さくらさんと――――秘密の告白。
僕は学校で過ごしながら、嬉しくてにこにこしていた。
「さくらさんさくらさん、おはよう」
「ねえさくらさんさくらさん、今日はどこで昼ごはん食べる? さくらさん」
「さっくらさ~ん。……ふふっ、呼んでみただけ!」
「さっくらっさんっ。さっくらっさんっ」
「ここで一句 さくらさん さくさくさくらん さくらさん」
そしてさくらさんは今現在、僕の呼びかけに「ぷいっ」と顔をそむけ、頬杖をついている。
僕は土下座も辞さない覚悟で謝った。
「ごめん、砂井さん」
「……も、もうっ。さくらさんで……いいってば。わるぎは、ないんだろうけど……ちょっと、呼びすぎだよ……」
「嬉しすぎてつい……」
さくらさんが少しご機嫌斜めになったのは、僕の呼びすぎが原因だった。周囲の男女の友人たちからは微笑ましいものに対する目で見られている。でも仕方なくない? さくらさんっていうお名前、可愛すぎるし……。
昼休みの1-A教室は、弁当や購買のパンを食べる生徒の談笑で賑わう。
男子も女子もいくつかのグループをつくり、机を集結させて食事している。秋の澄んだ空気が窓から入ってきて、少しだけ肌寒い。
僕らも昼食の準備をしようとしていたのだが、そこへ、声をかけてくる奴がいた。
「見せつけてくれてんじゃん
近寄ってきたのは僕の友達、
「これ以上俺の前でイチャつくんなら破局しろ破局」
「応援してくれてたよな!?」
「俺はおまえらがじれったいから応援してたわけでなあ。前のおまえらはお互い、もじもじしてて手も繋げなかったじゃん? でもなんか最近のおまえら、すげー甘い雰囲気じゃん。名前で呼び合い始めるしよォ……はー、飽きた飽きた。早く結婚して老衰して同じ棺桶の中で死ね」
「……もしかして応援してくれてんの?」
僕が指摘すると、安崎は「るせー!! パン買ってくる」と吐き捨てて教室を出ていった。僕は彼の好物である購買のウインナーロールが売り切れていないことを祈った。
「じゃ、僕らはお弁当食べよっか」
「ん……」
さくらさんの机をふたりで挟んで向かい合う。お互いに弁当箱を取り出して、置いた。それなりに大きい僕の弁当箱に対して、さくらさんのは、なんか小さい。
「いつも思うんだけどさ」
「……?」
さくらさんが小首を傾げる。といってもほとんど傾きがない。10°くらいだ。でもその些細な仕草が可愛くて、かすかに揺れるセミショートの黒髪を思わず目で追う。目元を隠した前髪が少しずれて、さくらさんの潤った瞳がちらりと見える。
僕はなんとなくそれだけで頬が熱くなるような気分になりながら、さくらさんのピンク色の弁当箱を指さした。
「さくらさんって、少食だよね」
「ぁ……うん……。すぐ、お腹いっぱいになっちゃう……」
「もっと食べなとか言われない?」
「んー……。もう、おかあさんとおとうさんには、諦められたけど……おばあちゃんとかには、もっと食べないとおっきくなれないよーって、言われる……」
「さくらさんは今のままでもいいと思うけどね」
身長149cmで、なで肩で、手足もほっそりとしているさくらさんは、自分の肉付きが良くないことを気にしているみたいだったけれど、僕は今のままで全然構わない。全然、可愛いと思う。まあ、仮に、遅れてきた成長期に入っていきなり背が伸びたとしても、それはそれでスナイパーライフルが最高に似合う女性になるからすごく良い。
背が高いさくらさんかあ……。
さくらさんがこの前会ったリンゼさん並みに背が高くなったらどうしよう。あの人、僕より背ぇ高いし。はあ~、高身長なさくらさんによしよし頭を撫でられて~な~。
そんな妄想をしていると、さくらさんが、じっと僕を見つめていることに気づく。
「どうしたの、さくらさん。お弁当開けないの?」
「あっ、うん……」
さくらさんも手元の小さな弁当箱を開けて、蓋を脇に置く。
「お、今日のさくらさんのお弁当はたけのこ入ってるんだ。いいな~」
「今のままって……」
「うん?」
「わたしが今のままでもいいっていうのは……そ、その……い、今のままで、なにが、いいの? ぐたいてきに……」
