【4】疑懼の念

 

 鬱蒼たる茂みに囲まれた十三人―――


 死体が少ない方向を選んだつもりだった。それなのに……歩行開始から数十分間、無惨な死体が横たわる道が続いた。そして、スーパーの生鮮食品売り場の陳列棚に並べられている駒切肉と大差ない肉片も散乱していた。


 しかし、悍ましさを感じさせる大地をずいぶんと歩いたいま、周囲三百六十度にわたり、鮮やかな緑色の光景が広がる場所に出られた。視線の先には、三十メートルはあろうかという椰子の木が立ち並ぶ。遥か頭上に幾つもの椰子の実を実らせ、大きな羽状複葉が穏やかな風に乗って時折ゆっくりと揺れ動いていた。


 飲み物が欲しい一同は、歩きながら椰子の木を見上げた。だが、椰子の実に満たされた天然のスポーツドリンクと称される液状胚乳(ココナッツジュース)を飲みたくても無理がある。木登りすらしたことがない都会っ子の自分たち。椰子の実を生活の糧としている現地のひとびとは、両足を紐で固定して椰子の木に登る。当然、十三人にそのような芸当できるはずがない。ゲームに登場するモンスターのように腕が伸びたら……と、現実逃避のような考えを巡らせても虚しくなるだけなのですぐにやめた。


 頭を切り替えた一同は、自分たちにも収穫できる果実はないものだろうかと周囲を見回した。だが、都会の摩天楼を彷彿とさせる高木ばかりだ。水分補給はしばらくおあずけになりそうだ。一同は収穫できそうもない椰子の実から、歩行に意識を集中させた。どこまで歩けば浜辺に辿り着けるのか……物事の視点を変えても気分は上がらない。


唯一の救いは、高木の樹冠のおかげで太陽光が遮られていたので、日照不足により余計な植物が足元に生い茂っていなかったことだ。長時間にわたり歩いているため、足を踏み出すたびに疲れを感じるが、きれいに舗装された街中しか歩いたことがない類たちでも、比較的足場はよいように思えた。なるべくならこの大地がしばらく続いてくれると助かるのだが、そうもいかないだろう。歩き続ければ、険しい地形を知るのと同時に、自然の厳しさを知ることになる。


 「背の高い草が茂ってなくてよかった」と、類は額から噴き出す汗を拭いながら言った。


 森林伐採などの人為的なこと、もしくは山火事などの自然災害によって木々を失った場合、大地が直射日光に照らされる。そのため、下草や低木などの植物が一面を覆い尽くすようになる。そうなれば、いま歩いている大地とは異なり、歩行が困難になる。


 「そのうち、きついところを歩かなきゃいけないこともあるだろうし、ここはまだ歩きやすいよな」と、明彦が返事した。


 「まぁな。だけど、歩行しやすかろうとなんだろうと、早くジャングルから出て、浜辺に行きたいよ」


 多種類の樹木や植物が密生している森林を幅広い意味で一般的にジャングルと呼ぶ場合が多い。しかし、厳密に言うと、もしもここがミクロネシアの無人島のひとつなら、年間の降水量が二千ミリを超える赤道付近であり熱帯雨林である。


 「俺もそう思う。ジャングルよりも浜辺のほうがいい」


 「あれからどれくらい歩いたんだろう?」


 腕時計に視線を下ろした斗真が、類の質問に答えた。

 「約一時間半は歩いてる」


 どれだけ歩けば海にたどり着けるのだろう。類は不安になった。

 「そんなに歩いてるのに海が見えないなんて……」


 肝心な波の音が聞こえない。耳を澄ましても、聞こえるのは、鳥の囀(さえず)りや昆虫の羽音のみ。周囲の木々には、色鮮やかな鳥や蝶が留まっている。赤い小鳥も双翼を休めていた。もしかしたらミツスイ鳥かもしれない。貴重な野鳥を見ても感動すらなかった。それどころか赤は勘弁してほしいとさえ思った。乗客の死体から流れる血を思い出してしまうため、つらい気持ちになるだけだ。


 野鳥から目を逸らした綾香がぽつりと言った。

 「水が飲みたい」


 類は綾香に言った。

 「それを言うな。余計に水が欲しくなる」


 恵が言った。

 「水って単語禁止にしない?」


 綾香は訊く。

 「スコールって頻繁に発生するんじゃないの?」


 類にもわからない。

 「さあな。俺、天気予報士じゃないし」


 由香里が言う。

 「雨が降ったら口を開けて歩きたい気分だよ」


 明彦が椰子の木を見上げた。

 「やっぱり、あれが欲しいよなぁ」


 結菜が明彦に教えた。

 「もし採れたとしても、鉈とか刃物がないとココナッツジュースは飲めないよ。椰子の実の先端を切り落して飲むんだから。けっきょくあたしたちは喉を潤せないのよ」


 明彦は簡単に考えた。

 「石で叩き割ればいいじゃん」


 結菜は無理だと言いたい。

 「スイカ割りじゃないんだよ。液体で満たされた椰子の実を石で叩き割るって超難しそう。ココナッツジュースが全部零れちゃうよ」


 明彦はどうしても椰子の実が欲しい。

 「慎重にやれば大丈夫じゃない?」

 

 光流が言う。

 「その前に誰も椰子の木に登れないから」


 明彦は、確実に椰子の実が手に入る場所を言う。

 「飛行機の墜落現場に折れた椰子の木があった」


 一同は目を見開き、あり得ない……と、言わんばかりに明彦を見た。


 そして光流が、辛辣な言葉を吐き捨てた。

 「正気かよ? あの場所に戻るって? 馬鹿じゃねえの。勉強のしすぎで脳みそがイカれたのかもな」


 明彦はうつむいた。

 (俺だって好き好んで戻りたいわけじゃないよ……)


