第15話    絆   

「お父さん、あの……、ちょっと話があるんだけど……」千秋はリビングで顔を合わせた久彦に声を掛けた。

「おぉ、千秋か。ちょうどよかった」久彦は飲んでいたブランデーのグラスをテーブルに置くと、満面の笑みで話を繋いだ。「この前言ってたリリース候補曲のデモ録り、スタジオが決まったぞ? T市の”R”っていうスタジオだ。ここからも近いし、設備だって文句なしの機材が揃ってる。大平君には伝えてあるけど、日程は今週の土曜の十九時から。時間は十分に朝までとってある。大丈夫だよな?」

「えっ? あぁ、Rにしたんだ……。確かにあそこは音がいいもんね。あたしは全然大丈夫だよ」

「そうか、よかった。実はな、今回は俺が自らディレクターをやろうと思ってるんだよ。記念すべきミステリアスムーンの初音源だし、それと並行して後々使えるように、レコーディングの様子も映像として残そうと思ってるんだ。それから、ちょっと急だけどリリース予定が六月に決まったぞ?」

「映像? PVに織り込むってこと? なにそれ。まだデビューもしてないのに?」千秋は呆れ顔を作った。

「だから後々のためって言っただろ? おまえ達は必ず大きく売れる。これは俺の豊富な経験と、長年蓄積されて来た勘が言ってるんだ。まず間違いないよ。そういうデビュー前の貴重な映像っていうのは、ファンにとってはたまらなく映るだろうからな」久彦は自負するようにドヤ顔で言った。

「まさかとは思うけど……、その映像に自分が映り込むつもり? お父さんって、そんなに目立ちたがり屋だったっけ? 変なの……。まぁいいや。そんなことより、リリース予定が六月って、ちょっと早すぎるんじゃない? 今二月だよ? プロモーションだってあちこちに掛けなきゃいけないし、もっとゆっくり、例えば秋の終わり頃とかさ……。ウチのバンドって、なんとなくそんな季節のイメージじゃない?」

「いやいや、大平君のイメージは夏そのものだよ。六月にリリースするのが一番妥当な選択だな。別にパンクロックと季節はそんなに関係あるもんじゃないけど、彼を目にしたら大概の人が夏をイメージするんじゃないかな? あと、これはまだ大平君には言ってないけど、リリースまでの四か月、ライブを十本くらい入れる予定だから。今、あちこちのライブハウスに出演交渉中だよ。それとプロモーションだったら任せといてくれ。何年この仕事をやって来たと思ってるんだ?」

「ふぅん、そっか……」千秋はある事情で秋の終わりのリリースを望んだのだが、バンドが父親の会社と契約を結んだ以上、自分だけのわがままを通す訳にはいかなかった。

「それはそうと、なんか俺に話があるんじゃなかったか?」

「あぁ……、やっぱりいいや。ちょっとスタジオについて聞きたかっただけ」千秋はそう言うと、自分の部屋に戻り、黒いレスポールを抱きしめるのだった。


「で? あれからひと月半くらい経ったけど、おまえ等うまくやってんの?」太陽は焼き鳥をほおばりながら、隣に座っている康介に聞いた。

「うん……。まぁ、お互いにその類の話には触れないようにしてるけどね」康介は、レモンサワーのグラスを手に取ると、二口ばかり飲みながら話した。

「だけどあん時の康介はおっかなかったなぁ。まるで殺人犯みたいに憎しみの籠った目をしてたもんな。あっ、いや、俺が悪いんだけどさ……」拓人も太陽と同じように焼き鳥を口に詰め込みながら言った。「でも……、あの女は、いや、千秋はホントに堕ろしたのか? なんとなくだけどさ、あいつはあんなにドライに見えて、実は誰よりも情が厚い人間なんじゃねぇかなって思う時があるんだよ」

「あぁ、それは言えてる。別にドライな感じを装ってる訳じゃないんだろうけど、たまにさ、オレにはすげぇ人間臭く思える瞬間があるんだよな」太陽は酎ハイを片手に康介に向かって言った。

「あの人はさ、俺に、大好きな旦那と結婚して、子供を産んで、幸せに暮らしたいっていう、そんな普通の夢だってない訳じゃないって言ったんだ。だけどね、せっかく順調に走り出してるこの状態で、あたしだけがレールの外に出ることはしたくないとも言ったんだ。千秋さんはタイちゃんのことをすごく認めてる。タイちゃんを超えるボーカルにはこの先出会えないだろうって。あの人の芯は音楽なんだよ。それは俺のレベルじゃあんまり理解出来ないことなんだけど、間違いなく自分の情熱のほとんどをこのバンドに捧げてるんだよ……」

「ふぅん。あの女がそんなにこのバンドに情熱持ってるとは思わなかったな。確かにすげぇレベルだし、俺もあの女とデビューするんなら、やれるとこまでやってやろうじゃねぇかって思ってたからな。女としてそこまでの意気込みがあるなら、男としてそれに応えねぇ訳にはいかねぇよな」拓人はウーロン杯のグラスを掴むと、残りを一気に飲み干した。

