第四幕: 猟豹 - その2/3


 祖父の話をしよう。


 私は同居していた祖父母と仲がよく、忙しい両親に変わってかわいがってもらった。特に祖父はよく私の遊び相手になってくれた。


 祖父はよく私に、


「お前はおっちょこちょいでよくこけるが、すぐに駆け出してなんでもやってみる姿勢がわしは好きだぞ」

 と言った。


 すると、すかさず祖母が、


「あら、あなた、自分のこと言ってらっしゃる」

 と言う。


 どうやら、私と祖父は何かが似ているらしい。自分の幼少期に似ているのか、今の自分の考え方と私の考え方が似ているのか。理由はわからないが、祖父はとのコミュニケーションを大切にしていてくれた。

 祖父と祖母からは、よく自分たちの昔の話を聞かせられた。

 私が子供だったからすべてが新鮮だったのか、それとも私が聞き上手だったのかはわからないが、私は二人の話を年寄りのつまらない話などと話半分にすることなく楽しそうに聞くものだから、いろいろな話を聞かせてもらった。


 だから、祖父の生い立ちはだいたい知っている。

 祖父は地主の息子で裕福に育ち、大学までいって経済を学んだ。

 彼の父は長男が自分の家を継いでくれるものと思っていたようだ。祖父は彼の父の思い通り、経済を学ぶとともに幼いころから家督を継ぐ為の勉強をした。そして、大学を出ると共に父から家督を譲り受け、持っている財産を一年かけて整理し運用した。


 二年後、彼の父は患っていた心臓の病気で急逝する。

 彼の父が幼いころから経営や不動産、その他いざこざに対する対処などを息子たちに教え込んでいたのは、自分の命が不安定であることを知っていたからであろう。

 それが功を奏して、祖父は二十二才という齢にして大地主赤坂を何の滞りもなく運営した。小さな頃から同年代の子供よりは非常に頭のキレる人だったそうで、神童などと呼ばれていた時期もあったと聞いている。

 しかし、身内から一生懸命勉強していたことを聞いている私は、それが「天才」とか「神童」とか生まれつきのものではなく単なる努力の塊であったことを理解できる。

 祖父の才能を卑下するのではない。「天才」などという安っぽい言葉をつかって、祖父の努力の足跡を生まれつきだからだという理由で認めない姿勢が私は嫌なのだ。

 ここで、地主として一生を安泰に暮らすのならば彼の人生も変わったのだろう。

 しかし、彼は二十四歳で次男に家督をゆずっている。

 長兄である祖父にかけられた家族の期待は相当なもので、祖父もそれに応えるようにして育った。

 もちろん、彼の父は七人の兄弟姉妹全員を大学まで入学させる教育を施していた。つまり、兄弟揃って平均よりはずっと頭がよく、教養もあったようだ。

 それは、ほぼ絶縁状態になっている祖父の兄弟の就いている地位を聞けば頷ける。

 地主、大手電機メーカーの重役、官僚…。

 他にも同じような肩書きが並ぶ。

 大阪で地主になった次男も、長兄以外の兄弟の中では一番あたまがよかった。だから祖父は次男に家督を譲ったのだろう。

 確かに次男は優秀だったろうが、知識はもちろん、行動力、決断力、教養、対話能力、人の扱い、そして先を見通す力、全てにおいて兄弟の中では祖父がズバ抜けて良いように思う。

