第二章:十センチ差の衝撃/03
「…………」
「…………」
軋む扉を潜って屋上に現れた少女、アリサ・メイヤード。そしてそんな彼女の方にチラリと視線を流す翔一と霧子。じいっと見つめてくる先客二人に気付いたアリサが微妙な顔を浮かべて硬直する中、三人はそれぞれ視線を交わし合いながら、しかし言葉を発しようとはせず。遠くから小鳥のささやかな鳴き声が聞こえてくるだけの、そんな奇妙な沈黙がこの場を支配していた。
「……こほん。君は転入生の……確か、アリサ・メイヤードくんだったか」
そんな微妙な沈黙を無理矢理に破ったのは、霧子だった。
何故か誤魔化すような咳払いをして、無理矢理に仕切り直してから彼女はアリサに向かって言う。するとアリサも「え、ええ」という風に、困惑気味ながら頷き返してきた。
彼女が困惑している理由は、きっと翔一がこの場に居たことよりも……寧ろ、仮にも保険医である霧子が、生徒の前であるにも関わらずあまりにも堂々とした態度で煙草を吹かしているからなのだろう。そのことは、二人のやり取りを傍から眺める翔一にだって容易に感じ取れていた。
そんな風にアリサが戸惑いながらも頷き返すと、すると霧子はいつもの調子を取り戻し。フッと皮肉げに薄く笑むと、扉の前で硬直しっ放しだった彼女に向かってこんな言葉を投げ掛けた。
「転入初日の昼休みから屋上にエスケープか。一体何をやらかしたのかな? 君のことだから、下手くそな色目を使ってきた馬鹿な男どもを張り倒した……とでも見るべきだろうけれど」
「アタシを何だと思ってるのよ、本当に……。それぐらいの分別は弁えているつもりです。……ただ、質問責めとか色々、あんまりにも鬱陶しくて。あれじゃあ食事にもなんないから、此処に逃げ出してきたまでのこと。ただそれだけですよ、羽佐間しょ……羽佐間先生」
やれやれという風に肩を竦めるアリサは、何故か最後に言い換えた言葉を引っ込め、言い換えていたが。しかし翔一はそこまで気に留めてはいなかった。
もしかしたらアリサと霧子は知り合いなのかも……とは一瞬だけ思ったが、しかしそれは即座に否定する。合衆国のあちこちを点々としていて、マイアミからやって来たばかりの彼女が、まさか霧子と知り合いだなんて……可能性としては決して否定しきれるものではないが、しかし確率は限りなく低いだろう。
「ああ……納得だ。ああいうのは転入生にとって、ある意味で通過儀礼のようなものだけれどね。確かにアリサくんには耐えられないか」
「そういうことです。……それより」
そんなことを翔一が思っている間にも、二人の会話は続いていて。目の前の霧子から呆れた視線を外すと、アリサは何故か睨み付けるような視線を翔一の方に向けてくる。
というより、完全に睨んでいる。しかし翔一はそんな彼女に対し、あくまで飄々とした態度を貫きつつ。翔一は無言のままで彼女の視線に視線で返す。
「なんで、アンタまで此処に……」
「僕も似たようなクチだよ」
ボソリと呟いたアリサの呟きに、翔一がいつもの調子で言葉を返してやる。
「あの騒ぎが鬱陶しくて、此処に逃げてきた。つまりは君と同じってことだ」
「……そう」
翔一の言葉に納得したのか、小さく頷いた彼女はそのままスタスタと歩き始め、彼の寝転がる位置から少し離れた場所にあるベンチにスッと腰掛けた。今まさに翔一が横たわっているベンチと異なり、完全に日向にあるベンチだ。
アリサはそこに座ると、片手にぶら下げていたコンビニ袋を開き。中に入っていた菓子パンやらの包みを開いて、独り黙々と食べ始める。
「あの
そんな彼女の様子を、横たわったままぼうっと横目に眺めている翔一を見て、霧子が抑え気味な声で問う。それに翔一は「ちょっとね」という具合に頷き返した。
だが、昨日のコトまでは……確かにアレは実際に起こった出来事なのだと、今では自分自身の記憶に自信を持て始めてはいるが。しかし霧子に語ったところで信じて貰えるはずもないと思い、そこまでは敢えて口にはしなかった。
とすると、翔一が真意を言葉に出さないままに頷いたが故に、何か斜め上の勘違いを起こしたのか。それともそういった
「そうかそうか……翔一くん、君にも遂に……ねえ」
「……好きに解釈してください、霧子さん」
こんな調子になってしまった霧子は毎度のことながら面倒で、言い返す気力もなく。まして……彼女の言うことも、なまじ事実ではないと否定しきれないだけに。それだけに翔一は、呆れた調子でそう言い、適当にはぐらかすだけで済ませた。
そうしながら、翔一はまたアリサの方をチラリと見る。
…………やはり、綺麗だ。
何というか、例えるならお人形さんみたいに整った容姿だ。一八五センチの凄い長身だというのに、こうして座っている彼女の横顔は……まるでよく出来た絵画のよう。かといってその背丈に見合わないというワケではなく、寧ろ身長相応の大人びた雰囲気も併せ持っている。アリサ・メイヤードはそんな……不思議な魅力のある少女だ。
遠くの彼女を眺めている内に、やはり翔一は小さく胸を締め付けられるような、そんな奇妙な感触を覚えてしまっていた。昨日、雨の降るあの海岸で抱いた気持ちは……衝撃的な非日常に出くわしたが故の錯覚などではなく。間違いなく自分自身が感じた、紛うことなき桐山翔一自身の感情などだと、今になって改めて実感する。
そうすると、途端に翔一はやれやれと自虐っぽく肩を竦め。そのまま小さく目を伏せてしまった。
――――僕らしくもない。こんなことを思ってしまうだなんて。
「……おや」
そんな風に翔一が、胸の内で小さな自虐めいた思いを抱いていると。すると傍で煙草を吹かし続けていた霧子が、何かに気付いたような声を出して。とすれば彼女はその後で「ふっ、藪蛇は御免だ……。邪魔者はこの辺りでお
「霧子さん? 一体全体どうしたって――――」
彼女が今の今まで吹かしていた、ラッキー・ストライクの残り香が微かに漂う中。霧子が去って行ったことに気付き、閉じていた瞼を開いた翔一が怪訝そうな顔で起き上がろうとすると、
「――――アンタに、話がある」
しかし起き上がるまでもなく、眼を開けた翔一の目の前には、何故だかこちらを見下ろしてくるアリサの顔があって。すると何故か不機嫌そうな、微妙な色の顔色で彼女はそう言うものだから、翔一は何が何だか分からず、一瞬だけ鳩が豆鉄砲を食ったような顔になり。しかしすぐに我に返り、表情を元の薄い表情に戻すと、翔一は逆に彼女に向かってこう言ってみせた。
「奇遇だ。僕も君に訊きたいことがある」
――――と。
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