ヒトの光は、昴が如く

ヤミキ

その壱:轟くは雷鳴少女の鬨の声

 西暦2019年。

 二度の世界大戦と数多の紛争を経て、人類が仮初かりそめの平和に身を委ねている安寧の時代。

 人はそれを黄金の時代と呼んで尊んだが、光在るところ闇もまた在り。

 平穏の裏では、恐るべき超常の物者がまことしやかにうごめいていた。


 人理を渡り歩く万象の玩弄がんろう者、魔女。

 喪失に付け込む無謬むびゅうの契約人、悪魔。

 略奪の為に生きる悪辣あくらつの化身、怪盗。

 闇夜を流離さすらい生者を呪う亡霊、邪鬼。


 そして、今宵の物語に登場する悪鬼羅刹あっきらせつは、人の身で在りながら超常の力を携えた異能の者達──

 妖術師。魔人。現人神。ありとあらゆる形容詞にて表現されたその者たちは、やがて使い古された一言で表される。

 人のくびきを外れたもの。

 人々は、彼らを『超越者アウター』と呼んだ。




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 雨粒が屋根を叩く。

 錆び付いた廃屋の屋根は、大きな音を鳴らして降り注ぐ雨の存在を主張していた。

 迷彩色のコートに身を包んだ男は、窓を滴る水滴から目を離して、背後の二人を見やる。

 先ほどから泣き叫んでいるのは、椅子に縛られている身なりの良いスーツの男。

 もう一人は、身体のラインを主張する薄いタンクトップに身を包んだ筋骨隆々の男。

 何のことはない。巷ではよく知られた誘拐劇の顛末てんまつだ。

 タンクトップの男は、画面の割れたスマートフォンを呆と眺めていたが、やがてそれにも飽きたのか、縛られた男の髪を掴んで恫喝を始めた。


「さっぱり鳴る気配がないのォ。なァ親父さんよぅ、この電話ブッ壊れてンと違うか? だって、あの偉大な米国政府が大事な高官サンを放っとくほど薄情なワケねぇもンなあ?」


