第39話 かくれんぼ

 シーピンの両の眼光と、ヤナの隻の眼光がしばらくの間ぶつかる。


「そもそも」


 ヤナが言葉を継いだ。


「総裁閣下が『反逆者』であると、シーピン大将はいかなる理由でそう断定するのか。そして、それが誤りであった場合、如何するおつもりか。お教え願えますかな」


 穏やかではあるが極めて重々しいヤナの声が会議室に響く。参加者が一瞬息をのみしんと静まり返った。


「屋敷から逃走したのが何よりの証拠。無実ならば逃げる必要はあるまい」

「誰かが連れ出した、もしくは連れ去ったという可能性もありますな。総裁がもしアイランズ独立戦線と繋がっていたのであれば、事を起こすまさにその日にもまだ屋敷にいらっしゃったというのはおかしな話。独立戦線が勝手にあのような宣言を出したのだということは、子供でも分かるというもの」


 ヤナがつむっていた片方の目をゆっくりと開ける。


「それとも、大将殿には『そう解釈しないといけない』事情でもおありですかな」


 その言葉に、シーピンが眉を顰める。


「ならば、早々にトゥールン総裁をここへ連れてきてもらおうか、ヤナ・ガルトマーン殿」


 シーピンがそういうや否や、ヤナは黙って椅子から立ち上がり、そのまま振り向きもせず会議室を出ていった。


※ ※


「こんな通路があったんだね」


 トゥールンが独り言のようにつぶやく。まだ十代の後半に差し掛かったばかりの青年にしては落ち着きのある声が、青白い薄明かりのみが照らす狭い円形の通路に響いた。

 壁は土がむき出していて、一定間隔で木の枠組みがはめられているが、あまり丈夫そうには見えない。


 ランタンを手に、ツインテールを垂らしたメイド服の少女が――トゥールンよりなお若く見える――トゥールンの前を静かに、しかし思いのほか足早に歩いている。その歩みに迷いはない。


「遠い昔に作られた防空壕だと思われます。お屋敷にある隠し通路はそれらの内の一部を利用しているのですが、ここは使われずに捨てられたもの、ですね」


 隠し通路からさらに枝分かれする、いわば『隠し通路内の隠し通路』であり、整備されていない分、軍もその詳細は把握していないだろう。

 実際、この通路へは、隠し通路内にある小さな貯蔵室の床を開けて入ってきたのであり、隠し通路の下に張り巡らされた通路のようだ。

 しかも、その床には『ダミーの荷物』が張り付けてあって、閉めた後でも不自然さが無いように細工されていた。


「狡兎に三窟あり、か」


 トゥールンがくすっと笑う。その無邪気な声に、フジカは胸を強く握られるような感覚を覚え、足を止めて振り向いた。


「それはどういう意味でございますか」

「狡猾な兎は、逃げ場所をいくつも用意している、という意味だよ」


 トゥールンが微笑む。服装によっては女性とも見間違えるほどの整った容姿は、しかしどこか儚げだ。


 この時代のミドルスフィア地 球にたった三つしか存在が許されていない『国家』の中でも、最も軍事力を持つエイジア――かつての、チャイナ、インド、ミドルアジアにまたがる国家の『頂点』に立つには、あまりにも弱い存在のようにフジカの目に映った。


「フジカは、別にそのようなずるさは持ち合わせておりません」


 フジカが頬を軽く膨らませ、怒っているのか拗ねているのか分からない仕草を見せる。


「い、いや、その、済まなかった」


 トゥールンが慌てた表情で、しかしどうしていいか分からない様子でフジカに手を伸ばし、そしてすぐに引っ込めた。


「わ、悪気があったわけでは」


 なおも言い訳を言おうとしたトゥールンを見て、フジカがくすっと笑う。それはトゥールンをさらに困惑させることになった。


「フジカは人一倍好奇心が強いのです。御館様に黙ってお屋敷を『探検』していたときに見つけました。あ、勝手をしてしまったことはお許しください」


 フジカはぺこりとお辞儀し、そして顔を上げ、いたずらっ子のように笑って見せた。


「別に構わないよ」

「ありがとうございます。さあ、参りましょう」


 フジカがまたトゥールンに背を向け、静かに、しかし足早に歩きだす。


 どこまでいくのか――トゥールンはそんなことも聞かずに、頼りない電子ランタンの光の中、薄暗く土臭い通路の中をただフジカの後をついていった。


 隠し通路を歩いて、それなりの時間が過ぎていた。足早な歩きだったことを考えると、もうとっくに屋敷の敷地の外に出ているはずだ――誰しもがそう思うであろう瞬間、唐突に通路の突き当りが青白い電子ランタンの光の中に浮かび上がった。


 フジカが足を止める。


「お聞きには、ならないのですか」


 トゥールンに背を向けたまま、フジカがそう尋ねた。 


「一体私をどこまで連れていくつもりなのか。連れて行った先に何があるのか。私と二人きりになりたいのなら、もうここでも十分なはず――ということだね」

「ええ、左様でございます」

「フジカが私をどこに連れていくのか、それが知りたい。だから、さあ、行こうか」


 トゥールンがフジカに近寄り、そっと肩に手を置いた。


「フジカが何か良からぬことをしないか、御館様はご心配ではないのですか」


 なおも振り返らず、フジカが問いかける。


「幼少のころから、様々な人を見てきた。随分と汚いものをたくさん、ね。だからだろうか、相手が何を考えているのか、感じ取ることができるようになった。シーピンが私をどうしようと企んでいるのか、ガルトマーンが私をどう思ってくれているのか、そして、フジカが私のことをどう見ているのか」


 トゥールンがどこか悟りきったように答えた。しばらくの沈黙。フジカがゆっくりと振り向く。


「それを教えて、いただけますか。フジカは、御館様をどう見ているのでしょう」


 変わらぬ、しかし陰を含んだ微笑みがフジカの目の前にある。


「本当は、君は私を『お慕い申し上げて』なんかいない。私を何かに利用しようとしている。そうだよね」


 責めるような表情ではない。ただ、悟り切ったというだけの表情。フジカが思っていた以上に、トゥールンには物事がよく見えているようだった。

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