第18話 宿世のランデヴー③

 時間にすれば、瞬間と言っていいものだっただろう。しかし、突如襲った浮遊感に、ツバキは本能的な部分で身の危険を感じた。


 まるで精神が肉体から引きはがされるような……


 錯覚や幻覚ではない。現実としての感覚。ツバキは言われたとおり、ルースから『離れまい』と強く意識した。と、すぐにその浮遊感が収まり、全天モニターの映像が変わる。

 目の前に、円錐型の機動兵器――ボディから放射状に翼状構造物が伸びた姿をしたモーターディエスの『腹』が大きく映し出されていた。


 次の瞬間、ティシュトリアの二つに割れた衝角から光の帯が真っ直ぐに伸びる。ME変換フィールドに当たったバスターカノンのエネルギーが結晶化し、モーターディエスを包み込むように弾け飛んだ。しかし、それを突き抜けた光がモーターディエスの機体に突き刺さる。それに抵抗するように青白く光るバリア。吸収しきれなかった衝撃がモーターディエスを襲い、翼状構造物が砕け、飛び散った。

 それを見届けない内に、ルースは更にトリガーを引く。左右二門あるレールガンから撃ちだされた徹甲弾がモーターディエスの機体を貫通、開いた穴から何かがが吹き出すのが見えた。


 こみ上げてくる嘔吐感を我慢しつつも、ツバキは何が起こったのかを必死に理解しようとする。


 敵は、セレスの地平線の向こうにいたはずだった。ティシュトリアのコックピットに鳴り響いた警告音。そして浮遊感が突然襲ってきた後、敵は目の前にいた……


 ティシュトリアが『跳んだ』のだ。しかし星から星へと跳ぶ次元ドライブの時のような、モーターの甲高い唸り音は聞こえなかった。


「何をしたんだ、ルース」

「『次元シフト』だよ。ナイトランダーは、数千キロくらいまでなら、エネルギーを使わずに、モーターカヴァリエを『テレポート』させることができる……体、大丈夫かい、ツバキ」


 ツバキの脳裏によみがえる、地球ミドルスフィアでの『死神』との戦闘。ルースは消えては現れ、現れては消えて、ハーディ隊長たちを倒していったのだ……ナイトランダーはそれを、モーターカヴァリエに乗ったまま、機体ごと、予備動作も無く行うというのか?


「気持ち悪い」

「ごめん、体にかなり負担をかけたと思う。早く終わらせて休もうか。相手と通信回線をつなごう。投降を呼びかけるけど、応じるかな」


 ルースが、通信パネルを操作し始めた。全天モニターに映っているアンノウンの機体は、衝撃で発生した慣性力によって緩やかに回転しながら、少しずつ離れていっている。しかし動く気配は見せてはいない。機体に放射状に付いていた何枚もの翼状構造物の内、下部にあった三枚は壊れ、原形をとどめていなかった。しかも機体には穴が開いている。


「生きて……いるのか?」

「普通コックピットは前方にあるし、間には隔壁がいくつもあるはずだから、死んではいないと思う。人間が乗っていれば、だけどね」


 ルースの操作は続いている。いくつかのチャンネルで相手に呼びかけているのだろう。戦場では例え敵だとしても、投降を呼びかけるための通信チャンネルが決められている。しかし相手はアンノウンだ。そのような『ルール』が通用するかどうかも分からない……


 と、ポーンという軽い電子音が鳴り、モニターに通信回線がつながったサインが表示された。一体どんな相手なのか、ツバキは一つ唾を飲み込む。

 ルースが音声のスイッチをオンにした。


 突如、コックピット内のスピーカーに悲鳴にも似た叫び声が響きわたり、ツバキの体が驚きで軽く跳ね上がる。

 それは「ああ」なのか「うう」なのか、それとももっと別の言葉なのか。意味を成しているようには到底思えない、体の奥底から絞り出すような声。

 発声の主が、まるで正気を失っているような……そんな声であってもはっきりと分かったこと。


「人が……女性が乗ってる」


 ツバキは思わずそう口にした。しかしルースはそれに答えず、黙ってスピーカーから流れている『声』を聴き続けている。

 その様子――ルースの後姿が余りにも不自然に見えた、その時、ツバキは突然スピーカーから聞こえてくる声の持ち主が誰なのかに気が付いた。


「ユウ……ユウなのか?」


 それがファーストネームなのか、それともファミリーネームなのか。それすらも知らない、ただ悠久の時間と比べれば一瞬とすら言えない時間をルナーで一緒に過ごしただけの女性。

