第五章:グレイ・ゴースト/01

 第五章:グレイ・ゴースト


 ――――≪グレイ・ゴースト≫を、あの黒い戦闘機を見せてやる。

 そう言った要に導かれるがまま、霧子やアリサとともにブリーフィング・ルームを出た翔一が連れて来られた先。そこはつい先刻に地上からエレヴェーターで下ってきた先と繋がっているらしい、とある大きな格納庫だった。

「あり? 要のおっさんじゃん。それに霧子の姐さんにアリサちゃん……と、新入りのあんちゃんまで一緒か。どしたよ、お揃いで」

 そうして要とともに格納庫に入っていくと、そこには濃緑色の作業着を着た整備兵たちに混ざり……何故か一人だけオレンジ色のツナギを着た南の姿が、さっき司令室で出くわした南一誠の姿があり。とすればこちらの姿を認めた彼が不思議そうな顔をして声を掛けてくるから、それに要は「ちょっとな」と反応する。

「彼に……翔一くんに、折角だから≪グレイ・ゴースト≫を見せてやろうと思ってな」

「ああ……なるほどな。でも良いのかよ? 仮にも俺たちの最高機密だぜ?」

「構わんよ。どのみち、既に彼には一度≪グレイ・ゴースト≫は見られてしまっている。ならば二度目も変わらんさ」

「まあ、おっさんがそう言うなら構わねえけどよ。……ってことで、こっちだ。付いて来な」

 そう言う南に誘導され、翔一は要らとともに広い格納庫の中を歩いて行く。

 そんな格納庫の中…………まるで空母のそれのように広大な空間の中では、何十機もの戦闘機が駐機され、群がる整備兵たちの手で整備されている最中だった。 ズラリと並ぶ全てが見覚えのない機体で、間違いなく空間戦闘機。その全てがクロースカップルド・デルタ翼機の……この島に来て最初に目の当たりにした、あの≪ミーティア≫とかいう戦闘機だ。これだけの数が揃えられているのも、ESPでない普通の人間にも扱える機体であることを考えれば納得だ。

 何十機もの≪ミーティア≫が駐機されている広い格納庫を横切って、扉を一枚潜った先。何処か隔離されたような雰囲気すら漂わせている、少し手狭なそこには―――無機質な妖精が独り静かに佇み、その漆黒の翼を休めていた。

 ――――YSF‐2/A≪グレイ・ゴースト≫。

 間違いない。あの夜、あの海岸で目撃した漆黒の戦闘機だ。翼端が上に折れた主翼も、まるで「X」を描くように取り付けられた四枚の尾翼も。白鳥のように長く流麗なシルエットを描く機首も……全てが、翔一の記憶にあるままの姿で。翼を休める漆黒の戦闘妖精は、確かにそこに、翔一の目の前に佇んでいた。

「…………綺麗だ」

 ≪グレイ・ゴースト≫と再びの邂逅を果たし、息を呑み。言葉すら出ないままに立ち尽くしていた翔一が、目の前の翼を目の当たりにして漸く紡ぎ出せた言葉は……そんな、率直な感想だった。

 本当に、綺麗なのだ。ただただそうとしか言えない。この機体は、漆黒の翼は。今まで目の当たりにしてきたどんな鳥よりも、戦闘機よりも美しく、優雅で。しかしそれでいて……ある種の冷たさのような、そんな冷酷さも同居させている。翔一の目の前にある黒翼、≪グレイ・ゴースト≫は確かに、そんな奇妙にも思える雰囲気を漂わせていた。

「アリサちゃんも、前に同じこと言ってたぜ」

 と、まるで心を奪われてしまったかのようにただただその場に立ち尽くし、目の前にある機体を見つめる彼の傍に立ち。南はそう、隣り合う翔一に向かって言う。

「YSF‐2/A≪グレイ・ゴースト≫。ブラックスワン計画の産物にして、人類の切り札。あんちゃんみてーに特別な人間、ESPにだけ気を許す……気難しいお姫様だよ。どっかの誰かさんと同じように、な」

