モリアーティー嬢とモリアーティー教授
名探偵VS犯罪界の黒幕
全て、全て使い果たした。
銃弾もナイフも火薬も毒もステッキも針も糸もハンカチもネクタイも隠してあった目潰しの粉も金属の類も悉く使い尽くし、残るのは己の四肢と頭脳のみとなった。
その四肢と頭脳も、互いの猛攻で満身創痍だ。
銃弾を掠め、ナイフに切り付けられ、火薬で焼かれ、毒に侵され、ステッキで殴られ、針で刺され、ハンカチを叩き付けられ、紐で絞められ、視界を潰され、金属で皮膚が爛れている。
互いに瀕死。しかし未だに死神は迎えに来ない。
嗚呼、認めよう。ここまで私が追い詰められたのは君が初めてだと断言しよう。
そして、誇ろう。ここまで君を追い詰められたのは私が初めてだと断言しよう。
あの都市に張り巡らした邪悪の紬糸の数々。巧妙な罠、悍ましい仕掛け、容赦無い攻撃、救いの無い悲劇、終わらない怨恨、哀しきすれ違いが起こす凶行………………。
綿密な計画、人生一つを使い果たす程の膨大な計算、それらに基づいて築き上げられた伏魔殿。
それをこの男は踏破し、生きて伏魔殿の玉座にまで辿り着いた。
どころか、私をその座から引き摺り下ろさんと今まさに、迫っている。
だからこそ、私は自らが積み上げて来た悪と計算を以て、彼に全力で応えよう。
死と言う返礼を贈ろう。
対峙する両雄。
距離は0.913m。人と人との距離としてはあまりに近い。そして、策略と謀略と戦略と計略と奸計と詐術と誘導が渦巻き、隔て、相手に辿り着くにはあまりに遠い距離だ。
互いに肩で息をしている。しかし、視線は一切揺るがない。
視線を外したら最後、文字通り
決して相容れず、しかし互いに互いを知り、認め、故に解る。
自分と互角だと。
決着が着くとしたら、それは天文学的僅差によって起こってしまう。
それほどに互角。
ザ
僅か、ほんの僅か、足が動く。
5.2㎜という、日常において誤差と言って構わないそれ。しかし、この場でそれは開戦の合図となった。
一見すると逞しい様には見えないが、その実、鋭く、重く、逞しく鍛えられた左の拳が真っ直ぐ、迷いなく、素早く迫って来る。
まともに受ければこちらの骨が砕ける。かと言って後ろに跳ぶ事も出来ない。
故に迫る拳へとこちらから接近する。
避けるでなく、迎え撃つでなく、真っ直ぐ迫る拳に飛び込む。
一瞬、ヤツの顔が強張る。だろうな。私は無策で飛び込んで殴られる様な間抜けではない。それが回避の予備動作もカウンターを仕掛ける様子も無く、この極限状況下で無防備に相手の拳に当たりに来るなぞ狂気の沙汰も良い所だ。何を仕掛けているかと疑う、否、自分を殺す仕掛けを確信するな。
だからこそこの行動には意味が在る。
拳は私の脇腹に迫り、抉る寸前にこちらは左の懐に手を伸ばす。
視線がそちらに向く……懐の何かを警戒する…が。
「グゥっ…ゴが………」
臓物が歪み、奴の拳から放たれた衝撃が全身に走る。
奴の拳が私の腹部を的確に抉った。痛い。演技抜きで表情が歪む。
懐に忍ばせた鉄板が拳を止めたという事も無く、生身で喰らった。本当に苦悶と苦痛が全身に現れる。
だからこそ、攻撃にほんの少しだけ視線を向け過ぎた。
「!!」
奴は眼を見開いて絶句している。
私の脇腹に簡単に一撃を入れられてしまった。その意外さのあまり目を丸くしている……だけではない。
自身の体に走る衝撃に戸惑い、悶えていた。
奴が食らわせてきた左拳の真下、奴の死角にこちらの右拳を忍ばせてカウンターを喰らわせてやった。
「ぐぅ……」「…………。」
互いに一歩下がり、抉られた腹を庇いつつも油断無く隙を暴き出そうとする。
この間0.0052秒。
観察を終えた互いは再度構えて距離を詰める。
右足での足払い、に見せかけたローキックが飛び出し、それが躱されると、それを予見して準備されていた左の掌底が私の顎を狙う。
タイミングと速度、角度から計算すると、『身体を少し反らせばそのままギリギリ避けられそうだ』と算出が出来る。が、万一そんな回避をしてしまえば、間一髪で掌底が顎を掠めて脳震盪で気絶する様になっている。巧妙な罠だ。故に掌底を腕で払う。が、これも無造作に払えばこちらが腕をねじ折られる。無造作に右手で掌底を払う様に見せかけ、こちらもねじ折りに来る左腕を掴み、掌底を避ける様に見せかける為に反らした身体の動きを利用して投げ飛ばす。
が、それも相手は予測済み。投げ自体は決まったが、頭から投げ出されず、
嗚呼、してやられたな。
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