トレードオフ

淳一

トレードオフ




 その日、魔王が復活した。


 かつて、魔王が誕生したそのとき。世界は恐慌状態に陥り、各地で虐殺が起こった。飢饉や疫病が蔓延し、人々は僅か数年で人口を十分の一にまで減らした。魔物が人里を跋扈するようになり、残された人々は生き残るため団結し、伝説の魔法を使うことで勇者を召喚、その勇者の手によって魔王は討伐された。


 ……とされている。


 実際のところ、魔王が復活したところで彼らは彼らの国を形成するだけに留まり、人間の土地に攻めてくるのは言わば領土争いの範疇。虐殺が起こったのは、魔王の誕生にかこつけて信仰宗教が勃興し、あることないこと吹聴した結果。飢饉と疫病に関してはタイミングが悪かったとしか言いようがない。人間の数が減れば、その分、魔物が自身の領土を拡大してくるのは道理であり、改めて歴史書を紐解いて見ればそれは魔王による侵略でもなんでもなく、単純に人間がパニックを起こして自滅したようなものだったと言える。


 とはいえ魔王は討伐された。


 そして復活した。


「魔王を討つべく、勇者を再び召喚する」


 かつての自滅の過去を反省した人間は、早々に勇者を呼ぶことにした。だが、幾度やっても失敗する。その原因は「勇者の魂を持つものが異世界で生きている」ことであった。異世界で生きている以上どうしようもない。しかし、魔王は復活してしまった。さてどうするか。


 我らが司祭プリーストの下した判断は――




「我が使徒たちよ、異世界に渡り、勇者の魂を回収せよ。具体的に言うと、勇者の魂を持つものをさくっと殺してこい。死亡が確認されたらこちらで召喚式を発動する」




   ◇◇◇




「やってらんねえ~」


 今日は快晴、いい天気だが、口から漏れるのはため息ばかり。見下ろすこの異世界は平和そのものの世界だ。


 異世界に飛ばすことのできる人数は十二人。加えて異世界に渡るには素質が必要。無論、危険も伴うために参加は立候補式。最初に声が掛けられたときは、そんな面倒なこと誰がやるもんかと不参加表明したのだが、司祭に「ちなみにうまいこと勇者の魂を回収した場合の報奨は――」と、ちらと見せられた紙面上の0の数に思わず「やります!」と言ってしまった。あとから冷静になって、そもそも自分の行く異世界に勇者の魂があるとは限らないことに気付いたのだが、それでも立候補者が百人もいれば自分は落ちるだろうと高を括っていた。


 結果、適性ありの異世界行き。その世界に勇者の魂があろうとなかろうと、勇者の召喚が成功するまでは帰りを保証されないほぼほぼ片道切符の強制転移。


 最初こそこの異世界で勇者の魂を回収できれば、老後の不安ともおさらばな報奨金が手に入ると意気込んでいたのだが、後日情報でこの世界が最も人口が多いと知り、一気にやる気が消え失せた。地上人口六十億っていったい何があったらそこまで人間は増えるのか。魔王もむしろこの世界に誕生した方が良かったのでは、いや、これだけの人数差では勇者関係なしにあっという間に討伐されるか。


 そうして今日も今日とて、どこか別の誰かが早々に勇者の魂を回収してくれないか祈りつつ、空から地上を見下ろして――




「………………うそだろ?」




 標的を見つけてしまった。

 あまりのことに呆気に取られてしまったが、標的がこの世界で見つかったならこんなラッキーはない。体を透明にし、ぐっと高度を下げて標的を見る。年の頃は十代半ばだろうか、まだ顔に幼さが残る。着ているものは自分が学び舎に通っていたときと似たようなものだ、つまり制服だろう。


 なるほど、ガキか。


 これから先の輝かしい人生にわくわくしている年頃だろう。だが申し訳ない、こちとら人類の存亡の危機がかかっていることになっているのだ。ここでひとつ死んでもらおう。


 この世界の人間は武器も持っていなければ魔法も使えないことは、ここに来てから目で見て確認した。おかげ様で空を飛んでいるところを人に見つかると指を差されて騒がれるため、低空飛行するときは体を透明にしている。