「――そうか……。逆に考えたら、オレ達はアイツのために、最低でも今の実力を持続しなきゃなんねぇってことだよな……。よしわかった。康介、アイツの心意気、そしておまえの悔しさを無駄にしないために、オレ達は必ずビッグになってやろうじゃねぇか。せっかくそのためのレールも用意されたんだ。あとは突っ走るだけだぜ?」太陽も拓人と同じように、酎ハイの残りを一気に飲み干した。


「で、どうなんだ? 真っ二つに折れちまったおまえの足はもうくっついたのか?」春人はランディの右膝を包んでいるギブスを拳で軽く叩いた。

「あぁ、唾つけたらくっついたよ。まだ鉄板が入ってるけどな」ランディも同じようにギブスを拳で叩くと、春人に向かって白い歯を見せた。

「しかしまぁ、二人そろってギブスなんて、ある意味奇跡だよな。やっぱりおまえとは気が合うらしいよ」

「あぁそうだな。ギブスをするなんて、一生に一度、あるかないかだろうし」

 墜落直後、沿岸警備隊に救出されたランディ達は、重症者と軽症者に分けられ、それぞれ違う病院に運ばれた。ケイとイーサンは軽症のため、サンフランシスコの一般病院へ、そしてランディと、ボーカル、ドラムの二人は、ザッカーバーグ総合病院に運ばれた。そう、フェイスブックのCEOを務める、マーク・ザッカーバーグの寄付により設立された病院である。

「それにしても、ここはすげぇ病院だな。博物館かと思ったよ」

「だろ? セレブの寄付で作った病院だから、セレブ風に作んないといけねぇんだろうな、たぶん。ここは巷じゃフェイスブック病院って言われてるんだぜ? そんでぼったくり病院ってあだ名もついてる」

「は? ぼったくり? なんだそれ?」春人は頭にたくさんの疑問符が浮かんだ。

「なんでも、ちょっとした手術をするだけで、万単位のドルを請求されるって話だ。オバマケアの外側なんだとよ、この病院は……」

「おばまけあ? なんだ? 聞いたことねぇ言葉だな?」さらに疑問符が増える。

「まぁ、ざっくり言ったら、昔の大統領が作った医療費が安くなる制度だよ。それ以上は俺にもわからねぇ。隣のベッドの爺さんが言ってたのを聞いただけだからな。詳しく知りたかったら、後でケイに聞くといい。あいつは頭がいいからな」

「いや、遠慮しとくよ。――それにしても……、どうするよ、バンドのこの先……」春人はこの日の来院の最大の目的を話し出した。「まさかあいつらが死んじまうとは思わなかったよ……。二人そろって逝っちまうなんて、あいつ等も相当気が合ってたんだな……」

「あぁ、間違いねぇ。いつも二人でワンセットだったからな……。それで? 昨日の葬式には出席したんだろ? どうだった?」

「それがな、またそこでも奇跡が起こったんだよ。葬式自体はダウンタウンの教会で合同でやったんだけどさ、出棺の時にどっちについて行こうかと思ってたら、あいつらの墓、たまたま同じ墓地だったんだぜ? こんなこと普通じゃありえないだろ?」

「おぉ! そりゃ奇跡以外の何物でもねぇな! あいつ等、生まれた時から同じ運命背負ってたんだな、きっと」ランディは驚きで声が大きくなった。

「それから……、バイパールームの件だけど……」春人はランディに向き直ると、静かに話を繋いだ。「悪いけど、あそこでのライブの話は永遠に無くなっちまったよ……。あの事故の次の日、俺はバイパールームに出演辞退を申し入れに行ったんだ。メンバー全員が怪我をしちまったから出演出来ないってな。そしたらさ、支配人がカンカンに怒って、おまえ等は自己管理が出来ないのかって怒鳴られたよ。事故なんだから仕方ねぇだろ?って言ったんだけど、結局聞き入れてもらえなかった。あそこの支配人は頭が固い上に、心まで狭いんだろうな、きっと。だけどな、そこで店の奥からすごいオーラのおっさんが現れたんだけど誰だと思う? パット・マグナレラが出て来たんだよ! 信じられるか!? あのグリーンデイの元マネージャーだぞ? そんで、パットは俺達のことを知っててさ、『別にライブハウスはここだけじゃない。俺が一件紹介するよ』って言ってくれたんだ」

「はぁ!? 今日のおまえの話は奇跡ばっかりだな! パット・マグナレラって言ったら、今はどっかのレーベルの社長やってるよな。いやいや、すげぇなそれ!」

「それでだ、俺はケツから脳ミソが飛び出そうになったんだけど、パットはどこのライブハウスを紹介してくれるって言ったと思う?」

「なんだよ、もったいぶらないで早く言えよ!」

「聞いてビビんなよ? サンセットストリップのロキシー・シアターだよ! ガンズ・アンド・ローゼスとかNOFXとか、ビッグなやつらも演ってるとこだよ!」

「おぉ! 超有名どころじゃねぇか!」

「あぁそうさ。俺はその日のうちにパットとロキシー・シアターに行ったよ。そんで、バンドの体制が整ったら、ぜひここのイベントに呼んでくれって頼んで来た。そしたらそこの支配人も俺達のこと知っててさ、ぜひ頼むって言ってくれたよ!」