 祖父の兄弟は、お膳立てされた出世コースを年功序列と器量の良さで歩んできたように思うのだ。

 彼らを馬鹿にするわけではない。今の地位に着くまで、実際たくさんの苦労があったことだろう。

 しかし、私は祖父の生き方を聞いて思うのだ。

 肩書きを見る限りでは素晴らしい地位についている祖父の兄弟ではあるが、誰も祖父のように新しく自分で道をつくろうと思う人間がいない。

 祖父は家督を譲る前に、家の財産を兄弟に等分したという。まだ1歳だった末の妹にまで財産を分配したというのだから驚きだ。

 具体的にどのような方法をとったのかは私も知らない。

運営は地主の次男に任せて権 利的収入は分配し、手数料は天引きするとか。あらかじめ概算した財産を六等分したとか。

 想像はできるが、素人以下の私では分かりもしない。

 ただ、厳密には祖父は「等分」してはいない。その当時一等地であった駅前とその周辺は売って早々に金にしてしまっている。伝統の土地を守りたい兄弟は大反対で、これをきっかけに家族と絶縁状態なのだそうだ。

 価値の大きい駅前である。他の不動産に売ってしまうより自分たちで運用すれば必ず 金のなる木になるのだ。祖父は土地を売ったお金も歩合を考えてすべて分けたというが、家族の憤りもわからないではない。

 三十年後、その駅前周辺はシャッター通りになってしまう。赤坂家が所有する、当時売らなかった土地にはニュータウンの計画が持ち上がり、郊外という立地から高値がついたという。

 結果的には売ってよかった土地であったて、祖父の判断は正しかったということなのかもしれない。

 祖父も、駅前の地価の下落は予想していたのだという。

 しかし、三十年もあれば十分に元を取れるはずの土地をなぜ、祖父は手放したのか。

 これは、「祖父に似ている」という私の考えだが、彼は土地に縛られるのが嫌だったに違いない。

 地主の息子として生まれて、地主として教育された祖父が「土地」への執着を断つための儀式だったに違いない。

 私が祖父だったら、そうしていただろう。

 それを裏付けるように、祖父は売った土地の金以外一切を投げ出して、大阪都市部の問屋に就職している。家族とも絶縁しているわけだから、まさにすべてを投げ出した冒険だったろう。しかも、入社したのは当時のベンチャー企業のような会社だ。

 そこですべてをやり直して一から商売を勉強したのだという。

そこで七年勤め上げ、下っ端から経営にも直接口を出せる立場になったのだという。

 祖父はこの会社員時代に株と出会い、大阪の証券取引所によく出入りしていたのだった。七年目で、祖父は何かに満足してしまったのか会社を辞め、東京に出てきている。

 祖父曰く。


「人の集まるところに金は集まる。今は賑やかな大阪も、やがて衰退して誰もいなくなってしまうだろう。全部あっち東京に持ってかれてしまうからなあ」


 と言って、引き止める会社の仲間をおいて上京してきたらしい。

 実際、いま全国にいくつかある取引所の中で最も人が多くお金が動くのは東京らしい。

 株の魅力にとりつかれてしまったのだと言っていた。つまり、株がやりたくて上京してきたのだった。

 蛇足だが、そんな祖父の姿を見て育った私は中学性には不相応な無駄な株の知識をたくさん持っている。

 例えばリスク分散のためのナンピン買い、ナンピン売り。

とか。


 証券取引所で突っ立ってる係りの兄ちゃんに株の相談をしても無駄。だいたい、大学出てすぐの兄ちゃんが、どんな株がいいかなんてわかるはずがない。その場で難しい顔しているからって、「その道のプロ」なんて錯覚するな。

とか。


 株券は手元に置いておいたほうが、いろいろ都合がいい。

とか。


 十円上がったとか下がったとか言ってよく証券会社から「売れ」だの「買え」だの電話がかかってくるが、そんなのに振り回されてたら大損こくからやめろ。

 自分が調べた情報とセンスで決めるんだぞ。

 「売れ」「買え」頻繁に言うのは回転率を上げて手数料を稼ぐためで、わしらのためでやってるわけじゃない。

とか。


 正しいか正しくないかもわからない。知ってどうなるのかという知識が頭にはたくさん残っている。


 でも、私はその話が楽しかった。

 そして、上京し祖父が出会ったのが私の祖母だ。

 ここまでの話を聞くと欲のない真面目な人だと言う印象を受けるだろうが、祖父は大酒飲みで、夜の街にもよく繰り出したのだという。

 ポマードで固めたオールバックに顎鬚、派手なネクタイでオーデコロンの匂いをプンプンさせたヤクザのような(祖父に言わせればイケイケな)格好で毎晩欠かさずに行ったのが祖母の働いていたバーであったそうだ。


