約束の果て

シオンとテオは老人の家に着くと、個室に案内された。


「荷物を置いたら客間に来てくれ。そこで話を聞こう。」


「ありがとう。少し待ってて。」


老人が部屋を出ていくと、シオンはテオの背中から荷物を降ろした。次に自分の上着を脱ぎ、両手足に着けたナイフシースとハーネスホルスターの右胸からナイフを外した。


「ふぅ...この開放感は好きだね。」


「銃は置いていかないのか?」


「...一応ね。あとはナイフ1本で大丈夫。」


ハーネスホルスターの自動式拳銃と腰のホルスターに差した2丁の回転式拳銃、ベルトの背面に取り付けられたナイフを着けたまま上着を着た。


「あとはケースと荷物に...この本。」


テオの背中に薬の詰まった荷物を載せると、銀色のケースと魔女サザの日記を持って、テオと一緒に客間に向かった。

客間に行くと、テーブルの上に置かれた燭台の灯りが揺れていた。


「あの老人はどこだ?」


「老人ではない。ガルドだ。」


ガルドはシオン達よりも後から客間に入ってきた。その手には良い香りが漂うハーブティーを持っていた。


「ここで出せるのはこれくらいだ。」


「ありがとう。」


テーブルにカップが置かれた。シオンはカップの前に座ると、その対面にガルドが座った。

シオンはハーブティーを1口飲むと、ガルドに質問をした。


「サザと言う名を知ってる?」


「...勿論知っている。魔女の名前だ。」


「サザはこの街に馴染めてた?」


「あぁ、馴染んでいたよ。俺が産まれた時には居たらしいしな。俺も、あの魔女を余所者だと思ったことは無い。」


「じゃあ、サザは居なくなる前に普段と様子が違わなかった?」


「...少し違ったな。大雨の中、長の家に慌てて走っていく姿を見た。」


「長の娘は、貴方の婚約者だった?」


「...どこでそれを知ったんだ?」


「この本はサザの日記。最後の頁を見て、貴方の婚約者を思い出したの。」


シオンは最後に書かれた頁を開いて、ガルドに本を渡した。


「私は長の家に行き、街のみんなを避難させるように頼んだ。長はすぐに頷いた。安心して長の家を出て工房に戻ろうとすると、すぐに馬車が私を追い抜いた。馬車には、長と長の家族が乗っていた。私の言葉だけでは間に合わない。どうにか出来るかもしれない。取り返しのつかなくなる前に、私が何とかしてみせる。」