 翔太が明彦に言う。

 「俺も反対」


 考えだけでも聞いてほしい。

 「だけど……」


 明彦が説明しようとしたとき、結菜が転倒した。綾香以外の女子全員が、ヒールの高いサンダルを履いていた。その中でもひときわヒールの高いサンダルを履いていた結菜は、足が痛くて限界だった。


 「転んじゃった」


 明彦は、以前から結菜を異性として意識していた。ワンピースの裾から覗く、ふっくらとした太腿が気になった。こんなときでも、女を感じる魅力的な部分に目がいってしまう自分が情けない。太腿から目を逸らした明彦は、結菜のそばに歩み寄り、手を差し出した。


 「大丈夫?」


 結菜は、男の本能に気づくことなく明彦の手を握った。そして、手の温もりに安心感を覚えた。

 「ありがとね」


 恵も足をさすった。

 「サンダルを脱いで歩きたい」


 綾香が言った。

 「怪我でもしたらそれこそ大変だよ。得体の知れない虫だっているだろうし」


 類も同じ意見だ。

 「ヤバいことになるより、靴擦れのほうがよっぽどマシだと思う」


 疲れた表情を浮かべた恵は、綾香のサンダルを見てため息をついた。

 「あたしもぺたんこ靴にすればよかった。もう限界」


 綾香は言う。

 「そんなこと言ったってしかたないじゃん」


 由香里が恵の手を握った。

 「大丈夫? あたしも足が痛い。一緒に歩こう」


 恵は由香里と手を繋いだ。

 「うん。ありがとう」


 翔太も大好きな道子を気遣い、手を差し出した。

 「頑張ろう」


 翔太の手を握った道子は、目に涙を浮かべた。

 「そうだね、頑張らなきゃね」


 そのとき、突然、光流が嫌味を言った。

 「ほんと、疲れるよな。飛行機が墜落するツアーに参加したわけじゃないし、誰かさんのせいで散々だ」


 綾香が光流の言葉に顔色を変えた。強く否定して怒る。

 「類のせいじゃない!」


 口を開くたびに言葉に棘がある光流。激しい体力の消耗による疲弊感。やり場のないストレスを誰かにぶつけたかった。


 もう足が棒だ。けれども海は見えない。忌々しいシダ植物やツル植物、おあずけ状態の椰子の実をぶら下げた椰子の木は見飽きた。苛立ちと不安が募る。

 

 「類が胡散臭いモニターツアーなんかに登録したのが悪いんだよ! こんなツアー初めから断ればよかった! この状況こそ、ただより怖いものはないってやつだよ!」


 険悪な雰囲気が漂う。一同はいったん足を止めた。


 純希が光流を非難する。

 「ちょっと待てよ、それはちがうだろ? お前だってノリノリだったじゃん。綾香じゃないけど、類のせいじゃない。てゆうか、誰のせいでもないんじゃないの?」


 斗真も言った。

 「飛行機のエンジンがなんらかの原因で故障した。だから墜落した。類を責めてどうなるんだよ」


 結菜も斗真と同じことを言う。

 「言えてる。類を責めても意味ないよ」


 明彦が光流の精神状態に不安を覚えた。

 「お前さっきからおかしいぞ」


 光流は声を荒立てた。

 「おかしくもなるよ! なんでお前はそんなに冷静でいられるんだよ!」


 明彦は本音を言う。

 「冷静なんかじゃない。俺だって怖いし不安だ」

 

 「そうだよ、冷静でいられるわけないじゃん! うちらだって怖いよ!」と、語気を強めて言った恵は、光流とふたりで遊ぶ仲だ。いまの光流は、明らかにいつもとちがう。この状況が彼を狂わせている。光流の精神と人格が崩壊していくことへの不安を感じた。「怖いのは光流だけじゃない! みんな同じだよ! いつもの光流に戻ってよ!」


 頭の混乱が増す光流。周囲の木々の梢や羽状複葉が自分を捕らえようとしている魔物の手に見えてきた。

 「いつもの俺ってなんだよ! いつもって何を基準にいつもなんだよ!」


 恵の瞳に涙が浮かんだ。

 「光流……」


 恵と手を繋いでいる気の小さい由香里ですら、光流の暴言に我慢できなかった。恵と仲良しの由香里は、ふたりが友達以上恋人未満の関係であることを知っている。恵を想っているなら、こんなときこそしっかりしてほしい。


 「自分だけがつらいだなんて思わないで。あたしだって立っているのがやっとなんだから」


 光流は憤然とした表情を浮かべた。

 「みんな類の味方かよ。もういいよ」


 恵は語気を強めて言った。

 「敵とか味方とわけわかんない! みんな友達じゃん! どうしちゃったのよ!」


 光流が怒鳴り声を上げた。

 「どうもこうもない! このツアーが悪いんだ! 俺たちをこんな目に遭わせたツアーが!」


 光流と恵が口論になる寸前で、類は涙を零した。自分のせいでみんなを危険にさらしてしまった、と後悔の念に駆られていた。責任を感じていたからこそ、はっきりと口に出されるとつらい。


 「俺だってこんなことになるなんて思わなかった! 人生で初めての海外をみんなと一緒に楽しみたかった! 来年は受験で忙しくなるやつだっているし、思い出をつくりたかった!」自分の想いを強調したあと、涙に声を詰まらせた。「本当にそれだけだったんだ……楽しいツアーになるって思っていたのに……」


