失恋して、よかった

霜月うまれ

第1話

 普段通い慣れた学校の空き教室で、僕は一人本を読んでいた。

表情を動かさないまま、瞳だけを動かして文字を追う。

ふと、本から目を離して窓の外を見てみると、曇り空が向こう側まで広がっていた。


僕はきのう、失恋した。

その事実が僕の心をまた少し腐らせる。


 僕が恋したのは、幼馴染の女の子だ。

小学校から高校まで同じ学校に通っていて、お互いを親友と言い合える仲だ。

そう、親友と言える程に僕と彼女は仲が良かったんだ。

しかし、僕は最近になって友情とは別の感情を彼女に抱くようになった。


なぜ、今更になって好きになったかは分からない。

恋人にならなくたって、彼女とはほとんど毎日一緒にいる。

下校中に二人で買い物したり、映画を見たりもしてる。

彼女が中学生になって髪を伸ばし始めたときに、髪留めをプレゼントしたこともあった。

あの髪留めを彼女は今でも大切にしてくれている。

今更恋人になっても、この関係は変わらないと思っていた。

でも、日を追うごとにこの気持ちは大きくなった。

いつも通りの彼女の笑顔を、なんだか真っ直ぐ見ることが出来なくて。

彼女のことが頭から離れなくなった、どうしようもない想いが心の中で芽生える。

もっと彼女を知りたいと思った。本当におかしいと思う。

だって、幼馴染である彼女の何をもっと知りたいのか、僕自身、分からなかったから。

もっと僕を知ってほしいと思った。本当にどうかしてると思う。

だって、幼馴染である彼女に、僕の何をもっと知ってほしいのか、分からなかったから。


彼女は照れるとき、手を後ろに組む癖があること。

彼女は怒ると、話を聞いてくれなくなること。

彼女はとても真っ直ぐで、嘘をつくのが嫌なこと。

彼女はとても負けず嫌いなこと。

彼女は少し杜撰ずさんな所があること。

彼女はとても優しいこと。


他にも、彼女の色々な面を僕は見てきた。

彼女の全てを知りたいだなんて傲慢なことは思っていないし、

彼女のことを何も知らないなんてこともないと思う。幼い頃からの付き合いなのだ。

少なくとも、彼女の良いところと悪いところは理解しているつもりだ。

これ以上、彼女の何を知りたいのか、僕には分からない。

けれど、気持ちは大きくなる。


僕が嘘をつくときに、何か癖がでるらしいこと。

僕が悲しいときに、表情を出さないようにしていること。

僕がとても臆病で、勇気を出すのに時間がかかること。

僕がとても押しに弱いこと。

僕が少し几帳面すぎること。

僕がとても淡白なこと。


他にも、彼女は僕の色々な面を見てきただろう。

僕の全てを知ってほしいだなんて面倒くさいことは望んでいないし、

僕のことを何も知らないなんてこともないと思う。彼女のことだから、

少なくとも、僕の悪いところを知った上で親友と呼んでくれるんだと思う。

これ以上、彼女に何を知ってほしいのか、僕には分からない。

けれど、気持ちは育ってゆく。


ずっとこのまま彼女と一緒に居たいと思っている。

彼女をどうしたいのか、どうしたらいいのか分からなくて、とても不安になる。

彼女のどこを好きになったのかも未だに分からない。それがとても怖くなる。

だというのに、僕の心は叫ぶのだ。想いを彼女に打ち明けたいと。


そして昨日、休日の昼ごろ。珍しく彼女に誘いを断られた僕は、

男友達と一緒に買い物をしていた。そこで偶然、男と歩いている彼女の姿を見たのだった。

僕は彼女のことをある程度知っているつもりだったが、

あのときの彼女の表情は知らなかった。

あぁ、彼女は恋をするとそんな顔をするのか。そんなことを考えていた気がする。

その後、友達に謝り先に帰宅して、その先は覚えていない。

そのときから少しずつ、

心に芽生えて、どうしようもなく育ってしまった想いが、腐っていくのがわかるのだ。


読む気が失せてしまった本を閉じて、一息つく。目を閉じて、何とか心を鎮める。

失恋は、初めてではない。小学生の頃は担任の先生に、中学生の頃は学校のアイドルに、

それぞれ失恋している。今回と同じく、何かをすることもなく。

しかし、今回の失恋は僕が今まで経験してきた失恋とは少し違うようだった。

想いの大きさが違った。こんなにも、どうにかなりそうな恋は初めてだった。それに......