僕はきょとんとしてさくらさんの目を見る。
さくらさんは頬を桜色に染めて、ちら、ちらと途切れ途切れの視線を送ってきている。
「えっと……具体的に? 背の高いさくらさんもいいけど、今の小さいままなさくらさんも、」
可愛くて好きだっていうことだよ。
言おうとして、言い淀む。
これを言うと、間違いなく周りの奴らに囃されるんだけど……。
例えばもしここに安崎がいて、もし僕が「さくらさんが可愛くて好き」とか言うのを聞かれてしまうと、安崎は奇声を上げながら僕の首を絞めてくるだろう。安崎でなくても、例えばクラスの人気者な女子である鹿島さんに聞かれてしまえば、女子グループに即伝わってきゃあきゃあ騒ぎが巻き起こるだろう。
そして僕とさくらさんは赤面しながら黙って弁当を食べる羽目になるだろう。
まあ、それなりに周りは笑い声とか話し声でうるさいし、小声で言えばバレないとは思うけど……。
「
そんな僕の心の中をまるで見透かしているかのように、さくらさんが口を開いた。
「周りに聞かれて困ることなら……小声で、言って……?」
「あ……」
僕は悟った。
まるで、じゃない。
本当に、見透かされている。
弾丸の軌道を予測するように、僕の内心の言葉も、僅かな手がかりから予想したんだ。
だってさくらさんは、異能のスナイパーだから。
周囲のクラスメイトたちの声が飛び交う。新作のゲームの話や、今食べているパンの値上げの話、上級生のイケメンの話、部活の話、国語の教師がハゲてる話、ゲラゲラ笑い、SNSでバズっているツイートの話、来週公開の映画の話、アーティストのライブに行ってきた話、くすくす笑い、箸が弁当箱の上を転がる音、菓子パンの入ったビニール袋がくしゃりと潰れる音、教室の外から誰かを呼ぶ大声、誰かがそれに返事をする大声、飛び交う雑音、その渦中のど真ん中で、
僕はさくらさんに顔を寄せ、秘密の言葉を囁いた。
「……今のままのさくらさんが、可愛くて、好きなんだ」
さくらさんは、ぴくっと肩を震わせる。
顔を真っ赤に染めあげて、目に涙を溜めながらも……
半分が袖で隠れた手を口元に添え、内緒話のようにこっそりと、僕の鼓膜をくすぐった。
「わたしも……そのままの兵太くんが、優しくて、かわいくて、かっこよくて……好き……っ」
僕は。
たぶん今、めちゃくちゃ緩みきった顔をしていると思う。
伝え合った後で、ふたりして慌てて周囲の様子を窺う。特に異常は見受けられない。僕とさくらさんの密かな告白を誰かに聞かれた様子はなかった。
はあ、と安堵の息をつく。
さくらさんも同じように息を吐いていて、そのタイミングの噛み合いように、お互いきょとんと見つめ合い、そして、声を立てて笑った。
「お弁当、食べよっか」
「うん……。いただきまぁす……」
「いただきます」
箸を取って、食べ始める。母さんの作ってくれたお弁当は冷めてもおいしかった。好きな人と一緒にご飯を食べるのは、やっぱり、いつもより楽しい。
僕とさくらさんの恋仲も、少しずつ進展していて。
いつかきっと、という将来すら、気にし始めてしまう。
だけど、今はとにかく、大好きなさくらさんと一緒にいられる時間を一秒でも長くつくりたいと思った。
◇◇◇
弁当を食べ始めて間もなく、ひとつめの卵焼きを飲み込んだ頃、安崎が教室に戻ってきた。
パンを自慢げに掲げている。
「ウインナーロール争奪じゃんけんバトル、勝ォ~利ィ~」
「お、良かったじゃん」
「へっへっへ。……ん?」
安崎が顎に手をやる。
「なんか、おまえらさっきと微妙に雰囲気違くね? なんかあったか?」
僕は「いや別に?」と目を逸らした。
さくらさんは「ぁぅ……」と声を漏らして俯いた。
安崎は、「フム」と意味ありげに呟いた。
そして僕の背後に、安崎が立つ。
「何があった。白状しろ」
「だから、別に何もないってうわわわわわ首を絞めるな首を絞めるなうぐぐぐ首が首がががが、ギブギブギブギブ参りました参りましたやめてやめてやめておごごごごご」
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