 アリサの方をチラリと横目に見ながら、南は何処か皮肉っぽく言う。

 そんな言葉を横に聞きながら、翔一は目の前の≪グレイ・ゴースト≫をじいっと凝視する。いや、凝視せざるを得ない。どれだけ視線を逸らそうとしても、しかし逸らせないのだから。それほどまでの魅力が……間違いなく、この黒翼にはあった。

 彼が見つめる機体、その機首の側面……コクピットのキャノピー下辺りには「100」と識別用の機番が振られている。その横には、尾翼の――「X」のように配置されている特徴的な形の尾翼、その上半分の二枚に記されているのと同じような、赤い薔薇を模ったエンブレムが一緒になってあしらわれていた。

「あの薔薇模様が、気になるか?」

 翔一の視線に気が付いたのか、南がそう言う。翔一がそれに「ああ」と頷き肯定すると、南はあのエンブレム……赤い薔薇を模ったそれが何なのか、翔一に説明してくれた。

「アレはな、アリサちゃんのパーソナル・エンブレムなんだよ。エースにだけ許された、特別な紋章ってワケさ」

「なるほどな…………。でも、なんで薔薇なんだ?」

「アリサちゃん本人とそれなりに関わったなら、何となく分かるだろ? 綺麗な薔薇には棘がある……ってな。尤も、アリサちゃんの場合は棘どころか、四四マグナムが飛び出して来ちまう始末だが」

「上手いこと言ったものだ」

「だろお? ちなみに俺っち考案なんだぜ、アリサちゃんのエンブレムはよ」

 にしし、と笑いながら自慢げに言う南だったが。しかしそんな彼の背中に……アリサの刺々しい視線がさっきから突き刺さっていることを、果たして本人に言ってやるべきか否か。まあ十中八九、南本人も気付いているだろうから……敢えて言うのはよそう。下手に何か言えば、それこそ藪蛇になりかねない。

「主機はプラズマジェットエンジン、XSSF‐120‐ADX20が双発。可変ベクタード・ノズルも搭載だ。それにディーンドライヴの重力制御とかを合わせ技にしてあるからこそ、大気ゼロ、重力ゼロの真っ暗い宇宙空間だろうが、お構いなしで好き勝手に飛び回れるんだぜ」

 翔一がそんなことを思っている間にも、南は≪グレイ・ゴースト≫に関しての説明を続けてくれている。

 専門的な部分に踏み込みながらも、良い具合に噛み砕いて分かりやすい説明なのは……流石はメカマンといったところだろう。さっき≪ミーティア≫が整備されていた大きな格納庫での、彼に対する他の整備兵たちの反応を見るに、南は整備班長とかの類なのだろうか。さっきからチーフだの何だの呼ばれている辺り、そうであることは多分間違いない。

 何にせよ、この若さでそんな感じの立場に収まっているのだ。彼の実力はかなりのものなのだろう。翔一はそう思いつつ、少しの敬意も彼に抱きつつ。何処かざっくばらんとした性格の割に丁寧な、そんな南の解説に耳を傾ける。

「大気圏内での最高速度はマッハ九・二だ、ヤベえだろ? ちなみにディーンドライヴの重力制御のお陰で、パイロットに掛かるGの負担はめちゃめちゃ軽くなってんだ。殆ど無いと言ってもいいぐらいかもな」

「…………嘘だろ?」

「なんで俺がオメーに嘘つかにゃならねーんだよ」

 南は当たり前のような顔をして言うが、しかし翔一が絶句するのも当然のことだった。

 G――――加速度を示す単位だが、戦闘機パイロットにはこれに耐えることが求められる。分かりやすく言えば、車でアクセルを踏んだ時に感じる圧力。電車の中で立っている時に感じる、進行方向とは逆向きに掛かる力。エレヴェーターが上昇したり下降したりした時に感じる、ふわりとした奇妙な浮遊感……。日常でも感じられるそれらもまた、Gの一種だ。

 通常、一Gで身体に掛かる負担は自分の体重に等しい圧力だ。例えば六Gだと、自分の体重を六倍した圧力が身体にズシンとのし掛かってくることになる。この六Gという数値は、訓練を受けていない人間が耐えられるとされている、最大の数値だ。