「失恋したのに、何でまだ諦めきれないんだよ......!!!!」


涙が流れる、心は鎮まってはくれなかった。

彼女に会いたい。会って想いを打ち明けてしまいたい。

そう思う自分が心底嫌になった。親友に彼氏ができたのだ、祝って然るべきだというのに、

祝うどころか、終わった恋を引っ張り出して彼女を困らせようと考える自分が心底嫌だ。


僕は声を押し殺し泣き続けた。誰もいない教室で一人泣いているのだから

誰かが見ていれば何かあったのかと声をかけられるかもしれないから、早く涙を止めたいのだが、一向に止まってくれない。もういっそ、誰もこないとたかをくくって泣いていようか

と考えていると、最悪なことに教室の扉が開く音が響いた。


「大丈夫!?」


教室に入ってきた人物を見て、僕は目を見開く。

長い黒髪をポニーテールにしていて、

前髪をでまとめている。

一番会いたいと思っていた、今一番会いたくない人物がそこに立っていた。


「あぁ、僕は大丈夫だから、気にしないで」


嘘だった。大丈夫なんかじゃない。

心臓の音がさっきからうるさいし、自分が今どんな表情なのかも分からない。

パニックだった。


「気にするよ!! どうしたの? 何かあった??」


彼女は心配そうに僕に駆け寄ってくる。

会えたことが嬉しいやら、泣いているのを見られて情けないやらで

なんだか分からない気持ちになる。


「いや、本当に何でもないんだ。ただ、読んでた小説に感動していただけ」


苦し紛れの言い訳にしては上出来だと思った。

彼女は机の上にある本に目を向けて、不機嫌そうに口をへの字に曲げる。


「……それ、私には料理本に見えるんだけど」


「え?」


慌てて手元の本に目を向ける。

確かに料理本だった。僕は肉じゃがのレシピを見て感動の涙を流していたらしい。

……まあ、手元の本に意識がまわらないほどに僕は参っていたということだ。


「……うん、まあ、言いにくいことなら無理して言わなくていいよ。

でも、本当に辛くなったら相談してよ? 私は君の親友なんだから」


そう言って微笑んでくれる彼女。

あぁ、やっぱり僕は彼女のことが好きなんだ。

そう再認識するには充分すぎるほどに眩しい笑顔だった。

しかし、このまま気まずい空気の中には居たくないので話題を変えることにする。


「ありがとう。ところで君はどうしたの? 下校時間からかなり時間が経ってるけど?」


「あー、それね」


彼女はため息をついて、僕に手を差し出す。


「君を探してたんだよ。君の言うとおり、もうとっくに下校時間だよ。ほら、帰ろう?」


どうやら、彼女は僕のことを待っていてくれたらしい。

毎日一緒に下校していたけれど、それはなんとなく一緒にいただけで、

一緒に帰ろうだなんて約束はしてはいないと言うのに。


彼氏でもない僕のことを、待っていてくれたらしい。


「駄目だ」


僕は呟いた。

そう、駄目なのだ。

彼女には彼氏がいて、本来ならばその彼氏と一緒に帰るべきなのだ。

僕が、彼女の邪魔をしてはいけない。


「え? 何が駄目なの?」


少し困惑している様子の彼女に、ハッキリとした口調で告げた。


「今日から、一緒に帰るのはやめよう」


「…………え?」


彼女が放心している。

よく考えてみたら、いきなり親友に「一緒に帰りたくない」なんて言われたら

誰だって傷つくに決まってる!!