「それが、サザが居なくなった理由。その行動が合ってるかは分からないけど、魔女は住むと決めた街を見捨てる事はしない。」


「お前さん...この事実を私に教える為に魔女の家に行ったのか?」


「そんなことは無いよ。他にも用があったから、そのついで。」


「ハッハッハ!お前さんは面白いな!」


「そう?」


「あぁ、面白いよ...お前さんは。」


笑っている老人の目からは涙が溢れていた。

街を見捨てずに残った老人は、途方も無い孤独を味わい、見捨てた人間を恨んでいた。

口や感情に出さなかったが、初めに街を見捨てた魔女を憎んでいた。だが、何十年も積み上げてきた憎しみを、心の闇を、目の前の小さな魔女が『ついで』に払ってくれた。

枯れたと思っていた涙が、再び溢れ出した。


「どこか痛むの?薬ならあるよ?」


「いや...違うんだ...嬉しいんだ。」


涙を流しながらサザの日記を抱きしめるガルドの姿を見て、シオンとテオは顔を見合わせていた。

しばらくしてガルドが落ち着くと、頼まれていた旅の話をした。

話を聞くガルドは、何かつっかえていたものが取れたのか、楽しそうにシオンの話を聞いていた。

夜も更けると、楽しい旅の話は終わりを告げた。


「面白い話ばかりだった。ありがとう。」


「どういたしまして。」


「明日はどうするんだ?」


「...サザを探してみるよ。」


「そうか...見つけたら教えてくれ。」


「死体でも?」


「あぁ。最期まで街の事を考えていてくれた魔女だ。手厚く埋葬してやりたい。」


「分かった。じゃあ、私は寝るね。」


「...おやすみ。」


シオンはテオを連れて個室に戻ると、用意されたベッドに倒れ込んだ。


「ふぁぁ...」


「おい、本当に探すのか?」


「探してみる...魔具を持ってるかもしれないからね...」


「はぁ...こんな街に長居する必要は無い。もし明日見つからなければ、明後日の朝に必ず発つぞ。」


「わかった、わかった...おやすみ...」


シオンは一瞬の内に深い眠りに落ちていった。

次の日の朝になると、ガルドが家を出ていく音で目を覚ました。

寝惚けながらも準備を整えて家を出ると、テオの背中に乗って崩れた土砂を登り始めた。


「この先にあるのか?」


テオは背中の上で大きな紫色の魔法陣を展開しながら唸っているシオンに声を掛けた。シオンは集中しているのか反応がなく、何度か声をかけると、ようやく反応した。


「多分...でも、魔力の痕跡を増幅させて探してるけど、40年前の魔力の痕跡は流石に厳しいね。」


「何か手掛かりでもあればいいんだが...」


「1度工房に戻ろう。手掛かりが無いか探してみる。」


「日記には書いてないのか?」


「...ガルドに渡したまま。」


「それも回収するぞ。」


テオが登ってきた土砂の斜面を下ろうと走り出した1歩目で、足元の土砂が崩れ落ちてしまった。

シオンとテオは、土砂の中に出来た不可思議な空洞の中に囚われてしまった。


「いたた...確かここにランタンが...」


シオンは自分のランタンをテオの背負う荷物から取り出すと、ランタンの中に取り付けられた触媒にルクスを放った。

火の明かりとは違い、白い光が闇を払って空洞の中の視界を確保した。


「シオン、これは荷物から落としたのか?」


テオの視線の先には、古びた腕輪が落ちていた。それはシオンの物ではなかった。


「それは...」


シオンは腕輪を拾うと、纏わりついた土を払い、腕輪を観察した。

すると、腕輪に付けられた宝石から魔力が放たれている事が分かった。それに加えて、腕輪には魔女の使う文字で、サザと刻印されていた。


「サザの魔具だ。」


「使えるのか?」


「まだ魔力の反応があるけど、魔具として使うには、魔力が足りてない。」


「価値はほとんどないのか。」


「でも、この場所に魔具があると言うことは...」


シオンはランタンの明かりを頼りに、地面をくまなく探した。

すると、地面に服と思われるボロボロの布切れが落ちていた。


「あった。」


「骨が無いな。」


「...魔女は自分の命と体を魔力に変えて放つ強力な魔法がある。それを使ったんだと思う。」


「それを使っても、自然には勝てなかったか。」


「そうみたいだね。とりあえずこの魔具と服を持っていこう。」


「あぁ、いい考えだ。なら、ここから出るぞ。」


シオンは服を拾うとテオの背中に乗った。テオは落ちてきた穴に狙いを定めて、全力で飛び跳ねた。

シオンとテオは無事に空洞から出来ることが出来た。


「あの高さなら余裕だな。」


「さすがテオ。褒めてあげる。」


「何もしてないお前が、よくそんな態度を取れるな。」


テオは呆れながらも、足元を気にしながら慎重に斜面を下った。

そのままの足でガルドを探すと、墓標を直している所を見つけた。


「ガルド。見つけたよ。」


「本当か?どこで見つけたんだ?」


「土砂の中で見つけた。」


「そうか...サザの遺体を回収してくる。場所は何処だ?」


「生憎だけど、魔法の影響で遺体は無い。代わりに、サザの魔具と服を持ってきた。」