 にもかかわらずツバキは、意味不明な叫び声をあげる女性が、そのユウであると確信した。


「ユウ!」


 もう一度その名を叫ぶ。と、スピーカーから流れていた女性の叫び声が止まった。三秒、四秒と沈黙が流れた後、スピーカーの向こう側にいるだろう女性が、ぽつりとつぶやく。


『ツバキ、か』


 理解が追い付かなかった。ユウ……裾の長い薄桜色のワンピース姿で、長く伸びた黒髪をなびかせて歩く彼女の姿と、ゆっくりと横回転をしている半壊した機動兵器を共通のイメージとして合わせることができない。唯一、思い当たるものと言えば、ルナーのドックに立っていたということ……


「な……何で君がそこに」


 そう尋ねたツバキの言葉に、ルースが割って入った。


「ボクはナイトランダー、ルース・メガライン。抵抗を止めて、投降してもらいたい。勧告は一度きりだ」


 冷たく、ナイフのように鋭い声。あの時、ルースがユウに向けていた視線が、今は声となり、ユウへと投げかけられている。


「ルース」

「ツバキは黙っていて」


 ツバキからはルースの顔は見えない。しかしツバキの脳裏には、ルースの表情がはっきりと浮かんでいた。そう、あの時、ルナーで『超人』が初めて見せた、余りにも人間くさい『不愉快』の表情……


『否』


 意味不明な言葉を叫んでいた人物とは思えないほどしっかりと、ユウは拒否の言葉を発した。


「ユウ、待って」

『死神などには屈せぬ』

「だめだ!」


 ツバキの叫びがティシュトリアのコックピットに響く。しかしそれに答えたのは、通信回線の遮断を示すプゥンという電子音だった。


「降伏勧告の拒否を確認。対象を破壊する」


 ぞっとするような冷たい声。


「待て、ルース」


 声を掛けたが、ルースは動作を止めようともせず、ティシュトリアの操縦桿に手を置いた。

 ツバキがヘッドギアを外すと、身体をシートに固定していたベルトが外れる。ツバキは身を乗り出し、前部座席に座っているルースの腕を取った。


「何、かな。ツバキ」

「やめてくれ」

「ボクらはあの機動兵器に攻撃された。降伏勧告もした。他にどうしろと、言うんだい?」

「だ……拿捕くらいできるんじゃ」

「抵抗を続ける相手にそれは、危険すぎる」


 ルースがツバキの手を振り払う。


「もう何もしてないだろ! あれじゃ抵抗なんか」


 ツバキはモニターに映る機体を指で指し示しながらなおも食い下がったが、その指の先にあった機動兵器の後方に青い光――推進器が噴射するプラズマの光が輝き始めた。


「座って、ツバキ。逃亡は、許さない」


 ルースが操縦桿に手を置く。

 どうすれば……それが分からず、思考が止まる。そのツバキの脳裏に、突如としてあの時のメッセージが現れた。


――奴を信じるな。

――奴はお前を騙している。

――お前は真の姿を奴によって隠されている。

――お前は「ツバキ」ではない。お前は……


 ルースの話、フィスの話、そして、ユウに感じた懐かしさ……


 オレは、オレじゃない? じゃあ、誰なんだ?

 ユウを……ユウを失えば、それが永遠に思い出せなくなる……そんな、気がする。


 気が付くとツバキは、自分の腕でルースを後ろから羽交い絞めにしていた。


「な、何するんだ、ツバキ!」

「やめてくれ、ルース」

「どうして!」

「あれは、ユウだ」


 モニターに映っている『敵』は、今だ生きていたエンジンから放つ青い光の量を増やしながら、視界の左へと動き始めていた。


「あれは敵だ! アンノウンに乗っている敵なんだよ!」

「違う……違うんだ、ルース。オレの……、オレの大切な『何か』だ」

「ツバキ、正気に戻れ!」


 ルースがツバキを振り払おうとするが、ツバキはルースの首を思いのほか強い力で絞めつけている。ルースは左手でツバキの腕を引きはがしつつ、右手を操縦桿に伸ばした。しかし、届かない。


「オレは正気だ。ルースはオレを騙している。何かを、隠してる」


 ツバキがルースの耳元に囁いた。その言葉に、ルースの手が止まる。


「違う……違う……騙してなんか」


 その間にも、敵機動兵器は最大出力で遠ざかろうとしていた。


「騙してなんか、ない……」


 ルースがツバキに抗うのを止めた時、次元ドライブに入ったアンノウン――モーターディエスの姿が、モニターから消える。

 ティシュトリアのコックピットには、「ない、ない」というルースの呟きだけが、しばらくの間響いていた。

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