貴方を救うたった一つの冴えないやり方

留確惨

プロローグ

プロローグ Diving to Hinnom

あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう。




 深淵へ、まるで地獄へとつなげるように地下へと掘り進められた立坑に作られたエレベーターに乗り、灰色の髪の青年は憂鬱そうに目と鼻の先の天井を眺める。


 まるで悪の組織のアジトだな、と青年は嗤う。


 まぁ青年を呼び出している時点で闇組織であることは半ば確定しているので、シャレになってはいないのだが。

 青年は何故ここに連れてこられたのか理由を聞いてはいない。ただ、ろくでもない任務なのだろうなとだけあたりを付けていただけだった。

 眼前にいる白衣の男も杉本京介すぎもときょうすけと名乗っていたが本名かどうか疑わしい。


 エレベーターが長い長い下降を終えて重力感覚が一瞬狂って元に戻る。開いた先には周囲の岩肌とは対照的な重厚な電子ロック式の扉。


「ここだよ。劉紅星リュウホンシンくん。いや、と言ったほうがいいかな?」


「どちらでも構いませんよ。名前なんてただの値札でしょう」


 坑道内の閉ざされた空間にしわがれた声が響く。

 青年の回答にレンズの大きい眼鏡をかけた小柄な白衣の男はニヤリと嗤い、カードキーを使って厳重に施錠された扉を開ける。扉の向こうには石と冷気しかない坑道に建てられたとは思えないほどの白くて清潔な廊下が広がっていた。

 青年は眉一つ動かさずに白衣の男に連れられて中に入る。薬品とリノリウムのにおいが充満する廊下をくぐり、ガラスの向こう側に設置された巨大な機械を見る。

 黄緑色の水槽に併設されたヘッドギア、そしてその隣にある途方もない処理能力を持っていそうなコンピュータ。

 それは仮想世界にダイブするフルダイブマシンに酷似していた。


「あれは?」


「ああ、これがDSLだよ。君にはこの装置の2号機を使ってもらうことになっている」


「ということは仮想世界内の任務でしょうか。いやはや、このような敗残兵にそんな仕事が務まるのでしょうかね」


 青年は自嘲しながら一瞥した機器をから目を離すと凍てついた灰色の眼球に体温を戻す。

 最近では戦闘訓練に仮想世界を使う組織も増えてきたのでそれなりの経験値はある。

 さらに言えば現実世界、仮想世界双方においても彼の戦闘能力は一般の人間をはるかに凌駕するスペックを持っていた。

 だがそれも井の中の蛙。現実世界でだって勝てない戦いはいくらでもあったし、仮想世界においても彼には絶対に勝つことのできなかった人間が二人いた。

 最強でも英雄でもない彼をスカウトしてダイブさせようとしているこの組織はいったい彼に何を求めているのだろうか?


 思考を巡らせながらペースを落とさずカツカツと歩いていくと青年は不快なにおいを感じ取った。嗅ぎなれた臭い、懐かしいにおい。そして


「─────死臭ですね。人が、死んだ臭いだ」


「ああ、あれらは失敗作だよ。いずれも崩壊してしまってね、魂の強度が足りないのではないかと我々は睨んでいるのだがいかがなものだろうか」


 ごみのように捨てられた肉の集まり。衣服すら着せてもらえずに積み上げられた罪の証は死体捨て場ベン・ヒノムそのものだった。

 死体は多種多様な人種で構成されていたが、比率的に最も多かったのが黒髪の東洋人の少女。

 きらきらと輝かせて青春を謳歌するべきその瞳はいろを失って見開かれている。


「それを門外漢である俺に聞きますか。それで、俺に何をさせたいのですか」


 楽し気な白衣の男と対照的に低く沈む青年の声。

 青年は多少は声を上ずらせるほどに驚いてはいたが、地上の地獄とも見える光景に激昂も狼狽もすることなく淡々と白衣の男の質問に答える。多少の嫌悪感も露わにはしない。

 まるでそんなことだろうと覚悟していたように。あるいはただ慣れているだけのように。


「まあ立ち話もなんだ。ここがわたしの部屋だからここで話をしよう」


 そう言って白衣の男は数畳ほどの個室にカードキーを使って入り、奥の椅子に腰を掛ける。

 青年は黙ったまま腰を下ろし、部屋の空間を見据える。ホワイトボードに張られたMRIの画像、カルテのようなものに張られた顔写真、PC画面に映し出された透明な光の立方体。