 誰にも気付かれないまま建物の二階ほどの高さに降り、どうやって殺したものか思案する。手っ取り早く魔法で殺しても良いのだが、それだとこの世界では大混乱を招くだろう。こちらの都合で死んでもらうのだから、なるべくこの世界への被害は少なめにしてやるくらいの心配りはできるつもりだ。


「さて……」


 あたりを見渡す。


 そう言えば、この世界におけるこの国での死亡理由のひとつに「交通事故」というものがあった。魔法が使えれば車と人の接触などあり得ないのだが、この世界には魔法がないのでそういう悲しい事故も多いのだろう。都合よく少年は横断歩道を渡ろうとしている。周囲を見渡し、そして。


「お、あの車とかいいな」


 明らかにほかの車より速度を出している。精神干渉系の魔法と、電気系の魔法を同時に使う。標的に掌を向け、それから車まで移動し、距離を測る。よし、距離はこのくらいでいい。この世界では通信をするのに小型機器が必要らしく、それに電波を送って通信モードにしてやれば、予想通りドライバーは小型機器を弄り始める。


 それで終わりにしても良かったが、やはり車と人の接触事故が多い国、前方への注意は多少なりとも配るらしい。


「いやいや、きれいに跳ねてくれよ、っと」


 そこで精神干渉系の魔法を使い、意識をすべて小型機器に移したところで。




「――は?」




 その車はウインカーを出し、そのまま路肩に停めた。


「は?」


 そんなバカな、確かに成功したはず――否、妨害魔法がかかっていた。そして、その魔力から、魔法を放った人物を特定し、再び建物四十階ほどの高さまで浮上する。周囲には誰もいない。声を聞く人もいないだろう。


 これならば安心だと司祭プリーストに通信を繋ぎ、そして。




「いきなり何ジャマしてんだ!!!!!」




 腹の底から怒鳴りつけた。


≪いきなり大声を出すな、耳に悪い≫


 通信越しの声は、何を怒っているんだとでも言いたげなほど落ち着き払っていた。


 そう、あの妨害魔法は司祭プリーストのものだった。人の体を媒介にして異世界にまで干渉してくるとは……いや待て、それほどまでに止めなければならなかったということか。


 怒りを疑問に置き換えつつ、再度司祭プリーストにどうして妨害魔法を使ったのかを問う。


≪ああ、お前の方法は良かった。交通事故でさくっと死んでくれれば良かった。良かったのだが……≫


「だが?」


≪あの少年の向かいから来る女の子がいただろう≫


「?」


 標的にしか目がいっていなかったため、その向かいから来る人物など気にも留めていなかった。高度を降ろして見てみれば、標的と一緒に話をしている少女がいる。


「……あれ?」


≪そう、あの子≫


 何か特別な力でもあるのだろうかと心眼を働かせるが、何も見えない。


「あれがどうかしたのか?」




≪すごく、好みなんだよね≫




 よし、さくっとあのガキを殺してこの司祭プリーストも殺すことにしよう。


 少年少女はこちらの事情など露知らず仲良く並んで歩いている。その頭上にちょうど良い店の看板。


「ほい」


 風を起こして看板の支えを破壊し、見事に頭上に落下――せず看板は突風に飛ばされて離れた道路のど真ん中に落ちた。


「………………司祭プリースト


 突然落ちてきた看板に人々は右往左往している。それもそうだろう、今日は快晴で看板が吹き飛ぶほどの風は吹いていないのだから。魔法でも使わない限り。


「勇者の魂が必要なんですよね?」


 標的も少女も、その騒ぎに呑まれて困惑しているようだ。


≪ああ≫


 念を籠めた問いかけには、重々しい肯定が返ってくる。


「じゃあ、邪魔しないで頂けませんかね?」


≪いや、あの、ほんと、あの子、私の好みのドストライクで≫


「世界の危機に私情を挟むな!」


 いや本当に危機なのかは知らないが、とにもかくにも勇者の魂を回収しろと命じた本人が邪魔をするとはどういう了見だ。

≪そもそも要らぬ被害を生むこともないだろう、殺すのはあの少年だけで良い≫


 看板を吹き飛ばして被害を大きくしたのはどこの誰だと言いたくなるが、言っていること自体はまともである。本音と建前をうまく使いやがる。だからこそ司祭プリーストまで上り詰めたのだろうが。