「ワォ! ハルト、グッドジョブだ! そんじゃこんな病院、さっさとおさらばしねぇとな! あいつらもきっと天国で喜んでるぜ?」

「あぁ、そうだな。とりあえず、明日からボーカルとドラムを探さねぇと……。このままバンドが潰れちまうようなことがあったら、あっちの世界に行った時にあいつ等に何言われるかわかんねぇからな」

「そのことなんだが……」ランディは真剣な顔を作ると、春人を正面に見据えて話を繋いだ。「なぁハルト……、俺はどうしても一緒にやってみたい日本人のボーカルが一人いるんだが……、そいつとなんとか連絡取れないか?」

「それは……、まさか太陽さんのことか? それだったらダメだな。あの人は今、ミステリアスムーンっていうバンドで演ってる。間違いなく今の日本で一番イケてるバンドだよ。そんで、そのバンドのギタリストは女なんだけど、下手したら俺より上のパフォーマンスをするんだ。しかも使ってるギターはレスポールスタンダード。それを自由自在に操るんだぜ? たぶんユーチューブにアップされてるだろうから、一回見といた方がいいぞ? 鼻から脳ミソ飛び出すと思うぜ?」

「女? 女なのにおまえより上だっていうのか? そりゃぁちょっと信じられねぇなぁ。よし、じゃぁ見てやろうじゃねぇか。えっと、俺のスマホはどこだ……」

『ミステリアスムーンか……』春人の脳裏には、Nで観たミステリアスムーンのライブが、鮮明に映し出されていた。


「千秋おまえさぁ、最近ちょっと太ったか? なんか会うたびに全体的にまるくなってるような……」太陽はギターのチューニングをしている千秋に問い掛けた。

「ちょっと、一応あたし、女なんですけど。その発言はセクハラって言うんじゃないの?」千秋は太陽に鋭い目線を向けると、攻撃的な口調で言った。

「あっ、いや、悪気はないんだ。ただちょっとな、これはオレの個人的な意見なんだけど……、なんて言うのかな、雰囲気が優しくなったっていうか、女性らしくなったっていうか……」

「ありがとう。誉め言葉として受け取っておくよ。さぁ、ちゃっちゃと始めようよ。今週から四週連続ライブだよ? えっと、今週は新潟だっけ?」

「いや、新潟は来週だ。今週は仙台だな。それにしても……、毎週あちこち飛び回るのも大変だな。新潟の次は大阪だろ? その次は広島だし……。まぁ、旅費が掛かんねぇのはありがたいけど、車で移動ってのがちょっとあれだよな」拓人は腕を組みながら、ため息のように言葉を吐き出した。

「あれ? 大阪と広島は新幹線って言ってたと思うよ? さすがに広島とか大阪は車じゃキツいでしょ」康介がニコニコしながら話した。「だけどさ、なんか地方でライブって、芸能人がツアー回るみたいで楽しいよね。地方でもお客さんが盛り上がってくれるかがちょっと心配だけど……」

「俺がプロミネンスだった頃は、大阪も広島も車だったけどな。確かにあん時はしんどかったなぁ……。そんなことより、おまえはわかってねぇみてぇだな。俺達は六月にCDをリリースしたら、ペーペーとはいえ、一応芸能人になるんだぜ? あっ、そういえば太陽、あの話はどうするんだ? 阪上さんがマネジメントがなんちゃらって言ってたじゃん」

「あぁ、どっかのプロダクションに所属するかって話な。それはまだ考えなくていいんじゃねぇか? 売れすぎちゃって猫の手も借りたくなった頃に考えるよ」

「まぁ、確かにそうだよな。俺達はタレントじゃないし、そんなに仕事に幅がある訳でもないからな」拓人は頷きながら言った。

「すげぇ……、なんか、会話の内容がそれっぽいよ……。っていうか、俺達そんなところまで来たんだね。そっかぁ、芸能人かぁ……」

「康介……。おまえはもうちょっとしっかりしてくんねぇかなぁ……。もしかしたらこの先、テレビに出ることだってあるかもしんねぇんだからよぉ。ちょっとは千秋みたいに堂々と出来ねぇかなぁ……」拓人は康介の肩に手を置きながら言った。

「はぁ、堂々と……ですか? うーん、あんまりわかんないですよ……」

「まぁまぁ、そんなのそのうち慣れるから心配すんなって。こいつはほら、まともにステージに立ってからまだ一年も経ってねぇだろ? なんて言うのかな、ライブ慣れ? 違うな、ステージ慣れって言うのかな? そういう経験がまだ足りてねぇだけだよ。地位が人を育てるなんて言葉があるだろ? そのうち勝手に千秋みたいに自然体になるよ」

「あたしもまだ初ステージから一年経ってないんだけど……」突然千秋が、彼女にしては珍しく、控え目な声で言葉を発した。

「えっ?」

「はぁっ!?」

「えぇぇぇぇっ!」三者三様の驚きの言葉が漏れる。

「だってあたし、康介に誘われるまでバンドなんて組んだことないもん。実はあたしん家には簡単なスタジオがあってさ、大概そこで一人で練習してたんだ。たまに駅前の貸しスタジオとかでも練習してたけど、そういうのは誰かとセッションする時が多かったかな? 康介とも何回かやったよね?」