 純希が、泣き崩れる類の肩を力強く抱き寄せた。

 「お前は悪くない」


 涙がとめどなく溢れてくる。申し訳ない気持ちと、旅客機が墜落した恐怖のせいで、類の涙腺が緩くなっていた。

 「だって、俺……飛行機が墜落するなんて信じられないよ、信じられない」


 翔太が類に言った。

 「いまの光流は気が動転しているだけだ」


 光流は翔太に言った。

 「ここにいるかぎり気が動転しっぱなしだ。俺はさっさと日本に帰りたい」


 あまりの身勝手さに苛立ちを覚えた翔太が、光流の襟首を掴み、声を張り上げた。いつもなら話し合いで解決するはずが、最悪の状況に置かれたせいで感情的になる。


 「そんなのみんな一緒だろ!」


 「いってぇな! 何するんだよ!」


 純希と明彦が、翔太を止めようとして声を張り上げた。

 「おい、よせって!」


 斗真と健も同時に声を張り上げた。

 「やめろよ!」


 殴り合いになる、と慌てた道子は、光流の襟首を放さない翔太の腕を掴んだ。

 「ちょっと待って! 喧嘩とかなしだよ!」


 仲裁に入ろうとした綾香が言った。

 「ふたりとも落ちついて!」


 こんなときに仲間割れをしている場合ではないと思った綾香は、持ち前のリーダーシップを発揮しようとした。


 小学生のころから学級委員長を務め、将来は弁護士を目指す。夢があるのだ。ここで干乾びて骨になるわけにはいかない。


 この厳しい状況に耐えるためには、一致団結が必要不可欠。


 少しわがままなところがあった光流。それに加えて、いまは情緒不安定気味。


 生を受けて十七年弱。長い人生の折り返し地点にすら到達していない若い自分たち。それでもこれだけは言える、生涯ここまで最悪の事態に陥ることはないだろう、と。救助隊もいつ来るのかわからないからこそ、十三人の絆を壊すわけにはいかない。綾香がそれを言おうとしたとき、明彦が先に口を開いた。


 「いまは喧嘩や仲間割れをするよりも、力を合わせるべきだと思う。俺が墜落現場に戻ろうと言った理由は、飢えを凌ぐために椰子の実が欲しかったからだ。人間は水だけである程度は生きられるけど、やっぱりそれだけだと不安だろ?」空を見上げてから続けた。「スコールが多発する時期なのにタイミングよく雨が降ってくれそうにない。現にいま、喉が渇いてかなりきつい。それに、そのうち腹も減る。だからこそ、少しでもいいから口にできるものが欲しい」最後に強調するように言った。「どうしても、生き延びるために―――」

 

 「生き延びるため……」呟いた光流は、屈んで涙を零した。「俺たちは生きてる……」


 明彦は光流を宥める。

 「そうだよ。みんな生きてるんだ」


 類を責めるべきではない。嘆きたいのは死者のほうだと思った。自分は生きている。それに、このままでは自分だけが孤立してしまうような気がした。

 「ごめんな、類。お前に当たってもしかたないのに……」


 泣いている類の背中を綾香が優しくさすった。類とは幼いころからのつきあい。気持ちの切り替えが早いと知っている。そして、それが類の長所であることも知っている。

 「泣かなくていいんだよ。光流と仲直りしよ」  


 綾香が思ったとおり、涙を拭った類は、意志の強い眼差しを光流に向けた。

 「俺たちは必ず生きて帰る。絶対に」  


 うなずいた光流は約束した。  

 「もう取り乱さない。わるかった」  


 類は笑みを浮かべた。  

 「もういいって。俺たちはいつもどおり友達だ」


 殴り合いの喧嘩になるところだった。光流の肩を二回ほど軽く叩いた翔太は、言い争いに終止符を打った。

 「俺もわるかったな」


 光流も謝った。

 「いや、俺のほうこそごめん」


 女子は殴り合いにならずに済んで安堵した。喧嘩を止めようとした道子は、翔太に言った。

 「びっくりさせないでよね」


 好きな子には嫌われたくないので、翔太は素直に謝った。

 「もう喧嘩はしない。怖がらせてごめん」


 「約束だよ」


 「うん。約束するよ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべた綾香は、明彦に目をやった。

 「学級委員長の役割を取られちゃったかな」


 明彦は言った。

 「こんなときまで学級委員長?」


 「絶対にみんな揃って新学期を迎えようね」


 「当たり前じゃん」


 道子が言う。

 「うちら奇跡の生還者として新聞に載るんじゃない?」


 「だろうね」翔太が返事する。「学校でも有名人になっちゃうと思うよ」


 結菜が言った。

 「新学期そうそう体育館で校長の長い話を聞かずに済むかも。だって、あたしたちがステージを独占しちゃうから」


 道子は軽く笑う。

 「うちの校長は話が長いからね」


 翔太は全員に言った。

 「校長の話は聞きたくないけど、絶対に学校に戻ろうな」


 翔太の言葉に一同はうなずく。


 「救助が来るまで頑張ろう」と言った類は、手の甲を向けた右腕を下に突き出した。


 「うん」と返事した綾香が、類の手の甲に、手を重ねた。


 かけ声で一致団結を図るのか、と理解した一同は、つぎつぎと手を重ねていった。


 類は大きな声で気合を入れた。

 「俺たちは絶対に生還する!」


 一同も腹から声を張った。

 「絶対に生還する!」


 類は、こんなときこそムードメーカーになりたいと思った。

 「よっしゃ! なんとかなる!」


 一同も声を張った。

 「なんとかなる!」


 「じゃあ行こう」と、一致団結して笑みを浮かべた類は、歩を進めようとした。


 そのとき、「ちょっと待って。さっき説明したように、墜落現場に戻ったほうがいいと思うんだけど」と、明彦が立ち止まった。


 明彦の言葉に、一同は顔を見合わせた。


 類が明彦に言った。

 「そこまで心配しなくても、そのうちいいかんじの雨が降る」


 旅客機の墜落現場に戻るには、精神的にも体力的にも厳しいものがある。それを承知のうえで明彦は言葉を連ねた。


 「当然、いますぐ救助されたい。だけど、しばらくのあいだ救助がこなかったと仮定する。となれば、炎天にさらされた死体から腐敗臭が発生する。飛行機の近くで生活するにはかなりきついものがあるし、肉食獣も怖い。