「わかりました、一人になったところを狙います」


≪ああ、そうしてくれ≫


 そう何度も妨害魔法で邪魔をされてもたまらない。標的は見つけたのだから、後は機会を狙えば良い。布石はもう打ったのだから。




   ◇◇◇




 結論から言えば、標的と少女は夜まで一緒にいた。標的がひとりになったのは、空も暗く、街灯がちらつく夜も夜。良い子のみんなは明るい内に帰れと言いたくなる。


 途中まで道路を歩いていた標的は、途中で公園に入った。疑問に思ったがそのまま後をつける。こちらは姿も音も消している、気付かれることはほぼほぼない。


「さて」


 公園の中央。人気のいない時間にこんな所に来たのが運の尽きだ。いや、彼の場合は運も何もあったものじゃないのだが。


「今度こそ死んでもらうぞ」


 空気を操り見えない手を作る。首を掴んで絞め殺す。ここなら誰も見ていない、ならば不審死だとしても疑われまい。


 腰を据え、魔力を籠め、そして。




「そこまでだ」




 背後からの声にばっと飛び退いた。今まで立っていた場所の地面が捲れ、そこにいた人物をプレスするように土の壁ができる。


「なっ――」


 馬鹿な、この世界には魔法は存在しなかったはずだ。


「貴様がこの世界担当の使徒か」


 土壁が崩れ、暗闇の中に人影が揺れる。


「お前……っ」


 そこに立っていたのは、日中、標的と一緒にいた少女であった。


「なに、ものだ?」


「私は、貴様らが『魔王』と呼称するものだ」


 魔王? 魔王だと? 魔王も異世界に渡ることができるというのか? というよりも魔王が好みの司祭プリーストの性癖はやばいのではないか?


 突然のことに頭が混乱する。だが、それを相手に気取られてはいけない。


「なるほど? 前回は勇者に倒されたから、今回は事前に勇者を篭絡させておこうと、そういう考えか?」


「ふむ、なるほど、それもありではあるが――」


 魔力を籠める。先と同じく、見えない手を生み出す。それも巨大な手だ。その手で一気に少女を――魔王を押し潰そうとして、失敗した。


「な!?」


 今日何度目の魔法の失敗だと叫びたくなった。


「ちょ、司祭プリースト! 今回ばかりは邪魔すんな……あれ?」


 てっきり司祭プリーストの仕業かと思ったが、やつの魔力は感じない。


「まさか」


「そのまさかだ」


「くそ、やられた」


 この公園自体に魔封じがかかっている。


「彼には、今日の帰りはこの公園を通るよう、言っておいたのだ」


「過保護なことで!」


「ちなみに、君に言ってもあまり効果はなさそうだが、私はこの子の体を間借りしているだけで、この子自体はこの世界の人間だ」


「は、勇者の彼女に間借りとは」


「妥当だろう? それに無理やりじゃない、きちんと事情を話して了承を得て間借りしているからな」


「律儀だな」


「私も前回負けたことで反省をしたんだ。魔物どもは基本的に個々が気ままに動くのだが、やはりきちんと契約を交わし、いざというときは助け合うことも大事だとな」


 なんとなく前回の戦いの様子が垣間見えた気がしたが、今はそんなことはどうでも良い。なんとかしてこの公園を抜け、魔王の手をかいくぐり、あの標的を――




「だからこそ、今回は復活してすぐに人類側に停戦協定を結びませんか、と声を掛けたのだが……」




「は?」


 今、魔王と名乗る少女はなんと言った?


「さすがに無視した挙句、かつて私を殺した勇者の魂を回収しようと画策するのはいかがなものか」


「……すみません、俺、人間側なんですけどそんな話聞いてません」


 おそるおそる手を挙げて申し出れば、魔王は考えこむように手を顎に添えた。


「ふむ、少なくとも使徒としての仕事を担っている以上、末端とは言い難い貴様でも知らぬか。なるほど、やはり全面戦争を人間側は望んでいるのだな」


「少なくとも俺は望んでません」


 というより、戦わなくて済むならどうしてそちらに動かないのだ上層部は!


