生き別れた娘が誰に転生してるか分からない

相羽裕司

プロローグ

0/死んでしまったようなので、娘を探す旅にでる

 トラックに向かって飛びこもうとしていた女学生の姿が、娘と重なって。



――もし、生きていてくれるなら。ちょうどあのくらいの歳に。



 俺は飛び出していた。



――そりゃ、絶望したくなる気持ちも分かる。そんな世の中だけどさ。



 女学生を突き飛ばす。



――娘の代わりに。幸せを、諦めないでほしい。



 結末から言おう。


 俺がギリギリで突き飛ばした女学生は助かって。


 突き飛ばした俺はトラックにかれて、死んだ。


 ◇◇◇


 気がつくと俺は光輝く世界にいて、目の前に大仏様が立っていた。


 大きい。これは、奈良の大仏様……だよね?


「君は、死んだ。まずは、お疲れ様。よく、頑張ったね」


 おっと、大仏様がお喋りになりましたね。


「死んじゃいましたか」


 まあ、そうじゃないかという気はしていた。まだ実感はないが。


 あんまり痛くなかったのは、幸運なことだったりするのかもしれない。


「君たちの国の言葉で表現するなら、私は『マハーヴァイローチャナ』ということになる」

「ああ、仏教の」

「お。君、けっこう詳しいね」

「一時本とか読んで、仏教について勉強してたことがあるんですよ」


 「マハーヴァイローチャナ」は、説明が難しい。とりあえず、ここでは神……とも違うのだが、何らかの超常的な存在だと思っていてくれたらイイ。全宇宙そのもの、みたいなね。


 日本人なら、やはり奈良の大仏様というのが伝わりやすいだろう。あれが大毘盧遮那だいびるしゃなぶつ。つまり、「マハーヴァイローチャナ」様である。


 大仏様、もとい「マハーヴァイローチャナ」様から思念のようなものが伝わってくる。

 言語……という概念で正しいのか分からないが、温かい言葉だ。


「結論からいうと、君は徳分ゲージが振り切れるほど貯まっているので、君が望むなら転生することができる。そこで、君がやりたいことをやればイイ。何か、やってみたいこと、あるいは未練、やり残していたことのようなものはあるかね?」

「そうきましたか」


 やり残したこと。未練か。


 そうだな。


「うーん、正直、最近はパッとしない人生だったんですよね。妻とも十年前に離婚して、あっちは若い男と再婚してますし」


 仲が良かった友人は一人いたが、彼も震災の時に死んでしまった。


「仕事は丁寧にこつこつやってたつもりでしたが、薄給でしたし、やり甲斐のようなものも感じていたかというと、最近はそれほどじゃなかったのかも、みたいな」


 自分が、枯れてしまったような、空っぽであるような感覚を感じて生きていた。


 ただ、それでも。


 心残りがあるとするならば。


「娘が、いたんです」


 俺の体の真ん中から、自然と言葉が零れてきていた。


「娘が四歳の時でした。夕暮れ時の公園です。娘は、ブランコに乗っていた。びついた音が、響いていた。

 熊が、立っていたんです。真っ黒な。

 どうして、街中の公園に? でも、仙台せんだいは時々熊が目撃されるのがニュースになったりしますから、山から下りてきたのか? 俺はいくつかの可能性に思いを巡らせました。

 その時、熊に気を取られて、ほんの数秒、娘から目を離してしまったんです。

 それが、一生の後悔です。

 次に、気がついた時。

 娘は、消えていました。

 ブランコだけが、揺れていた。

 黒い熊も消えていた。公園の中には、俺しかいなかった。

 見つからなかった。公園を。街を。探し回りました。もちろん、警察とかにも連絡して。何年も、あらゆる手段を使って探しました。

 それでもついぞ、見つからなかった。

 行方不明なんです。誘拐にあったのか。はたまた神隠しにあったのか。娘が見つかることはなかった」


 俺は一息に、話終えると。


「十三年前のことです。今ではたぶん、俺くらいしか娘が世界にいたことを覚えていない。これが、俺の心残りです。ずばり、娘はどこかで生きているのでしょうか。大仏様に尋ねるのは、アリなのでしょうか」


 大仏様は、しばし思索にふけるように沈黙したのち。


 ゆっくりと口を開いた。


「生きているね。でも、君が生きてた世界じゃない。どこかの浄土じょうど法界ほっかいに、そのままの姿か、あるいは転生した姿で、娘さんはいるよ」


 「法界」や「浄土」は仏教の概念で、突き詰めて考え始めるとそれぞれに深淵しんえんなのだが、ここではざっくりと時空が異なる並行世界のようなものだと捉えてもらえたらと思う。無数のそういった世界のどこかに、娘はいると大仏様は仰ってるのだ。