「おまえ……、それであのパフォーマンスかよ……。やっぱおまえ、天才なんだな……」拓人は心の底からそう思った。

「なんだ、そうだったの? 俺はてっきり、高校の頃からバリバリのバンドマンだと思ってたなぁ」康介も拓人と同じような目で千秋を見つめる。

 その時、突然千秋が口を押さえ、出口へ向かって走り出した。

「おいっ、どうした千秋!」太陽は千秋の背中に向かって声を掛けたが、彼女はそれには答えず、スタジオの外に走り出てしまった。

「あいつ大丈夫か? 体調でも悪いんじゃねぇか?」拓人が心配そうな顔を作る。

「いや、ちょっと待てよ……。あれはもしかしたら……」太陽はパイプ椅子に座ると、腕を組みながら視線を一点に集中させた。なにか思い当たることに思考を巡らせているようだ。

 そしてしばらくすると康介に顔を向け、厳しい表情で口を開いた。「康介、おまえ、千秋から何も聞いてないか?」

「えっ? いやぁ、特に何も……。って言うか、それは例の話についてってこと?」

「あぁそうだ。オレが思うに……、アイツは妊娠してるぞ? まず間違いなく子供は堕ろしてねぇな。いいか? オレ達は一週間単位でここで会ってるんだ。おまえは毎日のようにアイツと会ってるから気付きにくいだろうけど、オレは違う。さっきもオレが言っただろ? 太ったんじゃねぇかって。単純にそのことと今の千秋の行動を照らし合わせたら、まず間違いないだろうな」

「えっ? それは……。えっ、ちょっと待って、えっ? なんで? だってあの時、千秋さんは俺の知らないうちに全部一人でやるって……」

「そうか。おまえはそのことについて千秋と話した訳じゃないんだな。だったらこの話はますます現実味を帯びて来る。なぁ康介、おまえは父親になるんだよ」

「ちょっと待ってよ。そんなのまだ確定した訳じゃないじゃん! 確かにタイちゃんの勘が尋常じゃないのは知ってるけどさ、ちゃんと千秋さんに聞かなきゃ……」

 その時、千秋が静かに扉を開けてスタジオ内に戻って来た。「ごめんごめん、ちょっと今日は体調悪くてさ……。今日のランチがダメだったのかな。脂っこいもの多かったし……」

「なぁ千秋……」太陽は千秋をまっすぐに見据えると、優しい表情で口を開いた。「オレ達は仲間だ。いや、この先デビューして、大きく羽ばたいて行くことを考えたらそんな言葉じゃ収まらねぇな。まぁ、言ってみれば家族みたいなもんだよ。オレも拓人も、それに康介だっておまえのことを尊敬し、そして大事に思ってる。例えばもし、おまえになにか困ったことが起こったとしたら、オレ達は全力でおまえの力になるだろうな。あぁ、それは間違いない。だって家族みたいなもんなんだから。で? おまえのそのお腹の子供、元気に育ってるのか?」

「えっ!?」千秋は絶句した。そして少しの間、その部屋の時間と空気が止まる。

 千秋はゆっくり口元に手を当てると、俯きながら瞳に光るものを浮かべた。「うん、とっても元気に育ってるよ。たまにだけど、動くのがわかるくらいなんだ。ごめんね……。たぶん、もう康介からは聞いてると思うけど……、この子は康介の子供なんだ……。あたしは……やっぱりあたしは……」千秋の瞳から涙が溢れ出した。

「千秋さん……」康介は瞳に涙を浮かべながら千秋を抱きしめた。「千秋さんありがとう。こんなに、こんなに嬉しいことは生まれて来てから一度もないよ……」

「いよっ! お父さんがんばれよ! これからが本番なんだからな!」拓人が指笛を鳴らしながら康介をちゃかした。

 康介はそれに笑顔で応えると、右手の親指を立てた。

「まぁ、実は康介からいろいろ聞いてたんだけどさ、おまえの考え方は嬉しかったよ。でもこれで良かったんじゃねぇか? 誰だってプラスな選択肢があると、どうしたって自分本位で考えちまう。おまえが最初に出した結論はオレ達を選んでくれたんだもんな。でもな、考え方を変えれば、バンドなんていつでも出来るんだよ。言っとくけど、オレ達はそんなに冷たい人間じゃない。さっきも言った通り家族同然なんだからな。だからな、子育てが終わったら、いつでもこのミステリアスムーンに戻って来ればいいんだ。例えもし、その時のメンバーにギターをやってるやつがいたとしたって、ツインギターっていう選択肢だってあるんだから」

「うん……、うん、ありがとう……。あたしは、必ず戻って来るよ。このバンドは、ミステリアスムーンはね、あたしを大きく変えてくれたバンドだから……。あたしはね……、このバンドが大好きなんだ……。太陽君も、拓人君も康介も……、みんな大好きだよ……」千秋は流れ出る涙もそのままに、とびっきりの笑顔をメンバー全員に向けた。