何やってるんだ馬鹿野郎、と自分を叱咤しったしながら続きの言葉を絞り出す。


「い、いやー、僕らもう高校生だろう? そろそろお互い恋とかするかもしれないし、一緒に居過ぎるのもどうかなぁと思って……ね?」


少しの沈黙、僕は前髪を掻き上げる。

彼女の顔が悲しそうに歪む。


「私、君に何かしちゃったのかな? 何か気に触ること言った?」


どうやら僕の嘘はバレているらしい。

とりあえず彼女になんの非もないことを伝えようと僕は口を開く。


「違うよ、君は何も悪くない」


「じゃあ、そんなこと言わないで一緒に帰ろうよ」


泣きそうな顔の彼女。

あぁ、そんな顔されたら断れないじゃないか。


「わかった、君がいいなら一緒に帰ろう」


僕の言葉を聞いて、安心したように息を吐く彼女。

しかし、彼女はだいぶ不機嫌になってしまったようで、そっぽを向く。


「最初からそう言えば良いのに…… 変なの」


彼女はそう言うと、僕に背を向けて教室の出口へ向かう。

僕は慌てて机の上の料理本や教科書をカバンに詰めて彼女のあとを追う。

あぁ、この後どんな顔をすればいいんだろう。







ザーッと雨が降っている。湿った空気がじっとりと肌に触れる。

この空はまさに僕の心を写す鏡のようだなぁ、なんて考える僕。

そういえば本を読んでいた時も天気悪かったなぁ。


「……雨だね」


隣で立っている彼女が言った。

僕は傘を持ってきていないので、彼女が傘を持っていなかったら詰みだ。


「ねぇ、君は傘を持ってる?」


「私は持ってないよ。君は?」


「……持ってない」


詰みである。


「もう、君が早くしないから悪いんだよ」


彼女がふくれっ面で言う。

実際その通りなので、ぐうの音も出ない。

一言ゴメンと謝ると、彼女は無言で頷いた。


「……」


「……」


無言。

辺りはとても静かで、雨音しか聞こえない。

校舎に人は残っていないようで、学校の入り口には僕と彼女だけが佇んでいた。


「……ねぇ」


「なに」


「なんでさっきは一緒に帰らないなんて言ったの?」


嫌な話題だった。

どう答えていいか分からずに黙っていると、彼女がまた口を開く。


「彼女でも出来たの?」


余りにも的外れな言葉に思わず彼女の方を向く。

彼女は唇を尖らせて、面白くなさそうにしていた。


「いや、そんなこと無いけど」


「嘘だよ」


何故か即答された。

靴箱の方に歩く彼女を見ながら尋ねる。


「なんでそう思うの?」


「だって見たんだもん」


彼女は靴箱にもたれ掛かりながら答える。


「今日の昼休み、君が顔を赤くして女の子と話してるところ。一緒にご飯食べてた」


そう言って彼女は僕から目を背ける。

確かに僕は今日他の女友達と昼飯を食べたが、それは僕の恋の悩みを相談するためであり、

顔が赤かったのも、今目の前にいる彼女を思い浮かべてである。


「勘違いだよ。それに、恋人が出来たのは君だろ?

一緒に帰らないって言ったのも、君を気遣ってのことなんだよ?」


余計なお世話かもしれないけど。


すると、そっぽを向いていた彼女が勢いよくこっちを向いた。


「え!? 私に恋人!? そんなのいないよ!!」


いやいや、と手を振って首も振る彼女。

あれ? じゃあ、あの人は誰だろう??

そう思って昨日のことを聞いてみると、

信じられないといった顔でこっちをみる彼女。


「君がよく一緒にいる友達だよ。えっと、りょうって言う名前の」


「え!? あれ涼だったの!?」


驚いた、学校では彼女の次に一緒にいることが多い僕の友人である涼が

彼女のボーイフレンドだったとは。


「そうか、君は涼と付き合ってたのか。

僕にも一言ぐらい言ってくれてもいいじゃないか」


「だから違うってば!! ……これを買うのに付き合ってもらっただけだよ」


そう言って彼女はカバンから小さな箱を取り出した。

贈り物用に包装されているようだった。


「はい、誕生日おめでとう」


そう言って、その小さな箱を僕に手渡す彼女。

僕といえば、色んなことが頭を回っていて混乱中であった。


「えっと、今日って僕の誕生日だっけ?」


「やっぱり忘れてると思った。それ、開けてみて」


彼女の言葉に従って箱を開けると、中には革紐のペンダントが入っていた。

僕の趣味ど真ん中のペンダントである。


「カッコいい」


「本当? よかった。私、君が喜びそうな物とか選ぶの自信なくてさぁ

涼くんの意見も借りながら選んだんだよ?