 暫し考え込んでいた少女は、やがて深々とため息をついた。


「まったく……人間というものは叡智の塊のような種でありながら、どうしてか言葉が通じぬ。前回も勝手に怯えて、勝手に混乱して、勝手に死んでいった挙句、私のせいにされても困るというものだ」


 どうやら歴史書から受けた印象は何ひとつ間違っていなかったようだ。


「まあ良い。貴様は無害そうだ。とにもかくにもあやつは殺してやるな。殺すのならば私が貴様を殺す。この少女とはそういう契約をした」


「それは約束できない。俺も家に帰りたいんでな」


 そう、俺は勇者の魂を回収しなければ元の世界に戻れないのだ。


「ならば老衰するまで待て」


「待てるか。ほぼほぼこの世界で生きろって言ってるようなもんじゃないか」


「ふむ、ならば」




 今、ここで死ぬか?




 周囲の空気が一変する。そこに立っているだけでわかる。このままでは確実に死ぬ。


「なに、貴様らが勇者の魂を回収しようと画策した段階で、手は打っていたのだ。ゆえに私はこうしてここにいる。おとなしくしていれば見逃したものを」


 考えろ。


 目の前にいる魔王は、言葉が通じる。そしておそらく――これは勘でしかないのだが――約束は律儀に守るタイプだ。


「……ひとつ、聞いていいか?」


「なんだ? 命乞いか?」


「ある意味、そうだな」


 そう、自分の望みを考えるのだ。


 魔王を倒すこと? ――違う。


 勇者の魂を回収すること? ――違う。


 元の世界に戻ることだ。このくそ面倒な仕事をぶん投げて、元の世界に戻ることだ。


「俺は、異世界に渡る際、戻る条件として勇者の召喚が組み込まれた。勇者の召喚式が発動しない限り、俺は元の世界に戻れない。その上で聞きたい。――お前の力で俺を元の世界に戻すことはできるか?」


「ふむ……」


 ふ、と気が抜けたように周囲の空気が軽くなった。


「なるほど、貴様、要は帰りたいのだな。ホームシックというやつか」


「うるさいな、そうだよ」


「少し見せてみろ」


 かつかつと近づいてきた少女に、警戒は抱きつつも背を向け、下を向く。項をなぞる手に背筋がぞわっとしたが、それをぐっと堪える。


「ふぅむ……そもそも召喚式に召喚式組み込むとか何がしたいんだ?」


「いや、単純に仕事終えるまで帰ってくるなって意味だと思う」


「上司は選んだ方が良いぞ」


 まさかの魔王にパワハラの心配をされるとは。むしろ魔物の世界の方が優しいのでは、と泣きたくなる。


 つ、と指が項から離れたのを確認し、振り返る。少女の顔がそこにある。この顔が司祭プリーストの好みらしいが、まあ、かわいいといえばかわいいのだろう。その顔が言う。


「不可能ではないな。だが立ってやるには面倒だ、そこのベンチに座れ」


 そう言って指差した先は公園据え置きのベンチ。いそいそとそこに腰掛ければ、魔王が背後に回る。


「というか、貴様、どうしてこの仕事を請けたのだ」


「金に釣られて」


「うまい話には裏があるものだろう」


「反省した」


 背後で魔力がうねっている気配がする。この状態ではおとなしくするに限る。背後の魔物は立ってやるには面倒だ、などと言っていたが、本来、人に掛けられている魔法式に手を加えるのは落ち着いた設備の整った屋内でやることなのだ。てきとうにやろうものなら、魔力の暴発はもちろん、廃人になることだってあり得る。


「……その女の子とはどういう契約を?」


「なに、この子があやつを好いているのはわかったからな、『あやつを殺す者がじきに来る。私はそのものたちからあやつを守るために来た。暫し力を貸してほしい』と言ったのだ」