 ここにベッドでもあれば病院といっても差支えのない設備。今までの異常さとは打って変わって落ち着いた世界、連続する不連続面。


「で、このような負け犬を呼び出した理由をお聞きしたい。まさか俺の脳をいじくりまわしたいとか言うんじゃないでしょうね」


「ホッホッホ、それも魅力的ではあるが答えはノーだ。キミにはある少女をエスコートしてもらいたいのさ」


「エスコート、ですか」


 異常な空間に似合わぬ俗な単語。

 青年はある程度の話術を独学で習得し、いままで多くの人を欺いてきた経験があるが、任務が少女のエスコートになるとは思ってもみなかった。


「ほら、これが仮想世界内でのその少女の顔ね。なかなかかわいい子だね、ラッキーじゃないか」


 白衣の男は笑いながらカルテのようなものを渡してくる。

 そこにはエスコートする少女の顔写真と名前。それと簡単なプロフィール、余計な情報として仮想世界内の体重やスリーサイズまで書かれていた。


「なるほど、こいつがお姫様ですか。……専門用語が多すぎてピンと来ませんね。このボトムアップ型AIってのは何なんですか?」


 大体の文面は理解できているが一部に青年の知識では理解不能な単語があった。プロトタイプ・ライトクラスター、生者の録音。

 だが帰ってきたのは逆質問だった。


「質問を質問で返すのはナンセンスだけども、ところで君は人工知能、AIについてはどれほどの知識を持っているのかな?」


「門外漢と言ったでしょう。近頃リリスというのが話題になっているくらいですが聞きかじった程度の知識しかありません」


 青年は目の前の白衣の男の質問に辟易する。理系の人というのは自分の知識が相手もすでに持っていると勘違いしがちなので話すと少しズレが起きたりするのだ。それを修正するのはいつも自分であるが、まあ諦めるしかない。

 義務教育すらまともに受けていない青年にとっては男の話は異言語を話されているのとそう違いはないが、何とか話についていこうと知識をフル動員する。



「そう、そのリリスだよ」


 白衣の男はレンズの反射で奥の瞳を隠しながら破顔する。その口内には悪臭のもとになる黄色いものが見え隠れする。


 Luminous Intelligence Lyrical and Imaginary THinking

 その頭文字を略してLILITHリリス


 インターネット同様に元々は米軍が無人兵器用に独自開発した技術で、内部リークした人権主義者によって世間にその存在が広まった新技術だ。

 日本語訳で感情的かつ創造的な思考を持つ光学的知能存在というもので、世間はリリスの話題でもちきりになっている。


 ────曰く、人間と同じ知性をもったAIと。


 青年は実物を見たことはないが、TVのニュースでいくらでも目にしていた。

 旧約聖書にあるように神が作った人類といえるほどの金髪碧眼の美少女。

 アダムと共に最初の人類になり、イヴの前の妻でもあった女性の名を人が作り出した人工知能に付けるとは皮肉にも程がある。

 それはまるで神になり変わらんとする人間の傲慢さの象徴。


 男に見せれば誰もが一目ぼれし、女に見せれば諦観か嫉妬でも起こすのではないかと言えるほどの美貌の少女を模したロボットだったが、むしろ彼は反感や嫌悪に近い感情を抱いていた。

 無論、切り替えの早い青年はその気持ちをすぐに心の便器に流して捨てたが。


「つまりこの大層な研究所は仮想世界を使った機械学習でリリスを再現しようとしている訳ですか。それでそのための駒として俺を使うと」


That's勘のいいガキは right嫌いじゃないよ。しかしリリスはあくまで人間と同じ思考ルーチンを持ったAI、歪んだ言い方をすれば異世界から来た人間とでも呼べるものでね。我々はそのようなものを求めてはいないんだよ」


「リリスを超えた先? まさか人類まとめて管理する超知性体でも作りたいとか言い出すんじゃないでしょうね」


「はっはっはっ。なかなか面白い試みだが違うよ。我々は生者のコピーを作りたいんだ」


 生者のコピー。あの巨大なマシンを使って脳のデータを写し取り、リリスの原型に刻み込むことで思考ルーチンを再現して人間をコピーしようという魂胆。

 神をも恐れぬマッドサイエンティストさながらの研究だ。


「恐らく転写する技術自体は完成しているんでしょう? 問題はそのあとだった、とか」


「恐ろしく察しがいいなあ君は。そう、コピーした人の魂は『自身がコピーであるという現実』に耐えられなかった。自己同一性を全否定された『我々』は内部時間において数時間で精神崩壊、後に自壊した」


