お父さんは一所懸命

はらだいこまんまる

就職祝い

 もう私のお腹はいっぱい。

 つまりは吐くのを我慢していた。

 確かに中華料理を死ぬほど食べてみたい、と言ったけどモノには限度がある。

 うん、調子に乗った私が悪い。

 それにこの店はいわゆる大衆的な町中華で、上等な中華料理の店とはほど遠い。

 ましてや就職祝いの場としては相応しくない。

 いや、私のお父さんの就職祝いとしてならお似合いかもしれない。


「どうした? まだイケるだろ。そうだ、レバニラ炒めと酢豚も頼もうか。となるとビールがないと。どうだ、ナナミも飲むか?」

「冗談はよしこさん。私が十四歳って知っているでしょ。いくら嬉しいからってお父さん、浮かれすぎ」

「何だそれ。ずいぶん古い言葉を知っているじゃないか。冗談はよしこさんなんて」

「今、私のクラスで流行っている。きっと長藤智洋アナのせいに違いない」

「ああ、アイツか。人気あるらしいな」

「それはそれとして、中学二年の一人娘にアルコールを勧めるなんて洒落にならないから」

 私は満腹から来る気持ち悪さを我慢してなんとか会話を続けた。


「ハハ、そんなに怒るな。ナナミがご機嫌斜めなのは食べすぎたからだよ。家に帰ったらお腹のマッサージをしてやるから大丈夫だ」

「元々デリカシーとかはお父さんには期待してはいないけど、ちょっとは乙女心を理解しようとしてもいいんじゃないの。そんなんだからモテないんだって」

「イヤ、お父さんは今でもお母さん一筋だ。今度の職場でバリバリ稼いで伊藤鍼灸接骨院を再建すればきっとお母さんは戻ってくる。絶対に」

「まあ、倒れないようにほどほどに頑張って」

 私は無表情で励ました。


 昔は伊藤鍼灸接骨院といえばこの界隈では結構有名だった。

 お父さん、つまり伊藤康介院長はなかなかの腕っこきで経営も順調だった。

 しかし、お母さんが他に男を作って逃げてしまった。

 それからのお父さんは仕事に力が入らず、治療院も破綻。

 すぐに他の治療院で働くようになったが、院長を経験したプライドが邪魔をしてどうしても周りと上手くいかない。

 職を転々とするようになると我が家の家計も火の車。


 そんな中、資格を活かせて腰を据えられそうな職場を友人から紹介してもらったのだ。

 だから節目として自分のための就職祝いを自分で開いた。

 もちろん私は自分の意志に関係なく強制参加と相成った。


「本当は恩人で友人の吉本も呼んでお礼をしたかったんだが、親子水入らずで楽しんでくれ、と断られてしまったよ。聞く限りだととっても素晴らしい職場のようだし。持つべきものは友。紹介してくれて感謝。捨てる神あれば拾う神あり」

 饒舌に語っているとテーブルにビール瓶二本とレバニラと酢豚が運ばれてきた。


「で、今度の職場はどんな所なの? 長くやっていけそう?」

 お父さんのグラスにビールを注いでから聞いてみた。

「ああ、なかなか良さそうだ。『アラカルト笑顔』って何でも屋さんの名前くらいは聞いたことがあるだろう。最近テレビのコマーシャルをバンバン流しているし。全国展開真っ最中で勢いに乗っているから人手が足りないそうだ」

 そう言うと、お父さんはビールを一気に飲み干した。


「上司に当たる人は? 感じ良さそう?」

 私はそこが最も気になる。

 逆に言えば人間関係さえ良ければ仕事は長続きするはずだ。


「ああ、良さそうな人達だ。この渋谷店は夫婦で経営しているんだけど本当に仲がいい。面接を受けた時も終始笑顔。業務内容の説明をする時もニッコニコしていた」

 手酌でビールを注ぎ、レバニラと酢豚をつまむご機嫌なお父さん。

「じゃあ、そのオーナー夫婦と吉本さんとお父さんの四人でやってくのね」

「そうだ。といっても実際に働くのはお父さんと吉本だけだ。オーナー夫婦は仕事の指令とか金勘定で忙しい」

「雇われは大変ね」

「それでもお父さんの資格を活かせる。出張のマッサージが中心になるようにシフトを組んでくれるそうだ。他には引越の手伝い、孤独なお年寄りの話し相手や退職代行、債権回収など。空いた時間は飛び込みの顧客開拓とチラシのポスティングをするらしい」

「本当に大丈夫なの? なんか嫌な予感がする」

「おいおい、せっかく就職できたんだ。ケチはつけないでくれ」

 お父さんにそう言われると何も言えなくなってしまう。

 しかし、いびつな経営環境を知ってしまうと素直には喜べなかった。


「あっ! いけね!」

 突然、お父さんが大声を出した。

「ナナミ、明日は暇か? ちょっとお父さんの買い物に付き合ってくれ。こういうのはナナミのほうが詳しいだろう」

「そりゃ春休みは始まったばかりだから時間ならたくさんあるけど。何を買いに行くの?」

「スマートフォンだ。仕事で必要だと言われた。業務連絡、お客の住所、日報。そういったのをSNSを通じてやるんだと。明日から使い方の特訓をしておかないと。そうだ、ついでにナナミにもスマホを買ってやろう。お父さんは高給取りになるんだからお金の心配はするな」

「わっ! 本当に! じゃあ明日は朝一番でショップに行こうよ、ね」

 私は満面の笑みでお父さんの手を握った。


 前から欲しかったスマホが明日には手に入る。 

 春休みが終われば私も中学三年生。

 高校受験も控えて友達との情報交換も必要になってくるだろう。

 今年の春はいつもと違ってキラキラと輝いていた。

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