「それで信じたのか……」


「いや、信じなかった」


 信じなかったのかよ、と突っ込みを入れたくなるのをぐっと抑える。今は動いてはいけない。自身の身のため。


「だが、あやつに告白するのを手伝ったり、ちょっとだけど魔法が一時的に使えるようになるというのをアピールしたら乗ってくれた」


「軽かった」


 命よりも魔法の方が興味のあるお年頃か。


「この子はあやつと恋仲になり、しかもあやつを守れる。私はあやつが死なない限り勇者の召喚を待つことができる。ウィンウィンの関係だな」


 魔王の言葉に「そうだな」と力なく応える。一方的に殺しにかかった我々とは大違いだ、これではどちらが悪者なのか。


 魔力を弄る気配がやむ。


「終わったぞ。明日の朝には、貴様は元の世界に戻れる」


「助かったよ」


「あやつには手を出さないな?」


「ああ、もう出さないよ」


 そう言えばにんまりと魔王は笑った。




 朝を待つ間、念のため司祭プリーストに連絡を入れることにした。停戦協定の話もある。


 だが、何度通信しても司祭プリーストは出なかった。人を働かせておいてやつは寝ているらしい。やはり帰ったら真っ先に殺そう。




   ◇◇◇




「そんなことだろうとは思ったけどな」


 鼻につく血の匂い。無残に散らばる死体の山。その姿は見覚えのあるものばかりだ。その中に司祭プリーストの姿もある。最後の会話が女の好みの話となるとは。


 魔王の言葉通り、夜明けとともにこちらの世界に戻ってこられたはいいものの、帰っていきなり目に入るのが死体の山では目覚めも悪いというものだ。寂しく残された勇者の召喚式をよけて出口に向かおうとすれば、カツン、という音が響く。


「おはよう、おかえり、それともさようなら、か? この場合の挨拶はどれが適当なのか」


「魔王様はまさかほんとに女だったとは」


 姿を見せたのはひとりの女性。魔力を事前に知っていたからこそ、これが魔王だとわかったが、知らなければ職員のひとりとでも勘違い――はさすがにこの状況ではしないが、街中とかであれば確実に勘違いしていただろう。


「人型というのは存外に無駄がない。何度も言っただろう、私も反省したのだと」


 つまり、前回の戦いは思いのほか魔王自身をも成長させてしまったということのようだ。


「停戦協定はどうしたんだよ」


「もちろん提案したぞ? だがそれを無視し、貴様らは勇者の召喚を行おうとした。ゆえに、私は今ここにいる」


 なるほど、「手を打っていた」というのはこういう意味でもあったのか。


「さて、まあ、貴様は逃がしてやっても良いが――」


 ずん、と重い振動が響き渡る。魔王の背後に現れる巨体。魔物もいるだろうとは踏んでいたが、そのサイズは屋内で放し飼いにするには少々無理があるだろうと言いたい。


「ふむ、お前には存分に暴れさせてやると約束したからな」


 そう言って魔王が撫でるのは巨体の足。ベヒーモスと呼ばれる魔物の――おそらくは子どもだ。


「逆に貴様とは元の世界に返すという約束は守ったからな、それ以上の生命の保証は契約外だ」


「お前はもう少し『契約』とは何たるかを学んだ方がいいぞ」


 アフターケアも契約のうちだ!


 叫びながら先手必勝と地面からツタを伸ばし巨体を押さえる。


「なるほど、そうか。では、次回から気をつけることにしよう」


 そう言って姿を消す魔王に「今回から適用しろ!」と叫ぶが、その声はベヒーモスの唸り声にかき消される。


「さて……」


 ツタとは言っても材質はこの建物と同様のもの。魔法がばんばん飛び交う建物の材質は、そう簡単には破壊できない。


 ベヒーモスと対峙し、そして、笑う。


 すべてを見届けず早々に退散した魔王を笑った。


「まあ確かに、俺との約束は守ってくれたしな」


 だからここにこうして生きている。




「そしてまあ、俺も約束は守ったぜ。、手は出さないって約束だったからな」




 背後で召喚式が発動する。勇者の召喚式だ。


「俺はホームシックにかかってたんでね、標的にはさくっと死んでほしかったのさ。どれほど失敗しても、翌日には必ず死ぬように出会った当初に保険をかけてな」


 人間の体は電気信号で動いている。最初、車を運転する人間の小型端末を弄る際に、一緒に標的の脳も弄っておいた。


 ベヒーモスが唸り声を強くする。これから現れる強敵の気配でも感じ取っているのだろう。


「さあ、勇者様」




 チュートリアルの時間だ。





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