 それはどうしようもないことだ。成功例が存在しなければそのデータが得られず、人間の魂のコピーという所業に対する微調整などを行うことはできない。

 自分の魂をコピーするために自身がコピーと認識できるAIを求めている。まるで禅問答じみたジレンマだ。


「で、その問題に具体的にどういったアプローチをとったのですか?」


「複数人の魂をコピーし、仮想世界内で放牧した。これは集団ヒステリーを起こして失敗。我々が直接ダイブして監督しても結局仮想世界という場に適応できず、溌溂とした若者であっても非常に消極的な個体に成り果ててしまった」


「つまり、失敗と」


 青年は嘆息した。そこまでする気概は流石学者といったものだが成果としては全部失敗という散々な結果だ。


「そこで我々は元から仮想世界に高い適性を示し、超長期間ダイブを継続していて、リリスの存在を知らない人間の魂ならリリスに届くのではないかと思ったんだよ」


「そのような都合の良い存在がいるんですか? 確かリリスが開発されたのってつい最近の出来事でしたよね?」


「それがいたんだよ。我々がボトムアップ型AI、ライトクラスターを作るためにコピーした最初の人間は少々特殊な事情でね、手元の資料にあるだろう?」


 青年は目線だけを下げて資料に再度目を通す。3年間仮想世界内にダイブ、その際に医療行為と称して魂をコピーしたと書かれている。


「これは……」


「その娘を作るのに我々は3年の歳月をかけた。我々は彼女をリリスにせんと悪戦苦闘したが、如何せんおてんば娘すぎてな、我々の手に負えんかった」


「具体的にはウソがばれたとか真実に気づかれたとかいう奴ですか」


「そういうことだ。年頃の娘というのは思いのほか勘が効くものなのかねえ」


「だから俺を呼びつけたと」


 青年は工作員スパイの真似事も経験がある。研究一徹のこの職員たちよりは余程うまく立ち回る自信はある。

 この少女がどういった性格なのかは知らないが、経歴的には普通の女の子だ。だが騙し続けるとなると技術がいる。だからこその人選。


「そうさ、君にはこの少女をリリスへ育ててもらいたいんだ。いや、リリスより生まれて彼女を超える物、リリンへと」


「成程、それが貴方たちのたった一つThe Onlyの冴えたNeat thingやり方to Doなんですね」


 特徴的な返答。それは了承の証だった。


「だけどね、我々の目的はそのあとも続くんだよ」


 青年の了承を得て機嫌を良くした男はしゃべらなくてもいいことを口走ろうとし、止める者は居なかった。

 白衣の男は誇らしげに両手を掲げると眼球を爛々と輝かせ、彼らの計画を、夢を語り始める。



「────────────────────────────────────────────────────────────────そして我々は、新たなステージへと立つ」


 そこで初めて灰色の青年の目が見開かれた。凍てついた視線に熱が戻り、硬直したように動かなかった表情筋が引きつる。

 動き始めた青年の心はすぐに落ち着いたが、唯一眼球のいろだけが揺れていた。


「そいつは驚きだ。技術ってのはそこまで進歩していたんだな」


「成功の暁には君も実験台になってみないかい?」


「遠慮しておきますよ。きっとそいつとは殺し合うと思うから」


「そりゃあ物騒だ。まぁ詳細はこの資料に書かれてある。無論報酬は多額を積もう。つつましやかながら一生遊んで暮らせるくらいの額をね。さあ、早速我々が用意した世界に、ヒンノムにダイブしてくれ。我々もスポンサーから成果を催促されていてね」


 白衣の男は冷めぬ興奮のまま青年に契約書を渡す。

 熱の戻った地下空間で青年は偽名をサインし、研究参加の契約を済ませた。


 クリーンルームで体表のほこりを落とし、全裸のまま機械が枕元にそびえ立つ水槽に入る。全身をゲル状の物体が包み込み、体をしっかり支えながら中に浮かぶ。

 人体工学に基づいてフルダイブ中でも体に負担をかけないように設計された特殊水槽だ。

 頭部だけを出してその中に入り、露出した頭部を様々なセンサーや電極で覆われた機器で覆う。


「──────接続完了、ダイブを開始する」


 青年の意識はそんなつまらなそうな一言で光の中へと墜ちていった。

 目指すは地上の地獄から人工の煉獄へ。ヒンノムとは地獄ゲヘナのことだったか、と思い出して彼は旅立っていった。

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