「さてとっ、めでたしめでたしってとこだな。それはそうと……、どうすっかな、新しいギタリストを探さねぇといけなくなっちまったなぁ。いっそのこと、ロスから強引に春人でも呼びつけるか?」太陽は笑顔でそう言い放った。

 だがしかし、その言葉は太陽の中では半分以上、本気の言葉だった。


「はぁっ!? ちょっと待て、もう一回言ってくれ!」

「だからぁ、お父さんはお爺ちゃんになるの! 耳が遠くなったの?」

「おいおい、ちょっと待ってくれよ。いくらなんでもいきなりすぎだろ? この人はどこどこの誰々さんで、仕事は何をしててとか、そういう情報から形式的に話すのが普通なんじゃないか? 少しは変化球使えよ!」

 窓から満開の桃の花を臨める部屋で、久彦は康介と対面していた。

 娘から紹介したい人がいると聞いた久彦は、極度の緊張を抱えながら康介を自宅の応接室に招き入れた。

「だってお父さんがよく知ってる人じゃない。この先お父さんの会社のお金を稼いでくれる人だよ? この人は」

「それとこれとは話が違うだろ? 俺にだって心構えの順番ってものがあるんだから。いきなりクライマックスを持って来る奴なんているか?」

「お父さん、サビから始まる曲だってあるんだよ? そういう曲に限って結構売れたりしてるじゃない。あんまり形式に拘らないでよ。おかげで緊張が解けたでしょ?」

「わかったよ! まったく、おまえには勝てないな……。でもな、おまえのその直球のせいで、俺にはもう言うことが何も無くなっちまったよ! 悪いけどな、俺は父親として、一生に一度しかないであろうこんな場面を、密かに楽しみにしてたんだからな!」

「あぁ、確かにもう二度とない場面かもね……。そっか……、それはあたしにとっても同じことだね……。あっ、じゃぁこうしよう。康介、ちょっと最初からやり直そう! ほら、最初はあんたの挨拶から……」

「おいおいおい、もう遅いよ。まったく……、もうそんな空気じゃないだろ?」

「ックックック……」

 隣から聞こえて来る不思議な声に、千秋は鋭い視線を向けた。「えっ? なに?」

「あ、いや、ゴメンごめん。なんか二人の会話を聞いてたらさ、コントみたいに聞こえて来て……。ダメだ……、ハッハッハッハッ……」康介は必死に笑いを止めようとした。が、ツボに入ってしまったようで、なかなか笑いが止まらない。

「ちょっと康介、笑いすぎだよ! ちょっとは場の空気を読みなさいよね!」

「いやいや、一番空気を読まなきゃいけないのはおまえだろ? 初っ端から場の空気をぶち壊しちまったんだから。それにしても……、ダメだ、俺も……、ハッハッハッハッ……」

「なによ二人とも。娘が自分の恋人を父親に初めて紹介する場面でしょ? もうちょっとおごそかになりなさいよ」

「いやいや、もう無理だろ。いいじゃないか、こんな形があったって」久彦はなんとか笑いを収めると、にこやかな顔で話を繋いだ。「まぁ、こんな形になっちゃったけど、娘のことを頼むよ、康介。ちょっとじゃじゃ馬だけどな。いやいや、俺は嬉しいよ。音楽を通して家族で同じ未来を臨めるんだからな」

「はい、こちらこそよろしくお願いします。千秋さんのことは一生大切にします」康介も笑いを収め、真剣な顔付きで久彦に対して深く頭を下げた。

「それで? 子供はいつ頃生まれるんだ? おまえを見た感じだと、まだそんなにお腹は大きくないな」

「一応予定日は七月七日だって。たぶんあたしは、あんまりお腹が出ないタイプみたい。もう六か月目に入ってるんだけどね」

「なんだ、あと四か月後には生まれて来るってことか? そうか、俺はあと四か月で爺さんになるのか……」久彦は下を向いて考え込んだ後、口元を緩め、にやけ顔を作った。「いやぁ、俺に孫が出来るのか。そっかぁ、孫かぁ……。おっ、そうだな、こんなにめでたいことがあったんじゃあれだ。おーい、久美さぁん、ビール持って来てくれ!」喜びの実感が湧き始めた久彦は、お手伝いにビールを持って来るよう頼んだ。

「でもあれだな、そんな体じゃ、バンドを続けるにはちょっと無理があるよな。せっかくリリース日まで決まったってのに。でもまぁ、出来ちまったものはしょうがない。新しい命に勝るものはないからな。今後の展開はまたあとで考えるとして……」久彦は康介に向き直ると、話を繋いだ。「そう言えば、こいつのせいで順番が逆になっちゃったな。えっと、康介は苗字何て言うんだっけ? いや、契約書にはちゃんと目を通したんだけど、なんせほら、もうすぐ爺さんになる身なもんで、物忘れがひどいんだよな」

「あっ、すいません。ちゃんと自己紹介してませんでしたね。えっと、僕は白石康介って言います。二十三歳です。S市のU区に住んでいます。仕事は地元のS建設で現場監督をしています。千秋さんとは高校が一緒で、そこで僕は千秋さんにベースを教えてもらいました。その繋がりでミステリアスムーンに僕が千秋さんを誘いました」

