣へとやってきて、九朗の表情を覗き込んだ。


「っ!」


 九朗は息を飲んだ。日差しの濃淡で隠されていた男の表情は、見える位置に来ても尚も仮面に隠されていたのだ。そして何よりも……


「あなた、は……?」


 九朗が日ごろ触れている、ロボットアニメに出てくるキャラクターを思わせる仮面を被っていたからだ。


 その仮面は彼の額の辺りから鼻までをすっぽりと覆い隠している。鼻から下の口元のみが露出しているが、どうしても見る人間はその上の仮面に視線が行ってしまう。その仮面は構造的にゴーグルがそれに近いだろう、ただまるで日本甲冑の顔の部分保護をする部品である面頰(めんぽお、めんぼおとも)を思わせる。


 直線的な線でデザインされた鬼の目元のようなデザインが施されていた。そこからはみ出る彼の髪は金髪である。それも染めた色ではない、どうやら地毛の色であるようだった。


「ふふ、私の名前はタイラー・ジョーンという」


 目元から鼻元まで隠された仮面の下、口元を緩めながら男は言う。彼の仮面の下の軍服はよく見れば詰襟のそれであり、九朗が知る学生服の学ランのような構造をしているように見えた。


 違うのはその詰襟の部分に派手な装飾が施され、階級章のような意匠のワッペンが取り付けられている事、その金色のボタンが、九朗の知るシングルタイプのそれではなく、胸の左右で二列に並んでいるダブルタイプであるという点だ。


「君は、病人という訳ではない。立てるかね?」


 促しながら、タイラーは九朗へと手を差し出した。その差し出された手の袖は襟と同じように金色の縁取りが施された赤い帯のような袖となっており、そこから延びる手は白い手袋で守られていた。


 躊躇いながら、九朗はタイラーの手を取って一歩ベッドから立ち上がった。


「あれ? 左足がある。千切れたと思ってたんだけど」


 九朗は自分の足元を見ながらそんな物騒な事を言い出した。


 と、もう一歩踏み出そうとしたところで九朗がよろけ、タイラーが抱き留める形となった。


「はは、君は本当に私が目覚めた時と同じような反応をするのだな」


 笑いながら、タイラーは九朗がしっかりと立てるようになるまで支えてやる。


「あ、ありがとうございます。えっと、タイラーさん」


 九朗の足元がしっかりと力が入ったことを確認して、タイラーは九朗から手を放し、自身の仮面に触れながら詫びる。


「すまないな、クロウ君。私はその立場上この仮面を外すことが出来ん。まずはそのことを詫びさせてくれ」


 頭一つ高いタイラーの口元と、仮面に隠されていない部分の金髪を見ながら、九朗は密かに興奮を覚えていた。


 彼のような仮面を被る男は、九朗の好きなアニメの敵役ではあるものの、魅力溢れるキャラクターであるという点で、主人公たちをも時に凌駕する名キャラクター達だった。彼らは様々な理由でその正体を仮面によって隠すが(作品によってその理由は異なる)、逆にそのようなミステリアスな様子が彼らに不思議な魅力とカリスマ性を付与していた。


 九朗にとって彼らの存在は、物語の主人公たち以上に強烈な憧れを抱かせる存在である。今まさに、自分の目の前にそんなキャラクター達とそっくりな正体不明な男がいるというのは、九朗のオタク心を大いにくすぐっていた。


「起き抜けですまないが、ともかく私と一緒に来てはくれないだろうか? 私は一応、君の身元引受人という事になっている」


 九朗にとっては何が何だか分からない状況ではあったが、さしあたり、目の前のタイラーという男は敵ではないらしい。何より、九朗にとっては憧れのキャラクターが目の前にいて自分を導こうとしているに等しいシチュエーションだった。


「は、はいぃ!」


 少し上ずり気味に返事をする九朗に、クククと喉を鳴らしながら、タイラーは病室の扉を開いて九朗に外に出るように促した。病室の扉を支えながら、タイラーは片手を仮面の耳の辺りに添え、つぶやく。


