第七章:十センチ差のすれ違い/08
その日の晩、翔一は先に眠ると言って自室……元は翔一の部屋だったそこに入って行ったアリサの様子を窺いつつ。相変わらず服を脱いでベッドに潜ろうとする彼女にやれやれと肩を竦めながら、自分もまた眠るべく布団の準備を始めていた。
あれから数週間、最初は素っ裸のまま平気で歩き回ったり、そのままベッドに潜るアリサに辟易していたものの。しかし人間の慣れというものは恐ろしいもので、既に翔一もアリサがそんな立ち振る舞いをすることにすっかり慣れてしまっていた。反応といえば精々、こうして肩を竦めるぐらいだ。最初みたいに紅茶を派手に吹き出したりだとか、そういう大袈裟な反応は翔一もしなくなった。
ちなみに、アリサに自室を明け渡した彼の寝床だが。実を言うと、今はアリサと同じ部屋……つまり、元々翔一の自室だった二階の部屋なのだ。
それなりに大きな一軒家なのだから、部屋は幾らでもあるだろうと思うかも知れない。しかし父が死に、母が家を殆ど空けるようになってからは……主に無精の母のせいで、家にある部屋の大半が完全に物置部屋と化してしまっているのだ。他ならぬ母の自室だった部屋でさえも、だ。
まあ、その辺りに関しては多忙による精神的ストレスや、それに父の……彼女にとっては夫か。桐山雄二の死に伴う精神的なショックが大きかったから、その反動のようなものなのかもしれない。だから別に翔一は咎めはしないものの、しかし……アリサがやって来た当初は、本当に困ったものだった。
何せ、肝心の自分が寝る部屋が何処にも無いのだ。リビング周りは割と寒いしあれやこれやで不便だから論外だし、他に空いている部屋といえば……父が死ぬ前から物置代わりに使っていた、エアコンも何も存在しない一室ぐらいなものだ。
とはいえ、ここ最近は夏になると特に蒸し暑い。いや蒸し暑いを通り越して蒸し焼きにしてくるぐらいの、そんな殺人的な暑さだ。流石にエアコンの無い部屋で寝起きするのは生死に関わるということで、これも不可能と判断。
とすれば……必然的に、翔一には彼女の隣で寝るしか選択肢がなかったのだ。
まあ、幸いなことがあるとすれば二つ。翔一が彼女のことを悪く思っていない、いや寧ろ好意を抱いていることと、そしてアリサは本人の性格が性格だけに、隣で翔一に寝られても一切気にしないと言ってくれたことだ。
そして……現状の翔一が抱えている問題もまた、前者なのだが。流石に彼女に隣で眠られると、その……色々と気まずい。アリサが気にしないとしても、翔一の方がだ。色んな意味で気まずい。
だから翔一は最初、不便を承知でリビングに布団を敷こうとしたのだが。しかしそれはアリサに止められた。曰く「あんな場所だと眠りにくいでしょう? アタシは何にも気にしないし、普段通りにしていれば構わないわよ」とのことで。
結局、そんな風なアリサに押しきられる形で、同じ部屋で寝起きすることになってしまったのだった。
とはいえ、流石に彼女をあんなペッタペタな布団で寝かせるワケにもいかないと思って、アリサに元あったベッドを使わせることだけは無理矢理に押し切ったが。彼女が合衆国暮らしで布団に慣れてないという理由はあるものの。しかし本当のところは……朝、目が覚めてベッドから起きて。そして目の前にあられも無い格好の彼女が居る、というのは流石に精神衛生上アレだと思ったのだ。
ということで、ベッドにアリサが寝転がり。翔一がその横……といっても結構距離を離してはいるが。そこに予備で用意していたペッタペタの煎餅じみた布団を敷いて寝ている、といった位置関係だった。
布団を敷いて、寝転がり。先に寝転んでいたアリサが「電気、消すわよ」と言ってリモコンを操作し、部屋の電灯を消す。
そうして真っ暗になった部屋の中、遠くでアリサの立てる寝息を聞きながら……同じく床に就いていた翔一はふと、何気なく物思いに耽っていた。
(……こんな形になりはしたけれど、本当にアリサと同居なんて、僕がして良いのか……?)
思うのは、そこだ。なし崩し的にそうなってしまって、もう何週間も経ってしまっているが。しかし、本当に自分が彼女と同じ家で暮らしていて良いものかと……今でも、翔一は疑問に思っているのだ。
だが、同時にこうも思う。こうなってしまった以上は、もう仕方がないと。今更どうこうする方が却って面倒くさい。それにアリサ本人が構わないというのなら、自分に出来ることはただひとつ。彼女が安心して寝起きできるような場所を、寝床を提供してやること。ただ……それだけだと。
――――とはいえ、流石に風呂上がりに全裸でその辺りをウロウロされたり、裸のまま真横で寝られたりするのは、慣れたといえまだまだ良い目の保養……もとい、物凄く目に毒であることには変わりないが。
とにもかくにも、アリサ本人が良いと言っているのだ。これ以上、自分が悩むべきことではない。
翔一はそう思うと、今の今まで頭の中に思い浮かんでいた思考を外に弾き飛ばした。
だが……その直後、翔一はふとこんなコトを考えてしまった。
(……そういえば、母さんはどうして僕がアリサと暮らすこと、あんな簡単に認めたんだろうか)
色々と、不思議な点はある。幾ら霧子が持ちかけた話といえ、見ず知らずのアリサを家に住まわせる……しかも、事実上の独り暮らし状態にあった一人息子と二人きりで、だ。そんなことを何故、母である桐山楓が承諾したのか、考えても考えても分からない。
それ以前に、あんな早さでトントン拍子に話が進んだことも変だ。まるで、最初から統合軍やそれにまつわる諸々の事情を心得ていたかのような、それぐらいの決断の早さだ…………。
考えても考えても、分からないことだらけだ。きっとこれは、翔一がどれだけ考えたところで答えの導き出せない話なのだろう。少なくとも、母本人に訊いてみないことには。
「…………」
――――いずれ、機会があれば本人を直接問い詰めてみよう。
今のところはそんな結論で疑問に終止符を打ちつつ、翔一は静かに瞼を閉じた。母が何を思って、こんな奇妙な同居生活を認めたのかは知らないが。ひとまず自分は自分の出来ることをしている……そのはずだと、そう心の中で思いながら。
(第七章『十センチ差のすれ違い』了)
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