昨日初めて涼くんと話したから、ちょっと気まずかったよー」


そう言って笑う彼女。

僕のためにそこまでしてくれるとは、かなり心にくるものがある。

あぁ、今日まで生きていて良かった。そう思える誕生日になった。


僕が感動に打ち震えていると、彼女が改めて僕を見据えてくる。


「で? 私は昨日のことを話したよ? 君は今日なんで他の女の子と、それも

顔を赤くしながらお昼を過ごしてたのかな?」


彼女が笑って迫ってくる。

恐らく、顔が笑っているだけで内心すごく怒っているのだろう。

もしかして嫉妬してくれているのだろうか、という馬鹿な考えを振り払い

僕も今日の昼休みのことを説明した。


「ふーん、恋バナねぇ。それで? 君の心を射止めたその人はどんな人なのさ」


そう言って更に詰め寄ってくる彼女。

まあ、ここまで話せば気になるのも仕方のないことだろう。

彼女も女の子なのだ。この手の話題は大好物というわけだろう。

しかし、僕の心を射止めたその人は今目の前にいる彼女なわけで、

絶対に知られるわけには……いや、待てよ。


僕は目の前で、何故か物凄く不機嫌そうにしている彼女をみながら考える。

彼女に彼氏がいるというのは僕の勘違いだった。

しかし、彼女にこの先彼氏ができないということは無いだろう。

何もしなければ、昨日のような失恋が僕を待っている。

遅いか早いかの違いなのである。


ならば、僕は今行動を起こすべきなのではないだろうか。


「さあ、吐いてもらうよ。昼休みの女の子には話せて、親友である私には話せないなんてことはないだろう? ……って、わっ!! ちょ!?」


何やら喋っている彼女の手を取る。両手で包み込むようにしてしっかりと掴む。

心臓の音がうるさい。呼吸がうまくできない。それでも今ここで、言う。


「ちょっと君!? て、手なんか急に握ってどうしたの!?」


大丈夫、だって僕は昨日すでに失恋してるんだから。

失うものは何もない、わかんないけど無いはず!!


回らない頭で必死に今の気持ちを言葉に変換させる。

彼女の目を見る。その潤んだ目を見て僕はとっさに言葉を吐き出した。


「君なんだ!!」


「……へ?」


「僕が好きなのは、君なんだ!!」


「……ふえぇぇ!?」


目を見開く彼女。しかし、僕の気持ちは止まらない。


「どこを好きになったとか、そういうのは分からない!!

でも、君といるととても幸せなんだ。ずっと君の隣にいたい!!

僕のことをこれまで通り、ずっと見ていてくれ。

僕も、これまで通り君をずっと見ていたい」


彼女の目から涙が流れた。しかし、この想いは止まらない。

止まりたくない。止まってしまったらまた、この想いは腐ってしまう。


「恋人になることで、何か変化を望んでるわけでもない!!

恋人らしい振る舞いなんてしなくても構わない!!

ただ……ただ君の恋人にさせてくれ!!

そして、今まで通りの日々を僕と過ごしてくれ!!!!」


僕の声が校舎に響く、誰かが聞いていても構いはしない。

僕は、この想いを全て、彼女に出し切った。

握った手が震えている。この震えは彼女のものだろうか、それとも僕のものだろうか。

僕はただ真っ直ぐに、彼女を見る。伝えることは全て伝えた。あとは答えのみだ。

彼女は震える唇をつむいで、ポツリとつぶやいた。


「か、髪はいじらないの……?」


「髪? ……なんで?」


一言、意味のわからない質問に僕が答える。

あ、あれ? なんだか、僕が思ってた答えと違う。

僕の言葉を聞いて彼女は、何でもない。と小さく返事をした後に、僕の手を握り返した。


「私も好き!! ずっと好きだった!! 本当は親友じゃなくて恋人になりたかった!!

君の唯一の人になりたかったの!! でも私、勇気が出なくて……!! だから嬉しい、

君から好きって言ってくれたことが、とっても嬉しい!!」


泣きながら笑う彼女。きっと僕も同じような顔をしているだろう。

握っていた手は離れて、二人で抱き合う。そして、唇にキスをする。

あぁ、僕はなんて幸せなんだろう。

僕らはここが校舎の出入り口だと言うことも忘れて、笑いながら抱き合っていた。

いつの間にか、雨はすっかり止んでいた。





帰り道で、僕と彼女は並んで歩く。

さっきは何とも恥ずかしいことをしたと、少しばかり反省する。

校舎の出入り口で抱き合うなんて……


「どうしたの? 君、顔が赤いよ〜?」


「うるさい、君も赤くしてるじゃないか」


「えへへ」


うわ、可愛い。

反射的にそう思ってしまった時点で自分はもうダメだと思う。

彼女は僕の前を歩いて、振り返らずに言った。


「あの程度で赤くなるなんて、まだまだ修行が足りないな〜」


そう言って笑う彼女。しかし、その手はしっかりと後ろで組まれていて

今は見えない彼女の顔を、僕は簡単に想像することができた。

僕は今、晴れた夕焼けを見上げながら、つくづくこう思うのだ。




きのう失恋しておいて良かった。

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失恋して、よかった 霜月うまれ @Nakayasu

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