「う、嘘だ! わ、私を嵌めるために、ワザと連絡を切ってるんだろう!? 電話を貸してくれ、私が直接話すから、」


「いやいや、出来るわけないじゃろ。こン場所をタレ込みでもされたら困っちゃうからのう」


 相手を椅子ごと蹴倒しながら。タンクトップの男が笑う。

 4時間前に一報を入れたきり、相手からは何の返事もない。

 身代金目当ての誘拐としては失敗もいいところだ。

 頭を打って呻くスーツの男を見下ろしながら、タンクトップが声を張り上げる。


「ブレーカーさんよゥ、やっぱ5憶っちゅう額はフッかけすぎたんじゃないかのう」


「構わん。金やテロへの抵抗を理由に人質を見捨てるなら、その程度の国だったということだ。糾弾の材料には十分事足りる。どちらに転んでも俺達は困らん」


 ブレーカーと呼ばれた迷彩コートの男は抑揚のない声で語る。

 その瞳は白く濁りきっており、瞳はここではないどこか遠くを見ていた。

 タンクトップは鼻を鳴らし、興味を失ったように背伸びをした。


「政治の話は難しくてヤンなるのぉ」


「そうだな。シンプルにしよう。もうその高官は用済みだ。殺していいぞ」


 それを聞いたスーツの男は身をこわばらせた。

 タンクトップは無感動な様子で腕を伸ばし、てのひらでスーツの男の顔で覆い尽くした。


「お、お願いだこんなこと止めてくれ! 家には息子がいるんだ、来月には小学校に上がる歳なんだ! 私が居なくなったら、息子と妻は、」


「ほうかほうか。ええ親父さンじゃのう」


 ぶちり、という音が響いた。

 椅子に縛られていた男の身体には首がない。

 タンクトップの男の腕に吸い付くようにして、首が胴から離れ千切れ跳んだのだ。

 タンクトップは無造作に首を投げ捨て、どっかと地面に座り込んだ。


「……と思ったが、やっぱり悪い親父さンじゃったのぉ。せっかくの息子の晴れ舞台すっぽかして、一人であの世にバカンスたぁいけねえや」


「指を切り落として目玉をくり抜け。彼の46年間の月日を無駄にするな。死後までその身体は丁寧に使わなければ」


「うへえ、指はともかく目ン玉はおっかねえのう。ブレーカーさんが自分でやりゃいいのに」


「俺は人の顔面を引き剥がすような趣味はない。お前がやれ」


「人使いの荒い奴じゃのお。帰ったら覚えとれよ」


 ブレーカーと呼ばれた男は、ポケットから葉巻を取り出し、火をつけて咥えた。

 白濁はくだくした瞳は再び窓へ移る。降り注ぐ雨が止む気配はなく、むしろ益々ますます勢いを増しているようだ。

 背後からべり……と何かがはがれるような音が響く。タンクトップが死体の顔の皮を剥いだ音だろう。

 無暗に広い鉄筋の廃屋では、小さな音までいやに大きく響く。

 忌々しい、とブレーカーは思案する。あのような狂人に頼らねばならぬとは、ブレーカーの名も落ちたものだ。と。


 超越者アウターの存在が当たり前になってから全ては変わってしまった。

 連中が現れてからたった20年の月日で、ブレーカーのような一般人はすっかり脇役へと追いやられてしまったのだから。

 探偵と怪盗の戯れ合い。世を忍ぶ魔女の暗躍。未開の地に潜み暴れる怪獣。彼方より攻め入る宇宙人。

 世界を最初に覆った脅威は、そのいずれでもなかった。

 人類の内から現れし超常の者、超越者アウターによる浸食が、全ての常識を破壊していったのだ。


 超越者アウターの存在は今や公然の秘密だ。

 平穏に暮らし続けている社会人にとっては無縁の存在かもしれない。

 しかし、一つ正道を踏み外し無法の世界に堕ちた者にとって、彼らは如何なる銃火器よりも恐ろしい暴力として君臨する。

 異能の力を持つ悪党ヴィランが派手に暴れるようになってから、それ以前に裏稼業を生業としていた人間はひっそりと身を隠す他なくなってしまった。

 弱肉強食の原則によって、弱者は淘汰されていく。生き残った者は、賢しく隠れまわっている小勢力か、超越者アウターとの同盟を取り付けた運のよい連中くらいのものだ。

 ブレーカーの組織は、運のよい方だった。彼の力を借りることが出来たのだから。

 それでも、忌々しいことに変わりはない。己の生殺与奪の権を全てあの筋肉男に一任しているのだから愉快なはずもない。

 彼の機嫌を伺わねば、満足に斯様かような仕事の一つもこなせぬのだから──




「失礼!」


 唐突に、何者かの甲高い声が響く。

 男が振り返ると、廃屋の扉の先には、堂々と立ち塞がる小柄な人影があった。

 極東陸軍の軍服が如き深緑の外套コート、足先を覆う黒檀こくたん長靴ブーツ、そのシルエットを覆い隠す円套マント、不釣り合いなほど巨大な軍帽キャップ

 背格好は二人の男達に及ぶべくもないが、堂々とした立ち姿はそれを感じさせないほどの自信に満ち溢れている。

 そして長くつやのある緑の黒髪は水滴を吸い込みしっとりと濡れそぼっており、背徳に溢れる色香を感じさせていた。

 麗しい色白のかんばせにあどけなさの残る微笑みを浮かべ、長い睫毛の間から覗く褐色の瞳を煌めかせて、

 闖入者ちんにゅうしゃは大きく声を張り上げた。


蓮華組合れんげくみあい荒蕪こうぶ組”所属超越者アウター丸畑まるはた茅根吾郎ちねごろう殿、及び国際テロリスト組織“マラコーダ”末端構成員、マーディフ・グランケン殿こと通称ブレーカーの二名とお見受けする!」