 だからといって、墜落現場から離れたジャングルの奥地に留まれば、生い茂った植物によって俺たちの姿が隠れてしまう。そうなれば、救助隊から発見されにくくなるだろ? そんなわけで俺たちは浜辺を目指している。でも、その肝心な浜辺がどの辺りにあるのかわからない」


 類は言う。

 「大丈夫だよ、歩けばそのうち浜辺に辿り着く。浜辺に着いたら海藻もあるだろうし、頑張れば魚も釣れるよ。もしかしたらおいしい果実が生った木があるかもしれないじゃん。もう少し柔軟に考えようぜ」


 どうしても、類のようにものごとを楽観的に考えられない。

 「長距離を歩くには水分補給が必要なんだ。いま言ったじゃん、浜辺がどの辺りにあるのかわからないって。それと同じように、果実が生った植物だってどこにあるかわからないんだ。

 ココナッツジュースはミネラルや電解質を豊富に含む。すなわち、大量の汗をかいた体内の水分を補うために必要な果実が確実に手に入るのはあそこだけ。ここにもたくさんあるけど、手が届かなければないも同然だ」


 類は言った。

 「けどさ、戻るにもこの炎天下を歩くんだ。余計に汗をかく」


 純希が周囲を見渡しながら言った。

 「ひょっとしたらその辺に滝とか川があるかもよ」


 明彦は純希に言った。

 「もしも運よく途中で滝や川があったとしても、生水を飲むのは極めて危険だ。それに、これ以上、進んでから戻るなんてそれこそ無理。だから、戻るならいましかないって、俺は言いたいんだ」


 このまま歩き続ければ、旅客機の墜落現場から遠ざかってしまう。似たり寄ったりの植物に囲まれているため、距離が離れてしまうほど方向を見失ってしまいそうだ。明彦が言うように、戻るならいまのうちだ。それに、現在は晴天だが、天気が崩れれば、救助が大幅に遅れる可能性もある。それらを想定したうえで慎重に考えなくてはならない。


 「そうだな」絶対に生還したい類が納得した。「戻るのもアリかもな」


 引き返すにあたって、美紅が最大の問題点を口にする。

 「誰が行くの? 足も痛いし、何よりあの死体を二度と見たくない。あたしは絶対無理だよ」


 綾香も首を横に振った。

 「あたしも無理。完全にトラウマだよ」


 精神的につらいのはみんな同じだ。だが、女子が行くよりも、体力がある男子のほうが適任だろう。椰子の実の重量を考えればなおさら。


 明彦は同行者を求める。

 「最初に言ったのは俺だ。だから俺が行く。男子あとふたり」


 体育の成績はつねに優秀な類。体力には自信がある。“戻るのもアリ” だと納得したので手を挙げた。

 「行く」

 

 亡くなったまなみのことが頭から離れずにいた健は、首を横に振った。

 「ごめん……いまの俺には無理だ」


 気が進まない翔太と純希がジャンケンを始めようとした。そのとき予想外の光流が手を挙げた。

 「俺が行く」


 類は、平常心を取り戻したばかりの光流に不安を覚えた。

 「大丈夫? また死体を見るんだ。きつい作業になるのはわかるよな?」


 斗真が言う。

 「俺が行ってもいいけど」


 光流は斗真の肩に手を置いた。

 「いいんだ。行かせてくれ」


 光流の精神状態を考えるといまいち信用できない。しかし、あまりにも真剣な眼差しだったので、斗真は任せることにした。

 「わかった」

 (本当に大丈夫かな?)


 わずかに不安が残るものの光流に決定したので、類は明彦に顔を向けた。

 「よし、行こう」


 明彦は言った。

 「急ぐぞ」


 「日没までには戻るから、この場から離れずに待ってて」類は待機する男子に目をやり、念を押す。「絶対にうろちょろするなよ」


 周囲は迷路のように入り組んでいる。斗真が三人を心配した。

 「女子は任せろ。お前らこそ迷うなよ」


 純希も言った。

 「そうだぞ、この広いジャングルで迷ったら、それこそヤバいぜ。気をつけないといけないのは類たちのほうだ」


 「わかってる」類はうなずいた。「大丈夫だから安心して待ってて」


 斗真が言った。

 「往復で約三時間だ。気をつけてな」


 「うん」と斗真に返事した類は、ジーンズのポケットに収めていたスマートフォンを取り出し、時間を確認した。


 <8月1日 火曜日 14:32>


 理沙と撮ったプリクラの待ち受け画面を見つめた。理沙に逢いたい……その気持ちを抑えて、現実に目を向けた。いまやるべきことに集中しなければならない。

 

