第二章:十センチ差の衝撃/02

 その後の経緯をざっくりと説明しよう。

 当たり前のことだが、ホームルームが終わったその後の授業、午前中の過程をアリサは翔一の真後ろにある最後尾の席で受けていた。彼女は後方に居るわけだから、翔一からだと彼女の表情なんかは窺い知れなかったが。しかし刺すように強烈な視線だけは翔一も定期的に背中に感じていた。

 そうして黙々と授業を受けていたアリサだったが、授業の合間に入る休み時間が訪れる度に、彼女の席の周りにはとんでもない人だかりが出来上がっていて。そうすればクラスメイトたちよりやたらめったらな質問責めに遭い、辟易した様子ながらも仕方なしに答えていた……のを、アリサのすぐ目の前の位置だから、翔一も聞いていた。至近距離であるだけに当然、質問とその受け答えの内容もだ。

 まあ、その辺りはある意味で通過儀礼のようなものだ。転入生ならば向こう数日はこんな目に遭うのも当然といえば当然で、仕方のないコト……なのだが。あらゆる意味でアリサが異常だったのは、ここからだ。

 というのも、クラスメイトたちだけではない。アリサの姿を一目見ようと、他のクラスや他学年からも野次馬連中が大挙して押し掛けて来ていたのだ。流石に教室内にまで入り込むのは憚られるのか、中にまでは入って来なかったものの。しかし教室の廊下側の窓という窓や、開いた扉から物凄い連中が彼女の方を覗き込んできていた。そんな風な人口過密っぷりなので、二年A組近くの廊下はまるで満員電車の如き寿司詰めの様相を見せていた。

 まあ、アリサの人並み外れた美貌を考えれば、これぐらいのことは無理もないことだろう。

 勿論、昼休みになっても相変わらずアリサの周囲はこんな調子で。完全に困り果てて疲れ果てた様子の彼女を気の毒に思いつつも……翔一はそんなアリサを尻目に、昼休みに入るなり一人でさっさと教室を抜け出してしまっていた。

 そんな彼が向かう先は、屋上だ。この風守学院の校舎屋上は珍しく、生徒が普通に出入り出来る形で常時開放されている。だが夏は暑く、冬はクソ寒いこんな場所へ積極的に来たがる物好きなんて滅多に居らず。であるが故に、常に開放されているにも関わらず、いつ行っても屋上には人気ひとけがまるでないのだ。

 だから、翔一みたいなヒトと関わり合いをあまり持たがらないタイプが休み時間に逃げ込むには、これ以上ないぐらいに絶好の場所というワケだ。

「……ふむ、偶然だね」

 そうして昼食をさっさと摂ってしまった翔一が、独り日陰にある屋上のベンチで寝転がっていると。すると傍にあった扉……屋上と校舎内を繋ぐ扉の、錆び付いた蝶番ちょうつがいがキィッと軋む音が聞こえてきて。とすれば仰向けに寝転がっていた翔一の目の前に映ったのは、広がる青空を背景にこちらを見下ろしてくる、霧子のニヒルな薄い笑みを張り付かせた顔だった。

「霧子さん」

「何をしているのかな、こんなところで」

「別に、ちょっと寝不足なんですよ」

 寝転がったままで翔一がそう答えると、すると霧子は「また独りぼっちでツーリングか、君も飽きないね」と言い、薄い微笑みを浮かべてみせる。

「数少ない趣味なんですよ、僕の」

「だからといって、別に雨の日にわざわざズブ濡れになる為に出掛けることはないだろう? 家に居たって、君にはやることが全く無いワケじゃあないんだから。……ええと、何だったか。あの飛行機を飛ばすゲームだ。アレをやっていれば良いじゃないか」

「……フライト・シミュレーションですよ、霧子さん」

 うろ覚え気味に言葉を浮つかせる霧子を見て、翔一が呆れ顔でそう言ってやると。そうすれば霧子は「ああ、そうだそうだ」と漸く合点がいった顔で、わざとらしく手のひらを軽く叩く仕草なんかしてみせる。

「そうだよ、そのシミュレータをやっていれば良いじゃないか」

 霧子に言われ、翔一はやはり寝転がったままでやれやれと肩を竦めつつ。「気が乗らない時もありますよ」という風に言い返した。

「それに……」

「? それに翔一くん、なんだって?」

「…………昨日は帰る前後の記憶が無いんですよ。抜け落ちてる、欠落してるって言うんですかね。記憶がどうにもおぼろげで、気が付いたら家のベッドに寝転がっていて、朝になっていたんです」

 ――――帰る前後の記憶が、無い。

 アリサが実際に現れたから、あの記憶の全てが嘘だとは、夢の中の出来事だとは思えない。だが……どうやって帰宅したかの記憶が完全に欠けてしまっているのだ、翔一の頭からは。

「おぼろげな記憶、か……」

 そんな翔一の言葉を聞き、霧子はふむと唸り。彼の寝転がるベンチの真横――――屋上の出入り口と繋がっている、突き出たような出っ張りの場所。そこの壁にもたれ掛かった彼女はそっと、胸ポケットから取り出したラッキー・ストライクの煙草を口に咥えると。手持ちのマッチをシュッと擦ってその煙草に火を付けながら、翔一の言葉を反芻するみたく、何処か意味深な風に呟く。

「霧子さん、何か原因に心当たりでもあるんです?」

 真横で煙草を吹かす彼女にそっと翔一が問うてみるが、しかし霧子は煙草を咥えたまま小さく息をついた後で「……いや」と首を小さく横に振り、彼の問いを否定した。

「悪いが、私にも原因は分からないね」

「そうですか……。ところで霧子さん」

「ん?」

「教師が生徒の前で、そんな風に煙草なんか吹かしてても良いんですか?」

 翔一に言われると、霧子はフッと小さく肩を揺らして皮肉っぽく笑い、

「…………ああ、これこそ今更な話だよ。それに翔一くん、他でもない君の前だからね。別に他の誰かが居合わせているワケでもなし、気にすることでも無いだろう? 私と君との仲なんだから」

「かといって、見つかったら面倒ですよ? それこそ他の教師連中なんかに」

「ふっ、それならば心配は無用だよ。この学院で私に逆らえる教師なぞ、誰一人として存在し得ないのだからね」

「それが例え、相手が学院長だとしても?」

「そうだね、例え学院長だとしてもだ。誰であろうと、私に口出しは出来ないさ」

「……時々、霧子さんが本当に単なる保険医なのか、僕には疑問に思えてきますよ」

「ひょっとしたら、真の顔はMIBなのかもしれないね、私は」

「MIB……」

 くっくっくっ、と小さく皮肉げな引き笑いをする霧子の姿を横目に、翔一はむうと唸り。そして彼女の言葉の意味を察し、フッと小さく笑むと。すると翔一は隣で煙草を吹かす彼女に向かって、こんなことを言ってみる。

「ああ、あの映画ですか。メン・イン・ブラック。確かウィル・スミスと、トミー・リー・ジョーンズの。アレは良い映画でしたよ」

「…………別に映画の話題をしたワケじゃあないんだがね」

 しかし、翔一の言葉は何処か的外れだったのか。どうにも困ったような顔で霧子がやれやれと肩を竦める。

 としていると、そんな彼女のすぐ傍でまたキィッと、錆び付いた蝶番が軋む音がして。開いた扉の向こう側から、誰かがこの屋上に足を踏み入れてくる。

「ん……」

 何気なく、チラリと翔一が開いた扉の方に視線を向けてみると――――すると、屋上に現れたのは他でもない転入生の彼女、アリサ・メイヤードだった。

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