 戦闘機パイロットとしての訓練を受けた人間が、耐Gスーツや耐G呼吸法などを駆使し耐えられる限界が……およそ八Gから九G前後とされている。空戦機動中には瞬間的に十四Gだとかも掛かる場合があるが、継続的に掛かる負担という意味では、九G前後が限度といえよう。加速度に耐えられなくなった人間はブラックアウト……つまり貧血状態だ。そんなような症状を起こし、最悪の場合は失神する場合もある。

 勿論、普段からそんな強烈な加速度が身体にのし掛かるワケではない。しかし敵機との格闘戦、いわゆるドッグファイトの最中には強烈なGが否応なく襲い掛かってくる。だから、それに耐えることがファイター・パイロットには求められるのだ。

 故に耐Gスーツが開発されたり、コクピット・シートに角度を付けたりして、パイロットの負担を少しでも減らし……少しでも長く、強いGに耐えられるようにして。或いは最初から耐G限界のない無人機の投入を検討し始めるなど、Gとパイロットの関係は戦闘機に於いて常に課題となってきた。

 だが――――この≪グレイ・ゴースト≫は、そのGの問題を重力制御なんてふざけた手段で簡単に解決してしまっているのだ。南の言うことが本当なら、そういうことになる。

 常識外れにも程がある話だ。故に翔一は困惑し、絶句し……それが嘘でないと分かっていても、思わず南に訊き返してしまっていたのだ。

 南は今、パイロットの負担は殆ど無いに等しいと言った。負担を殆どパイロットに与えない……。つまりどれだけ常識外れな超機動をしたところで、コクピット内でパイロットがGに耐えきれず挽き肉になることはあり得ないのだ。そもそもGに耐えるという概念から解放され、無人機と同等の機動を……人間という思考パーツが優れた判断とともに行う。それがどれだけ凄くて常識外なことなのか、分からぬ翔一ではない。

 が……裏を返せば、そのレベルの兵器でなければ対抗出来ない相手が、レギオンという敵性体なのだ。

 それを思うと、やはり翔一は息を呑むしか出来ない。今まさに地球人類が置かれている危機的状況は、間違いなく自分の想像しているものを遙かに超えているのだ…………。

「あああと、もうひとつ特徴を挙げるとすればだ。まあさっきの重力制御の件といい、≪グレイ・ゴースト≫に限った話じゃあないんだが……アクティヴ・ステルス機能を積んでるってことだな」

「アクティヴ・ステルス?」

「ああ」と南は頷く。「まあ便宜上そういう名前にしてあるだけで、厳密には本来のアクティヴ・ステルスの概念とは違うらしいけどよ。とにかくオーヴァー・テクノロジーを利用した、全く新しいステルスってワケ。というかそれ以前に、F‐22やF‐35みたいな……簡単に言えば、表世界にあるステルス機だな。オメーもよく知ってるアレ。あのテのパッシヴ・ステルスはよ、レギオン相手には全く効果がねえんだ。残念ながらな」

「……そういうことか。だからこんなRCSを全く考えていない、ステルス機に見えない形をしているワケか」

「そそ、そゆこと」

 ニヤリと笑みを見せる南曰く、そういうことらしい。

 初めて見た時から疑問に思っていたことが、彼の解説で漸く分かった。最初からとてもステルス性能なんて無さそうな、鋭角な機体シルエットだと思っていたが……理由は今まさに南が口にした通りのようだ。対レギオン戦に特化した結果、地球外の技術を利用したステルス……アクティヴ・ステルスを導入している。だからこその鋭角にして大胆な、ステルス性を完全に無視した……空力性能を最大級に追求した、そんな異質にも程がある機体構造なのだろう。

(こんな超兵器を使わないと、マトモに相手も出来ない相手……なのか)

 薄々分かっていたことではあるが、こうして現に目の当たりにすると、本当に身震いすらしてくる思いだ。

 だから翔一は言葉の形として口に出さぬまま、胸の内で小さくひとりごちると。その場に立ち尽くしたまま、複雑な視線を目の前の黒い翼――――≪グレイ・ゴースト≫に対し、ジッと注いでいた。

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