「もうちょっとピンポイントに、この世界にいる! とは分からないものなのでしょうか?」

「私は、『万能』という概念とはまた違うからね。仏教に造詣ぞうけいが深いようである君ならある程度分かると思うけど」


 大仏様の背後に、無数の「煌めき」が輝き出した。


 その「煌めき」の一つ一つが、「世界」なのだということが分かる。


「探しに行くというなら、準備はしてあげるよ。君が娘さんを探しに向かう浄土・法界には、あるいは君が生きていた世界とは、異なる歴史があり、異なる生命の法則があり、異なる現実の定義があり、異なる神と人間の関係があるかもしれない。そんな、今の君には不可知の嵐がまっているとしても。それでも、君が望むというのなら」

「おお。『母をたずねて三千里』ならぬ、『娘をたずねて』……その、めちゃめちゃすごい距離っていうか、時空っていうか、をですね。しかも、娘はどこにどういう姿でいるか分からないと。かなり、無理ゲー感がありますね」

「諦めるかい?」


 ふむ。

 その時、俺の心の中心に湧いてきた気持ちは……。


 うーむ。俺の心をコンパスに例えるとして、指し示している方向性はホンモノだ。偽ったりは、できないな。


「いえ、やってみようと思います。なんというか、十三年も経ってしまったんですが、俺はまだ娘を愛しているのです」

「キミ、最近の君が生きていた世界じゃけっこうめずらしいタイプだね」

「そうですか? まあ、仏教的には末法まっぽうの世だったのかもしれませんが。俺は、けっこう人に助けて頂いたりもしましたよ」

「ふんふん。やはり、ちょっと珍しいタイプだヨ」


 大仏様が、ニコっと笑った気がした。


「じゃあ、君に三つの贈り物を渡すね。

 一つ目に、生前の君の特性を驚異的に伸ばした万物万象を『ほぐす』ことができる『スキル』、『ことほぐしLv.100』を与えよう」

「なんと。サービスが良いのですね。ありがたく頂きます」


 娘探しの旅の途中、どんな事があるか分からないからな。優れた能力が一つでもあるのは、とても助かる。


「二つ目に、時空を渡る船、『宝船たからぶね』を与えよう」

「なるほど、移動手段ですか。これも、ありがたいですね」


 「宝船」というのは、日本人の感覚だといわゆる「七福神」が乗っていた船のことだな。えびす様とか、弁天様が乗っていた船だと思うとありがたみがある。ただの人間の身の上で乗るのは若干恐縮だが、長い旅になる可能性が大きい。良い移動手段があるのもとても助かる。


「『宝船』での時空の移動は、まったくのランダムというわけでなく、君の『縁』が関係している。どんな突拍子もない世界に辿り着いたとしても、そこはキミの縁起えんぎが関係してる世界だ。

 つまり、行った先で気になる出会いがあったなら、その人は君の娘さんである可能性がけっこうあるわけだ」


 大仏様が手をかざすと、俺の首の回りが輝きはじめた。


 光が収束すると、俺はペンダントをしていた。ペンダントの先には、紋章がついている。


「船は大きくてかさばるから、普段は紋章型になってるからね。翻訳機能も兼ねてるから、行く先々の世界でも肌身離さず持っててね」


 いたれりつくせり。翻訳機能はマジでありがたいな。


「三つ目に、大仏様のご加護を与えよう」

「おおっと。三つ目はだいぶアバウトですね。でも、なんか頼もしい感じがします。喜んで、ご加護されちゃいますね」

「では、行ってらっしゃい。紋章の、真ん中のボタンを押して」


 言われた通りにボタンを押してみる。


 紋章は大きな「船」に変形して、気がつくと俺は中に吸い込まれていた。


 周囲が、虹色の不思議な空間に変わる。どうやら、出発の時がきたらしい。


「じゃあ、ボン・ヴォヤージュ!(良い旅を!)」


 大仏様の一言で、「宝船」は無限の宇宙へと向けて発進した。


 千変万化せんぺんばんかの風が、俺を通り抜けていく。


 摩訶不思議まかふしぎな旅が、始まったのだ。


 果たして、俺は娘ともう一度逢って、どうしたいというのだろう。


 十三年も逢ってなくて、俺はもう死んでいて、彼女も違う世界で生きて、もう姿や形すら違っているかもしれないというのに。


 冷たい風に吹かれて、競争で敗北し、格差の中で倒れ込んでいた。


 それでも、命を落としてなお、胸の中に残っているこの温かい気持ち。


 たぶん。俺は証明したいのだと思う。


 この宇宙のどこかに。まだ愛があるということを。

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