 「椰子の実を採る時間も考えて……まぁ、なんとかなるかな。あ、そうだ、時差とか大丈夫だよな?」


 明彦が言う。

 「機種によってちがいはあるみたいだけど、俺らのスマホは大丈夫だと思う」


 「それなら、なんとかなるな」


 類のスマートフォンを覗いた斗真は、自分の腕時計との時刻を確かめた。もし、時差があれば、腕時計が示す時間と異なるはずなのだが同じだ。


 「おかしいな……俺の時計はGPS内蔵じゃないのに……。日本との時差がないってことか?」


 スマートフォンを所持する一同は、画面に表示された時間を確認してから、斗真の腕時計に目をやった。


 類は首を傾げた。

 「日本と時差がない国もあるよな?」


 明彦は教えた。

 「ミクロネシアならパラオがそうだったはずだけど」


 わずかな希望を感じた光流の目に輝きが甦る。

 「ここはやっぱりパラオなんだ! そうだ、パラオにちがいない!」


 明彦は光流に顔を向けた。

 「それはないと思う。パラオだったらとっくに救助ヘリがこっちに向かっているはずだ。けど、その様子もない」


 ふたたび希望が絶たれた光流は肩を落す。

 「だよな……そんなわけないよな。やっぱり、無人島だからかな」


 純希が言った。

 「俺もそう思う。無人島だから、それしか考えられないんじゃね?」


 斗真は時計を見ながら言う。

 「たしかにそれしか考えらえないよな」


 女子も同じ意見だ。綾香はスマートフォンをスカートのポケットに収めた。

 「わずかな時差なんてどうってことないよ。いまから墜落現場に戻るんだから、日没までの時間が知りたかっただけ」


 そう言われても、気になってしまう性分の明彦。

 「衛星で観測されていない無人島はないわけだし……。それに無人島っていっても、ミクロネシアのどこかの島なんだ。だから時差変更も自動でされると思うんだけど……どうなんだろう?」けっきょくはみんなと同じ意見。「やっぱり、無人島だから?」


 純希が言った。

 「だからさっきからそう言ってるじゃん」


 明彦は考え込む。納得いかない。

 「本当にそうなのかなぁ? なんかちがう気がする」


 純希は言う。

 「考えてもしかたないだろ? 同じものは同じなんだし」


 ポジティブ思考の類が言った。

 「純希の言うとおりだ。考えたってしかたないよ。こうやって雑談している時間がもったいないだけ。さっさと行って、さっさと帰ってこようぜ」


 いまいち釈然としない。だが、日没までにはこの場所に戻りたいので、とりあえず納得することにした。

 「たしかに、いくら考えてもしかたないよな」


 光流は明彦に顔を向けた。

 「早く行こう」


 明彦は返事する。

 「そうだな、出発しようか」


 綾香が三人に声をかけた。

 「本当に気をつけてね」


 類が返事する。

 「おう」


 不安げに三人を見つめていた結菜に、明彦が声をかけた。

 「心配しなくていいから」


 結菜は祈るような気持ちで言った。

 「必ず戻ってきてね」


 「うん」結菜を安心させるために笑みを浮かべた。「ひと休みしてなよ」


 いつもどおり優しい明彦に感謝する。

 「ありがとう」


 恵が光流に手を振った。

 「気をつけてね。いってらっしゃい」


 口元に笑みを浮かべた光流は、恵に「うん」と返事した。


 三人で同時に言った。

 「いってきます」


 「いってらっしゃい」と、一同はこちらに背中を向けた三人を見送った。


 その後、ヒールの高いサンダルを履いていた女子たちが、つぎつぎと大地に腰を下ろし始めた。


 サンダルを脱いだ恵が脚をさする。

 「超痛い、最悪」


 綾香が言った。

 「みんなの脚も大変だろうけど、本当に大変なのは墜落現場に戻るあいつらだよ」


 恵は疲れた表情で返事した。

 「わかってる」


 腕時計を見た斗真は、小さくなりゆく三人の後ろ姿を一瞥して、大地に腰を下ろした。

 「なんとかなるっていうより、ギリギリってところだな」

 

 綾香は斗真に顔を向けた。

 「ギリギリならけっきょくなんとかなるんじゃない?」


 「お前、少しピリピリしすぎ」


 「ピリピリなんかしてない」


 「してる。そんなんじゃ仕切屋って言われちゃうぜ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべた結菜が、斗真に顔を向けた。

 「もとから仕切屋」


 斗真は軽く笑う。

 「言えてるな」


 綾香は大地に腰を下ろした。

 「なんなのよ」


 斗真は、口数が少ない健を気遣う。

 「いまはあいつらに甘えさせてもらって、少し休ませてもらおうぜ。お前も座れよ」

 

 大地に腰を下ろした健は、小さくなりゆく三人の背中を見て言った。

 「歩くの早いな」


 斗真は言った。

 「さすがは類」


 翔太が斗真に言った。

 「類が体力馬鹿なのは知ってるけど、明彦にあんな体力があるなんて驚きだよな」

 

 「あいつの場合、体力馬鹿っていうより学力馬鹿だからな」


 「こんなときに冗談やめろよ」


 「だってそうじゃんか、中間テストも期末テストもあいつが学年トップだろ」


 「たしかに明彦に敵う学力馬鹿はいないけどさぁ」


 純希が光流を不安視する。

 「学力の話はおいといて、光流のやつ、マジで大丈夫なのかな? 精神崩壊寸前ってかんじだったけど」


 斗真も言う。

 「だから俺が行こうしたんだ。途中でおかしくならなきゃいいけど、ぶっちゃけ不安」


 翔太は、喧嘩はしても光流を信用している。

 「自分から手を挙げたんだ。もう取り乱さないって約束したんだし、大丈夫なんじゃないの?」 


 三人が会話していると、思い詰めた表情の健が静かに言った。

 「お前らは俺を気遣い、光流や女子を気遣い……それに比べて俺は役立たずだ」


 ジーンズのポケットに収めていたスマートフォンを取り出し、画面を一同に向けた。そこには楽しそうに微笑むまなみの姿が映っていた。画像を見た一同は、どのような言葉をかければよいのかわからずに唇を結んだ。