シオンは腕輪とボロボロの服をガルドに渡した。


「これがサザの遺品か...遺品だけか...」


「ごめんなさい。遺体はどうやっても回収出来ないの。」


「...お前さんの目を見れば、嘘を言っていない事は分かってる。だが、ちゃんと埋葬して恩返しをしたかった...」


「死んだ者に恩を返す事は不可能だ。だが、覚えている事は出来る。人間、お前だけでもサザのした事を覚えてろ。死ぬまで覚えておけ。それが、魔女の生きた証になる。」


「だが、私だけが覚えていてもなんの意味も無い...私はもう先は長くないんだ。」


「伝える方法はいくらでもある。お前達人間は文字が書けるだろう?」


「...ははっ、魔獣に説教される日が来るとは...分かった。サザの偉業を書こう。」


「それでいい。それが、お前にできる事だ。」


テオはシオンに目で合図する。シオンは少し嫌そうな表情を浮かべたが、珍しく人間に肩入れするテオを見て、渋々荷物の中から何も書かれていない本を取り出した。

テオは本を咥えると、ガルドに投げるように渡した。


「本はやる。いつか戻ってきた時に残っていれば、回収してやる。」


「あぁ...」


ガルドは本を大事に脇に抱えた。


「本を書くと言ってるけど、貴方はこの街を出ないの?」


「...私はこの街に居る。魔女に示しがつかない事もあるが、何よりも約束があるからな。」


「婚約者の事?戻ってくるなんて確証は...」


「戻ってこなくてもいい。私は待たなければいけないんだ。それが、私が生きる意味なんだ。」


「そう...じゃあ、私達の用はもうないから出発するね。」


「そうか。旅の無事を祈っているよ。」


「ありがとう。」


シオンがテオに合図をすると、テオは歩き出した。しかし、シオンは慌ててテオを止めて振り向いた。


「この先に銃弾を扱ってる店のある街は無い?」


「銃弾?西の道から抜けていけば、火薬を扱う街があると聞いた事はある。」


「分かった。行ってみるよ。」


ガルドはきまぐれな魔女を見送り、家に戻った。部屋に戻り本を開くと、古びたペンとインクを用意する。


「さぁ、何から書こうか。」


ガルドは少し考えた後、インクをつけたペンを手に持った。

街を出たシオンとテオは、道の脇を木々に囲まれた状態の悪い土砂の道を歩いていた。


「今頃、何から書こうか悩んでるかもね。」


「俺の知った事じゃない。」


「テオが書くように言ったのに?」


「...魔女の偉業は残りにくい。だから、人間でもいい。少しでも魔女の名が残れば良いと思っただけだ。」


「テオって人間は嫌いだけど、魔女は好きだよね。」


「好きなわけじゃない。」


「私の事も?」


「お前の事は...知らん。」


シオンの問いかけにテオが答えることもなかった。


「何で教えてくれないの?もしかして、恥ずかしがってる?」


「黙れ。振り落とすぞ。」


シオンがテオをからかっていると、テオが何かの匂いを感じ取った。


「...硝煙の臭いだ。」


テオはすぐに木々の中に入り、身を低く屈めた。シオンも右腰の銃を抜き、息を殺しながら待っていた。

だが、土砂の道を登ってきたのは身なりのいい年老いた女だった。


「害はなさそうだね。」


シオンは銃をホルスターに戻すと、テオに道に戻るように指示をした。

道に出たシオンとテオに気が付いた女は、笑顔を浮かべて話しかけてきた。


「あら、可愛い女の子に大きな狼ね。でも、どうして森の中から出てきたのかしら?」


「硝煙の臭いがしたから、少し警戒しただけ。」


「ごめんなさいね。私が少し前まで火薬を扱ってたから...」


「じゃあ、この先の街には銃弾は売ってるの?」


「えぇ...でも、銃弾を作ってる人は最近見なかったわね...」


「うーん...取り敢えず行ってみる。ありがとう。」


「あっ、私からも、ひとつ質問してもいいかしら?」


「いいよ。」


「この先の街に、人は居るかしら?」


「...1人だけ、物好きな墓守が居るよ。」


「そうなのね。私も先を急ぐわ。旅の無事を祈るわね。」


「ありがとう。」


シオンは別れを告げると、振り返らずに前に進んだ。

女の姿が見えなくなると、テオがシオンに話しかけた。


「おい、あの女...」


「...多分ね。お互いに信じていれば、いずれ想いは届く。それが何年経った後でも。」


「人間はよく分からないな。すぐに見捨てる者もいれば、ずっと信じ続ける者もいる。」


「それが、人間の面白い所。皆が皆、同じじゃないって分かるでしょ?」


「...そうだな。」


「私達は、私達なりに信じ合えば良いんだよ。そうすれば、いつか離れることになっても、想いは届くから。」


「俺がお前から離れる時は、お前が俺を見捨てた時だけだ。俺を必要とする限り、俺はお前を信じ続ける。それだけだ。」


「大丈夫。テオの想いはちゃんと伝わってるから。」


「...喧しい魔女だ。」


テオは恥ずかしさを紛らわせる為に、土砂を一気に下った。その背中にしがみつくシオンは、嬉しそうに笑っていた。

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