「あぁ、そうだったそうだった。確か白石って書いてあったな」久彦は康介のグラスにビールを注ぐと、満面の笑みを見せた。

「お父さん、ほら、康介の家にはさ、ブン太がいるんだよ。思い出した?」千秋は窓の外に見える犬小屋から顔を出している、白い老犬を指差した。

「ん? チャックがどうした? ブン太? 白石?」久彦は窓の外の白い老犬を見つめた。「白石……? あっ、もしかして……」久彦の頭にひらめきが灯った。「もしかして、康介の親父さんは優介っていうのか?」

「はい、父は優介っていう名前です」康介はニコニコしながら答えた。

「なんだ、それならそうと最初に言ってくれよ! いやぁ、懐かしいなぁ。そうかぁ、康介は優介の息子かぁ……」久彦は笑顔と共にグラスのビールを喉を鳴らして呷った。「あいつとはさ、大学の同期なんだよ。ここ何年か連絡取ってなかったけど、まさかその息子が俺の前に現れるとはなぁ……。しかも、それが俺の義理の息子になるんだろ? いやぁ、こりゃめでたいなんてもんじゃないな!」

「人って意外と繋がってるもんだよね。でもね、まだまだこんなもんじゃないんだよ? ウチのバンド、どういう訳だかみんなどっかしらで繋がってるの。例えばそうだな、あっ、夏妃さん。わかるでしょ? ウチのバンドのマネージャーやってる夏妃さん。実はね、お父さんのお気に入りのロサンゼルスの春人君は、夏妃さんの弟なんだよ? しかも春人君はこの康介の親友なの」

「えっ? それホントか? いやいや、そりゃ初耳だな……」

「それで、この康介は、その夏妃さんの従姉弟にあたるの。あとは康介のお姉さんが太陽君の元カノで……」

「ちょっと待てちょっと待て、なんだそりゃ、頭がこんがらがって来る。もっとゆっくり言ってくれよ」久彦は苦笑いを作った。

「だからぁ、その優介さんの双子の妹の娘が夏妃さんってこと」

「えっ、双子の妹って……優妃のことか?」

「そうです。僕には会った記憶がないんですけど、父がそう言ってました。社長はご存知なんですか?」

「あぁ、学生の頃、よく優介と三人で遊んだよ。一緒に海に行ったりしてな」

「そうなんですか……。でも実は、叔母は一昨年亡くなりました。僕も詳しくはわからないんですが、トラックに轢かれたっていう話で……」

「えぇ!? ホントか? そんな……まだ俺と同い年だっていうのに……。そうか、じゃぁ、夏妃さんと春人君は、優妃の忘れ形見ってことか……」

「お父さん、それはちょっと違うんだよ……。夏妃さんと春人君は、半分しか血が繋がってないんだ。お母さんが違うんだよね」千秋はそこまで言うと、姿勢を正して話を続けた。「あのね、これから話す内容は、たぶんお父さんにとって苦い話かもしれない。だけどね、これはあたしが抜けたバンドの穴を埋めるために、そしてそこに春人君を入れるために、お父さんには知っておいてほしいことなんだ」

「なんだおい、急に改まって……。そんなに重要な話なのか? それに春人君を入れるって……」そう言いながら、久彦も姿勢を正した。

「あのねお父さん、なっちゃんとはるくん、覚えてる?」

「ん? なっちゃん? はるくん? はて? 聞いたことがあるような……」

「そうね、もう二十年くらい前の話だもんね。じゃぁ、二十年くらい前、なっちゃん、はるくん、水野さんのマンション、この四つのキーワードだったらわかるんじゃない?」

「あぁ、それならピンと来るよ。雪乃と、あの子供達のことだろ? そっか、なっちゃんとはるくんかぁ……。懐かしいなぁ……。で? それがどうしたんだ?」

「じゃぁこの言葉はどう? なっちゃん、はるくん、夏妃さん、春人君……」

「えっ!? おいおい、冗談だろ? ――水野夏妃……、水野春人……。あっ!」久彦は顔面から血が引いて行くのを感じた。同時に、心の中が黒いドロドロとしたもので埋め尽くされて行くのが手に取るようにわかる。「えっ? おい、この話は……、事実か? ホントのことなのか!?」

 久彦の狼狽ぶりを、康介は不思議なものを見るように見つめていた。「ねぇ千秋さん、どうしちゃったの? どういうことだかさっぱりわかんないんだけど……」

 千秋は康介の話には触れず、久彦に対して話を続けた。「これがどういうことだか、お父さんにはもうわかるよね? そうだよ、あたしと春人君は血を分けた姉弟なんだよ。ほら、みんな繋がっちゃった!」千秋はにっこり笑って見せた。

「えっ!? 千秋さんと春人が姉弟!? えっ、それは、ホントのことなの? えっ、どういうこと?」康介は驚いた表情のまま固まってしまった。

「はぁ? あんた今の話聞いてなかったの? だからぁ、あたしの母親は、夏妃さんのお父さんと結婚して春人君を産んだの! わかった?」

「えぇぇぇぇ!? じゃぁ、ホントに姉弟なんだ! あれ? ちょっと待って? なんかおかしいぞ? えっと、ちょっと待ってよ?」康介はいったん思考を止め、落ち着いて考えた。「あのさ、千秋さんが春人と姉弟ってことは、夏妃さんとも義理の姉妹ってことになるよね。で、夏妃さんは俺から見たら正真正銘の従姉弟だから……。ってことは、俺と千秋さんは、血は繋がってないけど親戚同士なんだね。えっと、義理の義理の従姉弟なんだ」

