第二章 邂逅・回煌

Call of Crimson

第1話 ダンヴェール嬢の憂鬱

 ルナー。


 それはミドルスフィアの衛星でありながら、惑星間戦争が激化した時期においても中立を守り、それがゆえに最終的に停戦合意の舞台として選ばれることとなった地である。

 その質量の小ささ故、重力はミドルスフィアの六分の一程度しかないが、いくつか建設された地下都市は、重力制御装置によりミドルスフィアと同じ1Gに調整されている。

 ディアナ市はそれら地下都市の中でも最大の商業都市であり、ミドルスフィアだけでなく、惑星ヴィナスや惑星マルスからの物資もまずここへと集められている。


 ディアナ市でも最大のショッピングモールは、トリウィア・モールである。その品ぞろえの豊富さは、『トリウィアは宇宙の半分』と呼称されるに相応しいものと言えよう。


 そんなショッピングモールにある、きらびやかな衣装がショーウィンドウに陳列されているブティックの看板を、一人の少女がその美しいマリンブルーの瞳でじっと見つめていた。

 栗色の長い髪は、整えきれなかったのだろうか、端々の毛が跳ねている。色の濃い小麦色の肌は健康的に見えるが、その表情はどこか物憂げな様子だ。


「ツバキ、どうしたの?」


 その少女とは対照的に髪も肌も真っ白な青年が、赤い瞳を優し気に揺らしながら、少女に声を掛けた。


「いや、衛星軌道上で過ごすことが多かったから、繁華街に来たのはもう学生の時以来だけど、それにしてもここはすごいな。少なくともニッポンにはこんな場所はなかったぞ」


 身だしなみの雑さと着ている服装、その身にはやや大きめの、どう見ても男物のトレンチコート姿を差し引けば、道行く人々が数多く振り返るであろうと容易に想像がつくほどの少女の美しさ。そこからは想像もつかないような粗雑な言葉が口から発せられた。


「ここには、太陽系の惑星中からモノが集まってくると言っても過言じゃないからね。ミドルスフィアには無いような物もたくさんあるよ。何か気に入った服はあったかい? とりあえず、服装を一式そろえないとね」


 青年は、店の前で立ち尽くしていた少女の肩をそっと抱いたが、ツバキと呼ばれた少女はそれをすぐに振りほどいた。


「き、気安く触るなよ、ルース」


 鋭い言葉と相手をにらむ視線とは裏腹に、小麦色の肌ですら隠すことができないくらいに、少女は顔を真っ赤に染めている。しかし、ルースと呼ばれた青年は「ご、ごめん」と言いながら、少女の扱いに困っているように戸惑いを見せていた。


「何を買っていいか分からないし、どれが似合うかもわからない。大体、女物の服なんて着るはおろか、誰かに買ってあげたことすらない。それに、全部高そうだ」

「何でも買っていいよ。一番高いお店で十揃えくらい買ったとしても、ボクの財布はびくともしないから、大丈夫」

「大丈夫と言われて、はいそうですかと、値段も分からないようなものを買ってもらうわけにはいかないだろ」


 少女は随分と不機嫌な様子だ。


「じゃあこうしようか。服は店員の人に選んでもらう。服を買うのはボク。服の所有者もボク。でも着るのはツバキ。オーケー?」


 少女は、折角の美しさを台無しにしそうな怖い目で青年をにらみ続けていたが、一言「勝手にしろ」とつぶやくと、ぷいっとあらぬ方向を向いてしまった。

 青年に対する感情というよりも、着せ替え人形にされるということが、彼女の不機嫌の原因のようだった。


※ ※


「ツバキ、すごく似合ってるよ!」


 小一時間、着せ替えされている間、ツバキはずっと不機嫌だったが、お世辞には見えないほどの晴れやかさでそう声を掛けたルースの言葉に、また顔を赤く染めてルースから視線を外した。


