第2話 ナタリア・クチンスカヤ

一方のナタリア・クチンスカヤですが、チャスラフスカが「東京オリンピックの名花」であったとしたら、彼女はまさに「メキシコオリンピックの名花」であったと言えるでしょう。私の妻は「あんな綺麗な人・・」と言って絶句したぐらいでした。私も息を止めて見つめていました。


ナタリア・クチンスカヤ


クチンスカヤはまだ幼稚園に通っていた時に体育競技クラスに選出されました。彼女は当初バレエダンサーになることを切望していましたが、どちらも運動選手であった両親に体操競技に進むことを説得され、後にナショナル・チームのコーチとなるラリサ・ラチニナに指導を受けるようになりました。ラチニナはクチンスカヤを最も好きな体操選手の一人だと語っています。1965年、16歳の時にクチンスカヤはソビエト連邦選手権を制し、一躍ソビエト体操のスターとなり、1968年のメキシコオリンピックの時点ではクチンスカヤはソ連チームで最も有名な選手となっていました。個人総合では段違い平行棒の自由演技で落下、ベラ・チャスラフスカとチームメイトのジナイダ・ボローニナの後塵を拝し銅メダルに終わりましたが、団体総合と平均台で金メダルを獲得し、ゆかでも銅メダルを獲得しました。彼女はメキシコシティ滞在中に感銘を受けた報道陣から「メキシコの花嫁」「メキシコの恋人」と呼ばれ、「ナタリー (Natalie)」というフォークソングが捧げられたといいます。


メキシコオリンピックはクチンスカヤの最後の試合となりました。彼女の体操競技からの突然の離脱は甲状腺の病気でモチベーションをなくしたことが原因でした。引退後クチンスカヤはソ連、日本、アメリカでコーチを務め、1980年に眼鏡技術者のアレキサンダー・コトリアーと結婚し、イリノイ州にある自身が運営する体操クラブでコーチを務めています。2006年には国際体操殿堂入りを果たしました。


その後のナタリア・クチンスカヤとベラ・チャスラフスカとの間にはこんなドラマがあるのです。


『ベラ・チャスラフスカ 最も美しく』 の著者、後藤氏は、現在ナターシャがウクライナ人の夫と暮らすアメリカ、シカゴ郊外の家を訪ね、インタビューした際の内容によると、メキシコ大会以後まもなく引退。1970年代~1980年代はキエフ在住。何度かの結婚と離婚があり、現在の夫と米国に移住したのです。

「ロシアやウクライナが嫌いなわけではないのですが、自分がよりよく生きていける場所を選んだのです。根っこにあるのはロシア的な文化だけど、それのみを愛するのではなく、国に拘らず、コスモポリタン的でいたいのです」、と語っています。後藤氏は「昨日は昨日、今日は今日、という個に立脚した人生観」と考えます。「アメリカ? 良いところもたくさんあるけど、様々な問題を抱えた国です。仕事に対する報酬は良いけど、万事お金という 拝金主義は嫌い」とも語っています。

そして、チャスラフスカとのことで話題のクライマックスとなります。メキシコ大会の直前に、『プラハの春』の封じ込め策として、ソ連軍がチェコに軍事介入してきたことから、メキシコの観衆もソ連選手には冷ややかで、罵声を浴びせるシーンすら競技会場によってはあったといいますが、ナターシャは例外中の例外でした。女子体操も、ライバルとはいえ、五輪以前までは仲良く話せる状況だったソ連とチェコのチームも、五輪ではチャスラフスカをはじめ、チェコチームの誰一人としてソ連チームに話かける人はいなかったといいます。


ナターシャは言います。「私はベラをライバルと思ったことは一度もありません。尊敬すべき選手としてずっと敬意を払ってきました。テクニックもパワーも表現力も何もかも優れていました。私は彼女のことが好きなのに、メキシコのときは(ソ連のチェコ侵攻のことがあり)口をきいてくれなくて・・・悲しくてどうしていいか判りませんでした。彼女は政治にかかわる人で、私は違う人間なんだと思いました。でも、当時も私が嫌われたのだとは思いませんでしたし、今は彼女のあのときの気持ちが理解できます」。


メキシコ後は、1986年、モスクワで開催された選手権で、2人はともに審判員として再会し、短い立ち話しとはいえ、近況を語り合えたのです。そして、その後、ベラに例の悲劇的な「事件」が起きたときには、日本のテレビの特集ではありましたが、ナターシャは単身プラハに行き、ベラに会おうと試みています。事件の判決直後ということもあったためか、ベラは誰とも会いたくないという心境にあり、このときは会えなかったのです。後藤氏が今も機会を見つけてはベラと接触をとろうとしていることを知り、ナターシャは「ベラに会ったら渡して欲しい」として、夫との写真を託しましたが、そこにはこういうコメントが添えられていました。

「愛するベラ。すっかりご無沙汰しています。私は今、アメリカに住んでいます。顔はこんな感じ。横にいるのが夫です。後藤さんと今、あなたのことなど、いろいろなお話をしました。お元気で。いつか会えることを楽しみにしています。 ナターシャより」


ベラ・チャスラフスカとナタリア・クチンスカヤ。1960年代後半の女子体操界を、人気実力ともに文字通り二分した二人の「メキシコ後」の人生は、ある意味では対照的であります。二人に間違いなく存在する友情と、国家を挟んでの微妙な感情は、東欧の歴史をそのまま表出させ、どんな時にも人は政治や時代を抜け出せないことを語っているように私には思えるのです。

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