「そんなのどうでもいいじゃん。血が繋がってる訳じゃないんだから。そんなことより……」千秋は久彦に向き直ると、瞳をまっすぐに見つめながら話を続けた。「あたしはさ、こんな体だからリリース曲のレコーディングまでが限界かな? でもさ、結局はその後の方が忙しくなる訳じゃない? インストアライブだったり、デビューに絡んだツアーだったり、あとはその後のイベントだったり、曲の制作とかレコーディングとか……。そういうことを踏まえて普通に考えたら、リリース日を先に伸ばすっていうのが定石なんだろうけど、もうツアーだって始まっちゃてるし、プロモーションだって結構あちこち掛けてるだろうし、早い話がもうこのバンドはデビューに向けて走り出しちゃってるんだよね」

「まぁ、確かにリリース日を先に決めたからな。すべてその日に合わせて予定を詰め込んだもんだから、いろんな展開がかなりのスピードで進んでるのは事実だ」久彦はグラスのビールを一口飲むと、難しい顔を作りながら話を続けた。「実はな、一度断られてはいるんだが……、俺は春人君を諦めた訳じゃないんだ。あの子をどうしてもウチに欲しいっていう想いは全く色褪せていない。それにあの子だったら千秋の代わりとしてまず申し分ない。テクニックも、パフォーマンスも、そして音もミステリアスムーンにビタはまりだ」

「それはあたしだってそう思うよ。って言うか、太陽君がミステリアスムーンを作った時、あの人の構想ではギタリストは春人君だったみたいよ? 春人君がビタはまりっていうのは、ある意味当然なんだよね。まぁ、それが叶わなかったからあたしがやってるんだけどね」

「へぇ、それは初耳だなぁ。そうか……。うーん、なんとか春人君を日本に呼び戻して、ウチのバンドに合流させることは出来ないもんかねぇ……」

「あの……、それはもしかしたら、今だったら可能かもしれないです」康介が控え目な声を発した。

「えっ? それは……どういうことだい? 今だったらって、だって春人君は、あっちでかなり順調に活動してるんじゃ……」

「いえ、あいつのバンドは今、活動休止中なんです」


 四月の初旬、春人のもとに一通の手紙が届いた。差出人は夏妃である。

 時々夏妃からは手紙が届くのだが、今回の手紙はいつもとは違い、封筒に厚みのあるものだった。

「なんだよ、お姉も意外に暇なんだな。こんなにいっぱい便箋詰め込みやがって」春人は独り言を言うと、その手紙を読み始めた。


 拝啓 その後、そちらはいかがですか? 

 こちらは桜の花も散ってしまい、初夏のような日が増えつつあります。

 この前の手紙では、あなたの腕もだいぶ良くなり、ギターもだいぶ普通に弾けるようになったと書いてありましたね。ギターはあなたのすべてだと聞いていたので、それは私にとってもとても喜ばしいことです。

 一日も早く本来のあなたの実力が出せるよう、回復を祈っています。

 さて、こちらではミステリアスムーンの活動に対して、様々な動きがありました。本当にびっくりするくらいたくさんのことがあります。

 まずは私の個人的なことから。

 私はこれまで勤めていた会社を辞め、オータムレコードという会社に再就職いたしました。そう、以前あなたをスカウトした相沢社長の会社です。

 私は正式に、ミステリアスムーンのマネージャーとして活動することになりました。が、マネージャーというのはたて前で、本当の肩書は担当者というものです。あちこちのライブハウスに出演依頼をしたり、はたまた出演料の調整、スタジオの日程管理、プロモーションの補佐、レコーディングの補佐、メンバーへの連絡など、以前の仕事の何倍もの仕事量を強いられています。こんなに大変だとは思ってなかった(;^_^A 大体普通、マネージャーっていうのは、マネジメント契約したプロダクションがやるもんですからね!

 あなたにはまだ話してなかったかもしれませんが、ミステリアスムーンは六月の第三水曜日を以ってメジャーデビューいたします。それに伴い、現在はプロモーションを兼ねて全国ツアーの真っ最中です。

 私はそのツアーすべてに同行する訳ではありませんが、現地のライブハウスとの密な連絡、出演料、管理など、すべてを任されています。正直に言ったらもう嫌気が差している自分が見えます。が、メンバーの真剣さ、そして情熱が私を支えてくれています。タイちゃんをはじめ、本当にこのバンドは優しいメンバーで構成されています。特に最近は、千秋さんが私に対してすごく優しく接してくれています。それには大きな秘密があるのですが、それはこの手紙の後半でお伝えします。乞御期待!!