「そ、そうか?」


 言われてもう一度鏡を見る。

 白を基調とした色合いの中に、やや濃いブルーがあしらわれているレースのドレス。髪にも青いリボンが付けられていた。マリンブルーの瞳に合わせられているのだろう。


 鏡に映し出された人物は、ツバキがこれまでの短い人生ですら見飽きるほど見てきた『元の姿』ではなく、まるで印象派の画家が描いたような可憐な少女だった。

 肌の色を除けば、だが。


「な、なあ。肌の色に合ってないんじゃないか?」


 その言葉を聞いたルースが、急に笑い出した。


「やっぱり、おかしいんだろ!」

「違う違う、ごめんごめん。キミが昔言った言葉、そのままだったから、ついね。キミは変わっていないね。それがうれしいよ」

「そんな知らない奴のこと言われても、困るぞ」

「ごめん、ごめん。でも、本当に似合ってるよ」


 ルースの様子に、怪訝な表情でもう一度ツバキは鏡を見た。確かに、自分ではないと思えば、鏡の中にいる少女は文句のつけようのないほどに『美少女』ではあった。


「ちょっと、少女趣味過ぎやしないか? まさかこの服でコックピットに座るわけにはいかないだろ」

「それは『お出かけ用』だよ。普段着は別の所で何枚か買おう」

「……下着も買わなきゃいけないか?」

「そうだね」


 にっこりと微笑むルースとは対照的に、ツバキはなぜかがっくりと肩を落としていた。


※ ※


 嫌がるツバキをルースがなだめながら、二人は何とか当面必要な服装を買いそろえ終えた。ショッピングに慣れていなかったツバキは、休憩のために寄ったカフェでようやく一息つくことができたのを喜んだ。


「全く、拷問に等しいな」


 試着のまま脱がずにいることになったレースのドレスを見回しながら、ツバキはため息をつく。


「仕方ないよ。まさか男物の服装で出歩くわけにもいかないしね」

「別にオレはそれでも構わないぞ」


 なおも不満を垂れ流すツバキに、ルースは肩をすくめただけで応じた。


「支援コンピューターが修理出来たら、次はどこに行くんだ?」

「『会議』が終わるまではルナーにいるよ。それからは、会議の内容次第かな?」

「会議? 何の会議だ?」


 ツバキは目の前に置かれた名物の『ルナティック・パフェ』から突き出ていたプレッツェルのようなものを手で引き抜いて、それをかじりながらルースに尋ねる。

 そうはいってもツバキは、そんな意味の分からない『会議』なるものにはあまり興味がなさそうで、サイケデリックな色彩を放つ目の前のスイーツに興味津々で見入っていた。


「ナイトランダーの、だよ」

「む? 反ミドルスフィアのナイトランダーがここに集まるのか?」

「反、じゃなくて、『全』だけどね」

「へえ。じゃあ、ヤナ・ガルトマーンにも会うんだな」


 ツバキは、ミドルスフィアを出る際に出会ったモーターカヴァリエのパイロットの名前を口にした。


「多分、ね」

「なら、ガルトマーンから何か話が聞けるのか?」


 ツバキは、戦友を失うことになったあの戦いの、情報も与えられず出撃させられる羽目になった原因を知りたがっている。ガルトマーンから何か聞き出せるのではないかと、期待せずにはいられなかった。


 少なくとも、ルースがツバキを探していたということを、ツバキたちが事前に知っていれば、隊長たちは死なずに済んだかもしれないのだ。


――オレは、『言い訳』を探しているだけなんじゃないのか?


 そんな心の声を、ツバキは頭を振って振り払った。


「個人的に話をする機会は無いかもしれないよ」

「でも、こんなチャンスは無いだろ。手を貸してくれるんじゃなかったのかよ」


 ツバキが少し語気を強める。ルースはそれを、「まあまあ、待って待って」と困った表情でなだめた。

 

「今回は、ボクを正式にナイトランダーとして承認する式みたいな感じになるだろうから、一対一にはなりにくいんだよ」

「なんだ、ルースはまだ正式なナイトランダーじゃなかったのかよ」

「以前はそうだったんだけど、ちょっとあってね、今は『見習い』みたいな感じになってる」

「そっか……」


 期待した分だけ落胆も大きい。ツバキは急に興味を失ったように、パフェのスプーンを手にした。


「ナイトランダー同士会う機会は意外に多いから、すぐに次のチャンスが来るよ」

「ふーん、そんなもんなのか。って、承認式の主役がこんなところで買い物なんてしてていいのか? 準備とかないのかよ」

「式典とかじゃないから。儀式みたいなものだよ。ナイトランダーたちがボクを迎え入れることを確認して、ボクが宣誓の言葉を述べる。それで終わりだね」

「そんなものの為に、わざわざルナーまでみんな来るのか。ご苦労なことだな」


 ナイトランダーにとって『承認の儀式』は、ツバキが考える以上に大切なものなのだが、それを『そんなもの』と表現されたルースは、しかし嫌な表情をすることもなく、パフェをどこから食べようか思案しているツバキの姿を微笑みながら見つめていた。