「……何もンじゃ」


 丸畑、と呼ばれたタンクトップの男が振り向き、両腕を構えて臨戦態勢ファイティングポーズを取る。

 同じくグランケンの名を暴露されたブレーカーもまた、懐に手を忍ばせ拳銃を掴んだ。

 言うまでもなく、裏稼業を生業とする二人の情報は秘匿されている。今宵の誘拐計画に関しても、情報漏洩の余地は無かった筈だ。

 では、眼前の少女は、何故この場に現れ、二人の名を看破して見せたのか。


天満てんまん鳴神なるかみ術継承者筆頭候補にして白樺しらかば家長女、白樺しらかば花芽智かがち──

 汝等が御霊みたまを天の浄土へ送還に参った!」


 少女──花芽智はそこまで言い終えるとマントを翻し、鞘挿さやざした脇差わきざしを露わにする。

 その柄に手をかけると、脇差からはかすかに絹を引き裂くような雷光の音が響いた。

 一触即発。

 三者三様の獲物を手にしたまま、しばしの時間が経過した。

 不意に、タンクトップの男──丸畑が笑い出す。


「天の浄土ぉ? か、要するに天国へ送ってくれるゆうワケか? えらい可愛らしいな仏の使いサマがおったモンじゃのお!?」


「然り。この花芽智、皆々様の働きよくよく耳にしておりまする。

 聞けば悪行三昧によって日銭を稼ぐ野党の如き集団とのこと。

 花芽智の役目、それは現世では受け入れられぬ悪しき御霊を弔い、仏の手へ委ねることに御座います」


 退かず。

 丸畑の怒声に怯む事無く、ただ滔々とうとうと花芽智は己が使命を語る。

 果たしてそれを侮辱の言葉と受け取った男達は、眉間の皺を深め前へ踏み出した。


「小難しい言い回しが好きじゃのお。その顔立ち、お前さん年端としはもいっとらんじゃろ。そんな小童こわっぱの分際で、わしらを殺すとかぬかしたか」


「然り然り。 であるからして、潔くそっ首差し出したるならば痛みなく介錯してしんぜまちょうわっ!?」


 台詞の最中、花芽智が勢いよく背後へと吹き飛ぶ!

 丸畑が掌を張り手の如く突き出すと同時に、花芽智は廃屋の外へと追いやられてしまったのだ!

 花芽智が勢いのままゴミ山に飲み込まれた事を認めた丸畑は、背後を振り返り両の掌を突き出した。

 そのまま勢いよく肘を折ると、視線の先からは廃屋の壁を突き破りアーマード・ハイエースが突入!

 操縦席は無人! アーマード・ハイエースは一人手に動き出して乗り手である男達の元へやってきたのだ!


「乗れ! 奴も超越者アウターじゃ。何をするか判らん、三十六計じゃ!」


「ちっ! 仕方ないか」


 二人の男は即座にハイエースに乗り込み、エンジンを掛ける。そのまま廃屋を飛び出し、公道へと進出!

 しかし、ハイエースの上部に人影在り! 高速の車上にしがみつくその姿は、降り注ぐ雨が作り出した霧の幻か?

 否! 二人の男に追い縋るべく飛び乗ったのは、長いマントをひるがえす白樺花芽智の姿である!


「対面の盤を突き崩して不意打ち上等とは卑怯千万!

 然らば花芽智の妙技によって、幽世かくりよへ送り届けて差し上げよう──

 

   火 雷 天 迅 雷からいてんじんらい!!   」


 花芽智がハイエースの背へ脇差を突き刺すと、俄かにその刀身が黄金色に輝き始めた!

 天の暗雲がぴかりと光る! 間も無く稲光は花芽智の突き立てた脇差へと達し、

 数瞬遅れた落雷音と共に、稲妻となってハイエースの車体を貫く!!

 雷は衝撃を伴ってハイエースへ落下! 車体を伝ってアスファルトへと離散していくが、運転手の気を動転させ付け入る隙を作るには十分な働きであった!

 即座に花芽智はタイヤを切り結ぼうと画策するが、瞬間、花芽智の身体が天へ向け浮遊する!

 咄嗟とっさに車体に食い込んだ脇差を掴んでいなければ、そのまま車道へ投げ出され後続車によって頭蓋を木っ端微塵にされていただろう!


「やや判ってきたぞ。それが貴殿の超越能アウトレンジか!」


 花芽智、再度の火雷天迅雷からいてんじんらい

 外敵は未だ貴様等の頭上にて虎視眈々こしたんたんと機を狙っているぞと主張するかのような強烈な稲妻がハイエースを襲う!


「ぐおあ!? な、何ッだ、これはさっきから!?」


「奴さんもバイタルに溢れとるのう!! ブレーカーさん、運転を続けい! ワシはあの小娘をとっちめて来る!」


「は?! 雨の中だぞ、おい!!」


 揺れる車内では、異能を持たぬブレーカーが困惑!

 対する丸畑はドアを開け、逆上がりの要領でバク転し車上へと参上する!

 その先には雷光を放つ脇差を構え相手を待ち受ける悪鬼と見紛うような黒影在り!

 言わずもがな、白樺花芽智の姿である!

 雨の中を走るアーマード・ハイエース! その上に立つ二人の超越者アウター

 今ここに超越者アウター同士による激突の火蓋が切って落とされたのだ!