「私だ、迎えを頼む」


 仮面はどうやら通信機の役割も果たしているようだ、と九朗は思った。


 連れられて出た病院の外は、寒々しい空気で満ちていた。風に乗って潮の香りが九朗の鼻孔をくすぐった。どうやら近くに海があるようだ。病院を出るときに簡素な靴を貰っていた。同じように九朗の服装は入院着のような簡素な服装のため、風が吹くと寒さが身に染みる。


「すまないな、冷えるだろうがしばらく待ってくれたまえ」


 言いながら、タイラーは手に持っていたコートを九朗の肩へかけた。


「ありがとうございます」


 ほんの数分で、病院の正面ロータリーに黒塗りの自動車が入ってきた。


 大きい、その全長である。九朗が想像している自家用車の長さのおおよそ1.5倍はありそうだった。流石にその正確な全長までは九朗には分からなかったが、九朗の感覚からすれば中型のトラック程の長さはありそうだ。


 黒塗りの外装は傷一つなく、窓の枠やフロントグリル、タイヤのホイールベースなどが銀色に輝いていた。形はセダンタイプの自動車のそれであるが、後部座席が異様なほどに長い。九朗が知るテレビなどで時折見かけたリムジンのような構造に見えた。恐らくは、ベースとなる車種があってそれを改造したものだろう。


 九朗は見たことのないメーカーだな、と思いながら促されるままにまるでリムジンのような高級感漂う自動車の後部座席へ乗り込んだ。


 内装も外装に負けずに豪華だった。天井は広く、白い革張りの座席は座席と言うよりももはや高級ソファーである。


 座席の合間には邪魔にならないように小さなテーブルが備え付けられており、九朗が知るファーストクラスの飛行機の客席のように、そのままここで豪華な食事さえ取れそうだった。


 九朗に奥の席を促しながらタイラーも乗り込むと、振動も音も静かに自動車はゆっくりと病院を後にし始めた。


 自動車の座席は九朗とタイラーを対面とした構造となっていた。車内は快適な温かさに維持されていた。九朗はここにきてようやく一呼吸おけた気持ちになった。


「何か飲み物はいるかね?」


 恐縮しながらもタイラーに促された九朗は、口の中の血のような匂いと、喉の渇きを覚え素直に頂くことにした。


「すみません、水でいいのでいただけますか?」


「口の中が血の匂いで気持ち悪いだろう? 私もそうだった」


 言いながら、タイラーは水のボトルを座席の近くに設置されている冷蔵庫から取り出して九朗へと渡した。


 もらった水を飲みながら、九朗は先ほど病院でタイラーが漏らした「私が目覚めた時と同じような反応」という言葉を思い出していた。


「貴方も僕も同じような経緯を体験した。という認識でいいでしょうか?」


「聡明な男は嫌いではないよ、クロウ君。ここから目的地まで1時間弱。時間が足りるかわからないが、簡単に説明したいと思う。聞いてくれ」


 そこから、タイラーが語ったのは、九朗にとって異世界転生以上のインパクトを与える話だった。


 現在の年は西暦に換算すると西暦6028年であること。現在では西暦はもう使われておらず宇宙歴3502年であること。


 九朗自身は、交通事故に遭い一度死亡し、九朗が生きた2020年代からこの遥かな未来まで冷凍保存されていたこと。


 宇宙歴の前、西暦の最後の辺りの時代で、人類はその文化・文明のほとんどを一度失ってしまっていること。


 タイラー自身も、同じような経緯で冷凍保存されていた死体から再生された人物であること。九朗が同じ年代から冷凍保存されていた経緯から、タイラーが身元引受人となったこと。


「んー じゃあ、僕は死体だったからもう人間じゃあないのかな?」


 九朗の疑問はもっともだった。冷凍保存者は冷凍されている間はあくまでも冷凍葬された死体だった。


「いや、安心してくれたまえ。それが法的な意味であるのだとすれば、再生された人間に対してもこの時代にはきちんと人権が適用される。また、法的に保護されるという意味では現代を生きる人間と何ら変わりはない」


 また、冷凍保存された死体から再生された人間のことを『ロスト・カルチャー』と呼び、それ自体が特別な意味があるという。


「『ロスト・カルチャー』は文明破壊世界事変で失われた歴史や文化を持ち得る重要な存在だ。特に、現代では失われた宗教的な概念を持つという意味で時に危険な存在でもある」