 祖父に言わせれば、行きつけのバーのべっぴんさん、それが祖母らしい。

 「あそばない?」とか「つきあって?」とか、アプローチはたくさんしたのにも関わらず、祖母は一向に振り向かなかったという。

 高いネックレスをプレゼントしたこともあったが、突き返されたそうだ。

 ヤケクソになって「結婚してくれ!!」といって、ようやくデートの約束を取り付けられたのだという。

 ちなみに、祖父が関西弁を使わないのも当時祖母が怖がったからだそうだ。方言ではなく、服装に問題があったと私は思うが。

 祖父は何かにつけ祖母を褒めた。

 料理がうまいとか、気立てがいいとか、 若い頃は可愛かったが今はとっても美しいとか。

 よく話をされたのが、結婚して間もない頃に祖父が友達に騙されてお金を失い、借金までしてしまったときのこと。


「死んでしまいたい」


 といった祖父を祖母は泣きながら殴りつけ、


「お金のために死ぬことはありません。よく話してくれましたよね。見切りをつけた土地を大胆に売ってしまったこと、機転の良さで会社を辞めてまで上京して株をやって成功したこと。私にはよく分からないけど、あなたには先を見通す目があるの。私が見込んだ男なのだから必ずあるの。あなたなら大丈夫だから。たまたま大好きなお友達の嘘を見抜く目がなかっただけ。だから死ぬなんて言わないでください。もう一生言わないでください 」


 といったらしい。これを機に一念発起し、頑張って立て直したのだとか。

 これを祖父は声まで真似て言うものだから、この話をすると祖母は顔を真っ赤にして逃げてしまうのだ。

 つまり、バカップルだった。

 傍から見ても祖父母は幸せそうで、私にもそれはよくわかった。祖父にとって祖母は生きがい以上の生きる意味だったに違いない。

 だからであろう。祖母が死んでから祖父はショックのあまり生気の抜けたようになってしまう。

 株を全て売ってしまい、よく知らべもしない会社に莫大な投資をしたりした。

 そのせいで、財産は徐々に目減りして株で作った財産もほぼゼロになってしまった。

 とうとう、自分の葬式代と祖母の墓代、わずかの財産以外全てを失ってしまった祖父は痴呆が始まり、夜に徘徊するようになってしまった。

 この時から同居していた父と母が言い合いをはじめる。

 施設に入れろとか、まだ早いとか。

 かかるお金のこととか、ひばりの進学はどうなるのとか。

 おじいちゃん子の私はそれだけで悲しいのに、自分の学費だとかが絡んでくると自分も悪いみたいでさらに悲しくなった。

 父もそれなりに有能な人間である。しかし、祖父のような器の大きさはなかった。

 会社、母、祖父の三つの問題が一気に押し寄せ、潰されそうであった。

 そして事件は起きる。

 祖父は深夜徘徊をしているうちに、車に轢かれてしまったのだ。一命は取り留めたものの、打ちどころが悪く植物状態になってしまった。

 祖母が亡くなって二年。 正確には一年と九ヵ月、祖父は息をする人形になってしまった。医師の話によると、祖父が正常な状態に戻るのは絶望的なのだそうだ。

 祖父を入院させたその日の父と母の言い合いは、今でも思い出したくないほど辛い内容だった。


「なんでベッドに縛り付けておかなかったんだ」

「あなたがかわいそうだっていうと思ったから、思っていても言わなかったのよ」

 ヒステリックに吐き合う不安の叫び。

 私の両親は既に祖父を人としては見ていなかった。


 これが、私たちと祖父の物語である。

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