 相対する二人は、片や軍服を纏いし年若い少女おとめ、片や筋肉の塊が如き巨漢! アンバランス極まる二者の対立は、だがしかし奇妙な、結束とさえ言える互いの警戒と観察によって奇妙な均衡を保っていた!


「丸畑殿の得手とする異能ちから念動力サイコキネシスが如きものと見た!」


「さあて……どうじゃろうな」


「名はあるのか?」


 せんだって口を開くは白樺花芽智。

 その口調は、どこか憂いを帯びた悲しげなものだった。


「名?」


「然り。名だ。丸畑殿はその異能ちからに敬意を抱いているか?」


「名前って、ワシの能力にか? はン、知ったことか。只々便利な力じゃろう」


「そうか。 差勁ちゃちだな」


「ぬかさんかい!!」


 丸畑が吼えたと同時に、花芽智、脇差を投擲とうてき

 然る後に放たれた火雷天迅雷からいてんじんらいによって、雷轟らいごうを纏った刃が丸畑へと迫る!

 だが、丸畑が掌を勢いよく突き出すと宙空の脇差は途端にそれまでとは逆方向へとかっ飛び、天より来る稲妻は花芽智を狙い降り注ぐ!

 これはたまらぬと思ったか、花芽智は足場を蹴り前進! 丸畑によって操られた脇差と交差し、稲妻を背景として徒手空拳の構えを取った!

 その速度はさながら音速マッハの如し! 深緑の影と化した花芽智は鋭き貫手を丸畑の喉元へ放つも、だが、おお、見よ!

 丸畑の身はふわりとまるで凧のように宙を舞い、雨中の空を垂直に昇る! 直後、今度は垂直に駆け降り、眼下の花芽智へ向けて体重を乗せた急降下のキックを放った!

 虚を突かれた花芽智! 咄嗟とっさに飛び退き対処をはかるが、万力が如き圧力によって脚を動かすこと能わず!

 見上げれば丸畑の腕がすっくと足元へ伸びている! 彼の異能ちからによって、花芽智の身が猛烈に下方向へ抑え付けられているのだ!

 

迂闊うかつ!」

 

 丸畑の体重、実に145kg! 鉄塊が如き重量の超速落下キックを食らえば、少女花芽智の身体は捻じ折れ吹き飛ぶこと必至!

 あわや絶体絶命! 対する丸畑は勝利を確信し、動けぬ目標をあやまたず踏み抜いた!



 

「……おぉ?」

 

 しかし、車体にめり込み後部座席を粉砕した丸畑の蹴りに手応えなし!

 その靴とハイエースの屑鉄の間には、一片の血肉も見受けられず!

 となれば、それの意味するところは只一つ──

 

「……お前さんの手品の種は、それで終いか?」

 

 花芽智、健在!

 如何なる手段によってか極地から脱出した花芽智は、さきだって背後に投げ出されたはずの脇差を手に傷一つない姿で仁王立つ!

 それ即ち先の攻防がコンマ7秒にも満たぬ猛攻であったという証明!

 超越者アウター二人の身体能力、状況判断力、ともに常人のそれではない!

 

「さて、如何どう思う? もしかすれば、核弾頭の招来さえ可能かもしれんぞ」

 

 花芽智は目を細め不遜ふそんに笑う!


「ぬかせ。その種も余さず暴いてやるけんのう」


 丸畑はむくつけき笑みを湛える!


「さっきから何してやがんだアイツらは!?」


 車内のブレーカーはひたすらに困惑!

 かくして三者三様の思いを抱いたまま、しばしの時間が経過する!

 超越者アウター同士の血で血を洗う戦は、未だ序幕を終えたばかりなのだ!




「ブレーカーさんよ。この先トンネルがあったじゃろ? ギノシバ・トンネルじゃ。上手いことそっちへ行ってくれや。そン中で決着付けちゃる」


 耳に埋め込んだ小型通信機を用いて、二人の男は密やか企む。

 当然花芽智もその内容は聞き届けているが、だからと急いて勝負に出る愚か者ではなし。

 丸畑は油断ならぬ相手である。この程度の目論見が筒抜けであることも当然考慮の内。

 この時点で迂闊うかつな打ち込みを行えば、先の攻防を繰り返すだけとなろう。

 とはいえ足場であるハイエースがトンネルの中に入ってしまえば、それもまた花芽智の命取りと成り得る。

 脇差を避雷針として稲妻を招来する火雷天迅雷からいてんじんらいは、当然ながら遮蔽物しゃへいぶつに滅法弱い!