 『ロスト・カルチャー』は旧時代の様々な価値観などを現代にもたらすが、それゆえに狙われることもあるという。


「君が『ロスト・カルチャー』であると知っているのは、私と私の腹心とも呼べる数名だけだ。クロウ君、この事実を私は秘匿とするがいいだろうか?」


 君にも私のような、仮面をつけるような生活はしてほしくない。と付け足したタイラーに対して九朗は素直に承諾した。若干その仮面にも憧れるという言葉を飲み込みながら。


「それと、君の体の事なのだが……」


 言われて、九朗は自分の両手に目を落とした。見慣れた両手。と、九朗は一瞬思ったが、どこか違和感を覚えた。


 左腕の手首の辺りに、切れ込みのような痣が浮かんでいた。


「気が付いたようだね。そこはコネクターだ、痣のように見える部分を手のひらに向かってスライドさせてみたまえ」


 言われた通りに九朗は、右手の親指で左手首の痣を手のひらに向かってスライドさせてみた。


「うわ、これはちょっとグロいな」


 自分の体に対する感想ではないな、と九朗は思いながら、その左手首に露出したどう見ても何か機械を接続するための無機質な穴に生理的な嫌悪感を覚えた。


「じきに慣れるさ。我々の体にはそのように数か所、機械を接続できるコネクターが隠されている」


 言いながらタイラーはこのコネクターについて、おいおい使い方を説明してくれるという言い方に止めた。コネクターが分かりやすい例というだけで本質的な話はこれからだと付け足して。


「君の体は君の遺伝子を使用して培養したクローン体をベースに、無重力化に対応するための措置と、各臓器を補助する目的で血液中にナノマシーンが注入されている。そのナノマシーンを制御生成するための人工臓器も共にね」


 このナノマシーンの効果は多岐に渡り、通常の人間では考えられない体力、身体能力、再生能力をもたらすのだという。


「具体的には、基本的に疾病にはかからないし、四肢を切断されても、止血、そしてカロリーさえ摂取すれば欠損した人体さえ再生する」


 また、エネルギー効率も飛躍的に高まり、この体は一週間に1度の食事でも活動可能であるという。


「うーん。凄すぎて実感が……」


 九朗の感想にタイラーはうなずく。


「まあ、そうだろう。それだけ4000年という歳月は人類に変化をもたらしたということだ。そしてこのような措置を施した人間を『第三世代人類』と呼称しているが、君と私、そしてこれから会う者たちは『第四世代人類』だ」


 九朗は言われて、第三世代と第四世代の違いはどこにあるのかとタイラーに質問する。


「ああ、『第四世代人類』はコネクターなどの外部と接続する機能を除き、その特性を後の子孫に遺伝させる事が出来る人類だ。現在では『第四世代人類』同士の交配が必要だがね」


 言われて、九朗は赤面する。思わず交配という言葉の意味をリアルに想像してしまったからだ。


「ふふ、思春期の少年らしい反応だ。そうとも、これから出会う娘たちとの接し方には気を付けてくれたまえ。私の娘にも等しい者たちだ。息子たち共々仲良く頼むよ」


 そう言うタイラーの顔に九朗は嘘が無いように見えた。仮面はともかく、少なくとも信頼に値する人物ではあるように感じた。


『大佐、間もなくヨコスカ基地に到着します』


 と、若い女性の声が自動車内のスピーカー越しに届いた。タイラーは手元のスイッチを操作しながら返答する。


「わかった、歓談はここまでにしよう。このまま『つくば』の格納庫に付けてくれ。基地本部には寄らなくていい。話は通してある」


 タイラーの返信に『はっ! 了解しました!』と、歯切れのいい返答を返して、スピーカーの声は切れた。


「運転手だ。後で自己紹介させよう。ついでに迎えに来てくれたお礼を言ってあげてくれたまえ」


 タイラーがそう言った直後、車窓から九朗自身が乗る自動車が大きな門を通過したのが見えた。門の脇に控えている守衛がこの自動車に対して敬礼をしている。


 九朗は自分の身元保証人が実は大きな権力を持った人間であることを察した。

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