 健は言葉を続けた。

 「彼女の最後の笑顔。出会ったばかりなのに惹かれちゃって、好きになりかけていた。隣にいたのに守ってあげられなかった。俺が代わりに死ねばよかったんだよ……」


 仲間に死者が出なかった。不謹慎ながらにも、それが不幸中の幸いだと思っていた。だからこそ、純希が怒るような口調で語気を強めて言った。


 「そんな悲しいこと言うなよ! 俺にとってお前は大事な友達だ! 俺たちは死んだひとたちの分まで生きなきゃ駄目なんだ!」


 むせび泣く健に、美紅が優しく声をかけた。こんなときは、子供が好きで包容力のある美紅の出番。


 「きっと……生き残ったのがまなみちゃんのほうだったとしても、健と同じ気持ちになったと思うの。だから健が無事に日本に帰れるように、天国で見守ってくれているはずだよ」


 健は声を詰まらせた。

 「俺ら以外みんな死んだ。どうしてこんなことになったんだろう……」


 本来ならサイパンの海を眺めているころだが、命があっただけでもありがたい。だけれど……自分たちのみが生存者である現実に不信感をいだいた恵が疑問を口にした。

 

 「ねぇ、どうしてあたしたちだけが生きてるの? みんな死んだんだよ。まるで守られてるみたいに生きていた。どう考えても不思議だよね……」


 ひとり恐怖を感じれば、感性が似ている者同士のあいだで、同じ感情が伝わり合う。恵の考えに恐怖を感じた由香里は霊感が強い。スピリチュアルなことを含め、超常現象を信じるタイプだ。だからこそ、この世のものではない、なんらかの力が働いているような気がした。


 「類が登録した『ネバーランド 海外』が仕組んだ罠かもしれない。うちらに生還ゲームをさせようとしてるんだよ」


 恵は言った。

 「生還ゲームならまだマシだよ。あたしたちを仲違いさせて、デスゲームさせようとしてるかもしれない」


 「デスゲーム……」由香里は深刻な表情を浮かべた。「それなら光流がおかしくなった理由も説明がつく。あれがデスゲームの幕開けを告げていたのかも……これからあたしたち全員がひとりひとり狂い始めて……」


 「ちょっと待て。お前ら話がぶっ飛びすぎじゃね?」純希が、根拠のない行き過ぎたふたりの会話を遮った。「ツアー会社が飛行機のエンジンに爆弾でも仕掛けたってわけ? ありえないよ、そんなの」


 綾香も声を大にして言った。

 「純希の言うとおりだよ。単なるツアー会社にそんなことできるわけないじゃん。常識でものごとを考えてよね」


 恵が綾香に言った。

 「じっさいに常識では考えられないことが起きた。飛行機が墜落するだなんて、あたしの中では常識じゃない」


 綾香は否定する。

 「だからって、ありえない。心身ともに疲れてるから、おかしな妄想に取り憑かれちゃうの。少し冷静になって考えてみてよ」


 「たしかに、これ以上ないくらい疲れてる」恵は自分の頭を指さして強調した。「でも、ここはまともだよ」


 泣いていた健も涙を拭って会話に加わった。

 「俺もありえないと思う。いまごろ管制官の連中が大騒ぎしている最中だ。夕方には各局のニュース番組で報道されるだろうね」


 純希は言う。

 「ツアー会社だってパニックだぜ。創業したばかりなのに、モニターツアーで死者が出たら大変だ。会社存亡の危機に関わる一大事だろ。ある意味、管制官どころの騒ぎじゃない」


 道子が言った。

 「けどさぁ、マジで不思議すぎるよね。全員が無傷で生きてるなんて。由香里じゃないけど仕組まれていたみたいな……」


 由香里は目を見開く。

 「道子もそう思う?」


 道子はうなずく。

 「うん」


 まいったな……といった表情で頭を掻いた翔太。占いやおまじないが好きな道子。ファッション雑誌に記載されている占いを毎月楽しみにしているのは知っている。だけれど、それとこれとは話が別だ。

 「道子まで、よせよ」


 道子は翔太に顔を向けた。

 「考えれば考えるほどへんだって思わないの?」


 はっきりと否定する。

 「わるいけど、ぜんぜん思わない」


 斗真が、非現実的な考え方の道子と恵と由香里に言う。

 「これが奇跡の生存者。よくテレビで取り上げられる九死に一生を得るってやつ。俺たちは奇跡的に助かった。まったく、これだから女子は」


 不快な表情を浮かべた綾香が斗真に言った。

 「‟女子は” って、どういう意味? ここで女性差別とかやめてくれない?」


 斗真は戸惑う。

 「そんなつもりで言ったわけじゃ……てゆうか、いちいちそこで突っかかるなよ。嫌な弁護士になるぞ」


 綾香は憤然とする。

 「斗真も弁護士志望じゃん。そんなんじゃひとの弁護なんてできないよ」


 美紅がもっともな言葉を言う。

 「ふたりともくだらない喧嘩はやめてよ。教室じゃないんだよ」


 綾香と斗真の会話を無視した純希が言った。

 「もし、俺の座席と隣に座っていたやつの座席が反対だったら、俺が死んでいた。それはお前らにも言えることだ」

 