 超越者アウターである花芽智の力は人類の桁を遥かに上回っているが、それは丸畑も同じこと。

 フィジカルでは圧倒的なウェイトと体格を誇る丸畑には叶わぬ。

 先の攻撃回避の術か、まだ見ぬ手品を披露せぬ限り、万に一つも花芽智の勝ち目なし!

 退くか、攻めるか、機を待つか。ここに決断を迫られた花芽智は──


委細承知いさいしょうち。後始末も楽で済む。そちらの思惑おもわくに相乗り致そう」


 宵越よいごしの銭を分の悪い賭けへ全投入!

 構えの姿勢を保ったまま微動だにせぬ超越者アウター二人!

 程なくして、アーマード・ハイエースは虎穴のように口を開くトンネル内部へと突入し──


「いざ!」


「しゃらぁぁぁっ!!」


 再度、開戦!

 夕暮れ色のライトが交互に二人を照らす中、拳と刃が交錯する!

 隙あらば掌を突き出し花芽智を念動力サイコキネシスによって突き落とそうとする丸畑に、その腕の軌道に刃をあてがい異能ちからの行使を妨げんとする花芽智。

 互いの吐息が触れ合わんとする程の近接戦闘、だがしかし軍配が上がるはやはり丸畑の圧倒的身体能力!

 目敏めざとく隙を生み出した丸畑は、強烈なタックルによって花芽智を車体から投げ飛ばした!


「ぐふっ!」


「避けてみぃぃぃぃ!!!」


 丸畑が掌を高く掲げる!

 羽虫を叩き落すように、念動力サイコキネシスによって花芽智を車道の染みへと変貌させんとする心算つもりだ!


猪口才ちょこざいな!」


 花芽智はハイエースから落下しながらも、渾身の力で脇差を投擲とうてき

 狙いは丸畑茅根五郎が脳天! 寸分の狂いなく、煌めく刃は一直線に空気を裂いて──

 すわ丸畑の頭を貫かんとする寸前、願い叶わず車体へ叩き付けられた!

 丸畑の念動力サイコキネシスの前には、如何なる飛び道具もすべて無意味!

 花芽智への念動力サイコキネシス攻撃は未遂に終わったが、決死の反撃もまた失敗に終わってしまったのか!


「小細工を……一瞬死期を伸ばした程度でどうにかなると思ったンか?

 こっからでもお前さんの位置はようく分かるからのお、こいつで叩き潰して終っ……!?」


 丸畑は絶句する。

 夢幻ゆめまぼろしか。いいや、そうではない。

 是こそ先の眼下への蹴りを回避した真相の術。

 目をばかっ開いて確かに視よ。決してその有様を見逃しては成らぬ。

 今、確かに車道へ叩き落したはずの花芽智が──丸畑の眼前に、立っているのだ!


転移能力テレポートかっ!?」


「そうであれば、こうも労せずにすんだのだが、な!」


 今度は丸畑が虚を突かれもんどりを打つ手番であった!

 前触れなく飛来した花芽智の足刀により、丸畑はトンネルの壁へ叩きつけられる!

 すかさず花芽智は再度の飛び蹴り! 追撃を受けた丸畑はコンクリートの壁を凹ませ、赤黒い血の塊を吐き出した!

 ブレーカーの乗ったハイエースは二人の攻防の行方を知らぬまま、遥か彼方へと遠ざかっていく!

 最早丸畑は再起不能! 勝負は今ここに決した。花芽智は脇差を壁にめり込んだ丸畑の喉元へ宛がい、慈愛の表情で囁く。


「遺言在らば聞こう。せめてもの慈悲だ」


「遺言? ……遺言、か。ふ、ふふ、そうさ、な……

 

 てめえも道連れじゃ、糞餓鬼があッッ!!!」


 背後から轟音!

 振り返ればトンネルの壁が切り取られ、分厚いコンクリートの塊が花芽智へと迫っている!

 奴は壁内にめり込み身動きの取れぬはず! 念動力サイコキネシスは掌の動きで操っていたのではなかったのか!?

 否! 確かに念動力サイコキネシスの行使には、腕の曲げ伸ばしによる突き出し・引き寄せの動作が必須!

 ならば今時の丸畑は、残った力を振り絞り壁面を肘で掘り砕いて“腕を引いた”のだ!

 恐るべきは丸畑の執念か、超越者アウターのタフネスか!

 そして、たった今背後を振り向いたのは、花芽智にとって致命的な隙であった!


