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「司令、今なんと?」


 艦隊司令官から発せられた命令は艦橋内部の音を止めた。


「撤退する! 全速力で戦闘海域より離脱だ!」


「尻尾巻いて逃げろというわけですか!? 一発も撃たずに!」


 艦長の反論はほとんどの艦橋要員の胸の内だった。

 この最新鋭艦が目の前の脅威に対してただ逃げるだけというのは納得できない。帝国の威信を賭けて建造された戦艦がおめおめと逃げ帰るわけにはいかないのだ。


「艦長、彼らは我々の想定以上の遠距離から当てに来ている、それは理解できるな」


「は、はぁ」


「つまり我々は反攻できず、一方的に攻撃されている」


「それは!」


「近づけばいい。しかしそんなことをしてみたまえ、こちらの射程内に入るころには蜂の巣だよ」


 返す言葉が見つからない。まさにその通りだ。

 この間にも、毎分二回の砲撃が本艦に襲い掛かっている。

 決断は急ぐべきだ。


「この情報を本国に報告するのが第一だ。わかったな?」


 ようやく全員が首肯する。

 こうやって議論している最中でも構わずに敵は同航しようと回り込もうとしている。


「全力で逃げる! ただ纏まって逃げても的になるだけだ。各艦をバラバラに逃がせ!」


「Ja」


 通信士はすぐさま指示を僚艦に打電する。


「艦長!」


「取舵一杯!」


 指示を受け取った航海長はすぐさま復唱しながら舵輪をガラガラガラと左に回す。

 舵輪の回転が舵に伝わり、舵がゆっくりと左に回り、三五度の迎角むかえかくが付く。舵が機能する一杯の角度だ。舵に角度が付いたことで舵の左右の水流の速度差による圧力差が生まれ揚力が発生。舵が右側へ引っ張られて艦首が左側を向く。

 シュヴァイクは大きく左に旋回する。後ろに続く四隻の巡洋艦もそれぞれ異なる角度で左に回頭している。上空から見れば航跡が扇状に見えることだろう。


「ルンベル、トゥットガル被弾!」


 敵砲弾を食らったのは最後尾の二隻。こちらも新鋭艦だ。

 最大速力二五ノットを誇るが、そこまで加速しきる前に狙われた。戦艦の砲弾を浴びせられればひとたまりもないだろう。


「ルンベル『我レ航行不能』!」


「トゥットガルからも!」


 悲痛な報告が相次ぐ。

 二隻とも甲板に大穴が開いている。運悪く煙突が集中している中央部に被弾したようで、その下の機関室にまでダメージが来たようだ。それぞれ三本あった黒煙が一つに纏まってしまっている。口径が三〇センチ近いであろう砲弾は巡洋艦の装甲など容易く食い破ったのであった。

 装甲の薄い巡洋艦であるが新鋭艦を一撃で沈めてくる。


「敵六番艦以降の半数が左に転進!」


 急に敵艦隊が二手に分かれだした。

 シュヴァイクは敵戦艦部隊に対して常に反航になるように舵を切っていたので、互いに艦尾を突き合わせて離れるようにしていた。とうとうそれに痺れを切らして追撃に来たようだ。

 レドヴィッツ中将は歯噛みする。このまま見逃してくれたらいいものを。


「取舵だ!」


 またもや辛い決断だ。僚艦の援護などしている暇はない。見捨てて自分が生き残る最善手を打っていくことしかできないのだ。

 シュヴァイクが回頭を始めた頃にはもう本隊から分かれた敵が、二番艦を務めていた巡洋艦ニヒスベルとの間に割り込もうとしている。


「右砲戦急げ!」


 見張員から報告を受けた艦長がすぐに命令を出す。

 シュヴァイクとニヒスベルの間に入ってくるのなら、弾は届く。これが最初で最後のチャンスだろう。

 命令を出した艦長は司令官であるレドヴィッツ中将に「よろしいですね?」と確認をとる。同乗している上官の指示を待たずに反射的に命令出してしまったのだ。レドヴィッツ中将は右に旋回している前部主砲塔を眼下に収めながらコクコクと頷く。


「艦長である君に任せよう」


 自分ではまともに指揮をとれそうにないと判断したレドヴィッツ中将はそう付け加えた。言い終えるとどっかりと力が抜けたように座席に座り込んだ。

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