 綾香は、隣席にいたスーツ姿の男の死体を思い出して鳥肌が立った。一席ずれただけで自分の上半身が潰れていたのだ。

 「そうだよね……ほんと奇跡だよ……」


 美紅も純希の言葉に恐怖を感じた。エンジンが発火する直前まで遊んであげていた子供の泣き声が頭から離れないのだ。

 「純希の言うとおりだよ。こんな恐ろしいことがツアー会社にできるわけない」


 道子は言った。

 「純希の言いたいことはわかるけど、このツアー会社、絶対へんだよ」


 純希は道子に言った。

 「べつにへんじゃない。飛行機が墜落さえしなければ、いまごろサイパンだった。ふつうのツアー会社だよ」

 

 道子は言い返す。

 「だけど墜落したじゃん」


 現実味のない話は信じない結菜も道子に言う。

 「思い込みが激しすぎる。それこそ、ツアー会社が死神なら話は別だけど、死神なわけない」


 道子は、何を言われてもツアー会社を疑う。

 「死神ねぇ。案外ガチなやつだったりして。だって死者の数が半端ない」


 腰を上げた純希が、周囲の木の枝を引っ張り始めた。

 「そろそろ、根拠のない話は終わりにして現実を見ようぜ」


 何をしているのかと思った斗真が、純希に訊いた。

 「どうしたの?」


 「もし、暗くなっても炎が道標になってくれるはずだ。だから、あいつらが帰ってくるまでに枝でも集めておこうと思ってね」と答えた純希は、力いっぱい枝を引っ張る。「けど、硬くてビクともしないんだ! 葉っぱも超硬い! 信じられないくらいにクッソ硬い!」


 「そんなわけないだろ。お前が都会育ちの軟弱者だからだよ」


 「斗真もやってみろよ」


 「いいよ、べつに」くだらないと思って断った。「それより、どうやって火を起こすんだよ。木々を集めても点火できなきゃ意味ないじゃん。摩擦熱を利用するつもりなのか? やったことないし難しそう」


 「俺には原始人のような芸当はできません。てゆうか、やる気もありません」


 「じゃあどうするんだよ」


 ポケットからジッポを取り出した。外観は焼け焦げているが、元は銀色だったのだろう。

 「ジャングルを歩いてて見つけたんだ。吹き飛ばされた荷物のひとつだ」


 「お前、よくそんな余裕あったな」


 自慢気に言った。

 「なんとなく、ジャングルで野宿しそうな予感がしたから拾ってみた」


 由香里が純希に言う。

 「それって、死んだひとのでしょ? 祟りとかないの?」


 純希は呆れた表情を浮かべた。

 「あのさぁ、もういいよ、そうゆう心霊的な話は」


 由香里は言った。

 「道連れにされるかもよ」


 純希は否定する。

 「そんなことないよ。幽霊なんかこの世にいないの」


 幽霊にこだわる由香里。

 「あたし見たことあるもん」


 心霊話に興味はない。

 「俺は産まれてから一度も見たことない。霊感ゼロ、鈍感人間」


 「同じくあたしも霊感ゼロ」綾香も手を挙げた。「鈍感人間の仲間」


 「あたしも霊感ゼロだよ。純希じゃないけど、心霊的な話は終わりにしようよ。これから先のことを考えないとね」と由香里に言った結菜が、周囲の木々を見て訊く。「ねぇ、乾いた枯れ葉なら火が点くだろうけど、摘みたての枝とか葉っぱでもいいのかな?」


 大勢のひとたちが犇めく海水浴場でのキャンプしか知らない綾香は、適当に返事した。

 「山火事が起きるんだから火は点くんじゃない? 水分を蒸発させた薪(たきぎ)ほどじゃないと思うけどね」


 「それもそうだね。それならこの椰子の木みたいな木の葉っぱでも大丈夫かな?」と言った結菜は、二メートルくらいの大きさの樹木状のシダ植物を指した。


 由香里は園芸部員の手伝いをすることもあるので、さまざまな植物に詳しい。

 「それは椰子の木に似てるけどちがうよ。生木シダだよ。ふつうのシダ植物は草だけど、それは幹があって、見た目は樹木みたいなんだ。それは小さいけど、それこそ椰子の木みたいに二十メートル以上の高さに育つ種類もあるんだよ」


 「そうなんだ。あたし植物のこと全然わからないから」


 「ここはジャングルだから、いろんな種類の植物が生えてる。シダ植物にも様々な種類があって、大きいものもあれば、小さいものもある。観葉植物としても人気だよ。普段なら観察してるところだけど、いまはそれどころじゃないってかんじ……」

 

 結菜は生木シダに手を伸ばし、葉を引きちぎろうとした。しかし、どれだけ力を入れて引っ張ってみても、純希が言うように “ビクともしない” 。丈夫な植物という範疇を超えて、まるで植物の形をしたスチール製のオブジェ。


 「何これ? 気持ち悪いくらい硬いよ。由香里も触ってみてよ」


 由香里も触ってみた。これほどまでに硬質な植物に触れたのは初めてだ、というより、植物とは思えないほど硬質だった。

 「リアルな作り物みたいで気持ち悪い……」


 結菜は言った。

 「ほんと、リアルな作り物ってかんじ」


 最初に植物に触れた純希は、結菜に訊いてみた。

 「俺が軟弱なわけじゃないよな?」


 「うん、絶対にちがう」結菜は純希に返事してから、いましがた純希を軟弱者呼ばわりした斗真に言った。「触ってみなよ。ふつうじゃないって」


 そんなわけないだろうと思いながら、斗真は葉に手を伸ばして触れてみた。純希を馬鹿にした斗真だったが、植物とは思えない質感に驚愕した。試しにもう一度、引っ張ってみた。やはり、引きちぎれない。だが……どこから見ても植物だ。