「足か!」


 目を逸らした隙に、男はもう片方の手を下へ伸ばし花芽智の足元を固定!

 同時にトンネルの天井が崩落! 上下左右から満遍まんべんの無い瓦礫がれきが花芽智へ襲い掛かる!

 仮に花芽智の先の手品が転移能力テレポートだったとしても、この状況からの安全な離脱は不可能!

 もし転移座標に瓦礫がれきが残っていれば、それは転移者の肉体に交じり合い致命傷となる!

 指の隙間、肺の空洞、血管の最中、あるいは心臓にめり込む破片! その一つ一つが、命を蝕む猛毒!

 トンネル外部もまた、樹々に覆われた山中! 目視の利かぬ場所への転移能力テレポートは自殺行為である!

 転移能力テレポートは、緻密な計算と安全性を保ったうえでなければ使用できぬ諸刃の剣であるのだ!

 そして、その最高転移距離は──現在、確認出来ているうちでは、10mが限度!

 脱出は不可能である!


「はぁーーーーーっはっはっはっはっは!!!

 これで終わりだ、糞餓鬼いいいいいいい…………あ」




 そして。

 花芽智は消えた。

 手にした脇差を上空へ投げ付け、刹那の後に自らも消え去ったのだ。

 それは、己が死闘の証を後世に残さんとする戦士の意志か。

 あるいは、肉親へのせめてもの手向けだろうか。

 最早真意を確かめる術はない。

 殺意と共に降り注ぐ瓦礫がれきの群れは、丸畑へ直接飛来していく。


「──……ざまを、見やがれ」


 泥のように濁りきった、悪意と怨嗟を抱きながら。

 丸畑茅根五郎は、トンネル崩落の中に消えた。




 再び、そして。




「……転移能力テレポートではない。超高速移動ソニックブームだ」


 花芽智は、悠々とトンネルの外部へ脱出を果たしていた!

 天井の崩落とともに、花芽智は眩い光を放つ上空へと脇差を投げつけ、次の瞬間。

 一条の光と成って、“避雷針”たる脇差へ到達!

 己が身を稲妻と化すことで、光速に等しい移動をこなし、同時に通過点の障害を全て粉砕する──


「これぞ天満流鳴神術

   ──天 満 自 在 天 奉てんまんじざいてんほう   」


 最早その言葉を聞く者もいない静寂の中で、花芽智はそう呟いた。

 崩落したトンネルを見下ろしながら、長い黒髪とマントをたなびかせ、花芽智は悠々と健在していた。




-----------------------------------




「……あいつら、降りたのか? ……死んだのか?」


 ブレーカーはトンネルを抜け、高速道路へ乗り出していた。

 各種ミラーを確認しながら走り続けて、何事もないことを確認してから20分、やっとブレーカーはほっと息を吐いて胸をなでおろした。

 バックミラーには、天井を貫かれ無残に破壊された後部座席が映っている。

 アーマード・ハイエースは、小経口の機関銃の掃射程度なら全て弾き返すほどに堅牢な外殻がウリの装甲車だ。

 それが、ああも簡単にひしゃげ、砕かれ、呆気なく破壊されたのだ。これが悪夢でなくてなんだと言うのか。

 超越者アウターに関わっていたら命がいくつあっても足りない。

 改めてそう実感したブレーカーだったが、しかし超越者アウターのお守りがない犯罪組織に未来はない。

 丸畑を失った組織マラコーダが、果たして何日体制を保てるだろうか。考えるだに憂鬱になる。

 裏稼業から足を洗って、カタギの仕事に就くべきだろうか。

 そんな弱気な考えが脳裏をよぎるほど、ブレーカーは参り切っていた。

 気持ちを落ち着かせるべく胸元に手をやって、しかしその手も虚空を踊る。


「…………ちっ、葉巻もねえ。ねえねえ尽くしかよ……こんなんでいったいどうす、うおあ!?」


 衝撃!

 ブレーカーは青ざめた顔でブレーキを踏んだ。

 一体何が起こったのか。最早考えるだけ野暮というものだが、それでも、否定せずにはいられない。

 恐る恐る。神に祈りを捧げながら、蛞蝓なめくじのようにゆっくりと、ドアミラーに目をやって──


「これはこれは、マーディフ・グランケン殿──至極達者そうで何より!」


「う、うおおおおおおおおわああああああああああ」


 降りしきる雨の中、男の絶叫が響いた。

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