 そしてこれはものすごく大きなことなのですが……、実は私、バンドに触発されてベースを購入し、練習を始めました\(^o^)/ なんでベースなのかって? それはギターより弦が二本少ないから。そして密かに康介の後釜を狙っているのですよ……。まぁそれは置いといて、一応、音楽の世界に携わる以上、楽器の一つでも出来た方がいいかなと思って始めたのが正解です。って言うか、楽器って超楽しい(>_<) 最近は暇を見つけて、タイちゃんがセッションの相手をしてくれています。なんて面倒見の良い人なんでしょ!! 何気にギターもうまいし。

 さて、そろそろ本題に入りましょうか……。

 ストレートに言いますけど、六月のCDリリース後、ミステリアスムーンからメンバーが一人抜けてしまいます。いやいや、冗談じゃないってば!

 しかもそれは、バンドの音の要、ギターの千秋さんです。

 たぶんあなたは今、とてもびっくりしてるだろうけれども、そのびっくりはさらに続きます。千秋さんが脱退する理由は、なんとあの康介の子供を宿したからです!!

 これにはさすがの私もびっくり! まぁあの、どういうことかというと、康介と千秋さんは去年の夏頃から付き合っていて、秋のある日にチョメチョメして、その結果千秋さんが妊娠しまして、メンバーには黙っていたけど、先日、そのことをメンバーに公表して……。という流れです。

 それに伴い、現在は新しいギタリストのオーディションをしようという企画が持ち上がって、昨日から応募が始まっています。でもまぁ、千秋さんは赤ちゃんの首が座ったら戻って来るっていう話なんだけどね。 

 ここからは真剣な話なので私もおふざけなしでちゃんと書きます。

 確かに今現在、新しいギタリストのオーディションは、会社のホームページにて応募が始まっています。そしてすでに数人の応募者が現れています。

 この先、その新しいギタリストでやって行くのか、それとも千秋さんが戻って来るまでなのか、さらに千秋さんが戻って来た時にツインギター体制でやるのか、今のところ確定的な話はまだ出ていません。

 だけどタイちゃん的には、千秋さんのギターはミステリアスムーンには絶対に必要だと言ってるし、千秋さんも戻って来る気マンマンだし、私としてはやっぱりオリジナルメンバーは最終的には残っててほしいし……。だから一番いいのは、オーディションにしろなんにしろ、とりあえずは新しいギタリストに参入してもらって、しばらくの間は千秋さん抜きの体制で活動して、復帰後にツインギター体制に切り替えるってことなんだと思う。

 だからね、これは私だけの意見とか願望じゃなくて、ミステリアスムーンのメンバー全員の頭に過ってることなんだけど……、えっと、もう言いたいことはわかるよね? だからね、今のミステリアスムーンには、どうしてもあなたが必要なの。

 あなたのバンドが今、どういう状況になってるかはよく知ってる。前を向いて、必死にもがいてるのが手に取るようにわかるよ。だって一応、私もそういう世界に籍を置いた身だからね……。

 次はあなたにとっての運命の話。

 この言葉はさ、タイちゃんもあなたに言ったはずだし、私もあなたに伝えた。

 私があなたにこの言葉を伝えた時、あなたはそんなものはよくわかんないし信じないって言ってたよね。

 だけどさ、私達には透明で空気のように見えないその運命だけど、私達の身近でさ、その運命が見える人がたった一人だけいるんだよ。実はね、私は実際には会ったことないんだけど、死の世界の淵で真冬さんと会ってるんだ。ほら、私の例の事故の時。真冬さんと会ったのはそれ一回きりなんだけど、あの人は私にタイちゃんをお願いしますって言い残して逝ったんだ。それはどういうことなんだろうってずっと考えてたんだけど、それはきっと、タイちゃんの進むべき道をちゃんと見守ってくれってことだったんだよね。だから私は、あの人と最初に会った時からずっと見続けて来た。ちょっと恥ずかしいけど、あの人に恋するくらいちゃんと見続けて来たよ。だからあの人の考え方とか、本当にやりたいこととか、私なりにはわかってるつもり。

 あの人は本当にあなたを必要としている。それだけは忘れないでほしいの。

 そして最後は私からのお願い。

 あなたはどうして生かされたんだと思う? それは真冬さんが生かしたいと思ったからだよ。じゃぁなぜ生かしたいと思ったのかな? それは真冬さんがタイちゃんとあなたが一緒にバンドをやるのを望んでるからだよ。たぶんきっと、真冬さんはあなたとタイちゃんが一緒にバンドを組む運命だってことをわかってたんだと思う。そうじゃなきゃ、この世にいない存在になってまでも、こんなに情熱的に訴えて来ることはないんじゃないかな?

 だからね、あなたにはタイちゃんと一緒にバンドをやってほしいと思うんだ。これは私の想いであり、真冬さんの想いでもあるの。確かに簡単に決断出来ることじゃないとは思うけど、その運命って言葉、この世には存在するんだっていうことを感じながら考えてほしい。

 そして、あなたには世界で一番のギタリストになってほしいって思ってるの。きっとタイちゃんと一緒なら、そんな大きな夢も叶えられると思うんだ。

 長々と書いたけど、あなたに私のこの想いが届いてくれたら、私にはもう、あなたに望むことは何もありません。

 どうか、私と真冬さんの想いを叶えてください。


 親愛なる弟へ

 姉より


 

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