第七章:十センチ差のすれ違い/07

 そうしてアリサと二人で買い出しに出掛けて、食材もバッチリ補充し。その日の晩に翔一が腕を振るって用意した和食の夕飯は、意外にもアリサには好評だった。

 まあ、これが和食の初体験ではないのだが。和食そのものを食べた経験はアリサ自身もあるらしく、蓬莱島……いいや、正式にはH‐Rアイランドか。ともかく基地の食堂に和食メニューはあったし、それに合衆国に居た頃にも……地元のロス・アンジェルスに住んでいた、幼馴染みのような日系人の男が時たま、下手くそな作り方の和食を振る舞ってくれていたらしいが。しかしアリサ曰く、翔一が振る舞ってくれたそれは、今まで食べたどんな和食よりも美味しかったそうだ。

 これには翔一も満足だった。ここ数日はアリサの手を煩わせっ放しだったから、少しの負い目のようなものを感じていた、ということもある。それだけに、彼女が自分の料理に満足してくれたことは、翔一としてはかなり嬉しかったのだ。何せ、アリサ・メイヤードは彼にとって……と、これ以上を言及するのは野暮というものか。

 何にせよ、アリサは無事に喜んでくれた。最初に料理へ箸を付けた時の、驚きに眼を見開く彼女の顔と。そしてポツリと何気なく呟いた、きっと心の底から湧き出たのであろう、素直な彼女の言葉は……今でも、ハッキリと思い出せる。

「…………凄い、凄く美味しいわ」

 そんな一言を励みに、これからも時たま和食を振る舞ってやろうと――――翔一はその時、静かに心に誓っていたそうな。


 とまあ、そんな風に週末の一日を締め括り。その翌日のことだ。

 その日は日曜日で、当然ながら前日と同じように休日だった。今日は別に買い出しとかは無いからと、翔一は昼前頃からガレージに籠もりきりで、相棒の……蒼い一九九九年式スズキ・イナズマ400のメンテナンスに明け暮れていたのだが。

「……へえ、自分で面倒見るんだ」

 スパークプラグの交換作業をしている最中、翔一はふと後ろからアリサに声を掛けられていた。

「まあね」

 頷きながら、声のした方を小さく振り向いてみると……すると、当然だがアリサがそこに居た。私服の出で立ちは昨日と似たようなものだが、しかし今日はフライトジャケットは羽織っておらず、黒のタンクトップにジーンズだけというラフな……しかし、見方によっては無防備で、そうであるが故に何処か扇情的にも思えてしまうような、そんな出で立ちだった。尤も、アリサ本人は別に視線だとか何だとか、その辺りのことはまるで気にしていないのだろうが。

「何だかんだと年代物になってきているからな。勿論バイク屋に預けることも多いけれど……出来る限りは、自分で面倒を見てやりたいんだ」

 言いながら、翔一は新しいスパークプラグをエンジンにセットし、プラグレンチを使って上手い具合に締め付けていく。

 そんな彼の格好も、アリサと似たり寄ったりな感じで。やはりジーンズに黒いTシャツだけというラフな感じだ。手にはメカニクス製の整備用グローブを嵌めている。最近は段々と気温も上がってきているからか、彼の額には熱気のせいで少しばかりの汗が滲んでいた。

「アンタも好きね、ホントに」

 ま、アタシもヒトのことは言えないけれど――――。

 独り言みたいに呟きながら、アリサは傍らにあった自分のダッジ・チャージャー、その黒いフェンダー部分に寄りかかる。そうして黒く冷たいボディに身体を預けながら、軽く腕を組み。黙々と作業を続ける翔一の後ろ姿を、アリサは暫くの間、じっと黙って見つめ続けていた。

「…………ねえ、ひとつ訊いても良いかしら?」

 そうしてアリサが無言で彼の作業を眺め始めて、二〇分ぐらい経った後のコトだろうか。今まで二人の間にあった沈黙を破り、ふと何気なくアリサがそう、翔一の背中に向かって言葉を投げ掛けていたのは。

 翔一はそれに「構わない」と、傍らの工具箱から取り出したラチェットレンチ片手に、メンテナンス作業を続けながらで頷いた。

「アンタは……どうして、パイロットになろうと思ったの?」

「……前に、ファントムの中で話した通りだよ」と、翔一。「僕は空が好きで、いつまでも飛んでいたくて。それに、僕の力が誰かの役に立てるのならって。そう思って、僕は君と同じ空間戦闘機の、ESPパイロットになろうと思ったんだ」

 彼にそう言われ、アリサはチャージャーにもたれ掛かったまま小さく肩を落とす。

 そして、続けて彼女は翔一にこう言った。

「……アタシが言うのも何だけどさ。言っちゃえば、ヒトと違う特殊な力を利用されているのと同じことなのよ、ESPパイロットなんて」

 ――――と。

 それは紛れもなく、アリサ自身が抱いている思いでもあった。

 ESPパイロットなんてのは随分と有り難がられているが、結局のところ、ヒトにない特殊な力を戦争に利用されていることには変わりない。決して高尚なモノではないのだ。幾ら大層なお題目で飾り付けたところで、幾ら大袈裟な大義とやらを掲げたところで。結局のところ、戦いに利用され、そして使い潰されていくという意味では…………何も、変わらないのだ。

 だからこそ、アリサは翔一に問い、そして今の言葉を告げたのだ。今ならばまだ、後戻り出来ると……ほんの少しの、警告の意味も込めて。

「……まあ、そうかもな」

 が、手を止めない翔一の反応といえばそんな風で。ラチェットレンチを回しながら、次に彼の口から飛び出してきたのは……こんな言葉だった。

「…………ホントのところを言うと、僕の力がどうだとか、誰かの役に立つならって部分は、正直言ってどうでも良いんだ。

 僕はただ、あの時……アリサと一緒にファントムで飛んだ、あの空が。あの時の空が……あんまりにも綺麗で。ずっとずっと、この空の上を飛んでいたいって……そう思ったから。ただそれだけの理由なんだ。結局のところ、僕がパイロットになろうと思ったのは。ただそれだけの、単純な理由なんだよ、アリサ」

 翔一はアリサに背を向けたまま、横顔に穏やかな笑みを浮かべてみせながら、彼女に向かってそう言う。真っ直ぐすぎるぐらいに真っ直ぐで、純粋すぎるにも程がある……そんな言葉を。

「…………そう」

 アリサはそんな彼の言葉に、何処か素っ気ないような調子で頷き返す。

 しかし、遠い眼をした彼女の顔は――――素っ気ない語気とは裏腹に、何処か複雑な表情を浮かべていた。

(やっぱり似てる、コイツとソフィアとは……)

 ――――でも、だとしても。

(二度と、私は繰り返さない。絶対に繰り返したくないの。ソフィアのようなことは、もう二度と…………)

 背にした彼女が、胸の内にそんな思いを秘めていることを。彼女の内心では過去の記憶と、そして複雑な思いが巡っていることに……今の翔一は、まだ気付けていなかった。

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