「辺境の一兵卒には全く縁のない存在だったけど、ナイトランダーって、なんか所属フリーの傭兵団みたいだな」


 そんなルースに向かって、ツバキはふと心に浮かんだ率直な感想を口にする。それを聞いてルースは、少し目を見開いた。


「お金の為に存在しているわけじゃないから、傭兵じゃなくて騎士団だね。そういうイメージで間違いじゃないと思うよ」


 ツバキはスプーンで濃緑色のクリームの部分をすくうと、少し躊躇してから口に入れた。


「抹茶だ。何年ぶりかな……うまい、うまい」

「軍人だった割には、甘いものが好きなんだね」

「軍人が甘いもの好きで悪いのかよ。スイーツ禁止なんて言う軍法は無かったからな」


 そう言いながらツバキは、今度は青色と赤色がマーブルに絡み合ったクリームをスプーンですくって口に入れた。


「な、なんだよ」


 目を細めながらツバキを見つめるルースの視線に気が付いたツバキは、スプーンを動かす手を止める。


「いや、本当においしそうに食べるなって思ってね」


 そう微笑むルースの顔を見て、ツバキは何だかバツが悪くなり視線を逸らす。そしてそのバツの悪さを悟られないように、店内に設置されてあったモニターを見るふりをした。


 モニターには、何か新しい携帯端末の宣伝が映っている。


 アイランズ自治区のニッポン・エリアで発生した戦闘も、その後にミサイルが撃ち込まれたがモーターカヴァリエ『ガルーダ』がそれを撃ち落としたということも、全くニュースにはなっていなかった。

 ツバキにとって、それは『当然予想されるべきこと』でしかない。事件は完全にもみ消されたのだ。


「絶対、暴いてやる」


 ツバキがボソッとつぶやいたその時、モニター画面が急に切り替わり、スーツを着た男性アナウンサーが画面に登場した。

 アナウンサーの表情は、随分と強張っているように見える。


『速報です。

 エイジアの民間会社が運用する星間輸送船がマルスからルナーへと向かう航路上で消息を絶ったことを、ミドルスフィアのエイジア行政府が発表しました。

 発表の中でエイジア行政府は、マルス・シルチス軍の攻撃によるものだと断定し、シルチス行政府に対し謝罪と真相の究明、および賠償を要求しています。

 それに対しシルチス行政府は当事件への関与を否定し、エイジア行政府の陰謀であるとの非難声明を発表。両者の主張は真っ向から対立しており、今後、両政府の対立が激しくなることが懸念されています。

 この事件を受け……』


 エイジア……その名前を聞いて、ツバキは顔をしかめた。


「ルース、これって……」


 危惧していたように、何か事が動き出したのかと感じたツバキは、そう言いながらルースの方へと視線を向けた。しかし、予想以上に険しい顔をしているルースを見て、それ以上の言葉を飲み込む。


「ルース?」


 しばらくニュースを見ていたルースは、ツバキに視線を戻してこう言った。


「ツバキ、すまないけど、先にティシュトリアに戻っておいてくれるかな」


 婉曲的な言葉とは裏腹に、ノーと言わせないような声の圧力を感じ、ツバキはそれ以上何も聞かずに、黙って頷いた。



※ 20200401 改稿


<脚注>


『ミドルスフィア』

 地球の呼称。

 アジアを支配する「エイジア軍閥」、ヨーロッパを支配する「ユーラ軍閥」、南北アメリカを支配する「コロナ軍閥」の三軍閥により統治されている。


『アイランズ自治区』

 エイジアの統治下にある自治区の一つで、太平洋上の島々が連合している。中央行政府はパプアニューギニア島にある。

 ニッポン、タイワン、ルソン、ジャワ、パラオなど幾つかのシティの代表によって構成される評議会が、自治政府の行政を担っている。


『ルナー』

 月の呼称。


『マルス』

 火星の呼称。

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