 

 目を見開いた斗真は、純希に顔を向けた。

 「なんだこれ?」


 「だから言ったじゃん」


 「ガチだ……」


 「だろ?」


 「ジャングルの植物は鉄のように頑丈とか?」


 「そんな話は聞いたことない」


 結菜は言った。

 「あたしも聞いたことないよ。不思議なんだけど……」


 生木シダに歩み寄った綾香も、試しに葉を引っ張ってみた。本気で硬い。

 「何? この葉っぱ」


 美紅は、大地に根を下ろす雑草に触れてみた。これも硬い。

 「これ、本当に植物?」


 道子も雑草に触れたあと、訝し気な表情を浮かべた。

 「へんじゃない? 見た目はふつうの植物なのに……」


 純貴が言った。

 「そうなんだよ。見た目はふつうの植物なのに、やたらと硬い。てゆうか、植物とは思えない。由香里じゃないけど、作り物みたいなんだ」


 翔太も生木シダの葉をおもいっきり引っ張ってみたが、撓むだけだった。

 「なんだこれ?」


 道子はツアー会社に疑懼の念を抱く。

 「やっぱり……仕組まれてるんだよ……。だって『ネバーランド 海外』だなんて、名前からして異世界っぽいよ。それに、ちゃんと考えると時差がないっておかしいよね?」


 恵が言った。

 「つまり、ここはミクロネシアでもどこでもない異世界……もしくは……」

 

 恵の言葉の途中で、健が大地に落ちた枝を集め始めた。

 「もしくは結菜が言った冗談みたいに、死神が所有する無人島だとでも言いたいわけ? そんなわけないじゃん。心霊現象やら超常現象の話はそれまでにして、少しずつでもいいから薪(たきぎ)になりそうな枝を拾おう」


 恵は、生木シダの葉を引っ張って強調しながら言った。

 「健もやってみなよ。摘み取れない葉っぱなんて絶対にへんだよ」


 「時間の無駄だから俺は遠慮しておく」健は拾い上げた小枝を確認する。「やっぱり雨季のせいかな? 少し湿ってる。うまく火が点くといいんだけど。まあいいや、さっさと集めようぜ」


 不安を覚えた恵は言った。

 「小枝を拾うよりも、この硬い植物について考えたほうがいいよ。この島、やっぱりへんだよ」


 馬鹿らしいと思う健。

 「時間の無駄だって、いま言ったじゃん」


 恵は追究したい。

 「でも……」


 斗真も健の意見に賛成する。類たち三人には申し訳ないが、あすに備えて体力を温存したい。なるべくなら作業を手短に済ませて休憩したかった。


 「この島の植物は不思議だけど、大勢の命が失われたことに比べれば、奇妙な植物なんてたいした話じゃないよ。新学期を迎えるころには、不思議な現象だったと思い返すくらいだ。俺たちも枝でも集めよう」


 「植物が硬くてもくたばるわけじゃないか……」頭を切り替えた純希が、健に言った。「火種は俺の靴下にしよう」


 靴下に点火してしまったあと後悔しても遅いので、健は確認した。

 「いいのかよ?」


 純希は複雑な面持ちで答えた。

 「他人の血がついた靴下なんて、もう身につけていたくないんだ」


 他人の血が付着した衣服を脱いで全裸になりたいくらいだ。健は純希の気持ちを理解した。

 「そうだよな……」


 翔太が、純希と会話している健に目をやった。好意を寄せた女の子が目の前で死んでしまったらつらいだろう。それがもし道子だったら……。健の立場になって考えると胸が痛む。


 「無理するなよ健。俺たちは友達なんだから、気持ちが落ち着くまで休んでろよ」


 口元に笑みを浮かべた健は、翔太に言った。

 「ありがとう。でも……まなみちゃんは、俺たちのことを天国で見守ってくれているはずだから、そう美紅が言ってくれたときに思ったんだ、何がなんでも生きないとってね……」


 美紅は健に微笑んだ。

 「そうだよ。生き残ったあたしたちは、彼らの分まで生きないと駄目なんだよ」


 翔太も美紅の考えに納得する。

 「そのとおりだな」


 美紅は、不安げな表情で植物を触っている由香里に顔を向けた。

 「あたしも植物が気にならないわけじゃないけど、怖いと思ったら余計に怖くなっちゃうよ」


 由香里は、恐怖に染まったゲームに巻き込まれたかのような気がしていた。

 「かもしれないけど……ここは魔界かもしれないよ。だって、雨季なのにぜんぜん雨が降らないじゃん」


 道子も空を見上げて言った。

 「雨が降らないなんて、あたしもへんだと思う」


 美紅は苦笑いした。

 「そのうち降るって」


 由香里は言う。

 「不気味すぎるよ。死者が雨を降らせないんだ」


 「どうして死者が天気を制御するのよ」美紅は呆れたような表情を浮かべた。「類みたいに、なんとかなるって前向きに考えよう。幸い十三人揃っているんだから」


 結菜も言った。

 「そうだよ、ひとりじゃない。みんな一緒」


 綾香もうなずいた。

 「いまできることに集中しようよ」


 怖いものは怖い。由香里、道子、恵は、顔を見合わせた。だが、これ以上続けるとしつこいと思われるので、由香里が会話を切り上げた。

 「そうだね。類たちはどの辺りまで歩いたのかな?」


 時計を確認した斗真が答えた。

 「もうそろそろ墜落現場に着くころだと思うよ」

 (女子がいないから類中心のペースで移動しているはず)


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