終幕~ライヘンバッハの滝~


 足に万力が喰らい付いた。体が軽くなって、浮き上がっていくのが解る。

 こちらも投げ技に対する着地や返し技が出来ない訳では無いが、流石に状況で着は出来ない。

 轟々と唸る滝の音が五月蝿い。

 酸欠になりかけて息をしようとすると、冷たい霧が肺に入って来る。

 揉み合いの末に勝ったのは私では無く、あの探偵だった。

 私の積み上げられた知略謀略奸計を躱し、私の悪をことごとく許さず、私の叡知の結晶を真正面から打ち砕き、今まさに、私の人生の破滅を確定させたあの探偵。

 崖に残ったあの探偵に手を伸ばすも、遠く、遠く、遠く、遠く、遠く…………………………遠くなっていく。

 ライヘンバッハの滝。

 最後、私の詰めが甘かった。

 検算ミスか、そもそも計算式自体が間違っていたのか。

 最早解らない。

 ただ、私にたった2つ。残された時間で理解できることが2つあった。それは、

 『このジェームズ・モリアーティーはかの名探偵に言い訳のしようもなく徹底的に、完膚無きまでに敗北したこと』

 『私は間もなく死ぬということ』

 これは確実だ。

 嗚呼、嗚呼、嗚呼…………………………………………………………私は、何を思って死ぬのだろう?

 彼は自問自答をしようとしていた。


 自分が何の為に悪を為していたのか?


 自分はあの探偵をどう評価していたのか?


 自分はなぜ負けたのか?


 しかし、それは叶わなかった。


 パァン!


 彼の身体は、


 上下は最早解らないが、真下の水面に叩き付けられたかと思えば


 上からの大瀑布の水圧で滝壺に押し付けられ、


 二度と、


 呼吸することも、


 浮き上がる事も、


 思考する事も叶わず、


 沈んで消えていった。


 ジェームズ=モリアーティー。

 彼は人の血と涙を絵の具に地獄よりも悍ましい風景をこの世に現実として描く、史上最も邪悪な、そして最高峰の芸術家である。

 英国の犯罪は全て、彼の手の中で起こると言っても過言ではない。

 そんな彼は最期。ライヘンバッハの滝で宿敵の名探偵との一騎打ちの末に敗れ、ライヘンバッハの滝に沈んだ。

 そこで彼の人生は終わった。


 終わった筈だった。


 しかし、人間の叡智はアテにならないものである。

 あるいは、人間の、彼の大悪党の計算の内であったのだろうか?

 彼がもしかしたら、ラプラスの悪魔であったのか、それとも、未知の変数を作用させたのか、詳細は最早解らないが、彼は死んだ。しかし、

 幸か不幸か、彼の全てがここで終焉を迎えてはいなかったのだ!

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