第一章:桐山翔一/01

 第一章:桐山翔一



 ――――翔一の意識を現実世界へと引きずり出したのは、ベッドサイドのデジタル時計からやかましいぐらいに鳴り響く、無粋な目覚ましアラームの金切り音だった。

「ん……」

 朦朧とする意識の中、バタンと手で叩くぐらいの勢いで時計の頭にあるボタンを押し、アラームを解除。ともすればもう少し……具体的に言えば、あと五時間ぐらいは眠っていたい欲求に駆られるが、しかし起きねば何も始まらない。更なる眠りへといざなう本能と、起きようとする理性とのせめぎ合い。どうやら今日も無事に理性が勝利を収めてくれたようで、翔一は死んだ魚みたいな目付きをしながらも、なんとかベッドから起き上がることが出来ていた。

 ――――桐山きりやま翔一しょういち

 改めて言うが、それが彼の名だ。普通の基準よりは多少なりとも裕福な桐山家の一人息子として生まれ、今は国立風守かざもり学院に通っている二年生の男子生徒という肩書きを有している。父の名は桐山きりやま雄二ゆうじ、母は桐山きりやまかえで。それが、今まさに眠い目を擦りながらベッドより立ち上がり、まるで幽鬼の類みたいに覚束ない足取りで洗面所に向かっていく彼の生い立ちだった。

 そんな翔一だが、既に父とは随分前に死別している。

 確か五年前だっただろうか。航空自衛隊の戦闘機パイロットだった彼の父親は、訓練中の事故で殉職してしまったのだ。詳しい事情は防衛機密に当たるからと空自は教えてくれなかったが、しかし不幸な事故だったことは聞かされている。桐山雄二はとても優秀なファイター・パイロットであったと同時に、翔一にとっては善き父親でもあった。間違いなく、彼にとって尊敬すべき父親だったのだ。

 また母親は優秀な研究者であり、そして多忙な身の上で。既にこの世を去った父親と違い今も存命ではあるものの、研究の為に世界を股に掛けて飛び回っているのだ。だからこの家に帰ってくることなんて殆ど無く、翔一はこの五年あまりの間、半ば独り暮らしのような生活を強いられていた。この広い家の中で、独りぼっちの生活をだ。

 翔一の住処は天ヶ崎あまがさき市内にある二階建ての一軒家で、ガレージも併設されているそれなりに大きな造りの家だ。そんな広い家の中、たった独りで日々を過ごしていくことは、最初こそ辛かったけれど。でも半年もしない内に翔一も慣れてしまっていた。慣れというのは怖いもので、辛くて寂しくて死にそうだった彼の心は……次第に許容し、当たり前のコトだと認識するようになっていたのだ。誰も居ないこの家で、独りぼっちで暮らしていくことを。

 そんな自宅にある広いガレージの中に、昔は父の車と母の車が一台ずつ置かれていたのだが。しかし父親の車は、事故で彼がこの世を去って暫くした後に。そして母の車も、肝心の持ち主が殆ど日本に戻ってこないから邪魔なだけという理由で、どちらも随分前に売り払ってしまっている。だから今はもうガレージは折角の広いスペースを持て余してしまっていて、片隅にポツンと翔一のバイク……一九九九年式のスズキ・イナズマ400が置かれているだけだった。

「…………っ、ふぅ」

 洗面所で顔を洗い、冷水を顔に浴びせて、翔一は半分眠っていた意識を無理矢理に叩き起こし。そして濡れた顔をそっと上げると、目の前にある鏡を何気なく見た。

 そこにあったのは、当然自分の顔だ。鏡に映るのは少し水気を帯びた、桐山翔一の顔に他ならない。

 彼の顔立ちは、間違いなく端正な部類に入るだろう。深い蒼をした髪は襟足が長く、首の付け根辺りまで伸びていて、その丈だけを見ればセミショートに分類されるぐらいの長さだ。前髪は彼から見て左側だけを掻き上げた、つまり右眼側の前髪を垂らしているアシンメトリー調に整えてある。髪と同じ深蒼の瞳や、少しばかり不健康そうにも見えるぐらいに他人よりも白っぽい肌なせいか、ハーフの類に間違えられることも決して少なくない。

 そんな彼だが、背丈の方は……前に計測した時の記憶が確かなら、一七五センチのはずだ。キリのいい数字だから覚えやすくて、パッと思い出せる。

 割に高めといえば、日本人にしてはまあ高めに分類出来なくもない身長と、そして端正な顔立ちに白い肌。そんな容姿の彼だから、女子受けはまあ良い方なのだが……少しばかり気難しい本人の性分もあって、翔一は決して友達が多い方ではなかった。寧ろ少ないと言っても良いだろう。少なくとも、学院内に親しい友人は居ない。言葉を交わす相手が居ないわけではないが……今の翔一にとって、一番の友は生身の人間などではなく。どちらかといえば無機質な機械の相棒、文字通りに苦楽を共にしてきたイナズマ400だった。

「……それにしても、昨日僕はどうやって家に戻ってきたんだ?」

 鏡の中に映る自分の姿をじいっと凝視しながら、翔一が不思議そうにひとりごちた。

 ――――そう、翔一は覚えていないのだ。昨日のことを、あの後のことを。

 記憶が抜け落ちている、と言い換えた方が適切か。翔一はあの後、どうやってこの家に戻ってきたのかをまるで覚えていないのだ。ハッと気が付いた頃には自室のベッドに転がっていて、そして朝を迎えていた。あの海岸での最後の記憶は、耳鳴りのような凄まじい感覚と、目の前に現れた見たこともない漆黒の戦闘機。そして、その戦闘機に乗っていた…………あの、燃える炎のように真っ赤な髪をした乙女のこと。

「…………夢、だったのか」

 冷静に考えてみれば、あんな荒唐無稽な光景が現実のものとは思えない。きっとアレは夢だったのだろう。というより、そうとしか思えないのだ。SF映画に出てくるような謎の戦闘機なんて、現実に存在しているはずがないのだから。今この世界にあるのはF‐35のようなのっぺりとしたデザインのステルス戦闘機であって、けっしてあんなSFじみた格好の戦闘機じゃあない。冷静に考えてみれば、幼稚園児にだって分かることだ。あんなものが、現実のものであるはずがないことぐらいは。

 しかし――――。

「でも、あのは…………」

 ――――翔一には、どうしても信じられなかったのだ。あの少女が、綺麗な赤い髪をした金色の瞳の彼女が……単なる夢の産物でしかないことが。

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